1549  パイロットの教習のために単座機の複座版を作るようになったり、そうした機材を用意しての教習課程が制度化したのっていつ頃、どの国のどの機体からなのですか?

 先日、ネット上の某所でMe163の複座型の写真を見てふと気になりました。
おうる

  1. 第一次世界大戦中に単座戦闘機が出現した時期から存在します。
    単座戦闘機操縦者は標準的な軍用機である二座機からの転換者で構成されていましたが、二座の実用機を経験せず最初から単座戦闘機の操縦を単独で行うようになるとキャメル複座機のような機体が生まれて来ます。
    BUN

  2.  回答ありがとうございます。

     WW1のパイロットは教習が不十分で初陣を生き残れるかどうかが過大だったとか聞いたことがあったのでもっと後かと思ってました。
    おうる

  3. 初陣以前に飛ばすだけで壊したり死んだりするのは嫌でしょう?
    Me163の複座型と書かれていて、筆者は冷戦期に米ソ等が作った様々な特別な性能な機体の、醜い醜いと形容されるそれらの複座型を思い出しました。
    出始めの単座の戦闘機とはまさにそれらの始祖で、キャメルはピーキーと云われる機体の元祖に近いです。着陸だけはさせられるようにしませんか?
    にも。

  4. 軍用機の歴史の中で、その中心は複座機にあり、いかに戦闘機とはいえ単座機は異端の存在だったのです。
    このため、操縦者は複操縦式ではなくとも後席からの指導で練習飛行を行い、操縦技術を身につけることができたのですが、単座戦闘機とい偵察も爆撃も不自由な何の役にも立たない機種が大量に配備されるようになってから、その複座型も造られるようになったということで、単座戦闘機の複座型が一般的だったか、といえばそうでもありません。
    その始まりはそうであっても、それが一般的になっていったか、といえば違いますし、ソッピース・キャメルで複座型を経験しなくとも一人前に育った操縦者は沢山います。簡単に言えば、この時代に単座実用機を改造して複座練習機を造る必要は、乗員養成上の都合では無かったのです。
    BUN

  5.  回答ありがとうございます。

    >この時代に単座実用機を改造して複座練習機を造る必要は、乗員養成上の都合では無かったのです。

     当初は教習目的では無かったという事ですか?
    おうる

  6. 実用機に近い性能の練習機なら他にもあった、ということです。
    BUN

  7. 不思議なのは、質問者様は練習機で何をするのか、全く書かれていない事です。

    ついこの間まで複座の汎用機が軍用機の中心だったWW1当時
    「単座戦闘機を改造した複座練習機」などという歪な機体が、乗員養成上の都合では無く必要が在るとは、思いません。
    私もミスリードする書き込みをしてて、
    「戦闘以前に機体を壊さない、乗員を死なせない為の、「当該の機体での」「着陸を始めとする飛行の基本」の習得」
    を目的とする実用機の転換訓練用の複座型で在っても、
    私が挙げた冷戦期の例とWW1当時では真逆の意味を持ち得る事を書き忘れてました。

    「ソッピース・キャメルで複座型を経験しなくとも一人前に育った操縦者は沢山い」るとしても大戦のどの時期かによりますし、
    資源がより潤沢な西側協商国と資源が逼迫する中央同盟国とも違います。
    私の推測を述べると、WW1当時
    最初からの複座機から単座戦闘機に転換するのは乗員養成により時間等の資源を掛けられる時期・陣営で、
    (戦闘行動は戦場で覚えてくれればいいから)兎に角決戦地上空に展開される味方機の数を揃える為に
    乗員養成を促成する必要が在る時期・陣営、
    「着陸初め戦闘以前の飛行行動で」戦闘機を壊したり死んだりして欲しくないという考え方から
    WW1当時に於ける単座戦闘機の複座型は普及したのではないでしょうか。


    にも@追伸。

  8. ttps://www.historyofsimulation.com/flight-simulators-in-world-war-1/
    ttp://www.neam.org/lafayette-escadrille/training.html

    遅レスですが、興味深いページを見つけました。
    フランスのパイロット養成は独特で、ブレリオ・ペンギントレーナーという極度に短い主翼と低馬力のエンジンをもつ滑走練習機があり、副操縦装置(デュアルコントロール)をもつ練習機は使わないそうです。

    まずこの飛ばない練習機で三舵を使ってまっすぐ走れるように訓練するみたいです。

    超音速

  9. WW1前のパイロット教習について少しわかりました。
    1910年ごろライト兄弟は複操縦装置つきのフライヤーを作り、自ら開設した飛行学校で練習機として使いました。
    ちなみにこの時期のオービル・ライトの生徒のなかに若き日の“ハップ”・アーノルドがいます。
    同様にカーチスやアンリ・ファルマン、モーリス・ファルマンにも複操縦装置つきの練習機があります。
    超音速


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