283 石炭燃焼艦の場合、石炭の残量はどうやって管理しているのでしょうか?
(単純に、○t積み込んでから×t消費したから残りは△tとやっているんでしょうか?)

安井賢一

  1. 興味深いお題ですが、なかなか回答がつかないですね。

    直接の回答ではありませんが、
    別件で調べたものがあるのでコメントします。

    質問のカッコで囲まれたような管理は、現在でも行われています。
    石炭つながりで、火力発電所を例にご説明しましょう。

    1)運び込んだ石炭の重量○tは、一例としてこんな方法で求めることができます。
    http://www.jsanet.or.jp/qanda/text/q4_45.html

    2)消費した石炭の重量×tは、計量給炭機で測定した値を積算することで求まります。

    3)あとは計算(○t -
    ×t + 元からあった石炭重量)で、現在の石炭残量△tを求めることができますね。

    しかし、これは計算で求めた"こうなっているはず"という数字でしかありませんから、
    定期的に棚卸をおこない実測値と比較する必要があります。
    http://www.gtec-ni.com/tousetu/doc/lezer.html
    こんな感じで石炭残量の容積を実測し、これにかさ比重を掛けて、重量ベースの石炭残量▲tを知ることができます。


    問題は計算で求めた石炭残量△tと、実際の石炭残量▲tが一致するかどうかですが、
    残念ながら、現在の技術力をもってしても△t≠▲tとなる場合がほとんどでしょう。
    http://www.jpower.co.jp/news_release/news070426-2.html

    このように、計算で求めた石炭残量は目安にはなりますが誤差を含んでおり、この誤差の蓄積をリセットするために棚卸をおこなう必要があるのです。
    これは現在の火力発電所でも、ずっと昔の石炭燃焼艦でも同様です。


    ここで疑問になるのが、石炭燃焼艦で○tや×tが実際に計量できて、結果△tという目安量が計算できるのかということです。
    正直なところ、難しいのではないかと思います。
    この方法で管理していたとしても、重量ベースではなく石炭袋の個数ベースになるのではないでしょうか?
    また棚卸もどうなるのでしょうか。石炭庫がいっぱいに詰まっていたら、石炭袋の個数を数えるのも大変でしょうし。

    この質問の答えに近づくには、戦闘艦の主計官?の仕事内容か、補給艦の仕事内容を調べるのがよいかとも思います。

    ちなみに、スペックにある最大積載量は、石炭庫の容積にかさ比重を掛けたもののようですね。



    太助

  2. 太助さん。ありがとうございます。

    今も昔も固体燃料の管理は大変なんですね。

    安井 賢一

  3. > この方法で管理していたとしても、重量ベースではなく石炭袋の個数ベースになるのではないでしょうか?
    > また棚卸もどうなるのでしょうか。石炭庫がいっぱいに詰まっていたら、石炭袋の個数を数えるのも大変でしょうし。

    甲板上で袋から出し、バラ炭をマンホールから艦内各炭庫に落とすので、とうぜん艦内ではバラ積みになります
    あと各艦ごとに「炭庫表」というモノがあって、細分化された炭庫ごとに積載量(容積×かさ比重)が記入されてますので、これが一杯になったトキがスペックの満載積載量となります
    お題の残量管理ですケド良く判りません
    多分各炭庫ごとに目見当(1/2とか1/3とか)で出したモノを集計してるんじゃないでしょうか
    駄レス国務長官

  4. 駄レス国務長官さん。ありがとうございます。

    >多分各炭庫ごとに目見当(1/2とか1/3とか)で出したモノを集計してるんじゃないでしょうか

    ということは計算ミスで航海中に燃料切れといった事態もありえるのでしょうか?

    安井賢一

  5. 船はそれ自身がアルキメデスの原理による重量の測定器です。
     船(積載物含む)の重量は
    吃水線下の体積×海水の比重
    です。
    燃料消費量=積載物の重量減=水線面の面積×吃水の変化量
    です。出港時の喫水から、航行中の喫水の変化量を見ると燃料(真水その他の消費含む)の消費量が分かります。
    船では、吃水に注意するのは、乾舷の確保、トリムの調整だけでなく、極端な空所をつくるとそこが浮力の集中荷重点になるというのがあります。最悪 船体が折損します。
    全長に渡って炭庫(上下にくさび型の)があると、まんべんなく石炭を消費するのに、機関科の担当は日々炭庫を見ては考えてたんじゃないかと想像します。
     昔(30年くらい前)の船では、連通管による船首−中央−船尾の喫水(深さ)を表示するボードがあって、公試(ビルダーズトライアル)の時に船体重量とトリムを見るのに見に行ってました。
    今はデジタル表示なんでしょうね。
    IWA

  6. >4.
    > ということは計算ミスで航海中に燃料切れといった事態もありえるのでしょうか?

    石炭がなくなって高価なチークの机とか燃やしたってハナシもあります

    >5.
    > 燃料消費量=積載物の重量減=水線面の面積×吃水の変化量

    日露戦争のトキは英炭と和炭・煉炭と別々に消費量を管理してますから、仰せのような算出法じゃないと思いますケド
    駄レス国務長官

  7. >>3
    ついでですから、石炭庫の構造について教えてください。

    1)石炭の投入口は言及されているように、甲板上のマンホール、つまり石炭庫の上方ですよね。
    では取り出し口は石炭庫のどのあたり(上方、中程、最下方)についているのでしょうか。

    2)また、石炭残量の「目見当」(温度管理もかな?)をするためには石炭庫に入る必要があるのかと思いますが、この出入口はどこに設置されていたのでしょうか。1)の石炭取り出し口と兼ねていたのでしょうか。

    3)石炭取り出し口には扉がついているかと思いますが、これは引き戸式とかスライド式とかいった情報はお持ちでしょうか。

    1)2)については石炭庫ひとつにつき一カ所なのか、複数設置されていたのかどうかも回答願います。


    これらの疑問が生じた主な理由としましては、
    石炭庫の石炭量は、石炭庫の形状と石炭のかさ高(レベル)がわかれば計算できるのではないかと考えていたからです。
    逆にいえば、石炭庫の壁に目盛をかいておけば、容積ベースでの残炭量が把握できるでしょう。(目盛を読むためには石炭庫に入る必要があり、これを安全に実行できるのか?というのも質問の背景にあります。)

    しかしながら、ネット上を軽く検索した限りでは、石炭庫に目盛がふられていたことは確認できませんでした。
    目盛なんてなかったのか、なかったとしたら原因は何か、が気になります。
    目盛をふること自体は極めて原始的な作業であり、発想もしごく単純なもので、コストもかからないですから、
    a)目盛はふられていた。
    b)目盛をふるという案が却下された。
    のどちらかであり、
    c)目盛をふるという案がでなかった。
    というのは考え難いと思います。

    仮にc)であったとしたら、石炭は平らに積載されていたのではなく、安息角を発生させるような積みかたをされていた可能性もありますが、このあたりも含めてご教示願います。
    太助

  8. >7.
    実際に見たコトは有りませんケド

    1)取り出し口は石炭庫のどのあたり(上方、中程、最下方)についているのでしょうか。

    ふつう石炭庫の底面と缶室の床面が同一レベルですから最下方じゃないでしょうか
    そのほうが取出しにも便利でしょ

    2)この出入口はどこに設置されていたのでしょうか。

    石炭庫の壁も船体の強度部材ですから開口部を減らすため出入口と取出し口とは兼用だと思いますケド、一個所か複数個所かは焚口または焚火室stoke holdとの兼ね合いも有りますから一概には申せません

    3)情報はお持ちでしょうか。

    持ってませんケド、石炭が重力で外にこぼれ出るのに抗するためには上下スライド式がベストじゃないでしょうか
    あとシャベルとか炭車とか中に突っ込むには横幅一定のほうが良いですよね

    c)目盛をふるという案がでなかった。

    液体と違って粒体ですから最初は平らであってもとうぜん消費するにしたがって漏斗状または片勾配になりますよね
    駄レス国務長官

  9. >>8
    なるほど!といいたいところですが、
    実は意外な回答の組み合わせだと感じております。

    石炭庫の出入り口が取り出し口と兼用で、最下方に設置されているならば、
    石炭をかなり消費しなければ石炭庫には入れないのではないですか?
    推測ですが、石炭の残量を目見当で見積もるとしても、石炭を上から見てみないことにはどうしようもないと思います。

    現在にも coal bunker と呼ばれるものがありますが、石炭の量を知る方法として、
    a)ロードセルを使って重さを測る。
    b)超音波やレーダを上方から当てて、かさ高(レベル)を計測する。
    の二種類が挙げられます。(スイッチは除く)
    このうち、a)の手法は石炭燃焼艦が活躍した時代ではどうにも活用できません。
    となると、b)の手法を当時の技術でアレンジするしか、石炭の量を計測する術はないのではないかと思います。簡単にいえば、上方より石炭の量を目視するというものです。
    そのためには、どうしても石炭庫の上方にアクセスする必要があります。

    この点が引っかかるのを除けば、>>8の回答には大変満足しております。
    どうもありがとうございました。
    太助

  10. > 英炭と和炭・煉炭と別々に消費量を管理
    これは、発熱量が違うからですね。使用炭種で燃費が違う=同じ距離を走っても燃料の減り方が違う。吃水から分かるのはグロスの炭水の消費量です。管理計数表の傍証(確認/検算用)くらいに使っていたんでしょう。
    IWA

  11. >9.
    >そのためには、どうしても石炭庫の上方にアクセスする必要があります。

    つ「覗き窓」

    >10.
    >吃水から分かるのはグロスの炭水の消費量です。

    軍艦は海戦すれば炭水だけでなく弾火薬も消費しますケド
    駄レス国務長官

  12. >海戦すれば
    燃料消費は、吃水からは精確には分からないですね。(上では、定常的な航海のことを考えてました。)[お題からはずれますが、参考に]
    海戦すれば、吃水から、まず見るのは浸水量です。乾舷を失えば船を失う。排水ポンプの容量と傾斜の復旧計画をまず考える。
    船体重量を増やすのは浸水で、減すのは、船からなくなったもので、影響のあるものは全部数え上げていきます。吹っ飛んだマスト、クレーン、搭載砲、上構、投棄した装備品、漏出した燃料。
    戦死者は、砲弾をつけて水葬して、これも重量管理した(帳簿に載せた)のかな、と思います。
    IWA

  13. 石炭を焚く船についてはいろいろと調べていますが、資料に記述が少なく、確定的なことは申せません。各国海軍、商船ですべて同じ方法とも限りませんので、断片的な記述を総合しても、ひとつの形にできないのです。それゆえわかる範囲で。

    駄レス国務長官がおっしゃるように、石炭庫にはそれぞれ搭載定量があります。この定量は計算上の容積に石炭の体積あたりの平均的比重をかけて求められますが、上方のマンホールから落としこまれた石炭は庫内で勝手に平らになってはくれませんので、中に人が入り、これを炭庫全体に掻き均してゆきます。当然、天井まで一杯に詰め込むことは非常に困難ですし、後述の理由があるのでそこまでは積みません。どこにどういう石炭がどれだけ入っているかは、機関長が把握しています。

    炭庫内の乗員の出入口は炭庫の上側にあり、給炭マンホールを兼ねている場合と、別に出入り用のマンホールが存在する場合があるようです。炭庫の大きさも様々で、数も一定しません。
    作業中の炭庫内部は非常に危険です。上から石炭を落とすのですから、真下にいると直撃を食らって死にかねませんし、酸欠などで倒れることもあったようです。

    積載量がべらぼうに増えた大型巡洋艦などでは、直接露天甲板から投入できない炭庫もあり、この場合は袋詰め、もしくは手押し車に乗せるなどして艦内を運び、炭庫へ入れてからバラ積みにします。練炭を使用している場合には、レンガ壁のように積み上げるという記述を見たことがありますので、そのような積み方をする場合があったかもしれません。一定の形になっている練炭を積む場合、通常の炭庫では、入れる段階で形を崩しておかないと下から取り出せなくなる可能性があるのですが、これについて読んだことはありません。

    通常、取り出し口は最下部にありますが、これのない炭庫も存在した可能性があります。一次大戦頃の軍艦では、防御のために弾薬庫の周囲にまで石炭を積んだ艦があり、これの最下部内側は弾薬庫に接しておりますので、開口を設けないと思われるからです。非常に使いにくいわけですが、どうしても使わなければならない場合には、袋詰めにし直すとかして、上から出すしかないように思います。

    実際の使用量は、棚卸しの場合には炭庫に作業員が入り、使って斜めになった表面を平らに均せば読み取れます。これもかなり危険な作業です。炭庫内部に目盛りは書かれていたと思いますが、確証はありません。
    使用中の炭庫でも、石炭が勝手に取り出し口へ流れてきてはくれませんので、必要に応じて中に入り、取り出し口へ寄せたりするわけですが、これもまた危険な作業です。

    またボイラー室に取り出し口を持つ炭庫だけではなく、その上に別な炭庫を持っているものもあり、この場合には下が減ったら上から落とし込みます。このために防御甲板にハッチがあり、やはり作業員が中へ入って下の炭庫へ落としてゆきます。このときに下の炭庫へ作業員が入れるかは疑問ですが、上の炭庫を貫通するマンホールがあるように描かれた図面もありました。

    おそらく水中防御目的で、舷側の石炭庫が内外二重になっていた艦もありますが、これの外側の炭庫から、どうやって内側へ移したのかはわかりません。間を仕切っている扉があって、これを開放すれば良さそうに思いますが、防御効果を狙った意味が薄くなります。弾薬庫周辺の炭庫同様、平時のフェリー航海や戦闘後の帰還時にしか使えない非常用炭庫だったかもしれません。それでも積みっぱなしの石炭は自然発火するなどの危険があり、劣化もするので、使いまわしていかなければならないはずです。
    これらを使ってしまうために定期的に移動するとすれば、それも乗組員の仕事でしょう。石炭焚きの軍艦になど、乗組むものではありませんね。

    いずれの場合でも、炭庫に天井までびっしりと石炭を積むのは、防御の観点から適当ではありません。砲弾が命中した場合、炭庫内部で石炭が遊んでくれないと、エネルギーが分散できませんから。
    商船のように純粋に燃料として積む場合と、軍艦が防御効果を期待して積む場合とでは、扱いが異なった可能性が大きいのですが、そんな比較まで書いてある資料は持っていません。
    志郎

  14. >>11 つ「覗き窓」

    小生も候補のひとつとして考えていましたが、

    ・設置場所/および設置個数
    ・視野角の確保
    ・光源の確保/および保守方法
    ・ガラスはめ込み式/ガラスを設置しない方式
    ・安全性

    などについて、有利な点/不利な点を検討した結果、少なくとも覗き窓だけの設置はないかなと思っておりました。

    まあ、いずれにせよ昔の話です。
    「覗き窓が設置されていて、石炭庫の上方からの出入口はなかった」という確たる資料なら大歓迎しますが、特に同意や反論を求めての書き込みではありませんので、細かな考察内容については割愛させて頂きます。
    太助

  15. >>13の志郎さんの書き込みの前には、小生の>>14の書き込みはよけいな駄文でしたね。
    まったく恥ずかしい限りです。
    太助

  16. 念のため「日本近世造船史附図」を調べたトコロ、「橋立」の舷側炭庫(下層)の底面に接して焚口に近い位置に各1ヵ所の上下スライド式「石炭出口」が描かれてました
    機械室に接した舷側炭庫には「石炭出口」は描かれてませんでした
    また甲板より舷側炭庫(上層)への「石炭入口」(円筒)と1〜数フレーム前後にずれた位置に、舷側炭庫(下層)への「石炭落口」として円形が描かれてました
    「日本海軍艦艇図面集」の「金剛」(原型)では、第三〜第八缶室に接した舷側炭庫(下層)に各2ヵ所の「石炭出口」、三番砲塔火薬庫の舷側にcoal bricks(煉炭)の表記がありました
    炭庫をまたぐ横移動については知るところが有りませんでした
    覗き窓については「帝国海軍機関史」に日露戦争前の水雷艇への設置要望が記されてました
    以上、諸賢のご参考になれば幸いです
    駄レス国務長官


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