1117 よく零戦の灰色は青畳色だったとか飴色だったとか議論されてますが…
同時期の艦攻爆はそういう議論されてるのは聞かないというか、こちらはニュートラルなグレイ系の灰白色が定番って事で落ち着いてますよね?
零戦にしても、緑色迷彩が普通になってくると下面色は灰白色みたいですし。三菱の工場から送られてきた時はともかく、部隊配備後も塗料塗り直しなんかではわざわざ灰緑色的な塗料を零戦用にだけ用意してたって事になるのでしょうか?それとも、他の海軍機も灰色部分は実は灰緑色だったりするのでしょうか?
みなも

  1. 本当に緑味のある灰緑色というのはプラモデルに塗られている以外に実物が存在しません。
    けっこう品のある良い色なので模型映えしますが、所詮はモデラーの夢の産物のようなものなのです。

    陸軍機でも海軍機でもグレーは色味の無いグレーです。
    ただし、陸軍ではこの色味の無いグレーを「灰緑色」と呼んでいるため誤解の原因になっているようです。
    そして海軍でも支那事変後期にグレーを使い始めますが、その時期はグレーを「灰緑色」と呼んでいます。
    BUN

  2. 整備の方が機体をよく磨くために下地塗装の緑がうっすらと見えるようになった結果、薄い緑がかった色になった、という説もあるようですね。
    そうだとすれば、相当に斑のあるグレーだったのでしょうね。(機体全体が均一の色になるようには磨けないですよね)
    また、磨かれ具合によって個体差も相当あったのでしょうね。

    ところで、この、機体を磨いていた、というのは、他の機体では行われなかったのでしょうか?
    たーぼふぁん

  3. 下塗りは赤茶色です。

    灰緑色、青畳色、飴色といわれているものは、本来の灰色からの変色です。
    「灰色」が塗色名として世紀のものであり、これには顔料として白と黒のみが使われており、それ以外の成分が黄変します。
    変色する成分もはっきりわかっています。
    艦戦、艦爆、艦攻とも、灰色の部分は同様に変色しますし、それ以外の色(機体内面色淡青色透明(いわゆる青竹色)や、操縦席塗色の淡緑色、迷彩色の暗緑色など)も同様に黄変します。
    補修塗粧は灰色で行われますので、マーキングを塗り消した跡などは、そこだけ機体全体とは色が変わっている場合も見受けられます。


  4. 片さま>

    >下塗りは赤茶色です。
    2.で挙げた説によれば、中塗りが緑褐色という事なのですが、それは実際には違ったのでしょうか?

    赤茶色の上に灰色ですか?
    たーぼふぁん

  5. >4
    赤茶色の上に灰色です。
    文書史料に見る規定上も、現存する実機残骸でも、そのようになっています。
    疑う余地は欠片もありません。


  6. >5.片さま
    そうなのですか!
    確証があるのでしたら、確かに疑う余地はありませんね。
    ご教示いただきましてどうもありがとうございます!
    たーぼふぁん

  7. 「いわゆる飴色」って96式4号艦戦に施した養生塗装のことなのでは?。
    銀塗装が銅色とか金色に見えた「ワニス」を塗ったっていう。
    (艦隊に有ったリノリウム糊を薄く塗ったんじゃないかと思ってますが)
    機体外板の超々ジュラルミン表面アルミ箔の脆弱性が理由だったら当然三菱製
    の初期の零戦にも施された…って言うか零戦だけ…とも思えますけど。
    P.D

  8. >P.Dさま
    その九六式艦戦のお話は、私が質問させていただきました〔質問番号1110〕で詳しい解説をいただいております。(質問の題目は木製機の事ですが、読み進めていただくと下の方にあります。)
    たーぼふぁん

  9. 九六艦戦の頃には、SDC外鈑の艦上機には金属地の銀色のベンジルセルロース系の軽合金用透明塗料を塗ることが規定されています。たまたまありあわせのものを塗るのではなく、海軍の工業規格に準ずるものとして定められていることです。以上は文書史料上明らかです。

    概略透明塗料に白と黒の顔料を混ぜたのが零戦以降の時期の機体に塗られた「灰色」です。これも文書史料上明らかなことです。

    従って、塗膜の成分が黄変するのです。
    繰り返しますが、これは三菱製だとか零戦の初期だとかに限ったことではなく、当時の日本の化学工業の技術的限界の話です。陸軍機だろうと同様に変色します。たくさんの日本機の残骸を眺めてみれば、そのようであることが理解できることと思います。


  10. 絵の具の灰色に黄色を混ぜてみるとオリーブ色が出来ます。
    この黄色を次第にさらに濃くしていきつつ、乗除に赤みがからせ、黒味も加えてゆくと、古びたダンボールのような黄土色になります。
    現存する日本機の残骸片の陸軍灰緑色や海軍灰色はほとんどのものがこの古ダンボール色になっています。

    ただし、これは当時の繊維素エステル系の航空機用軽金属塗料に特有な話で、油性塗料であるエナメルはほとんど変色せずに残っています。
    陸軍灰緑色なども、鉄部品にエナメルとそうしたとことではきれいな水色がかった色調を今も見ることができます。


  11. なるほど、元はあくまで灰色指定だったのが、塗膜の経時変化でそう見えるって事だったのですね。確かに、考えてみればわざわざ「青畳がかったような微妙な灰色の塗色でよろしく」なんてわざわざ面倒な指定はしないですよね…この辺は色々議論されてるみたいなので、てっきりもっと微妙な色調が正解なのかと深読みし過ぎてたかもしれません。
    みなも

  12. 変色が進む速さはどんなものだったのかが気になります。
    この進み具合によっては、灰緑色の零戦、青畳色の零戦、飴色の零戦も"当時"確かに実在した可能性があるという事になりますよね。

    置かれた環境によっても違ったでしょうし、斑も個体差も相当あったのではないでしょうか。
    たーぼふぁん

  13. 現存するものでも曝露の状況によって変色がまちまちですから、おっしゃるとおりです。
    さらに、上塗が剥げて下塗赤褐色A3が覗いて来ていると思しいものも当時の中古機材の写真の中に見受けられます。


  14. >8たーぼふぁん様〔質問番号1110〕失礼いたしました。
    96式1号他は元々アルミ粉を加えた透明塗料による銀塗装とされていますが?
    何か4号艦戦になって金色にする必要が出来たのではないのでしょうか。
    P.D

  15. 写真をよくご覧になれば、九六式一号艦戦の頃すでに銀色の機体の外鈑ごとの明度差が出ているのがわかると思いますよ。
    塗粧された銀ではなく、SDCのベアメタルなのです。


  16. >9が乱文過ぎました。
    「九六艦戦の頃には、SDC外鈑の艦上機には金属地の銀色の上にベンジルセルロース系の軽合金用透明塗料を塗ることが規定」



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