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日本海軍航空隊の編隊についてです。 日本海軍は3機1組を採用しておりなかなか2機1組が浸透しなかった、というのをネットで散見します。 しかし昭19以降、南方に進出した部隊を中心に基地航空隊では2機で1個小隊、4機で1個中隊とした飛行隊がちらほら存在します。 ここで気になったのは601空や652空、653空といった空母艦戦隊の編隊はどちらだったのでしょうか。 よろしくお願いします みかん段ボール |
- すいませんことばたらずでした。
「ここで気になったのはマリアナ沖海戦時の601空や652空、653空といった空母艦戦隊の編成はどちらだったのでしょうか。」
に訂正さます。
みかん段ボール
- アジア歴史資料センター、リファレンス番号 C13120355200 に652空の戦時日誌(戦闘詳報)に飛行機隊の編制表が載っています。艦戦は4機編隊と2機編隊が基本のようですが、他の航空隊のは探していません。
hush
- 601空、翔鶴戦闘機隊の小平好直さんは昭和19年6月19日
「3機を従える区隊長であった」と書いており
・今日の話題社 艦隊航空隊II P100
同じ601空でも瑞鶴戦闘機隊の池田速雄さんは
「3中隊2小隊2区隊として出撃する事になっていた」(4機編成の3番機)と書いています
・今日の話題社 艦隊航空隊II P158
ガス欠
- >3
アジア歴史資料センター、リファレンス番号 C13120353200 の第601航空隊編制22コマを見ると小平好直飛曹長の指揮する第4小隊は4機で編制されていますね。
hush
- はい、3機プラス小平区隊長で4機ですね
ガス欠
- >5
そのようですね。
hush
- 川崎まなぶ氏の労作「マリアナ沖海戦 母艦搭乗員激闘の記録(大日本絵画)」巻末の出撃編成表を見ればイメージがつかめるのではないでしょうか。1小隊4機編成が主体、一部が2機編成、ごく例外的に3機編成といったところのようです。各母艦から6機づつ出撃した653空艦戦隊も3小隊×2機編成です。
若狭玄