1316 ネット上の断片的な複数の記述を考え合わせると、WWII当時の日本陸海軍航空隊では搭乗員の乗降は機体の左側からであったのに対し、二式水戦等の水上機では右側からが多かった、と思われます。
左側からの乗降については船舶の場合(ステアリングボード・サイド、ポート・サイド)を考えても理解できるのですが、上記の右側からの乗降は、どのような経緯や理由によるものでしょうか? また、同時期の他国では、どうだったのでしょうか?
宜しく御願いします。
オリオン

  1.  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%BC%8F%E6%B0%B4%E4%B8%8A%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F
     こちらに零戦から2式水戦への改造に伴って「水上でのプロペラによる海水飛沫の関係から、乗り込む側が左舷から右舷に変更」と記されています。
     
    hush

  2. 早速、有難うございます。見落としていました。恥ずかしい限りです。
    オリオン

  3. いえいえ、私などもっと恥ずかしい回答をしておりますので、気になさらずに。
    hush

  4. wikipediaの記事は例によって間違っています。
    二式水戦には初期の左側から乗る機体とその後の右側から乗る機体があります。
    変更は途中からです。

    BUN

  5. 質問者です。
    皆様、ありがとう御座います。
    基本的な考え方として、「プロペラによる海水飛沫の影響を考慮して」が理由と考えて良いのでしょうか。
    オリオン

  6. 二式水戦はもともと専用の水上機ではなく、また軽量化のために不安定な単浮舟方式を選んでいます。このために試作時代に補助浮舟をいろいろと改造しています。
    もともと安定が悪い単浮舟方式で、しかも改造機なので浮舟との相性が今一つ悪く、しかも大馬力という機体なので、飛沫の影響も受けますが、右舷からの乗り込みには「左舷から乗り込む方が乗員の体重で大きく傾斜する」という理由があります。
    BUN

  7. 「左舷から乗り込む方が乗員の体重で大きく傾斜する」には頭が回りませんでした。ありがとう御座います。
    オリオン


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