1544 日本海軍の機上レーダーの活用に関する質問です。

戦記を読むと、昭和18年9月19日の二式飛行艇によるコロンボ偵察で、機上レーダーを地形走査に活用したとの話が出てきます。
また、昭和20年3月24日の陸攻による硫黄島爆撃でも、1機が機上レーダーを地形走査に活用して、爆撃を成功させています。
気になったのは、硫黄島爆撃の際に他の機が機上レーダーを地形走査に活用していないように読めることで、これは部隊への教育が間に合ってなかったことによるものなのでしょうか。
それとも、組織間での知識・知見の共有がうまく行っていなかったことによるものなのでしょうか。

よろしくお願いいたします。
鋲螺


  1. List of Japanese World War II radars
    https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Japanese_World_War_II_radars#Navy_Radar
    上記の 2.2 では
    (一番上の欄)
    タイプ3マーク6モデル4(タイプH6)
    空中レーダー
    八木タイプ
    波長 2メートル
    1942年8月

    昭和18年(1943)ですから、これだけが使用出来た事に成りますが
    (空中レーダー)とありまして無理ではないかと思われますが。

    他については、少々判りません。

    百九

  2. 三式空六号無線電信機
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%BC%8F%E7%A9%BA%E5%85%AD%E5%8F%B7%E7%84%A1%E7%B7%9A%E9%9B%BB%E4%BF%A1%E6%A9%9F
    >実戦
    の項目を読むと地形走査といより波形から推測する感じですね

    Aスコープの見え方
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC#A%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%97

    操作方法
    http://www.yokohamaradiomuseum.com/cgi-bin/imgboard.cgi?bbsaction=disp_rep_form&amode=&page=1&blood=20161013134843&parent=8473
    >探索と測定操作
     電測員は機首、胴体両側面に装備された空中線を手動切換により選択し、前方、側方の探索を行う。機首空中線で反射を得た場合は機首を振り、反射波が最大となる方位を探る。胴体側面の空中線で反射波を得た場合は、蛇行により大凡の方位角度を得た後飛行進路を変更し、機首空中線で目標反射波を受信する。電測員は操縦員に指示し、反射波の振幅が最大となるように飛行方位を修正し標的の追尾を行い、併せ測距目盛により距離を測定する。
    ガス欠

  3. コロンボ偵察の際はこんな感じだったようです。夜間の雲下飛行で機位を失した状況です。
    -----------------------------------------------------
    このとき、すっと頭をかすめるものがあった。電探でなんとか位置確認の方法はないものか。わが方の機上電探も、陸地や島に対して距離が測れる程度の性能はあった。
    (中略)
    私は機首を北西に向け、電探測距を命じた。「セイロン島百十キロ」という報告が帰ってきた。セイロン島の南東海面で、距岸百十キロの地点にいることは確かだ。(中略)しかし、どこの海岸からかはまだわからない。
    (中略)
    また、頭にひらめいたものがあった。指向性曲線の形だ。
    (中略)
    つまり飛行機は、電探の(目には見えぬが)大きなウチワを前に突き出しており、旋回するとウチワは一緒に旋回する。セイロン島は大きなイモのような形をしているから、ウチワとイモが離れるとき、サヨナラするときに測距ができなくなるのだ、
    -----------------------------------------------------
    「翔べ!空の巡洋艦『二式大艇』」より

    もちろん、技術的には未熟で現代の地形走査レーダーから見ればおもちゃのようなものだったことは承知していますが、
    それでも大戦後半〜末期の航空戦を見るに、こういったノウハウ、ナレッジのようなものが、どの程度研究され、実戦部隊に周知されていたのかが気になっています。
    鋲螺

  4. 取扱説明書
    http://minouta17.livedoor.blog/archives/16541822.html
    このレベルは周知されたのでしょうが

    >研究室の実験段階では良好に作動し、能力を発揮したものが、実戦段階では粗悪な品質、信頼性により能力が半分以下に落ち、または作動しないケースが頻発した(wiki)

    という状況では測定員の優劣以前の問題に思われます
    ガス欠

  5. その1機は根本正良氏搭乗機のことだと思いますが、こちら「http://www.aramant.com/chuukou/page04_04.html」は読まれましたでしょうか?
    まだなら「2)硫黄島最後の爆撃」項の「1段落」と一覧を挟んで「2〜6段落」をご覧ください。

    5〜6段落にこうあります(以下「・」部分は上記サイトよりの引用です)
    ・私が 航空図チャートと一晩睨めっこして考えた
    ・搭載することになり、白分なりに秘かに操作訓練を繰り返していた電波兵器、電波探知器の活用である
    ・航空図の上でも見逃し勝ちな西之島〜〜〜これを重要ポイントとして新兵器を活用して捉える、これが私の立てた大作戦であった

    このサイトを読む限りでは、硫黄島爆撃でのレーダー使用は「根本氏が考えた」「活用は根本氏搭乗機(根本氏の権限の範囲内)のみ」「レーダーの活用方法を部隊内で共有していない」と受け取れます。

    4と6段落にこうあります
    ・レーダーでキャッチされたら〜〜〜余程の奇跡がなければ一巻の終り
    ・勿論硫黄島を直接探知出来れば最高だが、電波を出したらたちまち相手に逆探知されてこっちがキャッチされ襲撃されるからこれは絶対出来ない
    ・航空図の上でも見逃し勝ちな西之島〜〜〜これを重要ポイントとして新兵器を活用して捉える

    根本氏は硫黄島をレーダーで見つけたわけではなく、レーダーで西之島を見つけ、それを頼りに方向を修正しています(長い飛行中でレーダー使用は一瞬です)。
    硫黄島発見と爆撃は目視ですから、地形走査で爆撃を成功させた訳ではないようです。
    「地形走査で爆撃成功」は鋲螺さんが読んだ情報源が間違ってる可能性があります。

    2〜4段落には夜間長距離飛行がいかに難しい事だったかが書かれています。
    そのかなり下にも
    ・雁行していた2機があっという間に接触〜〜〜早くも脱落して引き返していく
    ・前方を飛んでいた富田機は何を錯覚したか右へ変針
    とあります。

    鋲螺さんが読んだ情報源と私が読んだこのサイトのどちらが正しいかは私にも分かりませんが、開発間もない当時のレーダーやその用法は、映画やアニメ漬けの現代人が考えるような物では無かったのは確かなようです。
    まやん

  6. まやん様
    ご指摘ありがとうございます。
    そちらのサイトは良く熟読しておりまして、そこから逆に、今回の疑問を持った次第です。
    もちろん同じ条件ではないことは承知していますが、この飛行の1年半に性能不十分でも地上の目標物をレーダーで探知することで、荒天、あるいは夜間の視界の悪い飛行の手助けになるというヒントは得られていたわけで、それが組織内で十分に共有されていなかったのでは?と。
    鋲螺


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