1730  川西で開発されていた輸送飛行艇「蒼空」について質問です。

 全木製にこだわったせいでベニヤ材(特に接着剤やプレス加工)の開発に難航して開発遅延の大きな原因になっていますが、主翼だけでも鋼管帆布張りにしようというような選択肢はあり得なかったのですか?
おうる

  1. 「知られざる軍用機開発 下」(酣燈社)に川西で設計・試作を担当した竹内一郎氏が詳しい記事を寄せています。

    開発遅延の主な要因は技術面よりも、川西が紫電改の生産に注力して社内の優先順位が下がったこと、試作工場の疎開作業に追われ、さらに輸送の困難と、鳴尾・甲南の両製作所の被爆で試作が進まず、資材の欠乏もあったことです。
    世傑二式飛行艇の蒼空の記述は半ページほどですが、概ね同じ内容です。

    >ベニヤ材(特に接着剤やプレス加工)の開発に難航して
    初期には鋼製化も含め研究されていたが、空技廠の開発した硬化積層材(いわゆる強化木)の使用を海軍から指定され、社内でも検討した結果、実現可能と判断されました。
    硬化積層材とは、カバ又はブナの1mm薄板に石炭酸樹脂を含浸させ積層、加熱圧締したものです。
    これで作った長さ12mの部材が1機あたり48本が必要だが、当時はこの寸法のものを一度に圧締できるプレスがなく、醬油絞りプレスを10台ほど並べて作った14mプレス機によって試作品の製作に成功。
    しかしフェノール・アルコール・石炭など各種資材が不足し、終戦までついに1機ぶんの材料もできなかったそうです。
    著者は「全力を挙げて努力したのではあるが、今にして思えば総合国力の限度から見ていささか無理であったように思われる。」と書いています。

    >主翼だけでも鋼管帆布張りにしようというような選択肢はあり得なかったのですか?
    プロペラは鋼製中空と木製シュワルツ式の2種が試作されています。
    解説記事を鳥養鶴雄氏が書いていますが、「全木製、積層強化木材にこだわらず、鋼材を利用することにすれば開発はもっと促進できたように考えられる。」と結論づけています。
    超音速

  2. そもそもあの時期に行われた蒼空試製の目的は、まず木製機技術の開拓にあったのではないかと思います。

    そしてまた、巨大な水輸が実現したとしても、制空権無くして運用はできません。
    制空権確保のための最後の頼みの綱としてまだしも現実味があったのが紫電改なのですから、技術的な隘路以前に、不要機種・道のりの遠い実験機は切り捨てて、紫電改に集中させる方策が妥当なものとされたのは無理ないことと思います。
    陣風も艦戦としての烈風も中止される状況下なのですから。


  3. 文字化け修正

    醬油絞りプレス→しょうゆ絞りプレス
    超音速

  4.  回答ありがとうございました。
    おうる


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