1322 大陸進出時の飛行第22戦隊機の塗装を御存じの方がいらっしゃったら御教示願えないでしょうか?

自分が画像で見た事が有るのは、終戦時朝鮮半島で残置された機体のみです。それは上面、側面を濃緑色ベタ塗り迷彩かまだら迷彩をしたと思しき機体で垂直尾翼に戦隊マークを塗装しています。自分が知っている範囲では22戦隊は本土へ引き上げる折に85戦隊へ機材を引き渡したという事で22戦隊マークがして有るのが非常に疑問です。愚考するに、大陸進出時に不調で有って捨て置かれた機体なのかな?とか思います。

情報等では、洋書で戦隊長岩橋大尉が戦死した時の機体は三色雲形塗り分け迷彩というのを見た事が有ります。最近では模型のパッケージでそれと思しき物も見ます。それは、見慣れない迷彩パターンで戦隊マークが有りません。

で、質問です。

1.画像を見られた方にですが、どの様な塗装だったのでしょうか?
2.戦隊マークを描かないというのは有りえたのでしょうか?
暇人

  1. 22戦隊は19年3月に機材と人員を審査部から抽出して編成された部隊ですが、編成後の19年4月にも、さらに戦地に出ることが決まって機体上面に二色迷彩を施した後にも、審査部の実験機が行っている尾翼には部隊マークなしで機体番号を大きく表示する様式がそのまま踏襲されています。

    岩橋少佐機の残骸を調査した連合軍の報告からも、上面二色迷彩、尾翼には機体番号だけで部隊マークなしであることが読み取れます。

    その後19年10月に内地に部隊が帰還して機材を一新してから、尾翼に菊水のマークが描かれるようになります。

    終戦時に22戦隊と85戦隊の機体が京城金浦で並んで写っているのは、そこに本土決戦に備えるための両部隊が配置されていたからです。
    22戦隊は19年秋に中国大陸から引き上げてからさらに色々あった末にそこにいたのです。


  2. 有難う御座います。

    撃墜された機体を調べた連合軍の記録が有ったのですね。それは知りませんでした。二色迷彩だったのですね。

    京城の機体もてっきり残置或るいは放置された機体かと思っておりました。


    暇人


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