1516 私の上司のおじいさんが戦時中に三菱重工名古屋工場で徴用されていたそうです
 零戦の生産に関わっていたおじいさんはエンジンの納入遅延が最大の問題だったらしく、中島のほうが三菱より零戦の生産数が多いのはエンジンが中島製で優先的に納入されたからだと言っておられたそうです。

 個人の印象としては嘘のないことだと
思いますが、公平にみて違うと思うのですがどうでしょうか?
じおらま

  1. 戦争中期以降の三菱製零戦が装備した栄発動機の多くは中島製ではありません。
    石川島航空工業製なのです。
    BUN

  2. 20年度生産命令と実績

    三菱零戦
         4月  5月  6月  7月  8月  9月
    内示   140  170  190  200  200  200
    予定   120  150  160  120  160
    実績   37   38  23   15   6  
    達成率  0.26  0.22 0.12 0.08  0.03


    中島零戦
         4月  5月  6月  7月  8月  9月
    内示   280  270  270  270  270  260
    予定   250  250  250  250  250
    実績   230  247  185  138  85
    達成率  0.82 0.91  0.69  0.51 0.31

    三菱の方が達成率が低いのと、元々の内示数が三菱の方が小さく設定されているのとは、また違う話ですね。


  3. 先生方が発言されているのであれなのですが。

    中島飛行機 マスプロとかで検索されては如何でしょうか。
    また興味深いページが下記です。
    見られると興味深いかと。
    ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/bhsj/50/3/50_26/_pdf

    中島は零戦をそんなに作りながらも末期に四式戦を3000機以上量産しています。

    戦記とかで興味深かったのは、中島の零戦の塗装の品質が悪くて三菱製の零戦に乗りたかったなんてのを見た事が有ります。
    暇人

  4. > 3の方
    > 中島は零戦をそんなに作りながらも末期に四式戦を3000機以上量産しています。

    その理由は、生産ラインをどの機体用に何本整備したかによります。

    三菱
     大江 零戦 雷電 一式陸攻
     水島 一式陸攻 紫電改



  5. つづき

    三菱
     道徳 一〇〇式司偵
     熊本 四式重爆


    中島
     小泉 零戦
     半田 天山 彩雲
     大田 一式戦 二式戦 四式戦 キ一一五
     宇都宮 四式戦

    四式戦は陸軍の超重点機種なので、生産ラインも多数設置されています。
    そのため、一式戦生産は中島大田から立川に移されています。
    官側の施策がどのようであったのかが大事なところだと思います。
    それでいうならば、三菱は零戦から雷電や烈風(上の大江のところで述べ忘れました)に転換させ、それに伴い零戦の主生産は中島小泉に移す、ということが行われていたわけです。
    これが、「中島のほうが三菱より零戦の生産数が多い」理由の主な部分です。



  6. 量産の中島、といった話は戦後に作られたものです。
    例えば昭和十七年に航空本部の担当官は中島での零戦生産の実績が思うように伸びず「三菱の倍の工員を使って半分の実績しかない」と手厳しく批判しています。
    そして航空発動機の製造では中島飛行機は昭和十九年に三菱名発が被災壊滅するまで発動機の年度製造数で追いついていません。
    三菱での零戦生産数については片渕監督が触れているように航本の年度製造内示数が二号零戦問題や雷電増産によって揺れ動いた影響が大きいのです。
    BUN

  7. >5

    詳しい情報有難う御座います。
    キ43の生産を立川に移したり、重点機種としてのキ84は分かっていたのですが生産ライン数の差でしたか。

    >6

    >三菱の倍の工員を使って半分の実績しかない

    それは、初耳か見て忘却でした。

    >二号零戦問題や雷電増産

    零戦の改装やら雷電の開発に追われ、金星零戦やら17試艦戦の開発が進まなかった、というのが自分の今迄の感想です。
    何かやはり三菱のキャパが少ない様な気がしてなりません。
    暇人

  8. 試作と量産は分けて考えた方が良いですね。
    BUN

  9. >7
    試製と生産は別です。
    官から各社への生産能力拡充示達は次のように、生産機種まで指定されて行われます。

    昭和13年11月
    海軍生産能力第一次拡充示達
    目標15年度末

    三菱
    艦上戦闘機 35機/月
    中型攻撃機 40機

    中島
    艦上攻撃機 35機/月
    大型攻撃機 15機

    こうしたところからさらに、どの機種をどれだけ生産させたいから工場を増設しろ、と官側が要求を繰り返していったのです。
    「生産ライン数の差でしたか」というのでは申し訳ないですがちょっと単純すぎる理解で、「生産ライン数を官側の意図に沿って整備し、どのラインは何のため課まで指定されている」ということであり、三菱の海軍機生産ラインの増設は一式陸攻に対して特に手厚く行うよう設定されます。
    「三菱零戦・雷電・烈風」と「中島零戦」の生産数を比較するだけではまだ片手落ちで、「三菱零戦・雷電・烈風・一式陸攻」と「中島零戦・天山・彩雲」の生産数で比較しなければ、その会社の能力を計ったことにはならないのです。
    陸軍機の生産部門には、また別に陸軍から生産能力の拡充を指示されますから、それを混ぜてもやはりうまく計れないのです。


  10. 太平洋戦争期中島飛行機の機体事業と生産能率 https://www.jstage.jst.go.jp/article/bhsj/50/3/50_26/_pdf
    と戦前日本軍機の特質と戦後の自動車開発に関する一考察
    http://www.jshit.org/kaishi_bn2/17_1sato.pdf

    が参考になります。
    poran

  11. >8 >9
    >試作と量産は分けて考えた方が良いですね。

    言われてみるとそこでした。
    暇人


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