1355 大日本帝国海軍機の気化器、油冷却器の空気取入口の位置の決め方について教えてください。

十四試局戦、強風、烈風(誉搭載)、電光のようにカウリング内に開口している機体がある一方で、天山、銀河、流星、天雷のようにカウリング外に開口している機体がほぼ同時期に開発されているように思えます。

これらの違いは何に起因するのでしょうか。
空技廠の指導によるのでしょうか。それとも設計チームの考え方の違いなのでしょうか。

冷泉

  1. 滑油冷却器は当初、前面投影面積を小さくする目的で出来るだけ突出させないように設計されています。それが後期の設計になると冷却不足のために外部に突出するようになります。
    カウリング内に収めるようにした、零戦32型、一式戦二型、烈風、烈風改、彩雲、そして疾風といった機体はカウリング内収納の試作形態から、量産機では胴体外に突出させるように改められています。
    これらは、そのようにして大丈夫だとの資料を提供されて設計したものが、実用実験上で結果が良くないために突出型に改められています。
    BUN

  2. BUN様

    早速のご回答ありがとうございます。
    カウリング内に収納された滑油冷却器は、高速を達成するための新しい工夫として、軍からの資料提供に基づき導入されたものなのですね。

    ところで、当初から突出型の滑油冷却器を備えていた機種が存在する理由はなんでしょうか。
    当初から冷却不足の懸念があり、あえて突出型の滑油冷却器を採用したのでしょうか。それとも、単に必要がなかった(突出型でも要求速度を達成できる見込みがあった)からなのでしょうか。
    冷泉

  3. 突出型の方が設計・工作・整備ともに楽になります。

    あと滑油冷却器って意外とでかいです。エンジン後方は補器類のほか燃料・滑油タンクや武装など色々詰め込まれて余分なスペースがないです。

    突出型の滑油冷却口でも内部は拡散ダクトになってて冷却器本体は半分ほどカウリング内部に埋め込まれていたりと、それなりに抵抗低減の工夫はしてます。
    超音速

  4. 超音速様

    ご回答いただきありがとうございます。

    滑油冷却器のサイズには思い至りませんでした。
    手元の図に定規を当ててみると、紫電で30p×60p程度、零戦52型や九九艦爆22型で30p×30p程度でしょうか。
    零戦と九九艦爆の冷却器をこれ以上埋め込もうとすると、冷却器本体かダクトが補器類とぶつかってしまいそうです。補器類を避けて後ろにずらすと、今度はタンクや弾倉と場所の取り合いになってしまいますね。

    滑油冷却器をカウリング内に収納すると、機首内部の設計の自由が損なわれ、かつ工作・整備面でも不利になる。
    それでも速度性能を求めるときに収納型が選択され、そうでない時は突出型が選択されるということですね。

    よく勉強させていただきました。ありがとうございます。

    冷泉

  5. 気化器空気取入口はカウリング先端に開けラムエアダクトとするのが一般的ですが、カウリング内部に吸気口を設けた機体もありますね。
    一式陸攻の11型までは滑油・気化器ともにカウリング内吸気としたものの22型以降はエンジン出力強化で吸気量が増えたのか従来の外部吸気口タイプにされています。
    フォッケウルフFw190もカウリング内吸気ですが、防塵フィルター付き外部吸気口タイプでは全開高度以上でエンジン出力が向上したそうです。Fw190の高高度性能の悪さって吸気口位置が原因だったんじゃないの?と疑っております。
    この方式はどうも相性の良し悪しがあるようですね。
    超音速

  6. 超音速様

    ご回答いただきありがとうございます。
    また、お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。

    自分でも調べてみましたが、九七式重爆II型、九八式陸偵11型、九九式襲撃機、十二試艦戦、百式司偵I型もカウリング内吸気でしょうか。そして、九八式陸偵十二試艦戦、百式司偵はより大出力のエンジンへの換装とともにカウリング先端に取入口を移しています。やはり、吸気不足になるという見通しがあったのでしょう。

    しかし、これらの機体はカウリング内吸気でも一定の性能を発揮していたように思えますし、一式陸攻が11型→22型で性能が向上したかと言われると疑問が残ります。
    しかし雷電や強風、烈風のようにうまくいっていない機体もありますから、ご指摘の通り、相性の良し悪しがあるということなのだと思います。
    冷泉

  7. 一式陸攻二二型は、性能向上分を燃料タンクの防弾ゴムや動力銃座と装備で相殺してしまっている感じです。本来は速度を向上させたかった機種なのだけれど、そうして得た分が生残性のために費やされてしまっています。



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