1584 十二試艦戦に対する折畳機構の要求はいつ・どのようなきっかけで行われているのでしょうか?
学研「零戦2」等にある計画要求書には記載が無いように見えます。
しののめ

  1. 朝日ソノラマ 零戦 堀越+奥宮共著 P247より
    「(中国戦線で活躍した)一一型は64機生産された。ところが、本機はその全幅が12メートルで、母艦の昇降機よりほんのわずか小さいだけであったので、寸秒を争う母艦での揚げ降ろしに不都合であったばかりでなく、時に翼端を破損する恐れさえあった。そこで六七号機以降両翼端を50センチずつ折り畳むようにし」

    航空ファン イラストレイテッド NO53零式艦上戦闘機 P32より
    「通算3号機から66号機までの64機が一一型」
    「通算7〜26号機と通算29号機〜66号機は陸上戦闘機型で着艦フックやクルシー帰投方位測定装置を装備しておらず、昭和15年7月7日付の零式1号艦上戦闘機1号1型/2型仮取扱説明書では局地戦闘機とされている」
    「通算6号機と27号機は二一型の原型とも言える機体で着艦フック、翼端折畳装置など艦上機として必要な装備を持っており」
    「28号機は着艦フックは装備していたが翼端折畳装置はなく艦載実験機と類別されている」
    「6号機の翼端は下方折畳式」
    ガス欠

  2. 零戦一一型には二一型とは若干異なる仕様ですが、ちゃんと着艦フックが用意されています。そして一一型にも二一型にも着艦フックを外した際の覆いが用意されています。
    また一一型の後半は艦上機として計画されたものです。
    翼端の折畳機構追加の経緯は現在まだ確実ではありませんが、母艦のエレベーター寸法の推移と現状に影響を受けているのかもしれません。
    BUN

  3. 御回答ありがとうございます。
    翼端の折畳機構は追加されたもの、ということが少なくとも確認できてほっとしました。
    龍驤や瑞鳳型のような小型空母が原因かな、とぼんやり考えています。
    しののめ


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