1518 キ-61三式戦闘機「飛燕」一型丙の塗装に関する質問です。

一型丙の写真は殆どが244戦隊のもので、これらは無塗装か部隊で施されたマダラ塗装ですが、雑誌や書籍に掲載される濃緑色ベタ塗りの写真を見たことがありません。
逆に、かかみがはら航空宇宙科学博物館の飛燕展で展示されていた、濃緑色に塗られた1型甲の下面カウルとスピナ(濃緑色の剥離部分に茶色が見えるので再塗装と判断)のような例が存在していることは存じておりますが、珍しい例のように思います。


@「歴史群像Vol.61飛燕・五式戦」によれば丙型はS19年7月までの生産ですが、工場出荷時に黄緑七号で迷彩塗装が施されるようになったのはS19年初秋頃と思います。したがってベタ塗りの1型丙はかなり不自然と思うのですがいかがででしょうか?

Aこちら(ttps://ww2aircraft.net/forum/threads/ki-61-help.41949/)や世界の傑作機No.17飛燕のP.80にある第39教育飛行隊の1型丙(田畑曹長乗機 / S20年横芝飛行場)は全面濃緑色となっていますが、こちらの機体の写真等はあるのでしょうか?
(39教育飛行隊所属の飛燕の写真すら見つけられませんでした)


もしご存じの方がいらしましたら、お答えいただけますと幸いです。
Shusui

  1. @については、一型丁の製造時期がわかるもので、銀色のものの終見が19年8月製、黄緑七号色ベタ塗り迷彩の初見もそれよりやや遅い19年8月製です。したがって、工場での迷彩が開始されたのは19年8月だった漏斗考えられます。一型丁と一型丙は同じライン上で組立てられていたことが写真からわかっています。従って、7月に生産が終わっている一型丙で、工場で黄緑七号色ベタ塗り迷彩塗装され例たはなかっただろうと推定できます。
    一方、工場で迷彩するようになったことには相応の理由があります。既完成機であろうともその理由から免れられるわけではないのですから、一型丙といえど陸軍に納入後に迷彩塗装されていた可能性は残ります。


  2. >>片さん

    ありがとうございます。
    丙型の工場塗装の可能性について知見をいただけて大変嬉しいです。
    確かに、ベタ塗りされたショートノーズ飛燕は244戦隊所属機の写真があるため、出荷時に迷彩塗装されるようになって以降は部隊でのベタ塗り迷彩が行われるようになった事はほぼ確実かと思います。
    ↓こちら機体(大日本絵画出版、244戦隊写真史42Pに実機写真掲載)
    (ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~s244f/14_nishikawa.jpg)

    そうなると
    >工場で迷彩するようになったことには相応の理由があります
    と言われるような理由が気になるところです。
    工場で迷彩することのメリットとしては、部隊に配給する塗料をコントロールしやすくなるという点と、被発見率の低下が思い浮かびます。
    しかし、迷彩を施せば使用する塗料量は増えますし、部隊でも迷彩塗装は十分にできていたはずだと思います。
    そう思うと、黄緑七号で迷彩塗装が施されるようになった具体的な理由がわかりません。
    なぜ部隊ごとの迷彩塗装ではなく、工場で画一的に迷彩を行うようになったのでしょうか?



    また、これは本題から外れてしまうのですが、ベタ塗りに使用された塗料の種類に関しても疑問があります。

    ●ベタ塗りの三式戦や五式戦で水平尾翼下に見られる「迷彩塗料」というステンシルは、迷彩に使用されている黄緑七号がニトロセルロース系であることを示すものであると歴史群像Vol.61にあります。ですが、「迷彩塗料」というステンシルがない機体も存在します。

    ●各務原で見たベタ塗り機体と思われる三式戦一型のスピナーは、6117号機の燃料口の蓋の内側にある黄緑7号よりもだいぶ青みがかっており、第21号緑色に見えました。
    ↓元の写真は左上ですが、実際に見た色味に近づけたのは右下の写真です。
    (ttps://f.easyuploader.app/eu-prd/upload/20200528065743_6e50714a474563376f56.jpg)
    ※こちらの機体は工場での再塗装なのか部隊での塗装なのか、S19年8月以降に塗装されたのかが定かではないこと、エンジンのアンダーカウルの塗り分けからしてベタ塗りされたのだろうという推定でしかありません。

    ●こちら(ttps://www.worldwarphotos.info/gallery/japan/aircrafts/ki-100/ki-100-of-the-59-sentai-found-by-us-forces-at-end-of-pacific-war/)の写真などを見るに、同じ五式戦でも明度が暗い個体があるように思います。

    これらのことから、ベタ塗りに使用された塗料はニトロセルロース系「迷彩塗料」の1種類だけではなく、黄緑七号自体に数種類あるか、あるいは21号緑色のような別色で塗られている機体も終戦までポツポツとあるように思うのですがいかがでしょうか?
    こちらの疑問に関しても迷彩塗装が行われた理由が分かれば、ある程度納得できる説が得られるのではないかなぁと思っています。
    Shusui

  3. 極めて基本的なこととして、19年7月にマリアナを失陥したことの意味は押さえておかれた方が良いと思います。そのことにより、戦闘機の塗装のみならず、日本の社会全体が大きな影響を被ったわけですから。

    そこで、練習機まで含めた全機種(当然、既生産機の方が多いです)に迷彩を施すことになり、塗料の需要が圧倒的に在庫を上回ったために代用されたのが、本来のものではないニトロセルロース塗料で、これは用法が違ったためにこの塗料で代用して塗装された機体には、その旨明示してあったわけです。

    なお、当時の塗料の生産ロットごとの色の誤差、それから塗装後の経時変化による変色はかなりのものがあると思って下さい。


  4. >>片さん
    ありがとうございます。
    マリアナ失陥に関しては防戦が決定的になった瞬間という程度の認識しかなかったので、一般的な社会情勢まで視野を広げて本を数冊注文してみました。

    黄緑7号に統合した理由は種類を絞ることで供給しやすくするためと思っていたのですが、それは因果が逆で足りなくなったから黄緑7号が出てきたんですね。
    生産中の機体のみならず、既生産機を含めて全機種に迷彩を施す動きだったとは知りませんでした。
    (そういえば、練習機なんかも上面が緑色にっていましたね……)

    部隊にすでに配備されている機体は在庫の緑色で塗装されるわけで、この点で「迷彩塗料」の表示の有無が説明できるんですね。

    ロットごとの誤差、経年変化の変色に関してもついつい無視しがちなので気をつけようと思います。
    Shusui

  5. >黄緑7号に統合した理由は種類を絞ることで供給しやすくするためと思っていたのですが、それは因果が逆で足りなくなったから黄緑7号が出てきたんですね。

    陸軍機のプロペラ、機体内面などへの使用塗料を黄緑七号色に集約したのは昭和18年6月で、機体外面を工場生産時に黄緑七号色迷彩としたのはそれより1年少し後です。

    >部隊にすでに配備されている機体は在庫の緑色で塗装されるわけで、この点で「迷彩塗料」の表示の有無が説明できるんですね。

    いいえ、工場生産時にも、塗料の入荷状況に応じて黄緑七号色の迷彩塗料が使用されていた、という意味です。


  6. 18年7月3日海軍『内令兵42号』

    「大東亜戦争中飛行機外面塗粧等に関し左の通り定む」
    1.作戦用機

      イからハは略。味方識別のマーキングなどについて
      二.其の他迷彩塗粧を施す
    2.練習用飛行機(練習機及び実用機)及実験機

      日の丸以外全機体を黄色(C1)に塗粧す
      但し作戦に使用することあるべき実用機及作戦地にある練習用飛行機は
      必要に応じ作戦用飛行機と同様に塗粧することを得


    19年8月8日海軍『内令兵61号』
     昭和18年内令兵42号「大東亜戦争中飛行機外面塗粧等に関する件」中、左の通り改正す
     第2号中「全機体中上半面は迷彩を施し下面は」に改む


    このような規定の変化の意味が読み取れるといいのですが。
    これはつまり、「作戦地ではないところはなくなった」ということです。
    これまで戦地だった外地のみならず、日本本土のすべてにおいて。


    内地が作戦地に変わった、ということでは、同じ内地にいる陸軍機に対しても同様なことが求められます。

    陸軍機はそれまで、工場完成時には全面灰緑色、または限られた機種では全面無塗装銀色で、戦地に送られる時点で迷彩塗装が施されることになっていました。
    それが、19年夏からは、工場からロールアウトした時点で即座に作戦地にいることになるわけであり、それゆえ工場で黄緑七号色迷彩をあらかじめ行っておくことに変わります。ここで黄緑七号色を使うのは、18年6月の規定で使用塗料を黄緑七号色に絞る措置が取られていたことに関連します。
    その他の既存機体も、練習機も含め内地にあるものすべてが作戦地にあるのと同じ位置づけに変わりましたから、全機に迷彩が施されることが建前となったのです。


    一方で、一般社会でも、建物や消防車に迷彩を施す、焼夷弾対策として木造家屋の天井板を外す、などの措置が取られていきます。これらはすべて、内地全域が作戦地と同様の扱いになったからです。


  7. 塗装後の変色については、機体外面用の塗料として使われていた軽金属用塗料のバインダー成分であるベンジルセルロースがなかなか不安定なもので、紫外線によって容易に黄ばんでいってしまいます。また、塗膜自体が紫外線によって破壊されるチョーキングも起こりやすいものでした。

    ベンジルセルロースはメーカー数も限られ高価で、つまり生産性があまりよろしくないものだったようで、このため、昭和19年夏からの迷彩のための大量使用には欠品が生じたものと思われます。この代用として持ち出されたのがバインダーにニトロセルロースを使う塗料で、これは既存の軽金属用塗料メーカーとは別の塗料会社を使って生産することが出来ました。
    この塗料の黄緑七号色のものを飛行機機体工場で、ベンジルセルロース塗料が欠品した場合の代用品として使用し、機体に「迷彩塗料」と表示しました。ニトロセルロース塗料にはアセトンで剥離させやすい迷彩塗料として使用されていた経歴があります。
    ニトロセルロース塗料は、おそらくベンジルセルロース塗料よりも、塗装後の変色が少なかったのではないかと思われます。


  8. >>片さん
    お返事が遅くなりましてすみません。
    元の私の認識がかなり間違っているようでしたので、後に見返した際にわかりやすいよう教えていただいたことを箇条書きですがまとめてみました。


    (1) 黄緑7号色を機内色などに用いるようになったのは、塗料の統合による効率化のため(S18年6月)

    (2) マリアナ失陥で日本全土が作戦地となり、工場出荷時から黄緑7号色の迷彩塗装が行われるようになった(S19年7月)
     →元から迷彩塗装の実施に関する基準は作戦地か否かであり、マリアナ失陥によって工場出荷時から機体が作戦地にあるという状況になった
     →迷彩塗装が黄緑7号で行われるのは(1)で黄緑7号に統合されている事に起因する
    【例】S18年7月3日海軍『内令兵42号』の練習用機に関する規定について、上面に迷彩塗粧を施すようにS19年8月8日海軍『内令兵61号』で示される

    (3) ベンジルセルロース系黄緑7号色は生産性がよろしくなく、大量使用では欠品が生じる

    (4) 飛行機機体工場で黄緑7号が足りない場合、既存の軽金属用塗料メーカーとは別の塗料会社を使って生産できるニトロセルロース系黄緑7号色で代用し、「迷彩塗料」と表示した

    (5) ニトロセルロース系塗料はベンジルセルロース系塗料に比べ、色に関して言えば変色しづらいと思われる


    >一方で、一般社会でも、建物や消防車に迷彩を施す、焼夷弾対策として木造家屋の天井板を外す、などの措置が取られていきます。
    こちらに関して、言われてみれば以前Twitterで迷彩の施された建屋の写真を見た覚えがあります。
    飛行機の色の変化も民間の建屋の色の変化も原因は同じで、それが今も残っているというのは一見地味ではあるもののかなり興味を惹かれました。

    黄緑7号色がベンジルセルロース系とニトロセルロース系の2種類(もちろん色としては両方黄緑7号なのですが...)とは認識しておらず大変勉強になりました。
    変色の傾向が違うという知識があれば、今後写真を見るときに「この機体はベンジルセルロース系かな、ニトロセルロース系かな」という視点も得られて大変楽しくなりそうです。
    ありがとうございました。
    Shusui

  9. >「この機体はベンジルセルロース系かな、ニトロセルロース系かな」

    というのは、写真というものの性格上、見極めは無理でしょうね。
    写り具合の明暗などいくらでも変わってしまいますので。



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