1566 七試艦上戦闘機のずんぐりスパッツはなぜあんな風になったのでしょう?

 固定脚機のスパッツは設計者の個性が出る部分ですが、国内、海外を見ても七試艦上戦闘機を超えるずんぐりスパッツは見た事が有りません。ボーイングp26やスーパーマリンtype224辺りはいい勝負になりそうですが、七試艦戦の方が幅が大きいので、一段と太っている様に見えます
 設計主任堀越技士もこんな空気抵抗の塊を見逃す筈ないですが、ずんぐりしたまま実製作されています。
 艦上戦闘機ということで、主脚の緩衝機構を大きくしたらやけに太ってしまった、など考えられますが、真相はどうなのでしょうか。
 詳しい方がいらっしゃいましたら、是非教えてください。


ナロー

  1. 画像をいくつか
    http://military.sakura.ne.jp/ac/navy/1mf10.jpg
    実機の写真は不鮮明でスパッツの最大幅から前の部分が白く浮き出ています
    http://www.arawasi.jp/salebook.hp/MA1011g.jpg
    (日本陸海軍機大図鑑3と思われます)
    https://storage.googleapis.com/storage.auc1.net/a10f136027878ab08dbf9a9c5a9f0681_8.jpg
    (モデルグラフィックス2014年1月号)
    形状が微妙に違うのですがスパッツの最大幅位置から前端までの長さが最も長いのはスパッツ下部、タイヤを覆っている部分です、ここが白飛びすると異様に幅広に見える可能性があります
    http://www.aviastar.org/pictures/japan/mitsubishi_1mf10.gif
    https://www.armedconflicts.com/attachments/3588/1MF10_3D_view.gif
    図面も模型も実機を正確に再現しているとは限りませんが参考までに

    スパッツが固定の場合タイヤがオレオ緩衝で縮む分のスペースを確保する必要があり太い部分が長くなります
    ガス欠

  2. 詳しい情報ありがとうございます、大変助かりました。
    ナロー

  3. 同時期の他の飛行機の脚は大抵2〜3本の支柱です。
    P-26の脚は細いですが張線で支持されてます。

    自重1.2tの七試艦戦は当時としては重い機体です。
    スパッツの中は一本の脚柱ではなく何本もの支柱やアームが入っていると思います。

    超音速

  4. 言われてみれば当時の機体は幾つかの支柱でタイヤが支持されている機体がかなり多いですね。91式戦闘機がいい例でしょうか。

    そう考えると後の時代、零戦などがあれ程細い主脚で自重を支えられる様になったと思うと、技術の進歩を感じずにいられません
    ナロー

  5. これがちょっと違ってまして、七試艦戦自体は三支柱式脚なのですが、
    社内飛行試験時に限定して、単脚+袴式覆を試しています。
    あのスパッツの中は、単脚なのです。


  6. >1で一番目に紹介されている写真は、実は裏焼きです。
    正しい向きで焼付けられた写真は、三菱の社内資料に貼られていたのですが、
    そこにも「脚は試験中の単脚」とキャプションされています。


  7. 片様、ありがとうございます。

    https://esdlab.jimdofree.com/%E6%9D%90%E6%96%99%E9%96%8B%E7%99%BA%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/%E8%B6%85%E3%80%85%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%B3%E6%9C%AC%E5%8F%B2-%EF%BC%92-%E9%9B%B6%E6%88%A6%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%8E%A1%E7%94%A8/

    3.の回答は、こちらのページを見て「旧式構造の脚柱」とあったからです。
    超音速

  8. >8
    その文章、堀越氏の著作からの引用を軸に書かれているようですが、原典というべき堀越著作の2冊ともに、その表現はありません。

    一方で堀越・奥宮『零戦』には、「まずありふれた三本支柱式で進み、後でズボン型の脚を試み、両者の優劣を実地に比較して最後に採用する型をきめることにした」とあります。これが単脚のものだったわけです。
    ただ、堀越氏は九試単戦のポイントのひとつとして「片持式一本脚」を挙げていますので、七試艦戦で実験された脚はある意味「旧式構造の単脚柱」だったと、いうことにはなりそうです。


  9. むしろ、疑うべきなのは、同時期の海外の機体の何かを参考にしたのだろうということで、実際、輸入されたノースロップ2E、2Fなどは太いズボン脚です。
    このうち2Fの楕円翼は、三菱十試艦攻の主翼のモデルとなっています。
    実際ノースロップ2Eだったかどうかはわかりませんが、こうしたズボン脚をつけた実用機の海外での存在が、七試艦戦の基本設計終了後に話題になって、新機軸として取り入れる機会を狙った、ということなのだろうと思います。


  10. まあ、ともかく"Northrop Gamma"で画像検索してみてください。
    そうしたものが昭和7年当時、世界の最先端と思われているものだったわけです。


  11. https://royalaviationmuseum.com/article-1935-antarctic-flight/
    このページの画像を思い切り拡大して見ますと、脚の後方に斜め支柱かアームがつくように見えます。
    「旧式構造の単脚柱」というのは前後2本の支柱とズボンスパッツで構成されるものなのですね。
    超音速

  12. 3本脚柱の七試艦戦は
    正面から見て重なって見える外側支柱2本が蝶番で主翼下面に取付けられ
    内側の1本がショックアブソーブで、伸びて緩衝するようですね(外側支柱が八の字なので)
    ズボンスパッツでは七試艦戦に限らず
    タイヤが当たらないよう緩衝方向に合わせてズボンを履きます
    脚柱は1本か両側から挟んで2本
    そこに支柱で補強する時は緩衝部より上の不動部分に取付けられると思います

    それにしても七試スパッツの整流フィンはどんな仕事をしているんでしょうか気になります
    ガス欠

  13. 写りの良い写真で見ると、七試艦戦のズボン脚からは、外翼方向に側方支持の細い支柱が出ているようですね。
    このあたりが「片持式でない単脚柱」ということのようです。


  14. 支柱じゃなくて、張線ですね。失礼しました。ということは、内側にもあるのかもしれません。


  15. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD11_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Nakajima_Ki-11.jpg
    キ11だと外側だけですね。
    さらに失礼しました。


  16. キ11の派生型である中島九試単戦のズボン脚は、やはり内側にもバツ印の張線がありました。
    再三に渡って失礼しました。

    ともあれ、そんなふうに三菱七試艦戦のスボン脚だけが特別というわけではなく、例はたくさん見つかります。
    はじめは脚柱から車輪までズボッと一本にカバーしていたカタチから、次第に客の部分が細くなって車輪覆だけが流線形化してゆく過程も、そんな中から見て取ることができます。


  17. http://www.airwar.ru/image/idop/fww2/ki11/ki11-1.gif
    キ11の翼上下面にある張線のうち、脚補強とされる下の張線を取って見ましょう
    上の張線は相変わらず主翼を上向きに引っ張っています
    下向きに引っ張っる張線を失ってこの薄い翼が耐えられるでしょうか?

    下の張線は脚ではなく主翼を補強する物です、脚はキングポストとして使われています
    スパッツ下部にある張線の中継点は偏りのないV字となる位置です
    脚はあくまでも脚ですので主翼に取付けられた後は主翼の強度に依存します
    弱い主翼に脚を強固に取付けても意味がありません
    P-26も同様です
    http://www.airminded.net/p26/p26_3v.gif
    ガス欠

  18. 目的はともかく、結果的に「片持式一本脚ではなかった」という点が、この場合のポイントだと思います。


  19. 皆様ありがとうございます。
    七試艦上戦闘機はどちらかと言えばマイナーな航空機であり、十分な資料が残っていないのも現状ですが、皆様の回答を見ていると固定脚技術の進化を見ている様で、とても感慨深いものが有ります
    ナロー

  20. 学研歴群・日本海軍機図鑑に、後方支柱があると書かれてました。
    超音速


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