1142 1134の続きのようで、申し訳ございません

米海軍・海兵隊は、バンシーやパンサーが実用化されると、速度や運動性能に勝るベアキャットをさっさと退役させて、より古いコルセアを残したために、朝鮮戦争ではスカイレイダーと共に、コルセアも活躍したとされていますよね。

しかしながら米空軍は、シューティングスターやサンダージェットが実用化されると、インベーダーを除いて、大戦中に対地攻撃で活躍した実績を誇る空冷の、大量の古いサンダーボルトやミッチェルを退役させて、より新しくて(爆装で著しく低下してしまう)速度や航続力や運動性能を有するものの、対空火器に脆い水冷のマスタングを対地攻撃用に残した理由が、まだ全く納得できません。

先のBUNさまの明快な御回答のような、小生にも理解できる解りやすい御解説を、何卒宜しくお願い申し上げます。
佐久間多聞

  1. 排気タービンを持つP-47は整備が大変そうで、運用上はP-51のほうが楽だったのかもしれません。
    佐久間様の挙げられたP-51の欠点は「対空火器に脆い」のただ一点だけですよね。それも高速力と運動性があれば被弾そのものを避けることにもつながりますし。
    超音速

  2. 超音速さま、早速のレス、有り難うございました。

    はっきり記載しなくて申し訳ございませんでしたが、「対空火器に脆い」以外に、重武装(6門対8門、1840発対3400発)や、重ペイロード(1000ポンド対2500ポンド)もありますが、一番の理由は大戦中の実績だと考えております。当時レシプロ機を全廃したのならともかく、制空につかわないのなら、数が少なくなくなったとしても、なぜP-47を残さなかったのかが不思議でなりません。

    質問を変えると、なぜ米海軍は、より新しくてコンパクトなF8Fを残さずに、古く大きく重いコルセアを、護衛空母でも使い続けたのでしょうか?レシプロ機だけのCVWで、朝鮮戦争に参戦した空母もありましたが、朝鮮やインドシナでのあんな戦い方を、米海軍は、すでに予見していたのでしょうか?
    佐久間多聞

  3. 米海軍がベアキャットというかレシプロ戦闘機に見切りをつけたのは、シューティングスターと模擬空戦を行って、ベアキャットが敵わなかったのをみたからじゃなかった?コルセアを残したのは、第二次大戦中から戦闘爆撃機として活躍してるし、対戦闘機に特化してるベアキャットよりは、搭載能力があるコルセアを残したのは理に叶ってると思いますが
    まさのり

  4. 陸軍が攻撃機に求めていた前線攻撃→近接航空支援を攻撃機では無く追撃機が果たしたWWIIでの戦訓を踏まえ、戦後その実態を名に表すべく攻撃機は廃止され、攻撃機と追撃機を統合した新カテゴリー「戦闘機」が生まれました。
    それが判り辛いのは、残存した攻撃機カテゴリーのうち戦闘機カテゴリーに移行したのは「攻撃機は前線攻撃を行う」という陸軍本体の公式ドクトリンに基いた小型低性能の機体(日本陸軍昭和十一年度計画に於ける「襲撃機」に相当)のみで、
    「攻撃機は後方攻撃を行う」という航空隊時代から空軍内部に引き継がれていた非公式ドクトリンに基いた大型高性能な機体(日本陸軍昭和十一年度計画に於ける「双発軽爆撃機」に相当)は、爆撃機カテゴリーに移行したからです。
    にも。

  5. 朝鮮戦争の時期F-47Nを後詰として大西洋方面に配備していたのだと思ってましたが、ゐきぺの記事を信ずる限り朝鮮戦争の時点でF-47は州軍にしか無く纏まった数が集められなかったので投入されなかったとの事。
    空軍は乏しい予算を傾斜配分すべき対称があるので、中継ぎのレガシーそれも核を運用出来ない戦術用途機については、安い運用コストで最大の飛行性能を出す物一種類づつに絞って抑止力として見栄えつつ予算を使うな、若し実戦があるとすればヨーロッパ正面の核戦争だからレガシー近接支援機の撃たれ弱さや搭載量など問題にならない、そもそもマスタングはA-36攻撃機として活躍したぢゃないか。
    要は朝鮮の様な所で中途半端な規模の戦争が核兵器を使わずに続けられる事を本気で考えてなかったからですが、更に悪意に解釈すると、空軍は近接航空支援をしたくないが故にF-47を早々に退役させ、撃たれ弱いF-51で中継ぎのレガシーを統一したと、考えられます。
    「空軍は近接航空支援を忌避する」一番目の法則の出番です。http://www.warbirds.jp/BBS/c-board/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=4789;id=#4797
    にも。

  6. >中継ぎの、核を運用出来ないレガシー戦術用途機については、安い運用コストで最大の飛行性能を出す物一種類づつに絞って残す
    というのは、非核の爆撃機(阻止攻撃機)一種類と、戦闘機(追撃及び近接航空支援機)一種類、です。
    ダグラス・インベーダーを「B-26」にする為、攻撃機カテゴリー廃止前に間に合わせ早々に退役させるとは航空軍が如何にマーチン・マローダーに恨み千万か伺えます。

    コルセアですが、F4U-1はP-51より少し短いだけの大航続力を持ち、F4U-4やF4U-5はP-51Dよりも速い最高速度で、そして対地攻撃に特化したF4U-6→AU-1の兵装搭載量は後から設計され一クラス大排気量のエンジンを積んだダグラスADより多いそうです。インタークーラーを介する二段二速過給器のR-2800発動機はF8Fと基本的に同じ物なので整備コストに大差が付くとは思えません。対空戦闘に於いてもベアキャットよりコルセアの方が使える蓋然性が高いのです。
    にも。

  7. 他人の褌で恐縮ですが、P-51とP-47の件については以下のサイトが参考になるかもしれません。

    https://sobchak.wordpress.com/2012/04/24/article-why-the-u-s-air-force-did-not-use-the-f-47-thunderbolt-in-the-korean-war/
    sa

  8. >6.
    AU-1のR-2800エンジンは1段1速の低空専用ですね。

    P-51Dの爆装能力は1000ポンド×2またはHVAR×10でF4U-4とほぼ同じ(機銃の数も)。そんな劇的に劣るわけじゃないと思います。
    欧州戦線でP-51は機銃掃射を除き、対地攻撃はほとんどP-47に譲りましたが、太平洋戦線では活発に対地攻撃を行なってます。
    F8Fは1000ポンド×2のほかはHVARがたった4発で機銃も4丁しかありませんので、朝鮮では出番はないですね。
    超音速

  9. F-51Dが動員された理由は日本本土からの長距離侵攻可能な機体で戦争勃発当時、まとまった数の可動機と補用部品の集積があり要員も確保できるほぼ唯一の機体であるためです。そしてD型の選択は軽量化されたH型よりも被弾に強いと判断された結果でもあります。また新型機を急速増産できないとの事情もあります。

    F4U系も同様の理由で適切な機体ではありしたが、海軍/海兵隊でのF4U運用は第二次大戦を通じて目覚ましく発展した近接航空支援システムの一部として当時最適であったという大きな理由があります。地上の対空連絡班、航空支援本部などの組織と通信ネットワークの発達がなければ、どんな機種を投入しても結果は得られません。戦争初期で最も重要な任務だった近接航空支援の成否はこうした空地の通信連絡ネットワークと指揮統制組織の充実にかかっていました。
    こうした高度に発達したシステムの一部として、F4Uは硫黄島で友軍前方200m、沖縄では友軍前方100mの野砲兵以上の精度での支援を実施することができ、空母を利用することで地上部隊からの支援要求に対して野砲なみのレスポンスで実現できたのです。

    空軍機も海軍機もこうした近接航空支援システムの一部として運用されていますから機体それぞれのスペックを論じてもそれほどの意味はありません。

    BUN

  10. また米陸軍航空隊が戦闘機をパーシューターと呼んだのは第一次大戦の名残に過ぎず、特別な意味はありません。仏語からの単純な翻訳でそう呼ばれているだけです。
    第一次大戦に於いて英独仏ともに「戦闘する飛行機」とは複座爆撃機だったからです。

    また、近接航空支援は第二次大戦の航空戦術分野で戦略爆撃や阻止攻撃よりも飛びぬけて発達した分野で、戦後の航空部隊にとって最も重要なテーマとなっています。
    空軍が季節航空支援を軽んじるといった傾向は自らの存在意義を否定するような振る舞いですので、あり得ないことです。

    そして「「攻撃機は後方攻撃を行う」という航空隊時代から空軍内部に引き継がれていた非公式ドクトリン」は非公式でも何でもなく、第二次大戦開戦時の公式のドクトリンです。けれども第二次大戦を通じて「空軍は近接航空支援を忌避する」傾向が急速に是正されているのです。

    航空支援はおいそれと第二次大戦なみに復活できない砲兵戦力を補い、それにも優さる存在として、砲兵と一体となった総合的な火力支援システムの主な構成要素として扱われています。
    BUN

  11. >9, 仰せの通り、マスタングとサンダーボルトのペイロードは2000ポンド対2500ポンドでした。訂正してお詫び申し上げます。でも、1000ポンド爆弾2発って、花火と蔑まされたF-80と同じですから、よほど管制官からの的確な指示を受けて急いで正確に投弾しないと、海軍・海兵隊(F4U-7は8200ポンド)から「俺たちがカタをつけるから、その小さなのは何処へ投げ捨てておけ」と言われかねません。


    >8, 面白いサイトを教えて頂き、誠に有り難うございました。少しばかりの感想を述べさせていただきます。

    1)サンダーボルトに比べての、マスタングに対するあんなにボロクソな酷評は、久しぶりに読みました。生存性や火力やペイロードに加えて、ベイルアウトや不時着にまで、ケチをつけていたのには驚きました。米国で抜群に人気の高いマスタングをあそこまで批評して、大丈夫かと心配になったぐらいです。

    2)戦後の復興と冷戦に向かうための予算削減は、サンダーボルトにとって、大きな痛手になったのは間違いありません。しかしながら、海軍も海兵隊も陸軍も沿岸警備隊も、同じ憂き目にあっていました。海軍に限っても、CVA-58が撃沈されたり、ネプチューン→サベージ→スカイウォーリア→ヴィジランティーの開発予算に四苦八苦したり、リッコーバーの道楽に付き合わされたりしていました。核兵器偏重のおかで、レシプロ機に代表される、実績の高い古い兵器に割く予算不足に悩んでいたのは、空軍と同じです。朝鮮での経験を学んだのかどうか、再度ベトナムでも、爆装F-105をF-100が援護するマンガみたいな実例がありましたが、海軍は地上からOV-10ブラック・ポニーまで飛ばして、CAS大きく寄与しています。それ以前に空軍は、キューバでも偵察機にすら困っていましたね。

    3)F-51の方がF-47よりも、防空戦闘機としてすぐれいているからだとも記載されています。本来ならば、MIG-15に対してはジェット機で対抗するべきです。海軍もジェット機は不足しており、朝鮮戦争初期には各CVWに配備されたジェット機は25%しかなく、仁川上陸に駆けつけたボクサーのCVW-2は、コルセアVF×4+スカイレーダーVA×1でしかなく、多数のヤクのカミカゼを受けたらどうなっていたか恐ろしいです。レシプロ艦上制空機ならF8Fのほうがはるかに(F4UやF-51よりも)優秀のはずですが、当時の指揮官は、空母の防御をコルセアに委ねました。後には、艦上機の40%がジェット化されましたが、結果的に艦隊防空の一翼にもコルセアを選んだのは、大正解でした。

    4)15683機製造されたサンダーボルトですが、その1/3がスクラップになりました。朝鮮戦争でF-47を活用できなかった原因は、一番にパーツ不足だそうです。5000機もスクラップにするのなら、飛べなくても部品取り用に保管できなかったのでしょうか?保管に適した広大な土地は、いくらでもあったはずです。

    5)史実のF-51の機数よりも少数の機数で我慢して、F-47を代わりに飛ばしていた方が、かえって運用コストも少なくてすみ、貴重なパイロットを多数救えたはずだとの説には、全く同意させられます。

    6)ジェット機を相手にすれば、F-51もF-47も大差ないとの意見はもっともでしょう。F8FもF4Uも、たぶん大差ないと思います。ベルリン封鎖直後でしたので、スターリンは、欧州を空っぽにしてでも、極東にMiGを集中できましたが、欧米は、CVBを地中海に張り付け、ジェット機を欧州に配備し、B50・B36・B47を極東には近寄らせませんでした。もしCVBを極東に回航したら、欧州各国から大反対されたことでしょう。労働党内閣がニーンを輸出し、欧州の防空をカラにできなかったのは、自由民主国家の宿命でしょう。軍事とはあまり関係はなさそうです。

    7)次にコルセアやスカイレーダーがF-47と同等以上に地上攻撃に活躍したと称賛されています。別に間違ってはいませんが、ペイロードや滞空時間は短くても、ジェット地上攻撃機の恐ろしさは、爆音が聞こえた時にはもう投弾された後だそうです。レシプロ機は、爆音で近づいてくるのが解り、隠れる暇があるため、ジェット機ほど怖くないそうです。ブルーエンジェルスをご観覧された方はよくご存じだと思いますが、右手に編隊機を見送った後に、後ろからソロ機による低空飛行の爆音で驚かされるのが、一番の衝撃です。

    8)AU-1に限らず、コルセアもスカイレーダーも、滑油系統に防弾(パイロットに対してではなく)を追加しました。参戦後のパイロットの一番の要求だったそうです。AU-1はVMAですが、防弾を強化したコルセアはVFやVMFで飛んでいました。F-51になんら防弾の追加がなされなかったのは本当に不思議です。

    9)F-80は、板付から飛んでいくのがやっとで、燃料不足で適当に投弾して帰投することが多かったので、F-51の4倍の価値はあったと思います。しかしながら、何倍もの爆弾を積んで、滞空時間に余裕があり、管制の無線チャンネルも多いコルセアなら、F-51の何倍の価値があったのでしょうか?北の捕虜が青い飛行機(海軍・海兵隊機)をどれだけ恐れていたのか、多くの記録が物語っています。

    10)最後に、仮設滑走路からの運用では、F-51のほうがF-47より勝っていると記載されていますが、ジェット機の時代にどうなのでしょうか?必要とする航空機が運用できる飛行場を建設するのが先だとおもいます。たぶん仮設の地上運用でも、F8FのほうがF-51より勝っていると思いますが、後のインドシナの惨状を見ずにすんで、海兵隊が仮設飛行場からコルセアなどを運用したことは、大正解だったのでしょう。滑走路に飛行機を合わせると聞くと、飛行場が作れないから水上戦闘機に防空をさせた史実を思い浮かべてしまいます。

    佐久間多聞

  12. BUNさま、ご投稿をよまずに、長々と書き込んで、申し訳ございません。

    >9,10 F4Uについては、全くおおせのとおりですが、イタリア戦線やD-Day以降のP-47(イギリス機も)の地上軍進撃への貢献も、海軍と同様に、地上/空中のアタッシェを含む、成熟したシステムの成果だと存じます。せっかく立派な実績を挙げた航空攻撃システムの一部を構築していたサンダーボルト航空隊を、F-51に代替してまで、システムを新たに構築する必要がそんなにあったのでしょうか?予算不足や核兵器偏重の影響が大きかったと思いますが、海軍に比べて空軍の地上攻撃システムは、まだ十分に成熟していなかったのではないかと考えております。

    また1950年末の義勇軍冬季攻勢に対する、陸軍と海兵隊の対応の違いも納得できません。空軍も海軍も、半島西側の陸軍に対する航空支援を試みても、管制装置を含め何もかもホッポリだして敗走したのですから、海軍も(艦砲射撃を含めて)支援の仕様がなくなり、東側の海兵隊撤退支援に専念したのではないでしょうか?海軍と空軍とでのCASのドクトリン(コンセプト?)の違いが(核兵器偏重の度合いの違いと共に)まだ残っていたものと思います。徴兵と志願兵の違いが大きいと思いますが、海兵隊は絶対に航空隊との通信手段を放棄しませんし、海軍や海兵航空隊は、どんなに犠牲を払っても、地上の仲間を見捨てたりはしません。戦記を読んでいると、陸軍と海軍・海兵隊の航空部隊との方が、空軍とよりも、遥かに親密な印象をよく受けるのは、小生の誤解でしょうか?

    核兵器偏重のために、地上軍への適切な航空支援機種を持っていなかった空軍は、ファントムIIやコルセアIIなどを採用するハメになりましたが、さすがにサンダーボルトIIまでも採用したのは、行きすぎだったかもしれません。十分なSEADなしに、鈍足な昼間攻撃機がのんきに飛んでいられる時期は過ぎていたと思います。第四次中東戦争でヒドイ目に遭った、イスラエル空軍からの意見をぜひ聞きたいのですが、何かよい資料があればご教授下さい。
    佐久間多聞

  13. 戦後縮小が見込まれる軍備において、予備的な機体を温存すべくP-51、P-47の双方に的を絞り、合衆国空軍の標準れしプロ戦闘機としてF-51を、州空軍にはF-47をという配置にしておいたところ、州軍の方が機材の消耗が大きいのか保管が不徹底だったで機材数が足らなくなっていた、ということではないでしょうか。


  14. F-47は朝鮮戦争勃発前に空軍から消えていますので、F-51がF-47の任務を引き継いだという関係にはありません。

    CASの発展という点では、沖縄戦でようやく大規模な作戦が可能になった海軍/海兵隊よりも一歩先を進んでいたともいえる陸軍/空軍のどのような点が不十分だったとお考えですか。
    BUN

  15. >14 何度もレスを頂き、恐縮しております。

    F-51がF-47の任務を引き継いだのでは無いことは、よく承知しております。

    小生が疑問なのは、海軍/海兵隊よりも一歩先を進んでいたはずの陸軍/空軍の近接航空支援システムの一部として運用され、多大な貢献をしたサンダーボルトが、どうしてマスタングより先に空軍から消えて(消されて?)しまったか?なのです。空軍のきちんと構築されたCASシステムにおいて、機種変換をするのがどのくらい大変なのかは存じませんが、いくらマスタングの方が運用コストが低くても、五千機ものサンダーボルトをむざむざスクラップにしたそうです。ジェット機が実用化された(核の時代の)大戦後のTACに、そのようにP-47を無くしてまで価値のあるマスタングの使い道とは、いったいどのようなものだったのでしょうか?もしかしたら、単に「かっこいいから」だけではなかったのかと、邪推してしまいそうです。BUNさまならではの、一言での明快な御回答を頂ければと、願っております。

    F-80からF-51へ配置転換されたパイロットの嘆きも理解できますが、それがサンダーボルトだったら、もっとへこむパイロットが多かったのではと想像しております。
    佐久間多聞

  16. 直接の答えになるかどうかわかりませんが、関連しそうな論文をご紹介します。
    Case Studies in the Development of Close Air Support
    http://www.afhso.af.mil/shared/media/document/AFD-100924-035.pdf
    (アナログなので検索はききません)と、
    A HISTORICAL LOOK AT CLOSE AIR SUPPORT です(グーグル検索から直接DL)
    どちらも朝鮮戦争について触れている章があります。
    後者には、朝鮮戦争初期半年間について、海軍・海兵隊のほうがきめ細かなCASができていた、といった評があります。


  17. 多数のレスを頂き、誠に有り難うございました。
    少しtipoの訂正を注せて下さい。

    11の >9 は、>8 の超音速さまの間違いです。
    また、>8 は、>7 のsaさまの間違いでした。

    また、12でBUNさまの質問に、質問で返答してしまいました。
    申し訳ございません。

    >16 貴重な資料を有り難うございました。
    私も、論文に挑戦しましたが、難しいです。まず短い修士論文から挑戦注せて下さい。
    佐久間多聞

  18. F-47は1947〜50年にかけて中南米・イラン・トルコなどにかなりの機数が供与されました。
    中古機のストックが少なくなったのはそのためじゃないでしょうか。
    超音速

  19. >18 超音速さま、7のsaさまにご教授いただいたコンテンツの受け売りで申し訳ございません。

    製造されたP-47の15683機中、約1/3が消耗し、1/3がスクラップにされ、残りの1/3が、保管に回されたり、州空軍に移管されたり、友好国に供与されたそうです。スクラップに比べれば、州空軍機や供与機の分は、あまり影響はなさそうです。他の資料も当たってみます。
    佐久間多聞

  20. スクラップ機のうち相当数は現用機の維持のため部品を取られたあとだったんですかね?あとは保管状態が悪く現役復帰は無理だったとか。

    1945〜50年にかけてF-80の配備を完了するわけですけど、-80の配備がまだ少ない間は、レシプロでも第一線の戦闘機なんですよ。戦闘機である以上、地上攻撃以外に空戦も仕事のうちです。
    ジェット戦闘機に襲われれば-47も-51も大差ないでしょうが、敵のほうにもまだジェットが少ない状況ではレシプロ同士の空戦も十分発生し得ます。空戦能力が高いに越したことはありません。実際朝鮮戦争では-51の撃墜戦果もあります。
    -47より-51のほうが戦闘機としての総合能力が高いのは間違いないですよね。-80の配備が進めば-47のほうが先に退役に入るのは当然だと思います。
    ジェット戦闘機の配備が空軍より遅れた米海軍が空戦一辺倒のF8Uを少数生産で見切りをつけ、F4Uの生産を50年代まで継続した(含AU-1)のも総合能力の高さだと考えます。
    超音速

  21. >8 超音速さま、レスにお返事をせず、申し訳ございませんでした。

    F8FとF-51とでは、攻撃力にそんなに差があるのでしょうか?BUNさまの「「航空朝日」二六〇五年二月号イッキ読み!−大東亜戦争末期の航空雑誌に何を見たか?−」を引用するのは適切では無いかもしれませんが、F-51へ批判の一つに、12.7mm機銃の威力不足が挙げられていました。F-86でも同じだそうですが、地上攻撃では、特に装甲車両に対してはいささか無力であり、時に地上から、海軍のパンサーが望まれたそうです。

    その後のCASは、アヴェンジャーやチェーンガンなど、30mmに移行しておりますので、運動性が遥かに高いF8Fによる弱点を狙った正確な機関砲掃射は、F-51にそんなにひけを取らなかったのではないかと想像しております。結局は、F8Fもインドシナで使い物にならなかったわけですので、F-51の方が朝鮮で圧倒的な猛威を奮えたとは、とても思えません。つまり両機とも、1950年代の朝鮮半島には、結果的に、あまり出番はなかったのではと考えております。これ以上は、議論ボード行きでしょうか。ともかく仮定の空論で、申し訳ございません。
    佐久間多聞

  22. >20 度々のレスを有難うございます。

    他の資料と付き合わせはしておりませんが、サンダーボルトを運用できなかった最大の理由が、予算不足によるスペア部品不足だったそうですので、五エゴ千機から部品を取った上でスクラップにしたとは、考えられません。一番安い(儲かる)スクラップ方法をとったのではないでしょうか?

    同じことの堂々巡りですので、これ以上は議論ボードでしょうが、朝鮮戦争勃発前には、既にF-80もとっくに旧式化して、発注もなくなっていました。1949年には、

    佐久間多聞

  23. すみません、途中で送信してしまいました。

    F-86ですら、朝鮮戦争勃発前年の1949年には実戦配備されています。マスタングの直系と言っても良い機種です。

    そんな時期に、予算もないのに、どういう理由で、なんら防弾装備も追加せずに、何のためにF-51を使い続けていたのでしょうか?予算がないのに、レシプロ機が必要だったのなら、史実のF-51よりも少数のF-47飛行隊を実戦化し続けていた方が、全体の経費もパイロットの消耗も、少なかったのではないかとの意見には、同意せざるを得ません。後は、議論ボードなどで、どうぞ宜しくお願い申し上げます。


    佐久間多聞

  24. 「朝鮮戦争にどんな経緯でF-51Dが参加しているのか?」を注目せずにF-51とF-47の比較をするので話がおかしくなるのでしょう。

    1. 東アジア方面の戦闘飛行隊、戦闘爆撃飛行隊は朝鮮戦争勃発時までにジェット化されている。

    2. F-51Dは開戦前から韓国空軍育成用に使用されていた。

    3. 開戦まで朝鮮半島内の基地群にはジェット機の運用環境が無かった。

    3. 既存のF-51DとF-51D経験を持つF-80戦闘爆撃飛行隊操縦者によってF-51D飛行隊が編成される。

    4. この臨時部隊用にF-51Dの補充と増強が行われ、同時に州空軍の機体と人員が動員される。

    という流れでF-51Dは朝鮮戦争に参加しています。
    これは応急的な対応であって空軍が「この度勃発した朝鮮半島の戦闘にわざわざ第二次大戦中の旧式レシプロ戦闘機を投入するが、どれを選んだら良いか」といった検討を行った訳ではないのです。
    緊急事態に対応して、既に存在する機材と運用環境に補給と増強を試みたので、旧式機が動員されている、ということです。

    そして、急速に悪化する戦況は朝鮮半島内の基地の放棄に繋がります。
    こうなると、F-51は元々、戦闘爆撃機としてではなく戦略空軍の長距離護衛戦闘機として生き残っていた機種ですから、日本国内からの長距離侵攻に対してジェット戦闘機以上の適性を示したのですが、これはF-47Nであっても同じことで、F-47Nがある程度生き残った理由でもあります。F-47を前提として作り上げられた近接航空支援システムといったものは第二次大戦中から存在しません。

    だからといってF-51Dの日本本土からの出撃が極めて有効であったかと言えばそうではありません。
    近接航空支援作戦で、基地が遠く離れてしまうことは計り知れないマイナス要因で、支援要求から攻撃実施までのレスポンスが絶望的に長くなり、臨機の目標に対応する指揮統制も困難になります。
    「海軍機の方が近接航空支援任務を適切にこなしていた」のは当然の結果なのです。

    「サンダーボルトの方が良かったんじゃないか」といった話は乗員の本音やF-51Dの地上攻撃任務への適性について、ある程度の真実を含むと受け取って良いのですが、そうした言葉が出る背景を探らなければ意味が無い点では「零戦は二一型時代が良かった」といった回想と同じような性格の評価でもあります。

    BUN

  25. >24 距離の問題とのご説には反対しませんし、言及している論文もそれを当然の前提としているのかもしれませんが、A HISTORICAL LOOK AT CLOSE AIR SUPPORTは、もう少し違う分析をしているように読めます。



  26. >25 違う分析というのは空海軍の棲み分け論の事ではないかと思いますが、お気づきの通り、初期に発生した想定外の状況が大きく影響しています。戦場が大陸内部であり海軍の介入が困難であれば空軍がその役割を担ったことでしょう。
    陸/空軍と海軍の近接航空支援は同じようなプロセスで同じような課題を解決しながら発展していますので、その時々の状況によって結果に違いはありますが、どちらも単純な銃爆撃から野砲、艦砲も含めた総合的な火力支援という概念に到達しています。これは「どちらが得意」といった技術的レベルの話ではないということです。
    BUN

  27. >26 遠望すればその通りなのでしょうが、「ある時点」で眺めてみれば、
    ジェット、CASより阻止に傾きがち、CASも師団単位までな空軍と、
    レシプロ、CASと阻止と同等に考え、大隊単位でCASする海軍・海兵隊があって、
    陸軍から空軍に対して海兵隊方式でやってくれという要望があったり、と、沖縄戦時点とは違った感じなのかなあと。
    内陸が主戦地で空軍主体であったならば同様の要求はより早期に出ていたのでしょうか。


  28. CASに関しては空軍が、海軍が、と一括りにできないんです。
    一般に「海軍は」と纏められ易いのですが、海軍/海兵隊でのCASは海兵隊によって発展させられたものです。
    大隊レベルにまで航空連絡班が設けられたのは1945年のルソン島戦や硫黄島戦からですが、これはそれまで劣っていた海兵隊のCASシステムを改革して陸軍の水準に追いつき追い越すことを目的に行われています。
    その一方で海軍航空隊にはCASに関して海兵隊のような動きは無く、上陸作戦のリハーサルにさえ海軍機は出動しないのが当然のことでした。
    それでは、海兵隊がCASのシステムを発達させて実戦で主力となったかといえばそうでもなく、海兵隊機は沖縄戦の初期段階でCAS任務にはあまり出撃していません。
    作戦ごとにいろいろな事情はありますが実際に飛んだソーティ数では海軍機や陸軍機の比率が高いのです。硫黄島から仁川まで海兵隊のCASシステム下で陸/空軍機、海軍機が活動していたのです。

    朝鮮戦争初期で空軍のマスタング部隊にとって近接航空支援を阻害した要因として進出距離に次ぐ問題として、前線部隊に同行する前線航空管制班の不足があります。
    突然勃発した広範囲な戦闘に対応できるだけの管制班が配置できないため、緒戦の数か月は緻密な近接航空支援をやりたくてもできない状況が続きます。
    例えば、マスタングを最初に装備した臨時の「ダラススコードロン」は近接航空支援システムが展開されていない戦場で、近接航空支援どころか計画的な阻止攻撃もできないまま、離陸してから独自に目標を求めて攻撃を実施してします。これに続いて展開したマスタング飛行隊も近接航空支援を行う際には対象となる部隊との連携を飛行隊自身がひざ詰めで構築する必要がありました。

    さらに、近接航空支援のコンセプトの浸透度とスキルは空軍ならこの程度、海軍ならこの水準、と一様に言えるものではありません。
    マスタング部隊であっても、そうでなくても、近接航空支援の訓練を受けて来た部隊とそうでなく制空任務、防空任務を主体として来た部隊とでは果たせる機能が全く違うという事態も発生しています。
    これは朝鮮戦争だけではなく、第二次大戦中から見られる現象です。

    こんな訳で、「海軍はこうした考えで」「空軍はこんなドクトリンで」といった大雑把な切り口では現実を説明するには相当に無理がある、と思っています。

    BUN

  29. 「朝鮮戦争にサンダーボルトが投入されていれば」という話がある種の夢みたいなものだという根拠は、F-51Dの損害341機(全期間を通じた戦闘損失、ほぼ正しいのではないかと思います)は絶対値としては大きな数字ですけれどもその背景にある全ソーティ数は62,607もあり、損失率はF4Uと大差ないと考えられる点にあります。「液冷機脆弱説」はどうも幻のようなのです。そう感じた人々がいて、そうではないか、との考察もあるのですけれども、F4Uにも同じような批判があり、旧式機での近接航空支援という戦術そのものに問題があると見て良いのではないかと思います。
    BUN

  30. 作戦上のF-51の損失合計は合計300機 F-80は277機、F-84は249機、F-86が184機でした。
    BUN

  31. 少しずつ理解が深まるような、かえって悩ましいような・・・
    >沖縄戦でようやく大規模な作戦が可能になった海軍/海兵隊よりも一歩先を進んでいたともいえる陸軍/空軍
    と、
    >「海軍はこうした考えで」「空軍はこんなドクトリンで」といった大雑把な切り口では現実を説明するには相当に無理がある
    を、どう解せばいいのか、混乱してきました。
    "The Army ground commanders were looking for a system based on the
    Marine Corps model."(前後から望まれているのは空軍)などは、一般的に受け止めるのではなく、"Eighth Army"関連限定のぼやきと捉えるべきなのでしょうか。
    また、"“The Navy and Marine Corps wanted both to kill North Koreans and to challenge the Air Force doctrine for CAS” (Millet 1990, 368)."など見ると、当事者は、
    >「海軍はこうした考えで」「空軍はこんなドクトリンで」
    というアプローチをしていたようにも見えます。当事者は無理をすることもあり得るわけですが・・・


  32. 世界中、だいたい、同じような時期に同じような段階を踏んで進んでいる、といった認識で良いと思います。何か飛び抜けて特別なことを示そうとしても、どこを探しても根拠が見えて来ないからです。
    BUN

  33. BUNさま、六さま、ご丁寧なレスを有り難うございました。

    六さまにご教授いただいた修士論文やそれに引用されていたリチャード・ハリオン氏の著書(大戦編・朝鮮戦争編)を読んでみました。

    両方とも、大戦期の米空軍のCASは、色々な問題はあったが、ブリリアントとの高い評価を与えていました。しかし朝鮮戦争に関しては、同じ著者が同じ空軍のCASに与えたとは思えないほど、酷しい評価をしているようです。これらには、機種についての詳細は少ないですが、米空軍History & Museum出版の「Down in the Weeds」(CASのための降下の別名)と題した朝鮮戦争のCASの文献には、機種毎の詳しい論評以外にも、マーカーサーから、(腰巾着の?)アーモンドやストレイトメイヤーをはじめとする将軍達の確執が詳記されており、理解するのがますます難しくなっています。

    海軍・海兵隊の損失は:
    コルセア(含AU):328機
    スカイレーダー:124機
    パンサー・バンシー:72機

    戦闘出撃機数は
    阻止攻撃:海軍126874機(40%)・空軍192581機(60%)
    CAS:海軍65748機(53%)・空軍57665機(47%)

    で、それぞれがどのような戦いをしたのかが、想像されます。
    もしも、空軍がサンダーボルトを、海軍がベアキャットを運用していたとしても、結果はあまり変わらなかったものと考えざるを得なくなってしまいました。

    1949年に空軍で採用されたCASの野戦教範FM31-35が、既に(F-80と同じく?)陳腐化しているかなどは難し過ぎますが、「ヘイ、ジョー。スミッティーだ。I中隊正面尾根の左側をやっつけてくれ!」てな海兵隊式のCASを空軍も全面的に採用するのは、規模の違いあって、困難でしょう。

    到着以来、1950年冬期攻勢などでは、極めて順調だった(空軍もそれなりに頑張ったようですが)海軍・海兵隊のCASも、その後にアーモンドが第一海兵師団を含む第10軍団の全権を握ると、パンチボールなど苦戦の連続になったようです。FACが182回CASを要求しても、172回しかJOCに届かず、たった24ミッションだけが成果を挙げたそうです。遅延の平均時間は2〜3時間では、話になりません。

    アーモンド将軍は、陸軍で一番CASを理解しているとの称賛もありますが、都合の悪いことは全てマッカーサーの耳に入れなかったことは確かなようです。

    つまり、このスレの質問は根本的に間違っており、もしも質問するのなら、つい5年前の欧州で、地上軍を支援する輝かしい航空攻撃の成果(直前にはスターリンの鼻を明かす空前のベルリン空輸作戦を成功)を誇る米国空軍が、どうして極東の小さな半島の陣取り合戦に対する航空支援に、あんなに苦戦するハメになったのか?を問うべきだったと思います。

    極東空軍の365機の旧式(爆装で行動半径100マイル)F-80Cは、迎撃機としての訓練しか受けておらず、訓練用のロケット弾と実弾の弾道の違いに戸惑って、慌ててかき集めた、標的曳航機のF-51に機種変更せざるを得なかった。やっと来たSACのF-84も、核爆撃機の援護機で、CASの訓練などほとんど受けていなかった。など、今になっては信じられない失態が数多くあったことは、確かだと思います。B-29の使い方も、著者により色々な意見がありますが、中型爆撃機としてCASにも使い倒したのは、事前に折り込み済みだったのか、知りたいです。何事も、作るのは難しく、壊れるのはあっという間なのでしょうか?核兵器への偏重や、欧州での東西緊張も、強い影響があったはずです。

    例えばアーモンド将軍に対する評価は、様々ですが、詳しい議論は、ここではふさわしくないでしょう。色々と、教えていただき、視野がとても広がったようで、感謝致しております。今後とも、何卒宜しくお願い申し上げます。
    佐久間多聞

  34. 「遅延の平均時間は2〜3時間では、話になりません。」

    お読みになった資料にそう書いてあったのかもしれませんが、近接航空支援の大部分は「前日までに」計画されるものです。突発的に出現した目標に対応するのであれば上陸海岸を沖の母艦から叩くような状況でない限り、2時間程度の時間を要することはそんなに珍しい話ではありません。戦場の広さ、戦況、投入される航空機の密度などいろいろな要素が絡んで突発的に発生した目標への対応時間が決まります。
    「どれだけの時間が掛かれば「早い」のか「遅い」のかといった基準はその時々の状況で変わるのです。
    また海兵隊式と言われる空地の直接連絡(これはもともと海兵隊が「陸軍機と話すため」に改良された装備です)は投入される航空機の数と密度に応じて制限されるのが普通です。硫黄島でも沖縄でも直接の通話は制限されていました。
    そんな形で無線電話連絡のカオスを避けるために地上管制本部を設けて交通整理を行うので、地上部隊に随伴する航空連絡班と攻撃機乗員が直接会話できるかどうかは状況によります。

    近接航空支援は航空戦の歴史の中で新しく加わった戦術ですから、どうやってもある程度の批判を受けてしまう傾向があります。
    その辺りを砲兵をも含めた地上戦の総合的な火力支援という視点で広く見て行かなけれならないように思います。

    BUN

  35. BUNさま、重ねてのご丁寧なご解説を感謝いたしております。

    まじめに逐次訳しておりませんが、この遅滞は例の修士論文の28ページに記載されていました。

    師団レベルの空軍と異なり、大隊レベルでの空中指揮を行っていた海兵隊のCASは、長津湖の戦いで、ブリリアントとの評価(誰からかとの記載はなし)をうけていました。しかし、アーモンド将軍が第1海兵師団と第1海兵航空団の指揮権を全て握った1951年9月が、朝鮮半島のCASの分岐点になったそうです。

    パンチボールでの3週間の激しい戦いで、第1海兵師団は目標を定める事ができず、多大な死傷者を出してしまいました。全ての航空支援が、今まで海兵が通していなかったJOCのプランの基に行われるようになりました。その結果、前線空中指揮官が要求した182ミッションのうち、間に合って、何らかの寄与を与えたのが、たったの24ミッションで、その遅延の平均は2〜4(3は間違い)時間だったとのことです。

    多分、TARCAP中の海兵隊機がCASのために「Down in the Weeds」しても、ほとんど間に合わなかったと言うことでしょう。もちろん、空軍のF-80にはTARCAPなど(ガス欠で)不可能でしょうから、前日からのJOCの指示で十分だったでしょうが、海兵隊機は激戦地の上空で、明るい間はずっとパトロールしていましたから、TACのコールからDown in the Weedsまでの時間遅延は、致命的と言ってよいでしょう。

    ストレイトメイヤー将軍は正に、空軍が恐れていたのは「陸軍が今あるCASドクトリンをスクラップにして、海軍/海兵隊をモデルにして書き換えろと要求すること」だったと述べています。

    海兵隊のCASを受けた第1海兵師団

    佐久間多聞

  36. つづきを失礼します。

    当初、海兵の航空支援を受けた第1海兵師団は、どの陸軍よりもはるかに高い能力を示し、その後に空軍が第1海兵航空団の指揮権を得てからは、第1海兵師団の能力ははっきりと低下したのは、偶然ではなく、前線におけるCASの真の価値をはっきりと示したものであると明記されています。

    劇的なドクトリンの変更と発展を重ねた第二次世界大戦と事なり、朝鮮戦争での空軍のCASドクトリンはほとんど改革することはなかったのですが、空軍に幸いなことに、1951年10月には、停戦を目指した攻勢をやめたため、膠着した前線からのCASの要求は激減し、空軍お得意の(?)阻止攻撃のみが許されることになりました。

    また、空軍はCASや阻止攻撃に最適な機種をもっておらず、F-51やF-80に大きく依存しましたが、たとえF-84やF-86が大量に配備されていたと仮定しても、ナパーム弾のタンクにすら、困窮していました。日本に作らせたナパーム弾のタンクの品質は極めて悪く、信管の穴もまともに開けられていなかったそうです。前方の信管のかわりにキャップでゆるく塞ぎ、漏れながら投弾していたそうです。同時に行う機銃掃射で大概は引火したそうですが、火がきえれば、再度曳光弾を撃って火をつけていたそうです。

    航空機を除いても、なにもかも足りないものだらけだったそうです。まあ、お陰でドッジ・ラインで瀕死の日本経済が救われたのですから、あまり偉そうには言わない方がよいと存じます。ベトナムもしかりでしょうか?
    佐久間多聞

  37. それはここで佐久間さんが話題にされたF-51の活動が下火になり、損害も小さくなった時期のことで、ここで採り上げられた「開戦後半年」の状況でもありませんね。

    また空軍の近接航空支援は戦場上空で何のインフォメーションも受けないで攻撃を行っている訳ではなく上空にいるFAC任務のT-6からの指示を受けて目標を捕捉しています。もちろんT-6がいれば、の話ですが空中からの統制を受けている点では海兵隊機とほぼ変わらないシステムです。
    海兵隊の近接航空支援も各大隊レベルのALPは連隊レベルのALP、師団レベルのALPへと要求を上げて行きその上で軍団レベル、軍レベルへと要求が上がる一見して迂遠な構造を持っています。緊急時にそれをバイパスする方法も存在していますが、各大隊に随伴する大隊レベルのALPがそれぞれ勝手に空中の飛行機を指揮することは通信の混乱を避けるために制限されています。直通会話はいちど要求が整理されてから許されるのが原則になっています。

    海兵隊と同じようなシステムが存在して機能している状況ではF-51の近接航空支援の精度は海兵隊のF4Uと同等かそれ以上のレベルに達しています。近接航空支援の定義通りに友軍の目の前に爆弾を落とせているということです。

    そもそも近接航空支援に適した機種とは何でしょうか。
    F-51は十分に適性のある機種でしたし、その倍は活躍したF-80も十分に役割を果たしてしかもソーティあたりの損害が減少しています。F-84ではさらに向上します。これは数字が示している事実でしょう。

    そして朝鮮戦争膠着期の陸戦で米軍が苦しんだのは近接航空支援の不備ではなく、砲弾そのものの深刻な不足なのです。第二次大戦で米軍を支えた野戦砲兵が砲弾不足で頼りにならないので航空にケチがついている、といった側面もあるということです。

    BUN

  38. この一連のお話は3年間も戦われた戦争で6万ソーティ以上もの出撃に対するマスタング300機の損耗は「多い」のか「少ない」のかといった部分をはっきり認識しないと前へ進まないように思います。
    BUN

  39. BUNさま、何度も詳細なご解説を賜り、誠に有難うございます。

    F-51と同じような任務(CASの方が多かった?)海軍/海兵隊機の戦闘行為による損失(1950〜1953)が:
    F4U:312機
    AU:16機
    AD:124機
    F9F:64機
    F7F:15機

    全機種の合計:564機でした。

    また海軍/海兵隊、空軍のコンバット・ソーティー(1950〜1953)
    阻止攻撃:126,874(40%)対192,581(60%)
    CAS:65,748(53%)対57,665(47%)
    空対空戦闘:44,607(36%)対79,028(64%)
    偵察:26,757(30%)対60,971(70%)
    対潜哨戒:11,856(100%)対 ゼロ
    戦略爆撃:ゼロ対994(100%)

    海軍/海兵隊、空軍各自の任務別ソーティー数(1950〜1953)
    海軍/海兵隊:ID,46%, CAS,24%, Counter Air,16%, 偵察,10%, 対潜哨戒,4% 合計100%
    空軍:ID,49%, CAS,15%, Counter Air,20%, 偵察,16%, 戦略爆撃,0.2% 合計100%

    レシプロ機とジェットを混載していた当時のストレート・デッキの空母の事故率は、海軍史上一番高かった事を勘案すると、F-51の戦闘消耗0.5%は、AUよりも少なく、F4Uとどっこいどっこい?、ADよりは多かったのではと思います。どなたか、正確な数字で、フォローしてください。確実に消耗が多いと言えない限り、機種云々につき論議しても、ファン投票と同じになり、全く不毛の議論になると思います。
    佐久間多聞

  40. まことにその通り。
    BUN


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