1545 今T社のゼロ戦52型のプラモを作ろうとしているのですが、塗装指示図の上下塗分ラインが三菱製の機体と中島製の機体とで異なっています。このこと自体は常識の範囲内で前々から知っていたのですが、その理由が気になって調べてみたらもともとは日の丸の白フチの有無で区別していたのが、上面濃緑色導入時に塗分ラインで区別するようになったようです。
そうすると今度は両者を区別する理由が気になって、これも調べてみたところ三菱製のゼロ戦と中島製のゼロ戦にはその性能というか特性にかなりの違いがあって、外部塗装で製造元をはっきりと明示しなければならないくらいの違いがあったそうです。ここで困ってしまったのが記載記事により「三菱の設計だから三菱製の方がいい」とか「発動機との相性で中島製の方がいい」とか意見がバラバラなことです。本当のところはどうなのでしょうか?

また実際にそんなに差があるのなら、優秀な方に搭乗したいのが人情ですから「俺は三菱じゃないとヤダ」とか現場でトラブルになったりはしなかったのでしょうか?そう思うと塗分けラインによる製造元の区別表示などやらなきゃいいのにと私などは思ってしまうのですが、末期まできっちり守られているので、何か私の思い及ばない必要不可欠な理由とかあったのでしょうか?このあたりの事情についてご存じの方、どうか教えてください。

備後ピート

  1. 「もともとは日の丸の白フチの有無で区別していた」ということはありません。
    たまたま、昭和17年秋以降も二一型を生産していたのが中島だったので、中島製の二一型のそれ以降生産のものの日章に白フチが就いているだけです。
    同時期に三菱で生産されていた零戦にも日章に白縁がつくようになっています。ただ、それが二一型ではなかった、というだけのことです。
    したがって、零戦二一型の時点では、三菱製と中島製のあいだに明確な塗装上での区別はなかった、ということになります。
    迷彩導入以降で両者に差ができたのは、迷彩の塗り分けに関する明確な基準がなく、各社毎に塗り分けのパターンを作っていたからということなのではないかと思います。
    もし、三菱製と中島製を区別する必要がある場合には、胴体左側面の製造番号記入欄を見れば良いことですし、たくさんの構成部品にもそれぞれ銘鈑で製造会社が明示されています。

    各部隊が三菱製の機体を受け取るか、中島製の機体を受け取るかは、その時点での供給事情によります。もし早期に零戦の機体を受領する必要がある部隊があって、その時に在庫があるのが中島製ならば、それを受け取りに行くことになります。


  2. 両社製の機体の間で工作上の違いはもちろんあるのですが、
    「三菱の設計だから三菱製の方がいい」
    「発動機との相性で中島製の方がいい」
    というような話は、合理的な根拠を求め得ない、噂話程度のものに過ぎません。
    特に後者はまるで意味を為しません。


  3. 早々の回答、どうもありがとうございます。調査が杜撰で恥をかくというパターンをまたやっちまったようです。

    ところで、追っかけ質問になりますが「迷彩の塗分けに関する明確な基準がない」ということは、仮に実戦部隊で損傷した機体を修理する際などに三菱製の機体に中島式の塗分けを行っても(そんな手間のかかることするかどうかは別にして)特に処罰の対象になったりはしないということでしょうか?
    備後ピート

  4. 二代台南空の迷彩された零戦三二型の写真はご覧になったことがないでしょうか。

    もしなければ、「タイ-184」でネット検索すると、
    ハセガワの模型の塗装例が出てくるはずです。


  5. 写真拝見させていただきました。恥ずかしながら初見です。2パターンしかないと思っていましたが、何事にも例外というものはあるものですね。具体的で親切なご回答、重ねてありがとうございました。
    備後ピート

  6. 零戦三二型は全機が迷彩が施されずに工場完成していますので、その写真の迷彩は、3でのご質問のとおる改修時に塗ったものです。


  7. 群馬出身の搭乗員は、どっちを選べとなれば勿論中島だ!と明確に仰ってましたよ。勿論当時においては軍隊組織ですから選べるわけでもなく(この件は仰っていたかと)、郷土愛故の戦後のお話ですが(^-^)
    A6M232

  8. 翔鶴、隼鷹、瑞鶴と空母戦闘機隊で戦った佐々木原正夫さんは内地から戦地へ零戦を空輸する1001空に配属され、以下の証言を残しています
    「群馬県の中島飛行機小泉製作所などに赴いて出来上がった飛行機を片っ端からテストして、これは他にできる者がいなかったので、私一人で一日で20機も試飛行をやったこともありました」
    「マバラカット基地へ爆装用の零戦を空輸したんです。その頃(19年10月頃)の飛行機は出来が悪くてね、特に中島製の零戦は殺人機と言われるぐらい、ほんとうに質が悪かった。台湾を出た時20機あったのが故障で次々と引き返して、着いた時にはたった4機になっていましたよ。」

    証言零戦 搭乗員がくぐり抜けた地獄の戦場と激動の戦後 神立尚紀 P217〜218 
    ガス欠

  9. 19年10〜12月頃といえば、三菱・中島両社を通じて零戦の品質が悪くなってる時期ですね。
    両社とも生産数がガタガタに減っています。
    まったく使い物にならない機体が発生してしまっているんです。


  10. (つづき)
    機体もですし、その時期には石川島製の栄に全機改修レベルの工作不良が頻発しています。


  11. 靖国に展示してある18年11月製の三菱4240号ですが、操縦席床面の燃料コックレバーのアームが通る穴部分は、点検ハンマーで穴を開けて金切りばさみで切ったとしか思えない加工がされていた事を確認しています(;^_^A
    時期を追う毎に両社とも飛行に影響しない部分で色々とありますね・・・

    ただ中島はプレス加工とスポット溶接を三菱より早い段階で使う等、量産面でかなり等進んでいたと現物を見て思うのですが、いかんせん同じ型式でも若干重くなるかと。(加工の容易さでの部材増であったり、曲面加工技術不足により凹みが戻る部分に対して縦通材を追加して等を確認しています)
    A6M232


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