質問コーナー(AnsQ)分類

1.航空機関係 1301 - 1400


No.
内容
1301 ソ連軍用機の「戦闘機は1から始まる奇数・戦闘機以外は2からの偶数」という番号付与規則は
始まったのは1940年ですが、これはロシアになった現在でも廃止されず残っているのでしょうか?
また、Wikipediaによればこの規則は厳格ではなく、ヘリを筆頭に例外が複数あるようですが
少なくともWWII世代のソ連機については一覧を見た限り厳格に守られているように見えます
この規則が厳格に守られなくなったのはいつ頃から、どのような経緯でなのでしょうか?
1302 二式複座戦闘機についておうかがいしたいことがございます。
胴体に搭載されたホ−320mm機関砲は、Bf-110の胴体機銃と同様に
機上で再装填可能な構造となっているのでしょうか?
どなたかご存知でしたら、教えていただきたく存じます。
また、参考資料等があれば併せてご教授いただけますと幸いです。
1303 今朝(8月29日)6時ころ、北朝鮮は、予告なく、弾道ミサイルを発射し、それは北海道上空を通過しました。
ところで、もし、このミサイルの真下の地上にいたら、
1.肉眼でその姿が見え、
2.音は聞こえるものですか?
教えて下さい。
1304 着艦制動装置について教えてください。
着艦制動装置は、制限とされる重量を一キロでも超えるともう完全に運用できなくなるのでしょうか?
例えば制限5トンの装置に全備重量5.1トンの機体が着艦することはやはり不可能なのでしょうか。
資料が少なく、皆さんの力をお借りしたいと考えています。
1305 Fw191について、大トルク高速が必要か箇所に使用したのはどのようなモーターで、どのような動力伝達装置だったのでしょうか?
1306 日本海軍の99式20ミリ2号固定機銃4型の発射速度を高めるために付けられたと言う発射速度増大装置とはどの様なものなのでしょうか。機銃に取付けられるものなのか、内部の交換部品なのか、外部から動力でアシストするようなものなのかどんな機構なのでしょうか。取付位置形状等わかる写真や図等ご存じないでしょうか 
1307 モスキートなどの木製機は熱帯多湿の地域で使うと機体寿命が減ると聞いたのですが、
1308 宜しくお願いします。
四式戦闘機の急降下での機首抑えについて質問です。
http://soranokakera.lekumo.biz/.s/tesr/2017/03/post-8718.html
四式戦には零戦と同様にトリムタブが付いており、敵艦水平突入時にトリムを使って400km/hで上手く飛ぶとあります。500km/hではスピードオーバーである、と明言しています。
一方で、急降下で650km/hを超えたら怖くなった、とするほどの特攻訓練も行なっています。このパイロットが視界を失うほどの引き起こしにも耐える機体剛性もある。
勿論特攻を前提にしているので750km/hを出す為に試作機が8000mから背面で行なった様なものとは違う、一般的な急降下のそれだと思われます。
それで果たして海面高度の水平飛行でトリムを取っても500km/hを保つのが不可能な機体が、650km/hで「急降下」などなぜ出来るのでしょうか。それも敵艦を狙える様な。特攻でトリムを悠長に回すほどの余裕も腕の本数も無いはず。
長くなりましたが、「疾風が650km/hを超える様な急降下をするにはどうしたのか、そもそも出来るのか、それで敵艦でなく敵機を奇襲する様なのも出来たのか」など伺いたいと思います。
1309 He70の構造材をアルミ系に置き換える試みはなかったのでしょうか。あったとしたらどういう理由で実現しなかったのでしょうか。
1310 【「武器・装備全般」質問かもしれませんが、航空機も関連するため、こちらへ投稿させていただきます。】

航空機から投下された爆弾と、投下されないまま迎撃され墜落しつつある航空機に搭載されている爆弾の威力は同じでしょうか?
(神風特攻等による艦船攻撃の事例ではいくつもありますので、陸地への爆撃に関する疑問です。)
実戦写真や当時の動画、映画でみる限りでは、「投弾前の爆撃機を撃墜、着地(?)後に大爆発した」というのを見たことがないもので・・
むしろ燃料残量の影響での引火、火災の方が大きいようにも見えます。

例えば、島国A国の首都が相手国Bの爆撃機100機により空襲された際、A国側は当然迎撃に出る訳ですが、仮に首都上空で迎撃戦をおこない大善戦したとして、うち80機を投弾前に撃墜したとしても、その80機分の機体+100機分の爆弾はその首都圏内に落ちる訳ですよね?
だとすると、N国は絶対に海岸線より海側で迎撃するべきだと思うのですが、どうなのでしょうか?

史実では、大戦末期、日本は「本土防空戦」が主で、水際防衛はあまり聞いた事がありません。バトル・オブ・ブリテンも然りです。*ドーバー海峡自体が短いので比較が難しいのですが・・

個人的に日本が水際防御をしなかったのは下記のように考えています。
・燃料欠乏で迎撃機が遠くへ飛べなかったから。
・迎撃側が撃墜された際のパイロット救助事情。(内陸ならパラシュート降下のみで解決)
・探知性能が悪く、「気がつけば相手爆撃機が内陸侵攻間近」。
・要所要所を狙われて爆撃されるより、投弾前に撃墜する方が(実質同じ爆弾量でも)圧倒的に被害が少ない。・・・等々です。

過去ログでもドンピシャのを探しかねており、WEB検索でも「爆撃機、空襲、爆弾、投弾前、撃墜、被害、威力」等の語句を加減して調べていますが、興味あるサイトが出てきません。よろしくお願いいたします。
(唯一、Y知恵袋で『原爆投下直前にB−29を撃墜していたら、被害はどうなっていたか?』というのがありました。当方は通常型の爆弾のケースで知りたいです。)
1311 WW1〜タイフーン等、鋼材骨組みの場合、多くが「鋼管」です。
なぜH、山形、角パイプ等でなく丸パイプが主用されたのでしょうか。

丸パイプは断面積あたりの断面係数で有利でなく、溶接時の座ぐりの手間で、(角パイプもこれは同じですが)溶接箇所の裏にアプローチできないため裏からの補強溶接もスラグ除去もできず、中の塗装もできず、別部材をボルトやリベットで止めるのに貫通させたらパイプを潰す力が働き、中で止めるには工夫が必要です。
後代のアルミ系セミモノコックの補強剤でも丸パイプはあまり見られず、山形断面が殆どのように思われます。
1312 米の夜間用艦上機について少々教えてほしいことがありまして、お世話になります。
F6FはN型でAN/APS-6、TBFはAN/APS-4を搭載していたようですが、戦闘機と雷撃機で別のレーダーを搭載するのは何か、特性や性能で違いがあるからでしょうか?
調べてみても搭載機種の話ばかりでレーダー本体のことがわからなかったのですが、英版wikipediaのどこかの記事でAPS-6がintercept rader、APS-4がsearch and bombing raderなどと表記されているのは見かけた気がします。用途が違うという事は、機能も単に夜間飛行する以外で違いがあるのでしょうか?

ついでにもう一つ聞きたいのですが、
エンタープライズなどの米空母の夜間攻撃任務では、昼の攻撃と同じく護衛戦闘機が攻撃隊に付くものでしょうか?夜間攻撃は戦闘機に迎撃されにくいのが利点ですし、TBDの夜間仕様では必要ないからと防御機銃を省略していると聞いたのですが…同じ母艦にF6F夜戦が積んであっても、基本的には夜間攻撃では護衛戦闘機は付かないと考えていいのでしょうか?
1313 DH.98の胴体の「最中」について質問いたします。
前作DH.91については調べがついていないのですが、前々作DH.88では上下分割だったのが、DH.98では左右分割、一体型の主翼を横から差し込むという構造です。
この理由は何だったのでしょうか? 上下分割の胴体で主翼を挟み込む方式を採らなかった理由は何なのでしょうか?
K5084(元G-ACSS)の着陸事故の際には第一タンクが胴体を突き破って前下方に投げ出されましたが、これが関係していたりしますでしょうか。
1314 もう一点、DH.98について質問いたします。
コンセプトとマーリンの優秀さを差し引いて、機体と主翼だけを見た場合、どこがどのように、どのぐらい、優秀と言えるのでしょうか。
5年先輩のブレニムの無武装偵察型試作機L1348は1940年に470km/hで、原型のタイプ142が4年前に記録した速度にも及びませんし、ましてやモスキートができつつある頃ですから、試作止まりは納得がいきます。
しかしL1348が840馬力双発、DH.98は1390馬力双発ですから、速度に差があるのも当然かと思われます。
また多くの戦闘機が速度のためにファストバック形状をとる中で、並列複座の涙滴形風防を大胆に突出させています(主翼桁と座席との取り合いもあるでしょうが)。水平尾翼は大きく、モーメント長も長めです。表面仕上げはともかく、形状からは、必ずしも有害抵抗が特に小さいようにも思われません。

もし仮に、L1348にマーリンを搭載していたら、DH.98より設計年次5年分遅いぐらいになったものでしょうか。
そうではなく、DH.98だからこその速度性能だったのでしょうか。
1315 第2次大戦中のイギリス軍用機に12.7o機銃装備がほとんどないのは何故でしょう?
レンドリース機には全部ついているのに、自国製機はスピットEウィングのみです。
特にランカスターの防御機銃は終戦まで7.7oオンリーで、12.7oになるのは戦後のリンカーンからです。
色々理由はあるんでしょうが、他国がみんな12.7o級をそろえているのにイギリス機だけが装備しないのはどうしても不思議です。
イギリス軍が12.7oについてどう考えていたか知りたいです。
1316 ネット上の断片的な複数の記述を考え合わせると、WWII当時の日本陸海軍航空隊では搭乗員の乗降は機体の左側からであったのに対し、二式水戦等の水上機では右側からが多かった、と思われます。
左側からの乗降については船舶の場合(ステアリングボード・サイド、ポート・サイド)を考えても理解できるのですが、上記の右側からの乗降は、どのような経緯や理由によるものでしょうか? また、同時期の他国では、どうだったのでしょうか?
宜しく御願いします。
1317 堀越二郎は戦後、三菱重工技報でF-104戦闘機の開発コンセプトをUltimate manned all weather intercepterと紹介しているそうですが
F-104のレーダーコーンの大きさや電子機器の積載力は、同時期・近接する時期に開発された邀撃機・戦闘機の中でも大きいとは、思えません。
アンテナ断面積初め全天候邀撃に必要な電子機材をより多く積める機体、更にそれらの専任操作員を積める機体が他に複数有るのです。
そして全天候邀撃には必須とされるレーダー誘導の空対空ミサイルを、空自のマルヨンは結局最後まで運用しませんでした。
此の様に当時ですら「究極の全天候邀撃機」とはとても呼べないロッキードF-104を堀越氏が斯く形容したのは一義的には自社製品の広報でしょうが、
傍から観てマルヨンを究極の全天候邀撃機、或は当初だけであってもそれを目指した機体と形容する妥当性は、何れ位あるのでしょうか。
1318 .1317の続きですが、航空自衛隊の第一次F-X候補として
F-106からSAGEリンケージなど機密であり米国外には見せられないとされた部分をスペックダウンしたものは
どの程度妥当だったのでしょうか。
F-104より「F-106J」の方がUltimate manned all weather intercepter(究極の全天候邀撃機)により近いと思われるのですが、
F-XにF-106Jが実現しなかった理由にどのようなものがあり、それがどう働いたと判断さるべきでしょうか。
1319 すごく今更な質問ですが、中島製と三菱製の零戦では質的にはどれぐらい違いがあるものでしょうか?
なんとなく三菱オリジナルを贔屓目に見てしまいそうになりますし、中島製はたまに悪評も聞くのですが…
でも、それがどこもボロボロのはずの戦争後期の体験談だったりするので、それはそれでフェアじゃない気もします。
同じ21型(或いは52型でも)なら、まともに作ればどっちでも同じようなものと思っていいんでしょうか?


1320 重い戦闘機が降下するのが速いのは、その重さを支える機体強度が強いから、降下速度の上限が大きいということなのでしょうか?
1321 申し訳ないが、以下の点について教えて下さい
1.デスコン様:「重さを支える機体強度が強いから」とは、具体的にはどの様なことでしょうか。
 通常の水平運動よりもずっと早い急降下時時に機体に加わる空気抵抗に対する機体強度が大ということでしょうか。
 また、機体を引上げる(水平飛行に戻す)際に必要な機体強度をどの様にお考えでしょうか。
2.にも様:スピットやマスタングで、(プロペラ先端でなく)機体や操縦性に関して(発生の前提として音速が必要な)衝撃波が問題となるのでしょうか。
1322 大陸進出時の飛行第22戦隊機の塗装を御存じの方がいらっしゃったら御教示願えないでしょうか?

自分が画像で見た事が有るのは、終戦時朝鮮半島で残置された機体のみです。それは上面、側面を濃緑色ベタ塗り迷彩かまだら迷彩をしたと思しき機体で垂直尾翼に戦隊マークを塗装しています。自分が知っている範囲では22戦隊は本土へ引き上げる折に85戦隊へ機材を引き渡したという事で22戦隊マークがして有るのが非常に疑問です。愚考するに、大陸進出時に不調で有って捨て置かれた機体なのかな?とか思います。

情報等では、洋書で戦隊長岩橋大尉が戦死した時の機体は三色雲形塗り分け迷彩というのを見た事が有ります。最近では模型のパッケージでそれと思しき物も見ます。それは、見慣れない迷彩パターンで戦隊マークが有りません。

で、質問です。

1.画像を見られた方にですが、どの様な塗装だったのでしょうか?
2.戦隊マークを描かないというのは有りえたのでしょうか?
1323 飛行艇等、乾舷が高く、人手が少なく、ことに同じ場所に大勢が立てないような場合、被救難者を引き上げるための一般的な工夫はなにかなかったのでしょうか。
たとえばパイロットとすると、体重の他、救命胴衣と水を吸った革の飛行服の重さもありますから、本人が動けない場合、一人二人の乗員で引き上げるのはかなり無理があるように思えるのですが、ウインチ等は使わなかったのでしょうか。
1324 度々、失礼します。
TBFの非爆装時の速度とF4Uが最大まで爆装した時の速度が知りたいです。
1325 日本の艦上戦闘機は離陸距離70メートルを要求されていますが米軍艦上戦闘機はどれくらいの離陸距離を要求されていたのでしょうか?
1326 今日、3機のヘリコプタが斜めの棒状(一直線)の隊形を組んで飛行しておりました。すなわち、1番機が先頭、その左後方に2番機、その左後方に3番機という隊形でした。
今まで、3機であれば、正三角形を組んでるのしか見たことがありません。すなわち、先頭機の左・右後方にそれぞれ1機という隊形です。
質問は、3機のヘリコプタが斜め棒状(一直線)の隊形を組んで飛行しているのは、何か意味があるのでしょうか?
1327 大戦中に使われていた【飛行機覆/飛行覆】とはいったい何に使う物なのでしょう?
また、おなじ【覆】という字を使う航空覆面というのもありますが、こちらは形状からして「防寒用目出しマスクなのかな?」とおもっているのですが正解でしょうか?
1328 複葉機時代の脚の緩衝装置について伺います。
細かな差異はともかくとして、前脚柱が固定、後脚柱に緩衝装置があるならば、自動車のトレーリングアーム形式と同じですから、理屈がわかります。
が、中には、前脚柱に緩衝装置を備える機体もあります。すると固定の後脚柱に圧縮力が加わり、ねじれ・曲がり等のリスクが高くなります。
そのデメリットを上回るどんなメリット・必要性があったのでしょうか。
実例としては以下があります(一部、ストラット式が混じっているかもしれません)。
ヴィッカーズ・ヴィルデビースト
ブラックバーン・ブラックバーン
ブラックバーン・ダート
ホーカー・ハート/フューリー一族
アブロ・バイソンII
グロスター・ゲームコック
アームストロングホイットワース A.W.XVI
ヴィッカース・バージニア一族
ブリストル・ブルドッグ
フォッカー・C.V
ハンドレーページ 0/400
アブロ504
1329 戦闘機レーダーの出力について質問

Wikipediaを見て気になったのですが
F-4Eで使用された
AN/APQ-120レーダーFCSは送信尖頭電力165kWと書かれていましたが、
F-15のAN/APG-63では送信尖頭電力5kWと極めて小さくなっています。
なぜ送信尖頭電力が下がったのでしょうか。
1330 以前何度かお世話になった者です。

陸海軍の航空爆弾について質問させて頂きます。(用語や認識の誤りがありましたら是非ともご指摘下さいませ。)

陸海軍の正規に編成された特攻隊は、体当たり時に信管が作動するよう、発火装置の風車抑えを解除できるように改造されていたと様々な戦記に記されていますが、

1【陸軍】風車に孔があいていて、そこに針金?を通し、機上で操作して引き抜く事で風圧により回転させことで安全装置を解除する。

2【海軍】風車には孔がなく、懸架装置の風車抑えのアームをワイヤーなどで引き上げ、風圧により回転させることで安全装置を解除する。

というのが、当方の認識ですが、陸軍の場は弾殻の強度不足から海軍供与の通常爆弾を使用することも多かったようです。発火装置の風車の形式に違いがありますが、これについては現地部隊での改造で克服出来たのか、それとも考えにくいですが陸軍用で代用出来たのか、お分かりになる方がいらっしゃいましたらご教示下さいませ。

また、四式爆弾なる海軍用通爆の陸軍型も製造されており、吊環が陸軍用になっていたとの事ですが、やはり海軍用を陸軍機で使用するには改修は必須だったのでしょうか?(この点はと号機用爆弾の教範にも言及されおらず、一覧表からは電磁器も共用と受け取れますが...)

長文お許し下さい。宜しくお願いいたします。
1331 全国行脚中のr-1830付きの零戦を見てて思ったのですが、零戦にr-1830を取り付けた場合の性能の変化は微々たるものなのでしょうか。高空性能の上昇などは考えられますか。
1332 独立空軍と陸軍航空隊の違いと言いますか、陸軍航空隊から空軍になる利点とは何でしょうか。

陸軍からすれば、直属の航空部隊を抱えていた方が便利なように思えます
陸軍にとって陸軍航空隊が陸軍から独立して空軍となる利点とはどういったものなのでしょうか
1333 失礼します。
日本軍の二式飛行艇や連山、米軍のpbyやb17などの正確な生産費用がわからないのですが、教えて下さい。
1334 第二次大戦の頃のイギリス、ソ連、イタリア、フランスは自力だとどれくらいのオクタン価の航空燃料を作れたのでしょうか?
1335 戦時中に二式大艇の陸上機案があったそうですがどんなものだったか教えてください。
1336 金星と栄エンジンについて教えて下さい。
シリンダーのサイズは如何してあのサイズに成ったのでしょう?
栄にしても金星のシリンダーを使うのは不可能ではなかったはずですし、ライセンスしていたエンジンの関係からも、もう少し大きく出来なかったのでしょうか?
1337 四式戦疾風についてです。
両翼下の計2箇所にハードポイントがありますが、初期型までは胴体下に増槽吊下げポイントがあったのですね。
ということはハードポイントを3箇所にできたはずなのに、なぜ胴体下のそれを廃止してしまったのでしょう?
ふつうに考えればハードポイントは多い方がいいですよね。零戦は3箇所ありますし。
何か技術的にできない理由があるんでしょうか?
自分の見た目では重心位置が変わるとか薬莢出口がふさがれるとか思いつきますけど、解決できないわけではないように思えますが。
1338 第二次大戦期の単発レシプロ機を、一人でエンジン始動させることは可能ですか?
創作だと、「敵に捕まったパイロットが敵の飛行機を奪って帰還」「出撃を禁じられていたパイロットが、命令を無視して飛び立って大活躍」みたいな場面があります。
調べてみたところ、クランクを回す人とコックピットで操作する人で最低2人必要なようです。
なので、飛行機を奪うとしたら、すでにエンジンがかかっている機を、まわりの整備員を倒すか騙すかして奪うしかないように思いますが。
1339 ちょいと航空機のアクチュエータについて調べていて出てきた疑問なのですが

セスナ172Fではフラップ操作が
人力のレバーハンドルから電気駆動になったと書いてあるのですが
電気駆動ってモータのことですか?

モータはACモータですかDCモータですか?

詳しくわかる方がいたらご教示願います。
1340 jumo210とプロペラを調べてみました。

http://alternathistory.com/files/users/user675/Jumo-210-06.JPG
http://www.muzeumlotnictwa.pl/digitalizacja_archiwaliow/katalog/ksiazki/10/junkers_flugmotor_jumo_210_d_in_ju_87/7d.jpg
http://luftwaffereviews.blogspot.jp/2011/11/junkers-variable-pitch-propeller.html

ユンカース可変ピッチプロペラだそうです。

http://uberjager.blogspot.jp/2014/06/vdm-vereingite-deutsche-metallwerke.html
http://aviationarchaeology.gr/?p=1816
http://www.warrelics.eu/forum/armour-weapons-aircraft-recovery/german-vdm-aircraft-propeller-dorset-18794-2/

VDM 可変ピッチプロペラです。Bf109B,C,D が記されています。
そして実物では以下が見つかりました。

https://farm6.static.flickr.com/5066/5829497671_fd54f3400f_b.jpg

同じエンジンで2種類のピッチ変更機構を
使う事はあるのでしょうか?
あったとしたらそのメリットデメリットは何でしょうか?
ご教示頂けたら幸いです。

百九
1341 連投ですみません。

http://bioold.science.ku.dk/drnash/model/Spain/bf109.html

ここで判りますように100機以上の bf109 がスペインに送られています。
それから BoB では E-1 が参加しています。
そうしたなかで、機首と主翼の Mg17 がトラブルを起こした話は聞いた事が有りません。
(少し古いですが日本の雑誌いくつかと、ネットの中のいくつかですが)

それがエンジンにつけると、まるで駄目になるとは疑問です。
素人考えですが Mg17 がそんなに柔なものだったのでしょうか?

ご教示いただければ幸いです。
1342 ウェルキンについて伺います。
敵高々度爆撃機の脅威がないようだからやーめた、というのは理解できるのですが、それに相前後して、
「仮想敵機たるモスキートに対して主としてロールレートの低さに要因して射撃位置につけなかったこと」をテストし、使わない理由としたことがいまひとつ釈然としません。
モスキートが飛べる高度域ならばモスキートを使えば済むことであり、ウェルキン(やTYPE432は)その上の高度での待機を含めた滞空性能を求められていたわけで、特別な発動機が得られない限りにおいて大翼面積が必須で、待機を考えれば誘導抵抗を減じるために翼幅大は必然、したがってロールレート低も当然であり、性能評価としては同様にロールレート低成らざるを得ない(想定上の)敵高々度爆撃機に対してどうであるか、であるべきのように思われます。
従ってモスキート相手の仮想空戦は関係者を納得させる(するのか?)ための段取りその他、真の性能評価とは別の意図があったようにも思われますが、このあたりについてどなたかご教示いただけないでしょうか。
1343 キ61の冷却器関係についてお伺いします。

現在、各務原で販売されている「飛燕の時代」という本に掲載されているキ61I、キ61II改(角型風防)、キ100の仕様書を書き起こしているのですが、冷却器関係の知識がないため何が書いてあるかほとんど読めません。

ハ40の冷却器の型式が"「アンドレー」管 ??式"?と言うような記載になっているのですが、コレは一体どのようなものなのかご存じの方はいらっしゃいますか?

また、他にも判読できていない箇所が複数あります。
現物がないとなんとも言えないと思いますので、下記URLに編集中のエクセルシートを添付いたしました。
https://www.axfc.net/u/3878365?key=hien

編集完了したら航空機のフォーラム等で公開したいと考えているのですが、もしそれでも構わないよという方がいたら誤読等ご指摘頂ければ大変ありがたいです。
1344 主として太平洋戦争中の日本機で、同一の機体(エンジン)で燃料オクタン価を変えて運転するケースがあったと伝えられています。(例1 彩雲に高オクタン燃料と低オクタン燃料を別々のタンクに入れて、飛行状況によって、切り替えて飛行した。例2 紫電改に、100オクタン燃料を使用すると、飛行性能が向上した)これらはおそらくそういう事実があったものと思います。
 しかしそこで疑問なのは、自動車などでもそうですが、レギュラー指定の車に、ハイオクを入れてもエンジン出力も燃費も何も変わらないように、航空機でも同じだったのではないかと思うのです。それは高オクタン価燃料は、ノッキングを抑制するためのもので、もともとレギュラーでノッキングが起こらないように点火時期等が適合されているエンジンにハイオクを入れても、ノッキングが起きないと言うことでは何も変わらないと言うことになるからです。ハイオクを入れてエンジン出力や燃費を向上させるには、まずは点火時期を再適合(一般に進角側へ再適合)する必要があります。
 ならば大戦中の航空機も飛行中などに燃料オクタン価を切り替える場合、点火時期等の切り替え装置が付いていたのかどうか、あるいは考えずらいことですが他の手段で対応していたのか、その辺りを御存知の方がおられましたら、お教えいただければと思います。宜しくお願いいたします。
1345 四式戦のバリエーションのうちの一つにサ号機がありますが、実際に誉に酸素噴射装置を装備したところどれほど馬力と性能が上昇したのでしょうか?
陸軍と海軍共に同様の装置を製作して試験したようで、海軍の月光に搭載したものは栄20型が150馬力ほど上昇したとありましたが海軍のものと陸軍のものって構造に違いはあったのでしょうか?
栄20型は1150馬力でそこから150馬力近く上昇したなら2000馬力の誉21型は260馬力近く上昇しそうですけど…
月光と疾風以外ではこのような試験はされたのでしょうか?
酸素噴射装置について詳しく記載されている本とかってなにかありますかね?
1346 英米独を念頭に、戦間期から大戦期のいわゆる「酸素マスク」関連でお尋ねいたします。
1 単純常流式、サーババッグ付き常流式、オンデマンド式の前記各国における正式名等おわかりのかたあればお教え下さい(米陸軍サーババッグ付き常流式のみ過去ログで見つけております)。
2 これらの使い分けはどうなっていたのでしょうか。単に年式で進化したのか、機内移動の少ないパイロットと多いガナーとで使い分ける等あったのか、対応高度なのか、搭載可能酸素量なのか、等
3 与圧(程度が弱いものも含む)との関係は
4 一酸化炭素中毒対策でエンジン始動時から装着する場合にも機内空気との混合であったのか、それで中毒が防げたのか、別に用意した清浄空気と混ぜる等したのか、そのその場合の機構は、純酸素のみ吸っていたとしたら酸素中毒対策は
5 予定された(迎撃でない)高高度任務の場合、事前の酸素吸入が(酸素中毒にならない範囲で)有効であることは30年代初頭には判明していたようだが、実際にも用いられたのか
6 日本の回想録ではマスク周りの濡れや氷結がしばしば見られるが、各国でも同様だったのか、対策していたのか

よろしくお願い致します
1347 WW2時のアメリカ陸海軍は対艦水平爆撃についてどのような見解を持っていたのでしょうか?
1348 日本陸軍20ミリ機関砲ホ5について

この機関砲はブローニング12.7ミリ機関砲の拡大版で機関部が大きく主翼に収まりがたいものでしたが、日本海軍「零戦」の主翼でしたらどうでしょうか?
史実として外国でもやらなかったエリコン20ミリ機銃のベルト給弾に成功しましたが、「もし」何かの手違いでベルト給弾化に失敗かつ、日本陸軍ホ5の開発実用化が2年ほど早く急速に日本海軍に回せるほど数が揃い日本海軍が武器弾薬の共有化を重視してホ5の採用に踏み切ったら・・・なんか全然実現しそうもない「妄想」ですが。
零戦52型丙から主翼に13.2ミリ機銃を追加しましたが主翼燃料タンクがなくても機関部が大きくてあの位置に装備せざるを得ないかなと思い、ホ5だったら2つの主桁の間に収まるのだろうか?と
1349 私は旅客機に乗った事はないのですが...旅客機には救命胴衣のような物が備え付けられていますよね? 旅客機は水上に着陸出来ないないのになぜ救命胴衣を装備しているのですか? 最悪の場合は海に着陸することも可能ということなのでしょうか?
1350 毎度のプラモネタですいません。今ドラゴン社のTa154のプラモを作っているのですが、資料を調べていて疑問が生じたので質問させていただきます。
疑問点はエンジン過給機の空気取り入れ口の位置についてです。
ドラゴン社の組説では右翼のエンジンでは左側、左翼のエンジンでは右側、すなわち左右とも胴体側に付いています。一方でWikipediaのTa154の三面図では両翼ともエンジン左側に付いています。また資料によっては両翼ともエンジン右側に付いているものもあり、こうなるともうわけが分りません。
Ta154のエンジンはJumo213Eとのことですので、三番目のが正しいのではないかと思われるのですが、あるいは試作段階ではDB系エンジンの搭載とか考えられていたのでしょうか?
結局量産されなかったマイナーな機体のこととて、1機ごとに形態が異なり「これが正答」というのは無いのかも知れませんが、このあたりの事情に詳しい識者の方がいらしたら、どうか教えて下さい。
1351 主翼のアスペクト比と地面効果について質問です。
超低空飛行で翼端渦が減少するのなら、地面効果機はわざざ高アスペクト比の主翼を採用する必要はないのでは…などと思うのですが、鳥人間などの人力飛行機はなぜあんなに高アスペクト比の主翼を使っているのでしょうか。構造がとても辛そうです。
地面効果と高アスペクト比の相乗効果のようなものがあるのですか?
1352 ハンス・ヨアヒム・マルセイユに関する記述や、硫黄島上空での坂井三郎氏とグラマンの空戦に関する記述で、「ラフベリーサークル」という戦術があったことを知りました。
この「ラフベリーサークル」とはどのような戦法なのでしょうか。
また第二次世界大戦当時、「ラフベリーサークル」以外に編隊空戦の戦法として、どのようなものがあったのでしょうか。
1353 既出だったら済みません。二号零戦(三二型)の航続距離問題が二二型で解決されて以降も、中島飛行機で旧式化した二一型の生産が延々と続けられたのは何故でしょうか。

栄一二型から二一型、零戦二一型から二二型への生産ライン転換はそれ程大事とは思えませんが、やはり生産空白期間を作らないためだったのでしょうか。
1354 ハ145について聞きたいのですが。
これが昭和18年6月以降に飛行していたとすれば、この時点で二段三速過給機を備えた誉ができていたということになります。
で、これのソースが怪しいんですが烈風は誉41型が本命、一枚落ちて22型、落ちに落ちて試作機が11型、と聞いたのですが、18年6月時点で誉41型相当が空を飛んでいるのになぜ烈風は11型相当で飛んだのか?
またキ84-4がハ45-44で計画されましたがそれまで。
二段三速過給器は使い物にならなかったのでしょうか?
1355 大日本帝国海軍機の気化器、油冷却器の空気取入口の位置の決め方について教えてください。

十四試局戦、強風、烈風(誉搭載)、電光のようにカウリング内に開口している機体がある一方で、天山、銀河、流星、天雷のようにカウリング外に開口している機体がほぼ同時期に開発されているように思えます。

これらの違いは何に起因するのでしょうか。
空技廠の指導によるのでしょうか。それとも設計チームの考え方の違いなのでしょうか。
1356 http://alternathistory.com/files/users/user675/istrebitel_messerschmitt_bf_109b-19.JPG

この画像の右半分で、足を乗せるところは(方向舵ペダル)で良いと思うのですが。
左右のペダルを繋ぐ棒状の部品の名前、若しくは全体の名前は何と言うのでしょうか?
ご存知の方お教え願います。
1357 旧日本軍の酸素噴射装置の研究って中島以外に行ってたところってあったんですか?
この間ヤフオクで見つけたものの購入できなかった資料ですけど、出展者の説明によると愛知飛行機が海軍から雷光の開発を命じられた際に中島から酸素噴射装置の説明を受けた時の資料だそうでした
http://buyee.jp/item/yahoo/auction/f254642182
つまり中島開発の機体じゃなくで酸素噴射装置は中島系列と思われるものが多いということだと思ってたんですけど
日本軍機で酸素噴射装置を搭載した、あるいは予定だったのはキ43-2型、月光、疾風、陣風、雷光、キ96で
このうちキ96だけは機体は川崎でエンジンは三菱で中島が関わる余地がありません
これはつまり三菱、もしくは川崎にも酸素噴射装置の技術があったということですか?
ちなみにイカロス出版のミリタリー選書14の陸軍機特集では疾風サ号機とキ43の酸素噴射装置サ一(43年版でポンプ式)およびサ二(44年版で圧力式)の開発者はともに八田龍太郎さんによるものと記載されていましたのでこの方が酸素噴射開発のボスなのかな?
中島に他に酸素噴射装置の開発チームってあったんだろうか…
あと月光も酸素噴射装置搭載して試験してましたけどこれの開発時期やどの企業がやったかわかる方はいますでしょうか?あれって海軍技術廠が弄った可能性ってありますか?
1358 二式戦闘機『鍾馗』2型丙の機関砲の射撃装置は、どこにどのような形でついていたのでしょうか。
鍾馗の操縦桿には空戦フラップの作動ボタンがついていたようですので、射撃装置があるとしたらスロットルレバーだと思いますが、空戦フラップが廃止されたとされる後期型でも同様だったのでしょうか。
よろしくお願いします。
1359 重爆や陸攻が要人輸送に使われることが多々ありましたが、規定外の人数がどのように座席についたのでしょうか。

補助席が取り付けられるようになっていたのか、それとも偵察員や無線手、搭乗整備員などが席を譲って自分たちは体育座りしていたとかでしょうか?
1360 陸上哨戒機東海ですが、現場パイロットなど運用側からの評価はどうだったのでしょうか?
1361 第二次大戦時のソ連の双発爆撃機は木製部品使われてたのでしょうか?
使われてるとしたらどれくらいの割合でしょうか?
1362 海軍の試製陣風について質問ですけどエンジンを誉42型とするという決定はいつ頃下されたものなのでしょうか?
モックアップ製作は19年6月ということはそれよりも前だと思いますけどその頃はまだ酸素噴射装置は栄でテスト中だったようですけど…
ついでに電光のエンジンに酸素噴射装置を搭載というのもいつ頃の話か分かる方いないでしょうか?
1363 ケストレル搭載のBf109A(Bf109V-1)の電装系はどうなっていたのでしょうか?
1364 大戦間期ぐらいに見られた発電用風車について一般的なところを伺います。
バッテリーと併用されるものだったのか、(ある種の自転車のライトのように)単用されることもあったのか。
また、バッテリー併用の場合、エンジンで発電するのではなくあえて風車にする理由は奈辺にあったのか。
電装系全般に使うのが普通だったのか、燃料ポンプ等、特定の装備に使われることが多かったのか。
あらましをお教えください。
1365 航空機関砲のホ-203についてお聞きしたいのですが、ホ-203の使用弾薬と榴弾の炸薬量についてご教授頂けないでしょうか?
1366 最近いくつかの写真を拾いまして、気に成った事の内の一つですが。
http://www.asisbiz.com/il2/Bf-109D/Messerschmitt-Bf-109/pages/Messerschmitt-Bf-109B-03.html

主翼付け根付近にあるのは、潤滑油の三角マークと思うのですが、
この機体は何なのでしょうか。
ご存知の方ご教示ください、お願いします。
1367 一二試艦上戦闘機で要求兵装が20ミリだったのになぜか対爆撃機用の一三試局地戦闘機で13ミリに変わり、一四試局地戦闘機では20ミリに戻っています。
 これはどういう理由でしょうか?
1368 疾風試作一号機の主翼武装について質問なのですが、2017年1月号の丸の飛燕特集の時に試作一号機の19u翼には20oホ5は搭載できなかったという記述がありました。
しかしながら昭和16年10月の富田技師によって作成された次期飛行機試作状況なる表の中ではすでに後に鍾馗III型と計画統合されるキ63の要求の時点で主翼にホ5を搭載することが要求されており、昭和17年の航技報に記載された重戦研究計画においても次期主力戦闘機は胴体には13o機関砲2門、主翼には20o機関砲2門搭載してエンジンはハ145(時期的に誉21型のこと?)とすることを中島に要求していました。
このように事あるごとに次世代機に20oクラスを搭載することを要求してきて、中島もそれに答えられるように設計をしていたのでしょうが、実際に疾風試作一号機で主翼に20oクラスを搭載できない設計だったのはあり得るのでしょうか…?
疾風の19u翼は新規開発ではなく鍾馗III型の19u翼の設計からの流用だったという話もありますし、その鍾馗III型は武装がキ63時代から20oクラスを搭載することを求められて、実際に甲では20o4門と言われてますから設計上では搭載できると個人的に思うんですけど…
それとも鍾馗III型も20o搭載できなかったのでしょうか?一応第一復員局が1947年に作成した陸軍航空技術沿革史では鍾馗III型の武装がホ103×4となってますが、これもにわかには信じがたいと言いますか…
1369 第二次世界大戦中の戦闘機や爆撃機や攻撃機などの飛行について聞きたいのですが、当時の操縦において計器のみを見て飛行することはあったのでしょうか?
1370 いわゆるキ44-III型はいつ頃完成して、そして何機生産されたのでしょうか?
多くの市販本では昭和18年6月に完成して、少数生産、もしくは1機のみ生産とあります(1機はおそらく吉沢准尉の航空情報でのインタビューがソース?)
しかし審査部の木村航技少佐の残した資料ですとまるで違うようなことが書かれています

17年11月16日の記録ではキ44III型の生産予定員数は5機で、3号機は11月中旬完成予定、53号機?54号機?はどちらも17-12上旬に完成予定とありました。
そして17年11月19日の記録ではキ44III型は来月上旬(17-12?)に飛行可能と書かれてて、武装は胴体は13oだが、主翼武装は13oを止めるかどうか至急決定ノコトと書かれて、11月20日には駒村少将武装は13o×4と言っていたそうで
17年12月5日でもなおキ44-3は5機と記載され、完成予定が3号機は17-11上・中・下、12月中下に53、54号機とありました
年明けの18年1月23日P882のB-17対策会議の記録では駒村少将がキ44-3は初期目的達セリ、Vi 10km/h低下、Vmax 5km/h低下とあり、
3型についての最後の記述が18年3月16日で審査予定に関しての話で、キ44-3は3月審査予定となってます

17年12月に入っても3号機の完成時期が訂正されてなくて、しかも審査も18年3月と疾風試作一号機とほぼ同時期ということは本当に11月中に出来上がった可能性があるのでしょうか…?
一般の18年6月説がたとえ審査開始の時期だったとしても3か月以上も食い違ってたのでどちらかが間違いなのだと思うんですけどどちらなのでしょうか…
それともキ84無印とキ84-I型甲が別であるようにナンバリングが振り直されたのでしょうか?
確かに一般に言われてる3型の武装と木村少佐の手記の武装とは異なってますけど…
1371 (Revi C/12A) は、下ですが、
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Revi_C12-A.jpg
https://www.deutscheluftwaffe.de/wp-content/uploads/2017/03/Fl.52108-1.jpg

そうすると、A型の製造番号(808)の機体では、
風防の下をくぐらせて取り付けている様に見えます。
https://me109.info/display.php?from=site&lang=de&auth=e&name=version_display&fotonummer=5027
https://me109.info/display.php?from=site&lang=de&auth=e&name=version_display&fotonummer=1497

しかし(従来 B-1と間違われていた)A型の(6-15)では、
照準器は(C/12A) に見えますが、
https://www.scalenews.de/wp-content/uploads/2017/05/messerschmitt-bf109b-1-walkaround-038.jpg

風防の前後を見たかぎりでは、前に何もない様です。
http://alternathistory.com/files/users/user4907/Captured%20Me%20109s%2001%2004.jpg
https://www.scalenews.de/wp-content/uploads/2017/05/messerschmitt-bf109b-1-walkaround-009.jpg
https://www.scalenews.de/wp-content/uploads/2017/05/messerschmitt-bf109b-1-walkaround-033.jpg

見つけた画像から推測するのですが
これは(C/12A)のサンフィルターと受け皿を取り去った物を
取り付けたと考えれば良いのでしょうか?

(6-15)の写真のある所。
https://www.scalenews.de/messerschmitt-bf-109-b-archiv-fotos-walkaround/
http://www.moskittech.ru/messerschmitt-bf-109b-1.html

照準器を集めた所。
http://gunsight.jp/b/1/sight-g.htm
https://www.deutscheluftwaffe.de/beobachtungsgeraete
http://www.deutscheluftwaffe.com/instrumente/katalog/revi/revi.htm

他に情報をご存知の方、ご教示ください。お願いします。
(本とかサイト等)
1372 ハ145についての質問です
以前ここでハ145は時期によっては誉21型を指すことがあるということを知りましたが、丸編集部が出した図解・軍用機シリーズ7の疾風回にてキ44-3型についての説明で
「鍾馗は発動機をハ145(誉10型)あるいはハ45(誉11型)に換装して~」
とありました。ハ145は時期によっては誉10型を指したことあるのでしょうか?
1373 零戦52型丙についての質問です。
52丙の生産は三菱と中島の双方が行っていたようですが、
写真を見ていると52丙と特定される零戦は
側面の迷彩が中島製の塗りわけパターンになっているものばかりで
尾翼下まで暗緑色になっている三菱製の塗りわけが見つけられませんでした。

もし52丙で三菱製の塗りわけがされている写真をご存知でしたら
掲載されている書籍などを教えていただければ幸いです。
1374 震電の機銃についての質問です
確か丸かどこかで読んだのですが、震電には30mmが2門射撃モードと4門モードがあると読んだ記憶があるのですが
この撃ち分けってトリガーが2つあるのですか?それともスイッチで切り替えるのでしょうか?
1375 ご機嫌よう御座います。技術的にいって航続距離無限大の航空機は可能でしょうか。かつてそういった計画や構造は存在したのでしょうか。
1376 誉関連の開発史などでよく誉開発は栄が実験室で1400馬力運転を達成することができたから〜云々と言った記述を目にします
この1400馬力運転を達成できた栄というのはどのような改造が行われたのですか?
単純に過給機ブースト圧を上げればいける馬力なのでしょうけど栄の許容ブースト圧がが250oHgで誉11型が400oHgとかなり差がありますし栄のシリンダーのままではうまくいきそうにはないように思えるのですが…
また、誉11型から21型で許容ブースト圧がさらに100oHg上昇していますが、これは冷却フィンなどを採用できたおかげなのでしょうか?それともシリンダー自体を再設計したとか…?
1377 現在、イギリスのR 38飛行船について調べています。
その中で、R 38の計画では連装機銃を12機装備するとなっています。
この連装機銃とは、どの銃を指しているのでしょうか?
1378 ホーカー・ハリケーン戦闘機について質問いたします。
ハリケーンの機体の後ろ半分は木骨・布張りでしたが、材料は何でしたか?
モスキートは合板(いわゆるベニヤ板)でできていたそうですが、ハリケーンはオークでも使っていたのでしょうか?
布張りはキャンバスだったと思いますが、ジーンズのような材質だったのでしょうか?
1379 WWIIでは、輸送用の大型グライダーがありましたが、機体の材料は何でしたか?
ちなみにwikipediaによると、英軍で最大のグライダーであるハミルカーは7トンもの貨物を積むことができて、全木製と書いてありましたが、具体的な材質の記載はありませんでした。
1378に引き続く素人質問ですが、よろしくお願いします。
1380 瑞雲の搭載機銃の弾数がわからないので助けてください
1381 個人的に疑問になったのは陸軍はなぜあそこまで病的に主翼にバルジを搭載することを嫌がっていたのでしょうか?
空戦性能が下がるとはよく耳にしますがどれほど性能が下がるのでしょうか?
海軍の零戦なんかは99式20oを搭載する際に1型はドラムマガジンだったのでバルジをつけて対処していましたし、初期の飛燕でも多少の突起が見受けられます
飛燕2型の開発では20o機関砲を主翼に収めるためにバルジを採用しないでわざわざ主翼を2uほど拡大しようとしてましたが、それによる重量増加はバルジ設置よりも影響が少なかったのでしょうか?
ちなみに疾風に30oを搭載したときやキ60に20oを搭載した時はバルジを付けて対処していたでしょうか?
1382 大日本帝国海軍の航空機の開発に関する考え方について教えてください。

本命視していたエンジンの開発が遅延し、ひとまず保険のエンジンで機体の開発を始めなければならない事態になったと仮定します。
その保険のエンジンが本命のエンジンよりも重く、燃費も悪かった場合、機体の設計に対する要求はどのようになるのでしょうか。

例えば、以下の3つのようなやり方があるのではないかと考えております。
@本命のエンジンに適した機体として設計する。保険のエンジンに対して機体規模が過少となることによる弊害には目をつぶる。
A保険のエンジンに適した機体として設計する。本命のエンジンに対して機体規模が過大となることによる弊害には目をつぶる。
B本命エンジンの開発完了まで機体の開発を延期するので、仮定した状況には陥らない。
1383 昭和15年頃から19年末までの日本陸軍機の操縦席、あるいは機体内部に塗られていた塗料、塗色に関しご教示頂きたく、投稿致します。

今年始めに横浜で開催されました「零戦についての深いはなし」を大変興味深く拝聴致しました。当時の国産塗料は時間が経つと遍く黄ばんでしまい(特に軽金属塗料)、現在に残るものは程度の差こそあれ、クリアー部分が劣化して酷く黄ばんだものか、侵食によりクリアー部分がなくなり顔料のみが表面に露出し白化したものかのいずれかであるというお話はとても面白かったです。また、軍用機の塗料は、どのような「彩色」を施すのか、という考え方ではなく、機体の場所、材質、構造に適う用途、目的を持った塗料で塗る、という機能面をメインに考えており、航空機メーカー、機種別に塗られている色が異なるということはなく、どの機体においても陸軍、海軍の枠組内であれば基本的に操縦席、羽布、機体内部、外部の下塗り、上塗り、迷彩等は同一の規則に従って適切な塗料を用いて塗装されていたということにとても納得致しました。

ここで疑問に思いましたのは陸軍機の操縦席を含む機体内部に施された塗装についてです。プラモデルのペイント指示書などには明るめの緑色、黄土色など、機体製造メーカーにより操縦席に塗装される色が異なるという説に基づいているように見受けられます。一方で学研の書籍では灰藍色、灰緑色(青みがかった灰色)が陸軍機の機内色用いられたとあります。

零戦の「飴色化」と同様に灰緑色の劣化による「黄土色化」が飛燕のプラモデルの指示書にある黄土色説の根拠であるとするならば、中島製一、二、四式戦の操縦席付近の緑色説は現存部品、機体に残る灰藍色(灰色+濃い青色)が経年劣化し、灰色がかった「緑色」(灰色+青色+黄色=緑色)が根拠とされてしまったのではないかと考えております。海軍機の操縦席が淡緑色に塗られていたこともあり、黄変化した灰藍色の現存機/パーツを見て操縦席が緑に塗られていたと判断するのはとても自然ことかと存じます。そうすると陸軍機の操縦席は末期の黄緑七号を除いて、基本的に緑色で塗られたものはなかったのではないか、と悩んでおります。

上記疑問につき、私の不見識、頓珍漢な点、多々あるかと存じますがご指摘、ご教示頂けたら幸甚です。何卒よろしくお願い申し上げます。

1384 誉のブースト圧制限の理由はオクタン価(→ノックの発生)にあったのでしょうか?(そもそも旧軍で具体的な原因箇所や要素が特定されていたのでしょうかね?)
確か運転制限の「直接的」理由は「高ブースト時に筒温異常上昇と振動」ってどこかで見たんです(記憶違いだったらすみません)
これって明らかにノックの発生ですよね
(91オクタン燃料で水メタノール噴射をしてもまだアンチノック性が不十分で100オクタン相当には程遠い?)

栄には95オクタン燃料時の高ブースト圧があり、ハ115-2に相当するブースト圧で回していたそうですから、水噴射付栄とかはあくまで91→95オクタンを狙ったものでしょう
誉も実態としては、91オクタン燃料に水メタノール噴射を併用しても95オクタン相当ぐらいにしかならなかった、というのが考えられませんか?
誉の吸気圧制限の「根本的」原因の特定について何か知っておられる方はいませんか?
1385 疾風の主翼の構造についての質問です
疾風の主翼前縁の67リットルの燃料タンク部分の小骨の間隔が主翼後部のものと間隔がズレていたのは何故でしょうか?
18u翼だった試作1号機の主翼にも量産型とほぼ同じ67リットル前縁燃料タンクが採用されていたので、その時の名残りなのでしょうか?
https://i.imgur.com/XMCGNF2.jpg
1386 三式戦闘機一型丁ではホ5機関砲弾の腔発・早期炸裂事故の対策として機種上面あるいはブラストチューブを装甲化したと聞きます。
同様な事故に悩まされたホ103については空気式信管の採用で事故は激減したそうですが、ホ5についても改善したのでしょうか。
改善したとしたら、上述の保護策の撤廃などは行われたのでしょうか。
また空気式信管採用前のホ103搭載機には同様の保護策が考えられていたのでしょうか。
どなたかご教授ください。
1387 WW2時日本ではアルミの節約のため木製や鋼製の機体が試作されていますが、布張りの機体の研究と言うのはされなかったのでしょうか?
1388 はじめて質問します。桜花は、桜は旧字体だと櫻と書きますが、戦時中にはどう表記されていたんでしょうか。おおむね新字体が旧字体に変わったのは戦後だと認識しているんですが、現在の資料は新字体で統一されていると思います。だとすると、あらゆる軍事関係の資料は当時戦時中は、旧字しか存在していなかったことになると思うんですが、実際の戦時中の使用表記は何と書いてあったんでしょうか。
1389 飛行機の動翼の回転軸より前にも翼が付いたものを、釣合舵とかバランスラダーと言うのを知り、効果も知れたのですが、
スピットファイアのように尾翼の先端がそうなっているものと、尾翼の中央がそうなっているものでは、それぞれどのようなメリット、デメリットがあるのですか?
1390 的外れな質問になってしまったらすいません。
太平洋戦争中、横須賀近辺で作られていた空冷星形複列14気筒エンジンてなにかありかますか?
1391  太平洋戦争中、日米とも航空機の輸送は主として船舶でなされたと聞きます。
素人考えだと飛行機なんだからそのまま飛行して空港に着陸したほうが輸送は合理的ではと思ってしまいます。
 そうならない理由を教えてください。
1392 日本軍の夜間戦闘機についての質問です
日本軍は陸海軍ともにB-29の夜間迎撃のために斜銃を搭載しての夜間戦闘機を運用していましたが
このうち月光以外の既存の複座機から改修された機体、つまり彗星、彩雲、百式司偵、屠龍などの機体は斜銃を追加しての夜間戦闘機として運用されたものは一人で運用していたのでしょうか?
それとも後部機銃手も乗り込んで運用していたのでしょうか?
彗星や一部の屠龍は後部機銃を外してその部分の斜銃を搭載しているけど索敵などの面で複数人居た方が索敵的な意味で有利に思えますが実際はどうしていたのでしょうか?
1393 お世話になっております。ひさびさの質問です。
日本陸軍航空隊はなんでロケット弾を使用しなかったんでしょうか?
海軍はロケット弾を何種類か使ったようですが、陸軍は地上兵器としては使ったのに航空用はありませんよね。
海軍や米軍が使ってるのを見て自分らも使おうと思わなかったんでしょうか?
1394 度々お世話になっております。空母の発着甲板で機体が待機する位置について、ちょっと疑問に思ったので教えていただければ嬉しいです。

発艦時は甲板の中心線上を走っていくとすると、中央列以外の機体は走り始めにまず中心線まで合わせる手間があると思うのですが、直掩で戦闘機を2〜3機待機させておくだけなら、最初から中心線一列に並べておけば余計な手間が無いかな…などと思ったのです。しかし、実際にそういう例を見た事がありません。模型の作例なんかは、主に大量の攻撃隊が互い違いに並んでいることが多いですし(私も自分で作るならそっちにしてしまいますし…)
1395 慣性起動装置によるエンジン始動についての素朴な疑問です。
イナーシャの回転数が充分に上がったところで「コンタクト」と大声で言いながらクラッチを繋ぐ、と言うような趣旨の記述をしばしば目にします。単機の場合なら理解できるのですが、空母上などで多数の機体が同時にエンジンを始動する際の排気音は相当なもので、声による伝達は難しいと思われ、以下のような疑問が出ました。
@イナーシャの回転数が充分に上がったことを、整備員は操縦者にどのように伝達したのでしょうか。
A操縦者は整備員に「コンタクト」することを、どのように伝達したのでしょうか。
私の思い込みや勘違いがありましたら、御容赦下さい。
1396 97艦攻の魚雷搭載方法についての質問です。
プラモを作ったところ、魚雷の位置が機首から尾翼にかけての中心軸ではなく、やや右主翼よりとなっていました。
実際の搭載の仕方も、そのような形だったのでしょうか?
そして、もしそうであるのなら、どのような理由からそうなったのでしょうか?
天下のハセガワ製なので、プラモメーカーのチョンボ、という線は考えにくいのです。。。
1397 Bf109の日本のWikipedia記事に書かれた「世界で初めて一撃離脱戦法を前提に開発された」という記述について質問です
同じWikipediaの英語版やドイツ語版には
「機体を軽くして更に翼面荷重を高くすることで高速を追求した」とは書いてあるものの
それがすなわち「一撃離脱戦法を前提にしたからだ」とは一言も書いていませんし
「Bf109 一撃離脱」で検索してもそうじゃないとする説や反証が多く出て来るので疑問に思っています
「Bf109は世界で初めて一撃離脱戦法を前提に開発された」というのは
信頼性が高い研究などを含めて大局的に見て現在でも定説のままだと言えるんでしょうか?

また、仮にBf109が一撃離脱戦法前提の戦闘機だったとしても
「近代的な単葉引き込み脚の高速重視の戦闘機」の先輩としてはI-16が存在しますよね
ジービーレーサーに似た寸詰りの胴体を採用してまでとにかく高速を追求し
スペインでもノモンハンでも高速を武器に戦った戦闘機が高速一撃離脱を重視してないとは到底思えないのですが
I-16は「世界で初めて一撃離脱戦法を前提に開発された戦闘機」ではないのでしょうか?
1398 質問してばかりですみません
翼型についての質問です。
NACA Mシリーズの読み方,違いを教えてください。

翼特性の
c.p. c.p. Cm(下付き)a.c. の意味も教えてください。
1399 大戦期の戦闘機の補助翼形状について質問です。
ここや詳しい人の話ではしばしば「零戦や隼の補助翼は幅が大きく、特に細長い」、これが高速時の操舵の重さに繋がるという話があります。たしかに迅速な横転を可能にする欧米機のものはどれも寸詰まりで幅の割に大翼弦の補助翼である印象を受けます。しかし一方でF6F-3などは折り畳み翼の関係上補助翼幅を大きく取れず大翼弦のものになり操舵が重いものとなった、など大翼弦のものは操舵が重いかの様な事例が見られます(F6Fは折り畳みのせいで操縦系統も複雑化し悪化したともありますが)。補助翼のアスペクト比は高速時の操舵性にどの様な影響を及ぼすのか改めて教えてください。翼型にもよるでしょうが、高速戦闘を行う戦闘機には同じ補助翼面積でもアスペクト比の大きいものより小さい方が好ましいのでしょうか。
1400 度々お世話になっております。
秋田県の田舎に住んでおりまして、自衛隊機は稀にUH-60かU-125Aを遠くに見かける程度です。
しかし今朝、どう見てもF-15にしか見えない姿が2機で頭上を飛んでいくのを見かけました。
写真を撮ったわけでも無いので見間違いじゃないかと言われても反論はできないのですが、
低い高度で真上を通過したのでよく見えましたし、少なくとも戦闘機なのは間違いないシルエットです。
県内の基地には戦闘機の部隊はいないはずなんですが、そういう事ってあるもんでしょうか?

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