1869 第二次世界大戦時のソヴィエト戦闘機の形式番号について。MiGはミコヤン・グレビッチ設計局でわかやすいですが、ラボーチキンの機体についているLaGGの「GG」はどういう意味があるのですか。また、I-15やI-16は何故MiGやLaのように製造社の頭文字が入らずにI(戦闘機)表記のみなのですか。 
かめ

  1.  こちら https://en.wikipedia.org/wiki/Soviet_Union_military_aircraft_designation_systems を見てもらうと分かりますが、ソ連の軍用機は機種記号+番号だったのですが1940年に命名規則が変わり設計局の略号+番号に変わります。I-15やI-16は規則改定前の命名だからでLaGG1の場合はLavochkin-Gorbunov-Gudkovの略で、設計を行ったラヴォーチキン、ゴルブーノフ、グドコフの頭文字です。
     
    hush

  2. hush様、わかりやすい説明をありがとうござます。GGも人名なのですね。
    かめ

  3. LaGG戦闘機は途中からGGが削除されLa-5からラヴォチキン単独になっています。
    以下余談。
    LaGG三人組のなかではラヴォチキンが最年長で設計者としても一番経験がありました。
    ゴルブーノフとグドコフは、二人とも技術者としては未熟ながらパイロット経験のある人物で、ゴルブーノフは航空機生産関係の官庁で要職にあり、グドコフはその部下でした。
    ラヴォチキンがデルタ材を使った木製戦闘機を提案したときサポートしたのがこの二人だったのです。
    そして木製戦闘機を開発するための設計局が三人合同となったという経緯です。
    その後LaGG-3の生産が進むとGGの二人は独立を画策し、それぞれが独自の設計案を出すようになったので、設計局呼称がLa単独になりました。
    しかしゴルブーノフ独自の戦闘機は試作機まで作ったものの欠陥機で失敗。
    グドコフの案は戦時の混乱でうやむやになったようで二人とも独立はかないませんでした。
    ラヴォチキンのその後は戦後各種のジェット戦闘機を開発したもののあまり成功せず、無人標的機やミサイルの開発にシフトしたようです。

    超音速

  4. 超音速様 ありがとうございます。
    実は、まさに「La-5以降はGGが外れてますが 二人が設計から外れたのでしょうか?」と質問しようかと思っていたところでした。
    かめ

  5. 訂正します。逆でした。
    「グドコフ独自の戦闘機は試作機まで作った」
    「ゴルブーノフの案は戦時の混乱でうやむやになった」でした。
    超音速


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