1469 十七試陸上戦闘機J3Kと性能標準に関して調べていて、海軍における機種の種別を中心に、いくつか疑問点がありましたので質問させてください。
また、以前建てたJ6Kの武装の話とは内容が異なるため、質問を新たにさせて頂きましたがお許しください。

前回1464でJ6Kの武装について質問させていただいた際に、片さんから「BUNさんの書かれた性能標準(http://www.warbirds.jp/truth/seinou.html)の記事と見比べると良い」というアドバイスを頂き、情報を時系列ごとに並べてみたところ新たにいくつか疑問が発生しました。



まず、陸上戦闘機という名称が与えられる機体について疑問があります。
十七試陸上戦闘機の「陸上戦闘機」という区分はS15「航空機種性能標準(修正第一案)」にもS18年「航空機機種及性能標準(案)」にも見当たりません。
月光は十三試双発陸上戦闘機、雷電は十四試局地戦闘機、紫電は十五試水上戦機陸戦案→仮称一号局地戦闘機であることを考えると、陸上戦闘機というのは陸上運用する局戦以外の戦闘機を指す語なのかと思いますが、正確な定義などあるのでしょうか。



もう1つは十七試艦戦/陸戦/局戦以降の戦闘機区分についてです。
性能標準から艦上戦闘機の欄が消えたS18年「航空機機種及性能標準(案)」ですが、A戦の記事欄に
『将来「プレシュアーケビン」に依り12000m以上となりたる場合は艦戦と機種を区別す』
とあります。

この一文に艦戦という語があるのを見るに、「用地ごとの要求の差別化をやめて、艦戦も陸戦もA戦の中の小区分にした」と解釈できますが、これで良いのでしょうか?

もしくは艦上戦闘機=零戦は別区分として存在するものの、十七試艦戦の陸上機化を見越して、新たな艦戦の開発予定がなくなったために省かれたのでしょうか?
(この場合、紫電改の艦戦化計画の扱いが気になります)



それに付随してもう一つ知らなかったことがあり、十七試計画と呼ばれる一連の機体の発注と「航空機機種及性能標準(案)」の作成日は同じくS17年度かと思うのですが、肝心の日本海軍における年度がいつからいつまでを示すのかを知らないことに気づきました。
基礎的な質問でお恥ずかしいのですが、当時の日本海軍でも、現在の日本で一般的な4月始まり3月締めの年度という認識で良いのでしょうか?


度々の質問となり恐縮ですが、ご存知の方がいらっしゃいましたらご教示いただければ幸いです。
Shusui

  1. 上記内容に抜けがありましたので補足いたします。
    航空機機種及性能標準(案)(練習機及飛行船を除く)は、昭和十八年二月二十五日付のものです。
    連投失礼いたしました。
    Shusui

  2. 陸上戦闘機という機種は当初は局地戦闘機も陸攻護衛用長距離戦闘機も含めた大きな概念でしたが、昭和十七年に計画された陸上戦闘機はその後の甲戦に繋がる単発戦闘機です。十七年に航空戦の様相を反映して艦戦とは異なる陸上単発戦闘機が必要との意見(これはちゃんとした文書が残っています。)が現れ、それを反映して十八年のA戦/甲戦へと発展します。
    陸戦の概念は二つあるのです。

    そしてA戦、B戦と従来の艦戦、局戦との違いは高高度性能への要求と航続距離にあります。これもそれぞれの概念がどう異なるかを示した資料があります。
    ところがA戦、B戦の概念を受け継いで正式に通達された甲、乙、丙戦の定義はきわめてシンプルなものであまり細かいことは言わず、戦術的用途は何か、夜戦か否か、といった区分へと変わり、しかも「このような機種を甲戦、乙戦と呼んでもいい」といった漠然としたものとなります。
    このため艦戦、局戦といった機種名は消滅しないのです。
    複雑ですが、それだけ戦闘機の区分は揺れ動いていたということでもあり、大まかに言えば陣風(陣風の簡易版のような紫電改も名目上は乙戦と呼ばれながら「甲乙戦」といった中途半端な呼び方で区分されることがあります。)のような単発戦闘機が甲戦、天雷や震電のような双発または特殊形式の戦闘機が乙戦といったかたちに緩く分かれて行きます。

    また海軍の年度は4月始まりの会計年度です。
    けれどもまた厄介なことに会計年度を冠称した試作計画も、必ずしもその年度内に計画要求書が交付され試作発注されているとは限りません。
    戦時中の計画はスパッとわかりやすく動いてはいないのです。

    BUN

  3. >>BUNさん
    ありがとうございます!

    つまり十七年までの陸戦とは、十三試双戦と十四試局戦の組み合わせのように陸上航空基地で運用するための矛と盾をあわせたような用語ということなのですね。

    「艦戦とは異なる陸上単発戦闘機が必要」という点に関して、当時の海軍では長距離侵攻時に陸攻に随伴できる戦闘機が必要になり、十三試双戦が発注されたものの、艦戦である零戦が長距離護衛任務を果たしてしまっていたが故に、十三試双戦は陸偵に変わった、という認識ですが、その状況で単発の陸戦が必要とされた事情が気になります。

    文書が残っているとのことですが、公開されている文書でしょうか?
    もしくは、雑誌や記事等で拝見できるものなのでしょうか?
    差し支えなければ、文書名や手がかりを教えて頂けますと嬉しいです。


    A戦/B戦では与圧操縦席を搭載する目論見が見える点と、「進攻距離500浬(926km)以上にして全力0.5時間の空戦」を要求していますね。
    これは長距離飛行でパイロットを疲労困憊にしたと名高いラバウル↔ガダルカナルが片道1050kmで、空戦15分であることを考えるとかなりの距離です。
    高高度では空気が薄く、時間あたりの燃料の消費量も減るでしょうから、高高度性能の要求も、長距離飛行に紐付いているような気がしました。

    しかし、これも資料があるとのことですから、それを見るまでは何を言っても妄想に過ぎませんね。


    また、艦戦/局戦のお話も大変わかりやすく解説していただきありがとうございます。
    性能標準とは「ほしいものリスト」であって、そこに書かれていないからと言って、不要なわけでも捨てるわけでもない、ということですね。


    その後の甲戦/乙戦とはA戦/B戦を発展させ、「戦術的用途は何か、夜戦か否か」というような区分になったと伺うと、A戦/B戦の時点で局地戦闘機の特性欄に「局地防空に適すること」とあり、戦術的用途を軸に据える萌芽があるように思います。
    どんな作戦に使うのかよりも、作戦の中で何をさせたいのか、というような色が強いですね。

    防空作戦ばかりになった大戦末期、「甲/乙戦のどちらであっても迎撃以外の用途がない」という状況にあって戦術用途での差があまりつかなくなり、甲乙の呼び分けが形式に依存するものになった、という流れになるのでしょうか。


    会計年度に関しても、ありがとうございます。
    会計年度や皇暦を冠称した計画や機体も、本当にその年に生まれたものなのか、しっかり確認していこうと思います。
    Shusui

  4. 手もとに置いてじっくり勉強するなら「海軍航空史」全4巻が良いでしょう。
    性能標準についても残っているものは掲載されています。
    A戦、B戦についてもわかります。

    大切なのは甲、乙、丙戦とは海軍航空隊が空軍化する際に陸上戦闘機の区分として生まれたもので、十七試以降、戦闘機の形態が多彩になりつつあることに対応しています。
    BUN

  5. >3
    マル4計画が成立した後に考えられ始めたマル5計画では、海軍航空隊の中に陸上基地航空隊の大勢力を持つことが考えられています。
    これが完成した場合、航空母艦で運用される飛行機部隊は完全に脇役の位置に下がるほどのものでした。
    性能標準とは、本来ならば、このような軍備計画に対応して、必要となってくる航空機の機種を整備するためのものでした。

    基地航空勢力を増勢するのは、単に数的に増やすとだけでなく、艦上運用に伴う制限を取り払って、機体を高性能化させたいという部分も強く考えられていました。

    ここで考えられたのが、侵攻任務に当たる遠戦、防御に当たる局戦、さらに戦兼爆、陸偵、陸攻(中攻、大攻)、哨戒機という機種群でした。

    このとき、もうひとつだけ古い時代に考えられていた遠戦である十三試双発陸上戦闘機とは別の姿の遠戦が考えられるようになって行きます。
    と同時に、旧遠戦といっても良い十三試双発陸戦には、戦兼爆、陸偵、夜間戦闘機などへの転用の方向性が生まれています。

    ただし、艦上運用から切り離した高性能化が目的の一部であるので、陸偵については、暁雲のような超高性能機が最終目標ですので、十三試双発陸戦を偵察機化した二式陸偵のようなものは、あくまで一時しのぎの代用としての位置づけでした。

    最初の問いに戻ると、要するに「十七試遠戦とは何か」と理解するには、マル5計画とは何だったのか、というようなところに踏み込んで眺めてみることが肝心だろう、ということです。




  6. >>BUNさん
    ありがとうございます!

    日本海軍航空史を画像検索したところ、帝国海軍の航空史を知るのみならず、美味しい漬物を漬ける漬物石になり、時として暴漢に立ち向かうための武器として使えそうな立派な本でした。
    これをいきなり購入するのは中々に勇気が必要ですので、まずは国会図書館で閲覧するところから始め、いちいち永田町に足を運ぶのが面倒になったタイミングで購入に踏み切ろうかと思います。

    また、陸上戦闘機の重要性が増したことに関しては、こちらの記事でもう少し情報を得られました。
    http://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/201203/08.pdf
    航空戦力の長期消耗戦という状況が起こり、漸減作戦の長槍と思っていた航空機の使い方が、当初とかなり異なるものになっていったという流れは、A戦B戦に通ずるものかと思います。
    強力な防空能力を持つ敵航空基地に対し、陸攻での攻撃はリスクばかりが大きいという状況は、迎撃できない高高度での侵攻という流れにつながるのかなと。
    奇しくもB-29と同じ方針となっており、高高度戦は攻防どちらにしても避けられない流れになっていたのだとすれば、かなり面白い話だと思います。
    また、「海軍航空隊が空軍化」というのはキーワードになると感じたので、調べる際の指針にいたします。

    片さんの仰るマル5計画では陸上機が重視されているのが数字で見えますので、もう少し調べてみようと思います。
    >>片さん
    ありがとうございます。
    wikipediaでマル5計画の中身を見てみたところ、確かに陸上機に重きをおいた計画となっていて驚きました。
    これは、防空のために局地戦闘機を増やしたという話ではなく、期せずして恒常的に戦う事になった航空部隊を、陸上基地で運用するという決意が見えます。

    私の認識では、十二試艦戦と十三試双戦、十四試局戦で役割分担をするはずだった海軍の戦闘機の任務を、マル5計画が出ているS16年時点で零戦が艦戦・陸攻護衛をする侵攻用戦闘機・基地防空を担当する局戦のすべての役割を担当しており、海軍としてもどうにか用途ごとに適した飛行機を配備したかったものと思います。

    そこで、実戦を踏まえて十七試が計画され、雷電は戦闘機として使えそうなものの、十三試双戦はどうやら戦闘機としては使えなさそうで、時代に取り残されてしまったので二式陸偵となり、海軍は高性能次世代偵察機を待つことに。
    陸攻の護衛をしていた零戦の任務の後継は、艦上運用の制限を取り払い、より高性能な基地運用の陸上戦闘機にする方針に。
    これで一度、旧遠戦が死にます。

    この後で、海軍内で言う遠戦という言葉の意味が変わり、陸上基地運用の強力な長距離戦闘機が、新たな遠戦に。

    陸上から侵攻するための戦闘機は、それまでの矛(旧遠戦)と盾(局戦)をあわせた「陸上戦闘機」という用語とは異なり、旧遠戦よりも戦闘機として敵機を撃墜しやすい攻撃的な性格の機体が求められた。
    その結果、侵攻用という点以外は、旧遠戦とは全く異なる機体が出来上がり、それが陣風であった、ということになるんですね。

    だいぶすっきりいたしました。
    当初、十七試陸戦を「遠距離侵攻用戦闘機」と紹介する文章を訝しんでおりましたが、機種としてではなく運用として考えれば正解なんだと思えて楽しいです。

    一つだけお伺いしたいのですが、片さんの仰る十七試遠戦という呼び方も、実際に存在したのでしょうか?
    Shusui

  7. >6
    17年6月の実用機試製計画(自16年至19年)では、十七試遠戦、二十試遠戦を作ることになってますね。


  8. >>片さん

    実用機試製計画と実計番号に関しては全く知りませんでした。
    十七試のみならず二十試遠戦というものが計画として存在していたなんて……
    こちらの情報も性能標準と併せて調べたいと思います。

    ありがとうございました!
    Shusui


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