1111 戦前〜大戦期のイギリスの陸軍直協機について質問です
イギリス陸軍が本当に自前の直協機部隊を持ったのはオースターAOP部隊が最初で
その前のヘクターやライサンダーの部隊はRAFの管轄だったわけですが
空軍が管轄するこの直協機部隊は肝心の陸軍直協作戦で
他国のような陸軍の下に付く直協機部隊と遜色ない運用が出来たのでしょうか?

勝手な偏見ですが、直協機部隊が空軍所属だと
軽爆撃機のように最前線そっちのけで空軍独自の爆撃作戦にばかり使われたり
前線航空管制のシステムが他国より遅れていたりしそうです
カタカナ提督

  1. 直協機は砲戦観測が主任務ですから、第一次大戦の昔から空軍が直協機を飛ばしていている歴史もありますし、取り立てて不自由はなかったはずです。
    そもそも、戦争前半の英空軍は地上部隊への近接支援をしませんし有効に運用できる組織もありません。
    BUN

  2. 横入り失礼します。
    戦争前半にはまだ、ヘクターを始めとするハート系列、ワピティ/ワレス等が使われていたはずですが、これらも、「戦争前半の英空軍は地上部隊への近接支援をしませんし有効に運用できる組織もありません」に該当するのでしょうか?
    だとすると、こうした飛行機たちは、中東やアフリカやインド等で、どのような使われ方をしていたのでしょうか?


  3. 前線から電話で航空支援を要請して爆撃機が飛んでくる、といったシステムが確立されるのは北アフリカ戦線後期以降です。
    飛行機がどんな機種であろうと、地上からの連絡、中継システムが確立しないと近接航空支援は極めて限定的にしか行えず、臨機の目標に対する柔軟な航空攻撃はできません。予め計画されていた動き以上のことはできないのです。
    こうした点は航空が絡まない砲兵支援にさえ当て嵌まります。
    BUN

  4. 爆撃戦術の歴史は、最初に戦略爆撃、次に阻止爆撃、最後に近接航空支援の順番で完成して行きます。最初の方が簡単で、最後の方が難しいということです。
    ハートなど系列の爆撃機は近接航空支援ではなく阻止爆撃や航空撃滅戦を意識して開発されたものです。
    BUN

  5. 近代的な近接航空支援はその通りなのでしょう。
    ですが、それ以前に、原始的な連絡手段だし、柔軟でなく限定的だけどその方法論を捨てるには勿体ないぐらいには有効な、近接航空支援は存在しなかったのでしょうか?
    直協のついでに手旗や信号弾の連絡によって小型爆弾を落とすとか、有効な対空兵器を持たない相手なら低空飛行で威圧するとか・・・
    ハートも、開発時は「主力爆撃機」であっても、相対的な性能低下の後には、近接航空支援を意図した派生型が出現したのではないでしょうか?
    主力爆撃機だったビミイ、バージニアがヴィクトリア、バレンティアに発展し、その代替が Bomber-transport なのを見ると、「地上からの連絡、中継システム」なんてとうてい期待できない地方での近接航空支援に一定の価値を見出していたように思えるのですが。


  6. 近接航空支援は第一次大戦中にある程度の実績を上げるようになっています。
    でも第二次大戦前半ではあまり上手にできない。
    両者は何が違うのかといえば、砲兵の活動と同じで、事前に計画できているか否かです。
    BUN

  7. 臨機の目標を飛行機で攻撃するには地上部隊との正確な連絡が必要でそれを実現するのは連絡将校と無線電話の配備を待たなければなりません。
    そうでない時代には総攻撃の前に既に発見されている目標に対して事前に攻撃計画を立てて置かなければ上手に実施できません。
    いわゆる地上攻撃機は第一次大戦から登場していますが、これらは既に位置の判明している塹壕線やストロングポイントに対して砲兵の準備射撃の代用として用いられます。そうでなければ敵の増援を阻む阻止攻撃が主体になり、実際にそのように運用されています。
    第二次大戦のような機動戦で近接航空支援ができるようなるまでには空地の連絡組織とVHF無線電話の大量配備が必須で、お話に出てくるライサンダーも陸軍連絡将校の指示で飛び、飛行中、常時陸軍連絡将校が無線電話でその行動をモニターします。機動戦下で出現する臨機の目標に爆弾なり砲弾なりで火力投射するには飛行機の機種よりも組織と通信ネットワークが重要になります。
    BUN

  8. 先に紹介しましたように英空軍は第一次大戦中に設立されていますが、この当時の航空兵力の主体はCorps Aircraftと呼ばれる直協機群です。これらの飛行隊の仕事は砲兵観測で、それが自由にできるかどうかが航空戦の目的になっています。
    「空軍」として活動する戦闘機隊や爆撃隊とは別にこうした部隊が航空兵力の主体を成していたので、直協機の運用については空軍設立当時から「こうやるもの」という常識が出来ていたということです。
    BUN

  9. 5>銃撃や低空飛行での威圧であっても味方にされては困る訳で、地上からの臨機な要請に対応するなら其所との正確な連絡こそが実現への鍵で、航空機の機種など敢えて云えば「どうでもいい」。航空機である必要すらないわけですから。
    正確な連絡が付くなら戦略爆撃機や巨人輸送機でも近接航空支援は出来る(実際にしている)し、単発小型の襲撃機を膨大に擁した赤軍はそれらを事前に計画された目標への攻撃にしか使わず、若し仮に前線からの支援要請があっても応じる事は出来なかった。
    でいいのでしょうか。
    にも。

  10. 「連絡の正確さ」と書いてしまいましたが、それ以上に連絡する手段と組織が進歩したので最前線から見える場所に爆弾を落とせるようになってきたということで、誰が要請するのか、誰がそれを中継するのか、要請を何処に集めるのか、飛行機を出す、出さないの判断は誰がするのか、そんなことを解決しないと上手く行かないというお話です。

    また爆撃より正確に攻撃できる野砲の砲撃でさえ第二次大戦の米軍の基準で言えば最前線から約500mは砲撃しません。友軍に被害が及ぶ可能性があるからです。まして重爆の水平爆撃であればkm単位で距離を置かなくてはならないので、重爆は近接航空支援には使えません。ノルマンディなどで重爆が地上攻撃に参加しているのは攻撃時の弾幕射撃の代用をしているのです。

    この安全距離があるためにノルマンディ以降のドイツ軍は連合軍前線にできる限り近づいて布陣するという対策を採り始めます。近接支援を阻む最も有効な対策は「近接すること」だったからです。
    近接航空支援は雑用機、旧式機でもできる単純な任務のようなイメージがありますが、解決すべき問題がいくつもあり、第一次大戦の陣地戦では多少実施できても、機動戦に対応した運用が確立されるまでには四半世紀掛かっています。
    BUN

  11. 詳しくありがとうございます。
    最も中心的な概念は、「移動する味方であっても誤爆せずに、味方のなるべく近くを攻撃するのが第二次対戦型の近接支援であり、そのためにはリアルタイム通信が必要」という理解でよいでしょうか。

    そして、WW2開戦時に英空軍にあった直協兼爆撃機のたぐいは、リアルタイム通信を必要としない事前計画にもとづく攻撃を行う第一次対戦型近接支援を目的としたものであった、という理解でよいでしょうか。

    そして1.への疑問に戻るのですが、後者が、「第二次対戦型の近接支援でないこと」は判りますが、「近接支援ではない」と言えるのでしょうか? 

    それとも、
    「戦争前半の英空軍は地上部隊への、【第一次対戦型の近接支援はできたが、第二次大戦型の】近接支援をしませんし」
    と解すべきなのでしょうか。


  12. 話が続いていますが、沢山の回答レスに感謝します
    とりあえず自分の質問への答えとしては、ざっくり言うと
    「直協機部隊は独立空軍であるRAFの所属とはいえ元々『空軍独自作戦をやりたがる連中』とは一線を画す位置にあり
    要請があれば素直に陸軍の連絡将校の指揮下に入って準備砲撃代用の爆撃や砲戦観測をこなすので
    他国のような陸軍航空隊所属の直協機部隊と何ら変わりなく働けた」というところでしょうか
    RAF所属が名目だけで空軍のレゾンデートルである独立作戦をしないなら
    FAAを海軍に移管したようにもう少し簡単に陸軍に渡しても良かったのに、と
    後知恵ながら思ってしまいますね(FAAも遅すぎたように思っていますが)
    カタカナ提督

  13. >11
    第一次大戦型の近接支援は第二次大戦では到底実施できなくなった超低空低速飛行で集束手榴弾を投下するような塹壕攻撃のことです。こうした戦術は対空火器の進歩で実施不能になっています。だからそのような戦い方は第二次大戦ではもう「しない」のです。

    そして直協機というものは基本的に砲戦観測と短距離偵察を任務とする飛行機です。少量の爆弾は搭載できますが爆撃を任務とする機種ではありません。

    ですから英軍の直協機は第一次大戦中でも近接航空支援をしません。
    直協機が地上攻撃に振り向けられたのは1918年の独軍攻勢で前線が崩壊し、大量の直協機が砲戦観測から解放された結果、前線後方の補給隊列、増援部隊に向けて猛烈なハラスメント攻撃を実施するようになってからです。
    最前線の塹壕を攻撃したのは英軍ならば直協機ではなく塹壕銃撃機であるソッピースキャメルです。

    そして第二次大戦の後半戦でも地上攻撃機と野砲との棲み分けはあり、最前線から2km程度までの火力支援は砲兵の仕事、それ以遠は航空の仕事といったように大まかな区分があります。その砲兵の仕事を助けるのが直協機の役割なのです。

    いろいろ複雑ですけれども、砲撃でも爆撃でも敵の頭上から行う火力投射に変わりはありませんから、米軍式に言えば火力指揮センター的な発想が生まれ、第二次大戦型の近接航空支援を実現する基盤となってくる訳で、空軍の所属であっても陸軍の航空隊であっても、砲兵と共に一元的に運用するシステムへと向かいます。こうしたシステムがあってこそ、ちょっとだけ爆弾を積んだ直協機といった中途半端な存在も有効活用できるようになります。


    BUN

  14. 重ねてのお付き合い、ありがとうございます。
    第一次対戦型の近接支援でもない、第二次対戦型の近接支援でもない、とすると、戦間期〜第二次大戦前半まで英空軍が維持し続けた、複数の
    「少量の爆弾は搭載できますが爆撃を任務とする機種ではない」機種は、どんな用途のために、爆弾搭載能力を求められ続けたのでしょうか?
    ご指摘の「ハラスメント攻撃」は例外状況の下で、であって、ドクトリン本来の用途ではない、わけでしょうから、その再現を狙っていたわけではないのですよね。

    すくなくとも英空軍の頭の中には、植民地における「進歩した対空火器を持たない敵に対する非対称戦としての爆撃」が、主要国相手の戦争における爆撃とはまた別にあって、
    ・比較的遠距離・大規模な爆撃なら輸送機兼爆撃機や型落ちの旧主力軽爆派生型の輸送機を使うし、
    ・もう少しきめ細かな爆撃には、爆弾も詰めなくはない直協機とか、型落ちの旧主力軽爆派生型の直協機とか、荷物でも要員でも担架でも爆弾でも詰める多用途機を当てる、
    というつもりがあったのではないでしょうか?
    後者を「近接支援」と呼ぶかどうかは語の定義の話になるのかもしれませんが、味方陣地の近くに達してしまった敵への空対地攻撃は除外されていたとも考えにくいと思うのですが……
    それとも、こうした機種には別の爆撃方法が想定されていたのでしょうか?



  15. 味方陣地の近くに達してしまった敵に空対地攻撃をする事は出来ない味方を誤爆するから。ということが理解出来ないのは不思議です。
    我が劣勢時の敵へのハラスメント爆撃も、植民地における進歩した対空火器を持たない敵に対する非対称戦としての爆撃も、主戦場におけるドクトリン本来の用途でなくとも無視すべからざる用途では?爆弾搭載能力は爆撃だけに使う訳でなし。
    地上の前線との連絡手段が確立した後の米軍の定義である「航空阻止」「近接航空支援」では無く、
    「事前の作戦計画で決められた目標を攻撃」か「地上軍前線が作戦開始後に認識し、指定し要求する目標を攻撃」という二分法で考えるべきです。
    「何が攻撃すべき目標で、何が攻撃してはいけない対象か」を攻撃手段に伝える連絡手段こそが本質である事が判りますね。

    にも。

  16. カイザー攻勢の際、独軍は自軍の前線に幕を張る事で空中から敵味方の前線の識別を容易にさせ、従来より自軍前線に近接した前線の敵軍を攻撃できるようにしました。支那事変で日本軍も之の方法を踏襲しています。しかしこれは、事前の作戦計画で決めた範囲の目標を攻撃するのには良くとも、作戦開始後に地上軍前線が発見遭遇した目標をその要請に応じ攻撃するには、甚だ迂遠で不正確です。
    にも。

  17. 高速軽爆撃機による白昼強襲は通用しませんでしたが、「しなかった」わけではありませんよね。
    同様の文脈で、
    「戦争前半の英空軍は地上部隊への近接支援をしませんし有効に運用できる組織もありません。」
    について、疑問を呈しております。

    非対称戦は大拡張を始める以前の英空軍では重要な運用法であったと見受けられますし、開戦時にはそうした機材が残っており、無視すべきではないと考えております。
    爆撃するのは反乱軍の根拠地のこともあれば、進軍中も、味方近くまで来てしまってからのこともあり得たでしょうし、近すぎて誤爆リスク過大なら中止することもあったでしょう。
    これらを戦略〜、阻止〜、近接支援〜と呼ぶかどうかは、航空機と徒歩・騎馬の速度の差など含め、語法・定義によるでしょうが、少なくとも、当時の英空軍が持っているはずがない「その後の米軍」の定義による「近接支援」であるかないかという議論はナンセンスでしょう。また、主要国相手の正面戦争でない場合にも、作戦開始前/後という二分法で分けてよいものかも疑問に思います。「何々族反乱!」といった場合、どちらにも当てはまらないこともあるでしょう。
    いずれにせよ、その当時の英空軍が、味方近くにいる敵に対する対地攻撃において必要だと考えていたのは、リアルタイム通信以外の【何か】であったはずです。
    連絡は必須だったのでしょうか? 区別さえつけば構わない、と考えていたことはないのでしょうか?

    ライサンダーは開戦時に配備されているの英空軍機の中でも最新鋭といえますよね。
    そのライサンダーでさえ爆装を求められており、翼面積を増やした砲塔搭載型の実機製作まで至っています。
    英空軍は、主要国相手の戦争でも、その時点では間に合わないリアルタイム通信以外をもって近接支援をするつもりがあった、と判断してよいのではないでしょうか。
    (ライサンダーが実際に近接支援爆撃を行った、通用した、とは主張しません)

    連絡が本質というご論には賛成しません。
    本質は味方の(事後の状況まで含めて)被害を小さくすること。
    区別はその手段。区別などいらないという場合や、区別できていても味方ごとやってしまえ、という判断に合理性がある場合もあり得るでしょう。
    そして、連絡は、ある状況下では味方の被害を小さくするための唯一無二の手段となり得たことには同意しますが、本来的には、区別に資する手段の一つに過ぎない、と考えます。

    対空擬装したドイツ軍と連合軍が入り交じって機動する状況から、上から見たって一目瞭然な現地反乱軍が英人居住地に向かう状況まで多様なグラデーションがあり、それぞれにおいて、リアルタイム通信が可能になる前の英陸空軍が用意していた手段が何であって、どのぐらい通用し、あるいは、いかなる理由によって通用しなかったのか、それらにおいて、空陸の壁がどんな意味を持っていたのか、というあたりが面白いところではないかと思うのですが。


  18. 連絡ではなくて、直協機は近代野砲兵が持つシステムの一部です。
    そこから切り離せるものではありません。
    搭載する爆弾は捜索、偵察任務の傍ら敵後方において無防御の人馬殺傷に用いるものです。
    反乱鎮圧に使うために爆装している訳ではありません。

    そして「本質は味方の(事後の状況まで含めて)被害を小さくすること。」であるなら、なおさら戦場上空での爆撃任務に直協機のような機種を投入し、高価で補充の容易でない飛行機の無駄遣いをしてはならないでしょう。
    BUN

  19. また直協機の任務が砲戦観測を主体として捜索偵察、連絡、あるいは銃爆撃と多岐にわたるのは、この機種が軍用機の中で最も古い歴史を持つ万能複座機の流れにあるからです。
    機構上何かができるから、それを軸にした戦術思想が存在するという訳ではありません。
    ライサンダーの爆弾搭載能力によって友軍の人命をいちばん多く救ったと考えられる任務はイタリア戦線でのDDT空中散布によるマラリア蚊の駆除だったりするのですから。
    BUN

  20. 盲撃ちとはよく云ったもので、観測機の様な「目」こそが砲よりも核心>18.直協機は近代野砲兵が持つシステムの一部です。そこから切り離せるものではありません。戦場上空での爆撃任務に直協機のような機種を投入し、高価で補充の容易でない飛行機の無駄遣いをしてはならない


    戦病死…>19.ライサンダーの爆弾搭載能力によって友軍の人命をいちばん多く救ったと考えられる任務はイタリア戦線でのDDT空中散布によるマラリア蚊の駆除だったりするのですから。
    にも。

  21. これもある人の解釈にすぎない、といえばそうですが、
    THE ROYAL AIR FORCE / AN ENCYCLOPEDIA OF THE INTER-WAR YEARS / VOLUMR II RE-ARMAMENT 1390-1839 、WING COMMANDER IAN.M.PHILPOTT 著、の
    P.429 ヴィッカース・ヴィンセントの項には
    "In 1934 the Air Ministry reconised thebneed for an aircraft to replace the bWapiti and Fairey IIIF working as general purpose aircraft carrying out air control operations in places like Iraq, Aden and the Sudan."
    とあります。
    こうした地域に、反乱軍以外の爆撃目標があり得たのでしょうか。というか、敵「後方」かはともかく、植民地の反乱軍は通常、「無防御の人馬」なのではありませんか?
    また、撃墜されるリスクが非常に大きいとも思えないのですが。

    また、
    http://www.airpower.maxwell.af.mil/airchronicles/apj/apj00/win00/corum.htm
    The Myth of Air Control/Reassessing the History
    では、20年の空地協力の経験が、"major conventional war" "on the battlefield" での効果的な近接支援に繋がらなかった、としています。
    つまりそれ以外では空地協力ができていたわけですよね。

    第二次大戦前半の英空軍は近接支援を「しない」のではなく、「やる気はあったorやってはみたけど、対独戦では、それまでとは勝手が違ってうまくできなかった」のではないでしょうか。

    前掲書P.126では、現パキスタンにいたNo.5 Sq.の1939年8月の活動として
    "Close air support continued with Wana covoy"とあり、少し遡る1938年4月の出来事として、敵対的な氏族民への攻撃事例が記載されています。
    1939年9月3日をもってこうした戦術が全廃されたのでなければ、第二次世界大戦前半でも、こうした作戦が実施された地域も少なからずあったのでないでしょうか? 
    VOL IIIは持っていないので確認できないのですが。



  22. 「やる気はあったorやってはみたけど、対独戦では、それまでとは勝手が違ってうまくできなかった」

    それが正しいかどうかについては、近接航空支援の発達史が沢山出版されていますから、ここで議論されるより、何冊か読まれた方が色々納得できると思います。
    BUN

  23. 英仏軍が経験した植民地での紛争での地上攻撃は仰る通りにありますし、それらは後に地上攻撃の有効性を再認識させる材料になっていますが、それらは輸送隊列への攻撃であったり、後方拠点での攻撃であったりする訳で、スペイン内戦での事例なども同様に地上攻撃再評価のきっかけとなる出来事なんですが、これらが「近接航空支援」を発展させたというのは間違いでしょう。1930年代の戦略爆撃万能論に対して戦術的航空作戦の重要さを主張する根拠となった、というのがより正しいのではないかと思います。

    この辺は解説書にもあまり出てこないと思うので余計ながら付け加えました。
    BUN

  24. 「阻止攻撃」とは、
    作戦計画に基づき定められた戦域で、航空機自身が目標を捕捉選定し攻撃する事。
    イニシアチブは作戦計画に定められた範囲内で当該の航空機搭乗員が持つ。

    「近接支援」とは、
    観測者が捕捉しその情報に基いて指揮所が指定した目標を、指揮所の命令で攻撃する事。
    イニシアチブは観測者そして指揮所が持ち航空機搭乗員はそれに従う。

    西方電撃戦のスツーカも大祖国戦争の襲撃機も、21.で挙げられた事例も「阻止攻撃」であり「近接支援」ではありません。
    にも。

  25. >23 結局、第二次大戦前半の英空軍は近接支援をしたのか、しなかったのか、どうお考えなのでしょうか?
    IAN.M.PHILPOTT は Close air support と明記していますが、この著者の考えには賛成しない、ということでしょうか。
    ちなみに、21の事例は「輸送隊列への攻撃であったり、後方拠点での攻撃」ではなく、輸送隊列を足止めしていた敵対的な氏族民へのものです。

    >24
    IAN.M.PHILPOTTの考えには賛成しないということでしょうか。
    同書記述のどこによってそのように判断されるのでしょうか。



  26. 25.>「指揮者が臨機逐次に指示する目標を」攻撃するのが「近接支援」で、
    「航空機の搭乗員が任意に目標を選定する」のなら味方のすぐそばに迫っている敵への攻撃であっても「航空阻止」だと理解しています。

    観測者、指揮者、攻撃者が臨機逐次にコミュニケート可能になって初めて近接支援という概念が机上ではなく現実のものとなったので
    「航空阻止」とは攻撃者が攻撃のイニシアチブを取る従前の攻撃手法への後付の言葉だと思います。

    あと「これこれの場所にいる」或は「これこれの味方に近づいた」敵を攻撃せよ、と云った文章としては短い命令でも「作戦計画」です。
    にも。

  27. >26 英空軍中佐IAN.M.PHILPOTTの解釈とは異なるようですね。
    PHILPOTTは、「作戦計画」に基づいて、パイロットが敵を発見し攻撃した事例を受ける形で Close air support と記しているのですから。


  28. 21.25.27>貴方が挙げた事例は地上が攻撃して欲しい目標を臨機逐次に滞空中の攻撃者に伝える事が出来なかった時期の対地攻撃では?

    地上が攻撃して欲しい目標を臨機逐次に伝える手法が確立されて以降、「指揮者が臨機逐次に指示する目標を」攻撃者が攻撃する手法による対地攻撃が「近接支援」と呼ばれ、従前通りの対地攻撃は「阻止攻撃」と呼ばれて別れる事、26.24.或はそれ以前に書いた通り。

    地上の要求が指揮管制されて臨機逐次に在空する攻撃者に伝えられる様に成る事は、誘導兵器の登場と相同の変化ですが、そうは思われないのでしょうか。
    にも。

  29. 六さんが掲げられた論文は、戦間期の治安戦における航空主兵論について述べたものです。

    「植民地の治安戦に大量の地上部隊を投入するよりも、空軍が主体となるか、あるいは空軍のみで反乱制圧を行った方が低コストになる、という英空軍の主張を現代のイラク、アフガニスタン等での航空作戦に重ねて、当時、英空軍が主張した成果は精査すれば一般市民の巻き添えも多くそれは「Myth」でしかない。もし現代の戦いがこれを参考にしているとしたら、それは間違いである」というものです。

    すなわち、近接航空支援について述べたものではなく、文中に登場する近接航空支援という言葉も現代から振り返って大雑把に当てはめたものです。

    ですから採り上げられた事例には詳しい状況が無く、誰が爆撃を要求したのか、そして一体、どれだけの時間を掛けてそれが実施されたのか、といった重要な要素が欠け落ちています。

    これを以て英空軍の近接航空支援について論じるのは早計な気がします。
    BUN

  30. こんな話題でお話するのでしたら、例えば「同じ1930年代半ばに、中国大陸でゼークトラインを攻撃した日本側の航空支援はいったいどう見ればいいのか。VHF無線電話など無い時期にちゃんとやってるではないか」といった反論を期待してしまいます。
    BUN

  31. 17.で
    >区別などいらないという場合や、区別できていても味方ごとやってしまえ、という判断に合理性がある場合もあり得るでしょう。
    と、述べているんですよね。
    その直前で
    >本質は味方の(事後の状況まで含めて)被害を小さくすること。
    と述べた、その口で。
    同士討ちや味方への爆撃超オッケーという、キンセツコークーシエン!!!


    にも。

  32. BUN様>17.で誤爆超オッケーと云ってる訳ですから、その時点で対応を変えるべきでした。鈍感になっており、煩わしました、申し訳無し。
    にも。

  33. 1120番に挙げました>30.
    にも。

  34. 「第二次大戦」というククリでも植民地における行動を軽視してはならないのではないでしょうか。

    植民地では、装甲ロールスロイスや後継の装甲フォードソンが戦間期を通じて、一部は第二次大戦開戦後も、使われています。
    そういう場所では、激戦地のソレとは異なる近接航空支援の有り様があったではないでしょうか。

    植民地における任務は、放送飛行、示威飛行、宣撫・訪問飛行も含まれ、支援の対象も軍以外にも及ぶように思われます。
    味方の近くで air suport を行えば即ち close air suport と当時の英空軍は考えていたと、戦後の英空軍中佐は考えているのではないでしょうか?
    Pictorial History of thr RAF Vol.1 , John W.R.Tayor、IAN ALLAN、p.153にある、RAF地上部隊車列の上を飛ぶゴードン、は、当時の英空軍の考える close air suport の一例だったのではないでしょうか? "Army" cooperation というわけにもいきませんし。

    そんなの近接航空支援とは認めない、とお考えなのかもしれませんが、第二次大戦開始ごろの英空軍には第二次大戦後半型の近接航空支援対地攻撃が成功していることはわからないのですから、当時の英空軍が考えるところの close air suport が第二次大戦後半型の近接航空支援対地攻撃そのものだったはずはありませんよね。

    示威飛行や放送であれば味方に被害は生じませんから区別の必要はありませんし、区別のつけようもありません。
    1938年4月9日のJ9482も、もしかしたら、爆撃や銃撃を伴わない、飛行のみでおどかす降下攻撃であったようにも読めます。「やったけど書いてない」だけかもしれませんが、爆撃や射撃をしたのに書かないのも不自然ですし。

    英軍あるいは英人近くに敵対的な氏族民が迫っている場合、英軍の味方をしよう、仲裁しようという友好的な氏族民を区別して誤攻撃を防ぐ必要性は、常に大きくはなかったのではありませんか。「意図的ではなかったと説得しよう」「あの氏族なら敵方に追いやっても許容範囲」といった考えが成り立つ余地はあり得たのではないでしょうか。

    前掲論文の「20年の経験があったのに、驚くべき事に、『戦場における効果的な近接航空支援』ができなかった」という一節は、植民地型のソレと、第二次大戦後半の『戦場における、効果的な』ソレとの違いに言及しているのではありませんか。
    ※同論文が植民地型のソレをCASと述べている、とは申しておりません。

    第二次大戦前半においても、英空軍は、植民地では植民地型の近接支援を行っていた、行うつもりだったのではないでしょうか? ライサンダー試作2号機をカラチに送ってテストしているのは、そのためではありませんか。
    戦場においても、植民地型のソレの小改良版を試したが通用せず、大改良がなった後半に効果的に行えるようになった、ではありませんか。
    ハインドでなくバトルでも通用しなかった、のと同様に、ワレスでなくライサンダーでも通用しなかった、のではありませんか。
    しなかったのではなく、やってみて引っ込めたのではありませんか?

    「英空軍」の話題ですので、無線の話でしたら、件のJ9482の出撃前月に更新されたTR1091の運用状況のほうに興味があります。J9482が支援したconvoyの詳細はわかりませんが、THE RAF IN CAMERA 1903-1939, ROY CONYERS NESBIT, SUTTON PUBLISHING LIMED,P.150の2台の装甲車の左側後部の棒はアンテナ支柱ではないのかなあ、とか。



  35. 現代の軍事用語では
    「地上部隊が空中の攻撃機と臨機逐次に連絡を取り合える事を前提に、地上部隊が臨機逐次に攻撃対象を空中の攻撃機に指示し、攻撃させる」戦技を
    (括弧付きの)「近接航空支援」と呼ぶのであり
    その技術が確立していなかった時点での、攻撃機が自身の判断で目標を選定する戦技は、当時の文献にclose air suportと書かれていても、「近接航空支援」では無いのです。
    申し訳無いですが別の訳語を与えてください。

    あと、直協機(観測機・前線偵察機・軽爆撃機)はその性質上、万能機・雑用機であり、同時に民間機(民間向けの軽輸送機・軽旅客機)との技術的差異が最も小さい機種区別です。
    飛行機の機体こそが最も取り替え可能で、本質的では無い。本質は飛行機で空中に持ち上げる機材にあり、それで任務を行う人・ノウハウといったソフトウェアです。
    にも。

  36. 括弧付きの「近接航空支援」とは、現代の軍事戦術の専門用語としての「近接航空支援」という意味です。
    それ以前の文献に一般語でclose air suportと書かれているのを「ほら当時から近接航空支援はあったぞ」と云われても「それは近接航空支援ではありません」としか云い様が無いのです。
    にも。

  37. Ian M. PHILPOTT は1953年にRAFに入隊した現代の人物であり、出版年は2008年です。
    was commissioned into the RAF Regiment,と紹介されています。装甲フォードソン部隊の後継ですよね。にも。さんが言われる定義をこの著者が知らなかったと推測するのはいささか失礼なように思われます。

    というか、THE ROYAL AIR FORCE / AN ENCYCLOPEDIA OF THE INTER-WAR YEARS / VOLUMR II RE-ARMAMENT 1390-1839 はお読みではないですか?

    状況に応じて多様な近接航空支援があり得る、として、どうしていけないのでしょうか。むろん、にも。さんが言われるようなタイプが、第二次大戦後半から現代においては重要なのは同意しますが・・・
    (BUNさんは、第一次大戦型の近接航空支援を認めておられるので、にも。さんと完全に一致するようでもなさそうです)必ずしも信頼できるとは限らないことを承知で書きますが、英語版ウィキペディアのCASのように多様なとらえ方をして何かマズイことがあるのでしょうか?

    カッコとか訳語とかややこしくする必要はなく、英文ベーズで検討していけない理由もにないように思います。英文では特にダブルクォーテーションで囲うこともないように思われます。

    にも。さんの言われる定義も、イメージはわかりますが、拡張性を考えると「定義」としては弱い気がします。
    地上部隊が「我が北方の敵歩兵部隊」と指定し、操縦者が、指定された範囲の中で「どの歩兵からか」選択する場合と、
    地上部隊が「我が近くにある敵対的な氏族民」と指定し、操縦者が、指定された範囲の中で「どの氏族民からか」選択する場合と、
    質的な違いはあるでしょうか?
    量的な違いだけではありませんか?
    そしてその量は、航空機が選択できる速度や高度、火器の射程や被害半径、対空擬装、地上部隊の行動速度、対空兵器の充実、連絡のタイムラグ等の量的な差によるものではないのでしょうか。
    地上部隊は「我が北方の敵戦車部隊」と指定したが、操縦者が見てみると、地上部隊東方により脅威である戦車を発見した。地上部隊に連絡する暇なくor連絡したが地上からは見えないから個別には指定できないという返答によって東の戦車を攻撃し、のちに、北の戦車を攻撃した場合、東の戦車に対する攻撃だけは「近接航空支援ではなく阻止攻撃」として報告したりするんでしょうか?

    もともと疑問を呈していたわけではないので当然ですが、直協機については特に異論ありません。元が軽爆機でも雷撃機でも多用途機でも、通信筒回収装置があって、「直協任務スコードロンに配置されれば」構わないといった筆致が伺えます。ソフト、ということなのでしょう。

    ただし、Air control、Air support、Close air supportという区分と、Army cooperation とは、別の軸として捉えているように思えます。
    Air support の対象は陸軍とは限らない、従って、Close air support は、Army cooperation に内包されない、という様子です。

    1938年8月には英空軍は Close air support をしていた、というPHILPOTT の記述があるからには、
    「第二次大戦前半の英空軍は Close air support をしなかった」という命題を正とするためには、
    1 PHILPOTT は誤っている
    2 1938年8月までは行っていたが、9月以降は行っていない
    のどちらかになろうかと思うのですが、にも。さんは(1)というご意見と解して良いでしょうか? 
    それとも Close air support に近接航空支援以外の訳語を当てるべしと本気でおっしゃるのでしょうか? 




  38. RAF公式サイト内の検索だとダブルクォーテーションで
    囲っても単語に分解されてしまうので、下記で検索してみました。
    close air support site:http://www.raf.mod.uk/

    What is Close Air Support?
    is the delivery of firepower from the air onto targets that are close to friendly forces.
    http://www.raf.mod.uk/rafspadeadam/aboutus/closeairsupport.cfm

    従って、にも。さんが言われるのは、CASの一部、

    establishment of Forward Air Support Links (FASL)
    http://www.raf.mod.uk/rafleeming/aboutus/jfactsuhome.cfm

    とか

    Ground Alert Close-Air Support (GCAS)
    http://www.raf.mod.uk/rafcms/mediafiles/02A9D339_5056_A318_A891BB422A5BA17B.pdf

    とかなのではないでしょうか?



  39. 英語(の日常語)でclose air suportと云うのと、
    日本語で近接航空支援・更に軍事専門用語であることを強調する為に括弧を付けて「近接航空支援」と書くのとは、同じ意味ではありません。
    英語の日常語のclose air suportの、いち部分(どう、いち部分かは前述)を「近接航空支援」と日本語で訳し表記するのだと云えば、お判りに為られますか?
    にも。

  40. いち部分→部分集合
    にも。

  41. RAFサイトやRAF史専門書の close air suport は日常語ではあり得ないように思われます。
    また、1.のBUNさんの書き込みはカギカッコはついておりません。
    そして、そもそも日本語の近接航空支援は、軍事用語としての close air suport を訳した軍事用語なのではありませんか?
    カギカッコつきの用法は、にも。さん独自のもののようにさえ思われます。
    検索しても、カギカッコつきの用例はなかなか見つけられません。にも。さんのご主張の根拠は奈辺にありましょうか。適切な定義、用例があればご案内いただければ幸いです。
    なお、航空自衛隊サイト内にはカギカッコつきはないようですし、ごく簡単には
    http://www.mod.go.jp/pco/nara/dekigoto2208.html
    航空自衛隊支援戦闘機F−2の近接航空支援(航空機による敵陣地の爆撃)
    とさえ記されています。


  42. 地上部隊から見て、自身が航空機に指図出来ず航空機が勝手に敵を攻撃するのと、自身の指図通りに目標を攻撃してくれるのとでは、天地の差があります。
    (後者が可能なら、原理的に、地上部隊が自身で搬送しなければならなかった砲兵が不要に成り得ます。砲兵が担っていた役割を攻撃機が果たせるという事ですから。)

    close air suportという英熟語が前者しか出来なかった時代からあるのなら、前者を指してclose air suportと書く英文献もあるでしょうが
    「近接航空支援」という言葉は旧軍には在りません。自衛隊が、後者の、攻撃機が地上部隊の指図通りに動く戦術を指す日本語として、作ったものです。
    英語のclose air suportは前者を含むかもしれませんが、日本語の「近接航空支援」は含まないのです。含めたら間違うのです。
    (勿論、鍵括弧は識別の為に付けているので、普通は鍵括弧を付けずに近接航空支援と書きます。)
    にも。

  43. >自衛隊が、後者の、攻撃機が地上部隊の指図通りに動く戦術を指す日本語として、作ったものです。

    根拠をお教えください。



  44. 43.>旧日本軍は"close air suport"にどのような訳語を宛てていたか教えてください。
    根拠はありませんが、42.で述べた前者と後者とで、違う訳語を宛てていたのではないかと思います。
    況て戦後の自衛隊をや。
    にも。

  45. 43.>典拠はありません。根拠については今迄縷縷述べた通り。
    繰り返しますが
    地上部隊から見て、自身が航空機に指図出来ず航空機が勝手に敵を攻撃するのと、自身の指図通りに目標を攻撃してくれるのとでは、天地の差があります。
    「戦術爆撃」や「対地攻撃」という括りの中ではこの二つは対概念ですらある。だから「阻止攻撃」に「近接支援」と云う、各々に対応する対義語を作ったのです。
    英文献に前者の戦術を指して'close air suport'と書かれているのなら、それは日本語で「戦術爆撃」「対地攻撃」に相当する大まかな括りを指しているのです。
    にも。


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