1009 『日の丸の翼』にあるような日本陸軍爆撃機の爆撃目標と作戦距離による分類(重爆・軽爆・襲撃機・直協機)ですが、実戦では理想的な運用より現場の要請を優先して、例えば重爆や軽爆で前線兵力を爆撃するようなことはどれくらいあったのでしょうか。
また、以前軍板かどこかで「日本で対戦車戦闘を見据えた戦車の量産が遅れたのは、戦車がなくとも対戦車砲の側面攻撃や肉薄攻撃で戦車に対抗し、そして制空権をとって爆撃機で対戦車攻撃を行えば問題ないから」という話が出ましたが、ビルマや南洋の歩兵の戦記を読んでいると直協機が飛んできて敵戦車を撃破してくれる描写がほとんどありません。
これは制空権を奪われているから直協機を出せなかったのであり、仮に航空優勢があるならば前線の戦車に直協機が攻撃するようなことがあったのでしょうか。

長くなりましたが自分の疑問をまとめると
・直協機以外の重爆等も前線兵力への爆撃に投入されたのか、それは飛行場爆撃に比べるとどれ程のソーティ数だったのか
・陸軍は航空機による対戦車攻撃を考えていたのか、戦車への対抗策として重視していたのか、それは実施され成果をあげたのか
の2点になります。
tellus

  1. 日本陸軍は大戦中に戦闘機超重点主義を採って航空機生産の重点をひとえに戦闘機に置き、これを使って制空権を確保するのとともに、戦闘機を襲撃機的にも使って地上攻撃を行わせるという方向に移行しています。
    たとえば、二式双発襲撃機といわれるものは37ミリ砲装備の二式複戦そのものであったわけですし、昭和20年8月のソ連軍越境に際しては四式戦で地上攻撃、対戦車攻撃を行っています。タ弾のような戦闘機で運用できる地上攻撃用の兵器もこうしたためのものといってよいわけです。


  2. ノモンハン事件の航空戦を調べると重爆と軽爆が同じ任務に使われたり、別の役割を果たしたりする機種の使い分けを知ることができます。
    ただ、簡単に前線への協力といいますが、どこの誰が誰に電話して、誰の命令で爆弾を積んだ飛行機が前線に飛ぶのか、という仕組みの方が大切です。
    そうした組織が無ければ前線への爆撃など重爆だろうと軽爆だろうとどうにもなりません。

    また、日本戦車の対戦車戦闘能力については対戦車砲ではなく、戦場における戦車密度についての認識の甘さが大きな要因になっています。敵にも味方にも戦車が少なく、戦車と戦車はそうそう出会わない、という考えです。
    BUN

  3. >片様、BUN様
    爆装戦闘機が襲撃機を兼ねるようになった話は以前こちらで知りましたが、これはどのようなシステムなのかよくわかりません。地上の前線航空管制に従って陸軍部隊が密接な支援を受けられるような話は西部戦線のヤーボで顕著ですが、このような体制が日本軍にもあったのでしょうか。
    また、戦闘機に生産集中される以前は前線敵兵力への爆撃は直協機「だけ」が行っていたのでしょうか。

    また話は逸れますが、日本陸軍航空隊の爆撃・地上攻撃に関するお勧めの書籍がありましたら教えていただけると嬉しいです。
    tellus

  4. 近接航空支援という戦術は、戦略爆撃、阻止爆撃の確立のあと、第二次世界大戦中期に成立したものです。
    それだけ地上支援はその指揮系統を確立するのが大変だったのですが、第一次世界大戦以来、地上部隊が航空支援を必要とした場合、地上軍の直接指揮下にある航空部隊が即座に動くというシステムが残されています。
    日本の独立飛行中隊の直協機や軍偵はそうした師団司令部に電話すれば飛べる爆撃隊として機能しています。

    そのあたりをちゃんと書いた書籍はといえば、そんなレベルまで日本の航空戦術史は達していませんので、ありません。それぞれに頑張りましょう。
    BUN


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