1105 日本の陸海軍の塗装について2つ疑問点がございます。

1点目
現地部隊で施されるような迷彩は、機体に書かれている警戒標識(フムナ等)を無視して塗装するのでしょうか。

2点目
大戦中期の陸軍機、大戦後期の海軍機のプロペラは茶色に塗られておりましたが、一般的に、スピナーも同様に茶色に塗られているのでしょうか。隼や飛燕はスピナーもプロペラと同じような暗い色で塗られているように見えるのに対し、零戦や天山の写真を見ると銀色もしくは白といった明るい色や、茶色のプロペラとあまり変わらない暗い色で塗られたスピナーどちらも確認できます。陸軍機、海軍機の規定の違い等があるのでしょうか

上記ご教示頂けると幸甚に存じます。
旅人木

  1. 1点目
    その部分だけ迷彩色を塗らずに塗り残していることが多いです。

    2点目
    規定が明確に存在しているのは、プロペラブレードの塗装です。
    ・普通は裏側のみ防眩塗装「小豆色」を塗ってほかは無塗装、翼端標識は赤色(陸軍機1本、海軍機2本)。
    ・迷彩プロペラの場合、ブレード表裏とも小豆色、翼端標識は黄色。
    という陸海軍統一の規格が存在していました。

    スピナーに関してはこの規定の外です。暗色の場合おおむね機体迷彩色と同じ色が使われていたはずです。海軍機の場合もっぱら暗緑色です。これは当時撮影されたカラー写真で確認できます。


  2. ちなみに、こうしたプロペラブレードの塗装規定が明文化されたのは昭和13年のことですから、大戦中だけのことではなく、その前の日中戦争の時期にも行われています。
    一方で陸軍は昭和18年6月に、こうした陸海軍統一規格を離れて、プロペラ表裏、スピナーなどすべて「黄緑7号色」だけで塗るように改定しています。これは使用塗料の種類を局限するためです。


  3. ご回答ありがとうございます。
    丁寧に塗り残していたのですね。納得致しました。

    プロペラの規定はあれど、スピナーの規定があるわけではないのですね。スピナーの色は海軍機で概ね暗緑色ということですが、例えば無塗装で出荷される、迷彩プロペラをつけた陸軍機の多くは暗い色のスピナーをつけておりますが、あれは何色になるのでしょうか。
    旅人木

  4. 陸軍機の場合は、スピナーも迷彩プロペラと同色(ブレードが小豆色ならば、スピナーも小豆色)であることが多いです。



  5. 片様

    陸軍機では小豆色のプロペラの場合小豆色のスピナーが多いのですね。ありがとうございます。

    陸海軍の間で統一規格がある部分とそうでない部分があるのですね。プロペラの色だけでも大変興味深いです。最後に一つお尋ねしたく存じます。

    統一規格から外れた陸軍の黄緑7号のプロペラの翼端標識についてですが、五式戦闘機の写真に裏面にも翼端標識が塗られているように見えるものがあります。そこで、五式戦闘機のプロペラ裏面に標識が塗られているのか、であるならば黄緑7号に塗られたプロペラすべて表裏共に翼端標識が塗られているのか、この2点について教えていただければと思います。

    宜しくお願い致します。
    旅人木

  6. 本来、翼端標識は、ブレードの前面にだけ、プロペラ翼端から5センチの位置に「帯」を引くことになっていたのですが、陸軍機の黄緑七号色プロペラでは、ブレードの表裏とも翼端部をベタ塗りする形に変更されています。これはキ一〇〇に限らない一般的なことです。
    逆に述べれば、翼端標識が表だけ帯なのか、表裏ベタ塗りなのかで、ブレードの塗色が小豆色なのか、黄緑七号色なのか区別することが出来ます。



  7. 海軍機のプロペラブレード前面とスピナは金属プロペラ用塗料(ち五〇)で塗るように規定されています。(昭和19年1月10日 航本機密第178号)

    それでも無塗粧のものがあるのは、スピナがブレードとは別に供給される部品だからでしょう。高座工廠製の雷電のように銀色スピナがあえて選択されていると推定される例もあります。
    また茶色と解釈される陸軍機のスピナは緑色で塗られたものが見落とされている場合も多く含まれていると推定しています。
    BUN

  8. 片様、BUN様


    航本機密で検索したら国立公文書館のサイトを見つけることができ、データベースを探していたら「海軍広報(部内限)第四千五百八十七號」1ページ目に書いてありました。
    金属プロペラ用塗料ち50が小豆色を指すのですね。また海軍機の場合スピンナーが規定どおりに塗られない場合があることも承知いたしました。

    ご教示くださり誠にありがとうございました。
    旅人木

  9. その通牒が出された後も、事実上緑か銀かどちらかばかりなんですよ、海軍機のスピナー。

    ち50というのは、昭和8年7月制定の規格で、「濃小豆色」「艶消し」が本来の、操縦者から見た場合の防眩と、迷彩の目的を兼ねたものです。
    そういう意味では、スピナーにあえて塗る必要が無いものでもあります。




  10. 陸軍の場合は完成時、機体に迷彩塗料が塗られていない、という点も重要だと思います。そして機体完成時の迷彩を早くから採用している海軍機は逆に銀ペラの時代が長いという事情も見て置くべきだと思います。
    BUN

  11. 海軍機の場合、対米開戦を契機に暗緑色塗粧化し、実用機では最も遅い零戦ですら昭和18年前期には迷彩化されているので、19年1月より張る改善の段階でスピナーの暗緑色塗粧が定番化されてしまっていた、ということですね。
    そういう意味ではスピナーの小豆色塗装は本来陸軍機のためのものであった、ともいえそうです。

    その陸軍機の場合は遅くとも17年中のどこかの辞典で迷彩プロペラが標準化されています。BUNさんがおっしゃるように、陸軍機は機体が無塗装のままロールアウトされ、陸軍に納入後に迷彩塗装を行っていましたから、工場を出る前の段階で迷彩が施されていたのは、納入後には再塗装が難しいプロペラと、それとセットになっているスピナーだけであったわけです。



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