371 今まで「冲鷹」と言われていた八丈沖で被雷した空母の写真は現在では「雲鷹」と判明していますが、接近している駆逐艦がどうしてもわかりません。
どなたかよろしく御教示ください。
kashi

  1. 「浦風」の可能性が極大です。

    昭和19年1月19日、GF機密第一九一四〇七番電には
    GF電令作第六四号「一、24dg(海風、凉風)17dg(浦風)ハ2Sd指揮官ノ指揮ヲ受ケ雲鷹ノ警戒ニ任ズベシ(以下略)」
    とあります。
    もっとも2時間後のGF機密第一九一七三六番電で
    「浦風 凉風引返セ 海風ハ予定ノ如ク行動セヨ」
    となっていますが、「冲鷹」の被雷現場に到着後、引き返したのかも知れません。
    その写真を見ると駆逐艦は陽炎型のように見えます。端艇の位置から白露型には見えません。

    不鮮明ではありますが、第1煙突には4番隊のような幅広の白線が、第2煙突には細い白線が記入されているように見えます。
    雲鷹被雷時の19年1月には「浦風」の所属する第17駆逐隊は四番隊に区分されていました。
    冲鷹沈没時の18年12月3日には第17駆逐隊は1番隊でしたから、識別線の記入状況から言っても「雲鷹」被雷時の写真の可能性が高いです。
    出沼ひさし

  2. 二水戦の戦時日誌では、昭和19年1月19日雲鷹被雷時に行動をともにしていたのは、
    「能代、瑞鳳、雲鷹、32dg(早波)、21dg(若葉 初霜)」で、
    雲鷹被雷後、瑞鳳に若葉をつけて分離、能代と早波、初霜で雲鷹を護衛警戒して、翌日サイパンに入港しています。(この間、テニアンからの飛行機が上空警戒していますから、雲鷹を撮影していたとしたらこのあたりの機体なのかもしれません)
    海風は21日にサイパン来援到着、これと交代して能代と早波は横須賀に向かっています。

    ということで、早波、初霜のどちらかではないでしょうか。


  3. 失礼。海風のサイパン到着は20日ですね。
    この艦はトラックで雲鷹のための救難隊を搭載してからサイパンへ向かっています。
    雲鷹はサイパンの港内に入れていませんので、以後しばらく外海で海風による警戒、対潜哨戒を受けつつ、応急修理を行います。海風の任務はそんな具合です。


  4. 19日1248二水戦信令第13号
    「早波ハ明朝日出迄敵潜制圧ニ任ジタル後合同セヨ」

    19日1355二水戦機密第191355号番電
    「一.能代初霜ハ雲鷹ヲ護衛シサイパンニ向カフ
     二.早波ハ雲鷹被雷直後爆雷攻撃ヲ行ヒ油多量湧出セルモ効果確認スルニ至ラザル為明朝日出頃迄引続キ敵潜制圧ニ任ジタル後合同セシム」

    早波は雲鷹に近接していなさそうな雰囲気ですね。


  5. 出沼ひさし様、片様、御返答有難うございました。

    書き忘れていましたが、冲鷹沈没時なら「浦風」であると考えておりました。
    しかし雲鷹被雷時で推定撮影日が昭和19年2月4日となると・・。
    「浦風」はトラック島方面にあり、片様の御指摘された「初霜」の可能性があるのではと考えていました。
    (写真が不鮮明で自分には何型かはっきりしませんでした)  


    kashi

  6. 2月上旬の内地回航時だとすると、潮が護衛についてますね。



  7. 駆逐艦について各説比較してみましたが、19年2月4日雲鷹説では、時化にあって艦首が脱落して、と述べられているのですが、写真で見るとそんなにうねりのある海面に見えません。
    また、出沼さんのおっしゃるとおり、端艇の位置が陽炎型のように見え、撮影者・古川明少佐自身が出した写真集でも、冲鷹、八丈沖、浦風とキャプションされています。
    「現在では「雲鷹」と判明」とする前に立ち返って、18年11月14日の冲鷹である可能性を再検討してみたほうがよいのではないでしょうか?


  8. 片様、御意見有難うございます。

    自分は田村俊夫氏の詳細な論文により、「冲鷹」よりも「雲鷹」の可能性が大であると考えています。

    重巡高雄の記録に、2月1日被雷と悪天候のため艦首が切断されて航行不能となった「雲鷹」の護衛に赴く。「初霜」「白雲」「沖波」「岸波」と協力して米潜水艦を撃退し「雲鷹」の曳航に成功。2月7日横須賀に帰港したとあります。(「潮」の記載はありませんが・・。)

    あれから自分も写真を穴の開くほど眺めて見ましたが、確かに端艇の位置が陽炎型か夕雲型のように見えます。

    よって「沖波」「岸波」の可能性もあるのでは?などと脈略のない事も考えていました。(しかし出沼ひさし様の御指摘された煙突の白線が気になります。しかし「浦風」が「雲鷹」を護衛したという記録をどうしても見つけることができませんでした。)

    自分でももう支離滅裂になってきました。申し訳ございません。
    御無礼をお許しください。
    kashi

  9. 雲鷹の艦首損傷拡大は「1月28日以来うねりのため」。
    高雄と雲鷹の合同は2月3日0632。
    雲鷹についていたのは潮、曙、皐月。皐月は3日夜に分離、代わって初霜が合同。
    合同する高雄には玉波がついてきていますが、合同後は玉波分離。
    0610 「風雨次第に強くなり視界1000米以内となる」
    0706 雲鷹「この天候にては自由を得ず 暫くこの進路にて行く」
    (雲鷹はまだ自力で航行しています)
    1645 雲鷹「我艦首切断 救援を要す」

    4日
    0713 雲鷹漂泊中
    1130 白露合同
    1150 猿島合同
    1525 潮に横須賀へ行って燃料補給して来いと命令、曙も4日中に横須賀へ向かいます。
    1720 雲鷹曳航作業開始
    1936 鳩合同
    1945 時に細雨 風速5米内外に落ち、軽いうねりあり
    2123 雲鷹曳航開始

    5日
    0808 沖波、岸波合同
    0838 第四十四号駆潜艇合同
    1030 敷設艇成生合同
    1040 雲鷹後進航行中なるも進路保持困難、ほとんど漂流状況
    午前 白露、初霜去る
    夜中 高雄去る

    6日
    朝  九七艦攻一機雲鷹の状況偵察に向かう
       給油を終えた潮、雲鷹に向かう

    7日
    0345 給油を終えた高雄、雲鷹と再合同(初霜、皐月もどこかで戻ってきています)
    0630 雲鷹「夕刻来海上平穏なり」 館山空水艇2機対潜哨戒実施中

    ということで、7日のうねりの状況は大丈夫なようで、しかも空中写真を撮っていそうな飛行機が上空にあります。
    問題の写真はこのときのものである可能性が高く、おっしゃる通り沖波、岸波に分がありそうですね。



  10. 片様、詳細な記録提示を有難うございました。
    (失礼ですが片様、「白露」は「白雲」のまちがいではないでしょうか?)  
    自分もさらに写真を穴の開くほど眺めて見ましたが、艦橋・前檣・ウェルデッキの位置関係やさらに第一煙突と第二煙突の大きさの比較からも、特型や初春型ではなく陽炎型か夕雲型と推定します。(艦尾部はどうしてもわかりませんでした。)

    やはり推定ですが、「岸波」か「沖波」のどちらかなのでしょう。

    しかし「雲鷹」をなんとか横須賀に入港させようという涙ぐましいものを感じ頭の下がる思いです。

    片様、本当に有難うございました。深謝いたします。
    kashi

  11. これは全くの独断と偏見ですが、艦橋後部がウェルデッキにあるように見え夕雲型か??とも考えました。

    またこの時期、洋上にある陽炎型の行動記録も自分なりに調べてみましたが該当する艦がありませんでした。
    kashi

  12. ごめんなさい、ぼーっとしてました。おっしゃるとおりです。「白雲」です。



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