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帝国海軍機の名称は、途中から風、電、光、雲等がつけられるようになりましたが、もしも従来通りの命名基準だったら、既存の期待は蓋然的にどのような名称になっていたと推定されますでしょうか。 宇宙人 |
- 新名称附与様式は昭和18年夏から19年初頭にかけて順次切り替えられています。
最初は紫雲と瑞雲が新名称で制式採用され、続いて各試作機が名称を変更しています。
もし新名称附与様式が存在しなければ、これらの試作機は制式採用された年度に従ってその年式を冠称していたでしょう。例えば昭和18年11月に制式機となった紫電は三式局地戦闘機といった具合です。
けれども海軍機の中には終戦まで制式採用されず、実験機扱いのままで実戦に投入されていた機体が数多くあります。これらは終戦まで試作計画名称のまま使われることになります。紫電改であれば一号局地戦闘機改または仮称三式局地戦闘機二一型、彩雲ならば十七試艦偵一一型となっていたことでしょう。
そして、新名称附与様式が無かった場合に名称が変わるものがもう一つあります。
それは練習機です。
零戦の複座練習機は零式練習用戦闘機ですが、これは新名称による命名です。
その先代にあたる九六戦の複座練習機は二式練習用戦闘機なのに、それより後に採用された零戦改造の練習機が零式となっているのは新名称では改造機の原型となった機体が年式冠称の旧名称を持つ場合、その年式をそのまま冠称する規定になっているからです。
もし、新名称附与様式が存在しなければ零戦の練習機は四式練習用戦闘機となっていたことでしょう。
BUN
- 質問者です そう考えていくと 史実の 雷電:3式局戦 紫電:3式局戦 強風:3式水戦 天山:3式艦攻 彗星:3式艦爆 銀河:4式陸爆 となるかと思うのですが、この場合、雷電と紫電がどちらも3式局戦になってしまいます。これはさすがに区別化をはからないとなりませんが、この場合は、紫電が3式中翼局戦とかになるんですかね。
宇宙人
- 年式が重なる機種が出現した場合は、開戦前までは「」二号〇〇機と呼びましたが、開戦後は型式番号を離して「六一型」等と呼んでいます。
細かいことですが雷電、紫電は昭和19年採用なので四式、彗星一一型は非公式ですが二式艦偵ニ一型と呼ばれています。
BUN