1762 |
帝国陸軍は、97式重爆撃機が揃うまでの繋ぎとして イタリアからBR20を輸入しイ式重爆撃機として使用してますが このギャップは何で生じてしまったのでしょうか? 調達部門は、このギャップが無いように仕事をしてると思うのですが… 想定以上に93式重爆が使えなかったとか 日中戦争なんて想定外だったとか まさのり |
- まさのりさん
九三式・イ式・九七式一型といった支那事変初期の重爆に関しては、伊澤保穂「陸軍重爆隊」が戦記本ですが機体解説の方も詳しいと思うので、それを読むとかなりのディテールが得られると思います。
1.日中戦争なんて想定外
純粋に1937年時点では生産が終了しており、現地で消耗した後の補充機は旧式の一型が充足されている状況で、そもそも調達しないと必要分を確保できるかという問題もありますので「支那事変が想定外」というのは間違いなくあると思います。
2.想定以上に使えない問題
勿論九三式重爆としての問題、特にスペック以前に信頼性が低い事がかかれています(搭載する三菱水冷七○○馬力発動機の水漏れ潤滑油漏れは当然、飛行第14戦隊では気筒内壁が割れたり、ピストンが気筒を突き破るといった故障あり)。これでも十分更新を急ぐ理由にはなると思います。
3.海軍
海軍の九六式陸攻の華々しい活躍をするのに反して、陸軍の重爆が芳しくないのが問題視されていた様にかかれています。
これはイタリア武官の耳にも入って陸軍省にどうなっているのかヒヤリングする場面にも見て取れます。
いちおう九三式重爆隊はよく敵地上軍に空爆を加えて、歩兵師団の進撃を可能にする重要な要因になっている事は、ちゃんとこの戦記で分かるのですが、
個人的には3.の「圧倒的に優秀な九六式陸攻への対抗意識」が試作中の新型重爆を待たずに調達を急がせたのが寄与度がもっとも大きい要素ではないか、と思うのです。
豚
- 九三式重爆の試作指示は昭和7年、海軍の九六陸攻の原型機の八試特偵は昭和8年です。
つまり両者は一年しか違いません。
しかし九三式重爆が開発の参考にしたユンカースK37は1927年(昭和2年)初飛行であり、この時点で最新とは言い難い機種です。実用化を急ぐためと技術習得のため致し方ない決定でした。
九三式重爆が早期に旧式化したのは必然だったのです。
超音速
- 超音速さん、豚さん回答ありがとうございます。何かこの時期陸軍は、重爆調達でバタバタしてる印象です。
97式重爆でもI型→II型で何かちぐはぐですし。
まさのり