1248 しばらくぶりに質問をさせていただきます。
戦後に芦屋で撮影されたと思しき、三式戦キ61飛燕についてです。
画像は下記のURLにまとめた物がありますのでご覧ください。
IIは私が拡大して眺めながら頭の中で整理するために着色したものですので、正確な物とは限りません。
ttps://pbs.twimg.com/media/C3vStmfVUAQhtPP.jpg

まずは質問の前にこの写真についてざっと触れようと思います。
Emblems of rising sun(Hikoki Publication出版、Peter Scott著)によると、1945年10月17日に芦屋飛行場にて撮影された149振武隊の機体とのことです。
私の所見では、胴体の日の丸の荒れ具合、タイヤの空気の抜け具合、翼端灯の欠損、II'で見える後方の機体(左は59戦隊の三式or五式と推定。右は一式?)が破損状態にある事などから、撮影日に関しては概ね正確なものであると感じました。

しかし、149振部隊の機体であるという点には少々疑問があり、私は59戦隊の機体であると考えています。これは垂直尾翼に59戦隊のマーク、ラダーに半分だけ149振武隊のマークが描かれており、149振武隊が最終的な所属であれば不自然であると感じたからです。
(おそらく、後の質問においてこの機体がどのような経歴で塗装、部品交換されたかが重要なポイントになるかと思います。)


さて本題の質問ですが、下記の通りです。
Q1.ラダーのベースの色は何色と思われるか。(赤・緑や褐色系・緑地の上に赤線が被っている等)
Q2.この機体の最終所属はどこだと思われるか。
Q3.149振武隊のマークの下にある部隊マークは一体どこの物なのか。
  補足:私は当初、明野飛行学校のマークかと思っていましたがどうやら異なるようです。プラモデルメーカーのハセガワ等も明野学校としているようですが、花形?のような色地に白のふちどりがあり、中の白い部分も明野とは形が異なります。
Q4.@の部分で塗装が途切れたり、Aの部分で尾翼フィレットが59戦隊のマークにかぶっているようにも見えるが、尾部の外板を丸々張り替えることはあったのか。また、59戦隊の胴体の白線を何らかの意図で消した痕と考えたほうが自然か。

以上です。特にQ3について知りたいです。
詳細な記録がない以上、質問内容が「思われるか」という形になり、意見募集に近いですが皆様のご見解を聞かせていただければ幸いです。
よろしくお願いします。
Shusui

  1. 59戦隊第3中隊機として紹介されているものが多い様ですね。
    ラダーだけ特攻機の物に交換した機体の写真は他にも有りますよね?

    振武隊マークの下のマークは位置といい形といい明野教導飛行師団の物に見えますが。
    ttps://de.wikipedia.org/wiki/Datei:Ki-61_at_Fukuoka_in_1945.jpeg
    暇人

  2. ×ラダーだけ特攻機 ○ラダーだけ別の機体
    暇人

  3. より高精度の写真提供有、ご回答難うございます。
    精度が上がると白地に赤文字の明野飛行学校の部隊マークに見えますね。
    「明」の文字部分がかなり太い明野飛行学校のマークというのが、やはりしっくりくる気がします。

    ラダーのみの交換はたまに写真を見かけるのですが、胴体後部の塗装の途切れがなぜ起きているのか...
    大規模な外板の張り替えなんかは、やるとすれば野整備能力のある部隊と思いますが、59戦隊にそのような能力はあったのでしょうか
    Shusui

  4. 戦記とかで戦隊側で弾痕にパッチを当てた記述を見た事は有りますが、大規模な修理をしている具体的で詳細な記述は見た事が有りません。ただ、比島の闘いで戦力0になっても何度も故障機やら損傷した飛行機をかき集めて修理したとの記述は見た事が有ります。

    件の機体の電光マークは機体側面から垂直尾翼にかけて描かれていたのでしょうね。そうすると胴体後部に水平尾翼の付け根が無塗装で有るのに違和感を覚えます。ラダーも交換していますから大きな損傷だったのでしょうね。

    移動修理班や修理工廠で修理というのも考えられるのではないでしょうか?
    暇人

  5. この機体は戦後の引き渡し用に再生したものではないかと思います。
    胴体日の丸に手が加わっているのが戦後と判断している理由です。
    方向舵は爆弾と菊水に隠れて明野飛行学校マークが残っていることから濃緑色と判断できます。
    この機体そのものは59戦隊の空中体当り用の機体が故障、破損など何らかの理由で放置され残存したのだと考えています。体当り機であると判断した理由は主翼の第12飛行師団指揮下の防空戦隊であった名残の白帯つき日の丸と稲妻塗装です。

    また機体外板の張り替えは航空廠によらずとも一般的に行われています。

    BUN

  6. >戦後の引き渡し用
    全然、思い至りませんでした。
    暇人

  7. >>暇人さん
    >>BUNさん
    ご回答ありがとうございます。
    胴体日の丸については59戦隊は日の丸修正まで手が回らない事もあったみたいなので自然劣化かと思いましたが、確かにあとから手を加えたと見る方が自然ですね。
    59戦隊では5式や3式2型等の新鋭機が配備されていたから破損時に修理を後回しにしており、戦後に改めて修理をして引き渡しの候補機となったというようなストーリーが思い浮かびました。
    見たところタイヤの空気は抜いていますがフラップやラジエター周りの油圧は生きているように見えますし、BUNさんの見解が正解に一番近いように思います。
    又、ラダーは濃緑色であるという持論にも肯定的な意見を頂けて嬉しく思います。

    体当たり機になりながらも最後まで残存し、厳しい戦いを耐え抜いた戦歴をもっていそうですね。

    外板貼り換えについてもご回答ありがとうございます。
    調べてみたら確かに244戦隊には板金班などもあって、部隊ごとに部品を用意できるようになっていたみたいですね。
    Shusui

  8. 話が回答から離れてしまいすいませんが、参考までに・・・

    尾部の外板張り替えでなく尾部の分割部での交換ではないでしょうか?

    また比島で捕獲された他陸軍機の後部胴体内に状態確認の為に入った時に、弾痕修理パッチと、恐らく縦通材貫通した故に縦通材切り替えパッチ等を見る機会がありましたが海軍(ラバウル等)よりかなり凝った修理をされており驚いた次第です。
    海軍機はラバウル・ヤップ・タロアでの機体で弾痕パッチを複数確認していますが、表側にパッチがあるタイプが主です。
    しかし上記で書いた比島陸軍パッチは内側にされており表面は面一となっています。
    (比島にて日本陸軍が行った修理痕と書いているのはあくまでも推測ですが、継いだ押し型材の縦通材が同型日本機の物を使用している等の理由による推測です)
    A6M232

  9. 垂直尾翼も交換できますので、尾翼分割部で交換されていても垂直尾翼は前部メインの機体の物で、方向舵は交換された尾部の物か?更に他機の物?といった推測です。
    A6M232

  10. >>A6M232さん
    有難うございます。私の質問内容も完璧ではありませんので、いただける情報は全てありがたく感じます。
    私も尾部交換の線は最初に考えたのですが、垂直尾翼に元の機体のパーツがあること、フィレットの部分を良く見るとどうやら59戦隊と電光マークが重なっており、フィレットとも重なっているように見えたことから除外して考えていました。
    しかし、教えていただいた高精度の画像を見るにフィレットの後部は電光が重なっていますが、前部は無塗装であることがうかがえ、外板交換ではなく垂直尾翼のすぐ前を別機から移植したというのも十分に考えられると思い始めました。

    外板の色味も問題の部分は異なるようですし、59戦隊の白帯を落としたという線はほぼ無くなりました。
    また、陸軍の航空部隊はイギリスにある五式戦のツギハギっぷりに見てとれるようにかなりアバンギャルドな整備をすることがあったみたいですね。
    修復痕の貴重なお話も有難うございます。
    Shusui

  11. >尾部の分割部での交換
    これも思い至りませんでした。

    皆様、興味深い情報有難う御座いました。
    暇人


Back