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雷電の翼根翼型はJ2M1からJ2M2八号機までは従来翼型で J2M2九号機以降から層流翼型に変更された、とする話が 月刊誌 丸 2021年2月号P75〜P76、P82にかなり具体的に書かれてます(図もあり) 記事を書いたのは Ans.Q 1746 と同じく古峰文三氏で、正直疑わしいですが この前代未聞の主張は本当ですか? 梅干し |
- 根拠となる三菱のノートは私も見ています。
なお、この程度の機体構造の変更は、史料を精査すればいくらでも出てきますので、それほど前代未聞というものではありません。
片
- 堀越氏は奥宮氏との共著 零戦 で14試局戦に採用した特徴のうち、翼根の層流翼を第一に挙げています
以下、35%位置の主桁、ファウラーフラップ、胴体の形、多量生産向き構造、の順番で書いており
〜当初は従来翼型だったとか、〜層流翼に設計変更したとかの話は出てきません
松岡久光氏のみつびし飛行機物語、渡辺洋二氏の局地戦闘機「雷電」、モデルアート臨時増刊No470、杉田親美氏の三菱海軍戦闘機設計の真実、
小福田晧文氏の零戦開発物語にも出てきません
帆足大尉がJ2M2/2号機で殉職したのが昭和18/6/16、再任で小福田氏を実験部に呼び戻す発令が6/24、柴山氏がJ2M2/10号機で墜落寸前になったのが9月
層流翼化が9号機からなら小福田氏が当然テストしているはずで、著書にその記述がなく、比較飛行データなどテスト記録も残ってないのは不自然です
秋本実氏の日本軍用機航空戦全史【第三巻】のP152には何故か
「主翼は寸法、面積、断面形、平面形、基本構造は試作機から最終型まで変わらなかった」とわざわざ親切に書かれています
これは『問題の史料』を読みつつも秋山氏なりに調査して後世の人が誤解しないよう残した一文である可能性があります
初版1995年4月10日ですから存命の関係者に確認したのかもしれません
ガス欠
- 主桁位置(防火壁スリットの少し後ろ)から前方のフィレットのカーブを見比べて見る
https://uploads-ssl.webflow.com/60d3c6d0e106af90561564f7/60f6dec8a9bbb60030671b5d_Mitsubishi-J2M3-Raiden--Jack---TAIU-SWAPA-S12---Clark-Field--Philippines--June-1945--6b-.jpeg
https://uploads-ssl.webflow.com/60d3c6d0e106af90561564f7/60f6def1dbe2032c084914a5_Mitsubishi-J2M3-Raiden--Jack---1c-.jpeg
https://uploads-ssl.webflow.com/60d3c6d0e106af90561564f7/60f6def17e3e7ce60fea7abf_Mitsubishi-J2M3-Raiden--Jack---1b-.jpeg
下がJ2M1、撮影角度が違うけど、機軸線から見た曲がり具合は同じですよねコレ
明らかに従来翼型のカーブじゃない
https://uploads-ssl.webflow.com/60d3c6d0e106af90561564f7/60f6def20aab951b87e7c26e_Mitsubishi-J2M3-Raiden--Jack---3aa-.jpeg
古峰文三氏に限らず
史料偏重は史料の落とし穴に落ちる時がある…
また同時に史料を盾に取って開き直る事もできる…
怖い話です
梅干し
- 5ちゃんに飽きてこちらでも怨念語りですか
ご苦労様です
passage
- >>4さん
咎められるのは質問としてルールを逸脱したかどうかではないですか?
質問者は恐らく(いや十中八九?)"アンチ"と見られる方かと思いますが、
その様な方に対してでも私怨とか内心云々を言うのは今関係無いのでは?
下手糞な援護射撃ほど迷惑なものはないでしょう。
史料批判は大事では?
- 誰を責める訳でもなく純粋に気になりますが、肝心な一番下の写真、フィレット胴体側のラインはよく分かるけどフィレット主翼側の形状が白で潰れちゃって、主翼付け根の断面はこの写真だけではよく分からないですね…
匿名でごめんなさい
- 同じ形状の胴体に接続するんだからフィレットは翼根翼型を強く反映したラインになりますが?
古峰氏が示す主翼の図(P81)も主桁は35%位置にあり
従来翼型なら少なくとも防火壁スリットまでは機軸線に対し登り勾配でなければおかしい
実際は下り勾配でJ2M2九号機以降と同じラインなんですが??
梅干し