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メモはともかく戦時中の公文書では軍用機の型式名は漢数字で書いてるにもかかわらず、アラビア数字で表すようになったのは一体いつごろからなのか気になっています。たとえば新聞や雑誌の紙面上で「21型」など表現するようになったのはやはり戦後からとみてよいでしょうか。この辺調べてみようと思います。(中学生で軍用機ファンになって半年ほど表記を読み間違っていたのですが、戦中派はともかく新参者には誤解を招く表記だと思うのですが、大人になっても間違った読み方で元空中勤務者の方にインタビューしていたりする映像を見かけたりします。) ヒロ |
- 戦後です。
1952年4月4日付の内閣通知「公用文作成の要領」 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/kento/kento_03/pdf/sanko_2.pdf (8コマ)の第3書き方についての3に「3 左横書きの場合は、特別の場合を除き、アラビア数字を使用する」と書かれたのが原因だと思われます。
これは公文書向けのものだったのですが、徐々に民間に浸透して新聞が使用することにより、二一型を21型と使用するようになりました。
このために「にいちがた」を「にじゅういちがた」と読むようになったというのが、質問者の仰りたいことのように思われます。
ただ、零戦は「れいせん」であって「ぜろせん」ではないという意見もありますが、戦時中の新聞に「荒鷲などからは零戦(ゼロセン)と呼び親しまれ」とルビ付きで紹介されているように、読み方が変わってしまう場合もあります。
ですので、本来はこうだからというのもよろしいのですが、もし、現地では違う読み方をしていた場合、それを頭から拒否してしまう場合もありますので、その点はご注意ください。
というのは、最近、小学校等で教えている筆順に何の根拠もなく、書道的にはおかしな書き順であることを知り、いろいろなことに疑いを持ちながら行くべきだと思ったからです。
いらぬことまで書いてしまいましたが、御寛恕いただければ幸いです。
hush
- hush様、アラビア表記の発祥について文書を挙げてご詳細にご説明してくださり誠に感謝申し上げます、ありがとうございました。(手元に昭和二十六年の「世界の航空機」や三十三年の「日本航空機総集」昭和三十六年の「丸」などがありますが、キ番号「キー96」などの表記を除いては縦書きは型式も機体名も「MEー一〇九」など漢数字、横書きであっても型式名は漢数字で表記されていますが、60年代の広告のプラモデルの箱柄ではアリイ(旧名:LS)「100式司偵」「3式戦闘機」「零戦52型」などが目に入るので「模型界から来た表記の流れもありそうだ」と思いました。長文失礼しました。)
ヒロ