1823 日中戦争時に護衛戦闘機無しで渡洋爆撃で損害を受けた帝国海軍ですが、マレー沖海戦時も護衛戦闘機無しで陸攻隊を飛ばしてます。これに関して上層部は多少の犠牲はやむ無しという考えだったのでしょうか?それとも英国側の迎撃は無いという考えだったのでしょうか?
まさのり

  1. 英艦隊を攻撃した陸攻隊はサイゴンやツドゥムから索敵攻撃で出撃してます。
    仮に零戦が配備されていても航続距離の関係で同行するのは不可能、つまり最初から護衛機を付けられる状況ではなかっただけではないでしょうか。
    元自

  2. 元自さんありがとうございます。山本五十六司令長官と三輪作戦参謀の賭けの話を鑑みると、英国側の迎撃は無いと見込んでたのですかね。
    まさのり

  3.  戦史叢書 https://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/SoshoView?kanno=024# 227コマには英空軍の活動が低調であると書いてありますね。
     しかし、使用可能な機体残っているのですから、基本的にはギャンブルであり、1で書かれているように護衛機の航続距離が足りなかっただけでしょう。
     
    hush

  4. というか陸攻による対艦攻撃って元々護衛戦闘機の随伴を殆ど考慮してないんじゃないでしょうか?
    ニューギニア沖海戦でもレキシントン攻撃に護衛なしで出撃して大損害食らってますし、レンネル島沖海戦でも援護無しで出撃してます。
    元自

  5. マレー沖海戦でも戦艦2隻沈没後にバッファロー戦闘機が飛来とあります。結構、綱渡りな大戦果だったと思います。
    まさのり

  6. 開発段階から「護衛戦闘機の随伴が前提に入っていないのではないか」という事です。
    一式陸攻開発時も防弾装備の充実で速度を落とすより高速で敵戦闘機を振り切る方向ですし、求められた航続性能からしても敵艦隊攻撃時に戦闘機の随伴は不可能だという前提ではなかったかと考えます。
    開戦劈頭のフィリピンやのちのガダルカナル戦のように攻撃目標が対地で動かない&ギリギリ戦闘機の航続性能が足りる場所でなければ基本的に護衛機を付けられないというのが陸攻運用の前提だったのでは?
    元自

  7. となると渡洋爆撃での戦訓は無視と言うことでしょうか?
    まさのり

  8. というか戦訓の反映が「高速化」という方向性だったのでしょう。
    実際に九六陸攻に同乗して陸攻の大損害を間近で見た大西大佐(当時)が新陸攻開発に際し防弾強化を訴えていますがそれでも高速化という方向で纏められている訳です。
    また陸攻ベースの翼端援護機開発も「戦闘機の随伴は不可能」という認識の現れではないかと思えます。
    この辺は学研の「一式陸攻」にも会議の概要が掲載されていた筈です。
    元自

  9. 戦闘機無用論の名残みたいなものですかね。イギリスは開戦初期に護衛戦闘機無しでドイツ本土、北海方面に爆撃をしようとしたら大損害を受け夜間爆撃にシフト。米国は英国の忠告を無視しコンバットボックスで行けると強行して大損害を受けるですから
    似たり寄ったりですね。
    まさのり

  10. >陸攻による対艦攻撃って元々護衛戦闘機の随伴を殆ど考慮してないんじゃないでしょうか?
     私もそう思っています。
     戦闘機無用論というより、護衛戦闘機が用意できなくても、攻撃優先でいこうという発想が強いのではないかと思っています。
     この旧日本海軍の人命無視と思える考え方が、特攻に繋がっていくのだと思っております。
     人名を尊重するというのなら、誘導兵器の開発等にもっと力を注いだと思いますし。
     
    hush

  11. 戦闘機が「ついていけない」距離に存在する敵を攻撃するのだから要不要の問題ではなく前提として「戦闘機の随伴は不能」だったのではないか、という事だと考えております。
    特に攻撃目標である米艦隊は動き回るので予想位置に到達して発見出来なかった場合付近を捜索する必要がある訳で、1000km前後の進出距離+索敵では零戦でも実質随伴不可能、最初から遠距離の敵艦隊攻撃へ戦闘機を付ける事は現実的ではないでしょう。
    そして本来陸攻とは「決戦兵力」であり、一回こっきりの決戦で戦果を挙げ勝利する事が出来れば損害の多寡はあまり考慮されなかったのではないかと。
    人命軽視と言うよりは「一度限りの決戦に何が何でも勝つ」為に特化した存在に思えます(逆に言うと連続した小規模な航空戦による消耗は考慮外)>陸攻
    元自

  12. 九六式陸攻のwiki には陸攻の目標は敵艦船(主に空母)とあり決戦兵器というよりは露払い的な兵器では?そしてとどめは大和級戦艦の九一式鐡甲弾と言うのを読んだ記憶が有ります。(笑)
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%85%AD%E5%BC%8F%E9%99%B8%E4%B8%8A%E6%94%BB%E6%92%83%E6%A9%9F
    まさのり

  13. >12
     それは開戦前の日本海軍、そして、おそらくは当時の世界中の海軍の基本思想だったと思いますが、航空畑の人はそう思っていなかったわけです。そして、日本の航空本部は、もちろん航空兵器が決戦の主力であると考え、そういう考えを過去の遺物にしてしまったわけです。
     
    hush

  14. >>12
    その文言の直後にある「沿岸用攻撃機」とそのリンク先を見れば当初の構想と現実に完成した陸攻の目標が別であるとすぐ判ると思いますが。
    漸減要撃作戦といういわば段階を踏む一連の決戦に投入する兵力を決戦用と見做す事の何がおかしいのか私には判りません。
    元自


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