1589 初歩的なことを質問いたします。
第二次大戦中、長距離爆撃に行く航空機はどのような方法で、迷子にならずに目的地にたどりついたのでしょうか?
 真珠湾攻撃の場合、例えば「まっすぐ東へ飛べ」と指示されても、途中で雷雲をよけたりしたら、道に迷うんじゃないでしょうか?
「チコちゃんに叱られる」では、管制塔連絡しながら地図上のウェイポイントをたどる」と説明していましたが、真珠湾攻撃では無線封鎖をしていたでしょうし、帝国海軍にはレーダーがないので、攻撃隊の状況がわからなかったと思います。
 どなたか、ご教示願います。

PIAT

  1.  陸が見えるなら地文航法です。地図と地形を見ながら飛行します。

     陸が見えない状況では天測航法です。
     複座以上の航空機の偵察員が天測して座標を割り出しながら飛行しますが、単座機ではできません。

     WW2ごろからは地上に複数の基地を設置し、それらから発せられる電波の受信状況から位置を割り出す測位システムも存在していて実用化もされていました。
    おうる

  2. https://www.jal.com/ja/jiten/dict/p295.html

    「飛行機、航法」で検索して最初に出てきます。
    タンジェント

  3. 推測航法で重要なのは偏流測定です。
    陸地上空では、目標物の真上を飛んで後方にそれが見えたら尾翼の偏流測定線で角度を測ります。
    洋上では白波を目標物とします。
    このため複座以上の機は偏流測定できるよう下面に窓や穴があいています。
    海が凪いでいるときや夜間は、航法目標弾(発炎筒のようなもの)や航法目標灯(海面を染料でマーキングする)を投下します。

    大戦後半には無線航法やレーダーの発達で天測や推測航法は補助的になっていきます。
    超音速

  4. 下の質問1586でクルシー(NDB)について記述しました。初期の手動式から自動式になって便利になったものの、欠点はループアンテナが必要なことと誤差が数度ほどあって精度が悪いことです。

    2.のタンジェントさん紹介のリンク先の「DME」に相当するのが、大戦中英軍が使用した「OBOE」です。二つの地上局の利用で自己位置を特定できます。誤差は30km離れた地点で100mだそうです。爆撃誘導にも使用されました。

    「LORAN」の原型となったのが同じく大戦中英軍が開発した「GEE」です。誤差は550km離れた地点で3kmだそうです。自己位置特定には3か所の地上局利用が必要です。
    改良型のLORANは大戦中米軍によって世界各地に設置され、B-29にも受信機が装備されました。

    「VOR」の機能に相当するのが、独軍の開発した「SONNE」または「Elektra」です。ただし受信機から信号音を聞く必要があります。NDBと違って誤差は1/4度ほどです。ドイツ勢力下の各地に、最終的に18か所設置されました。航空機だけでなく艦船も利用しました。
    敵である英軍も利用したので、戦後も「Consol」として長く使われました。

    「ILS(計器着陸装置)」は大戦前からありました。ILSに使う電波はローレンツビームといいますが、独軍は「クニッケバイン」として爆撃誘導に使用しました。発展型の「Xゲレート」ではアンテナから320km離れて91mのビーム幅です。ビームに乗っていけば目標にたどり着けます。目標上空でクロスする別のビームが発信されており、これを受信したときに投弾するわけです。
    英軍は大戦中必死に欺瞞・妨害を仕掛けました。

    そのほか以下の方式があります。
    ・自機から電波を発信して地上/艦船側で受信し、方位を教えてもらう。これは一度に多数機が来ると順番待ちとなる。
    ・地上/艦船のレーダーに誘導してもらう。順番待ちの欠点は上と一緒。IFFが必要。
    ・機上レーダーで地形を確認したり母艦を探す。
    ・敵のレーダー電波を追跡する。
    超音速

  5. 無線航法が発達しても自律航法は全廃するわけにはいきませんでした。
    INS(慣性航法装置)が実用化されてからは、推測航法はこれに置き換わりました。
    天測は自動天測装置(astro tracker)というものが開発され、B-58ハスラーなどに搭載されました。
    超音速

  6. 質問者様は、この質問を書くまで「航法」という言葉を知らなかったのでしょうか。
    「チコちゃんで説明していましたが」と書いてるのを読んで、地上波では如何にいい加減な事を云っているのかと思いましたが、
    「現代の」「旅客機の」「平時に於ける」運行であると限るのであれば間違いとは言い切れない訳で。
    (現代の旅客機も「管制塔連絡しながら地図上のウェイポイントをたどる」以外の方法で目的地に向かう事は当然出来ます)
    有史以前からの人類の「迷子にならずに目的地にたどりつ」く為の方法の歴史の中に航空機の其もあるので、
    航空機の其を特別なものと考えるのは
    「企業の研修で、月面でのサバイバルキットの中に必須のものとして方位磁針を入れていた」
    という嗤い咄と同じではないでしょうか。
    にも。

  7. 「管制塔連絡しながら地図上のウェイポイントをたどる」のは、線路や道路の様に狭く設定された航空路を辿って運行しなければならない現代の商用輸送機に固有の事情ではないでしょうか。
    真珠湾攻撃に際して「迷子にならずに目的地にたどりつ」く手段は何なのかと考えるなら、外洋を航海する帆船はどのようにして、から考えて調べるべきではなかったでしょうか。
    にも@追加。

  8. 英海軍が艦上戦闘機に航法員を乗せることに拘ったのも、帆船時代からの天測への信頼と、独立した航法能力無しでは外洋
    取分け天候の悪い北大西洋での作戦には投入させられない、と考えたからでしょう。諦めましたが。
    真珠湾攻撃の際にも撃墜の危険を冒して複座以上の機が最後まで嚮導に残っていた筈です。
    にも@追伸。

  9. テレビや漫画を見てなんでも質問するのは止めて欲しいですね。質問する前に多少は自分で考えたり調べたりしては如何でしょうか。
    今日、自動車のカーナビでさえ目的地を入力すれば道筋が表示されます。ましてや、飛行機においておや。何のため、TVで紹介された方法を採用しているのかを少しは考えましょう。昭和45年ぐらいまでは、我国ではジェット旅客機が富士山上空で晴天乱気流に巻き込まれて墜落したり、欧州ではモンブランに激突したり、その他旅客機が戦闘機と空中衝突したりする事故が多々ありました。今日では、航空路ははるかに混雑し、航空路も増え、航空機は大型化しました。従って、より安全性を高める必要があり、その手段の一として開発されました。
    次に、質問にある昭和16年頃は、海上の飛行は、対気速度、目標による海上の風向、機上で測った偏流(飛行機が進行方向に対して風で流される角度)をもとに航法計算盤で計算します(出典 奥宮正武 著 「真実の太平洋戦争」)。なお、方位は磁石によったと思います。海上の風向は、目視による波の観測です。従って、薄暮や夜間は大変。
    以上の他、陸地でも、そして日中でも、冬の満州は大変だったそうです。
    更に、当時は雷雲をよけたりすることは困難でした。古賀大将の殉職は、雷雲をよけられなかったからです。
    最後に、悪天候による遭難についての、高橋三吉対象の回想をご紹介させて頂きます。(出典 海と空 1959年 2月号 鍛しわが艦隊)
    昭和4年に済州島南方での演習で空母赤城と鳳翔が殆ど全機を発艦させた後に天候が急変し、猛烈な大雨のため飛行機より艦隊が見えなくなり、赤城では1機を残して行方不明(要するに、海上に不時着。鳳翔については記されていないが略同様と思われます)。飛行機からは、「われ、燃料は後5分」等の連絡が多数入り、演習は中止、全艦隊で一昼夜捜索したが1機も発見できず、焦燥した状態で佐世保に入港。当時の山本艦長の悲痛な顔色は、私は今日まではっきりと覚えている。
    なお、この事件では、不時着機の多くは漁船等に救出されたため、死者は6人だったそうです。
    重ねて記しますが、TVや漫画を見て、何も調べず直ぐ質問するのは止めて下さい。


    UK

  10. ふつうは磁気コンパスとジャイロコンパスを併用します。
    一長一短があるからです。
    「方位磁針」で検索してもらえればわかりますが、磁気コンパスには偏差というものがあり、航空図に記載された偏差量を見て方位に注意します。
    磁気コンパスは旋回に対する反応が遅いので、主にジャイロコンパスを見て操縦します。
    ジャイロコンパスにも注意点があります。地球の自転に同調していないため、約15分おきに磁気コンパスと同期させる必要があります。もし12時間放置したら方位が真逆になるそうです。

    「まっすぐ東へ飛べ」というのも簡単ではないです。
    誘導機は敵機に撃墜されることもあるので、原則は単座機でも自力帰還できるようにしておくことです。
    超音速

  11. 4.のつづき
    その後の調べで米軍はZB / YEホーミングシステムというものも使っていたそうです。
    VHF波を使い、機能としては独軍のSONNEと似たもののようです。
    超音速


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