751 軍艦(または海賊船)で戦闘前に甲板に砂を撒く…これはいつ頃から始まったのですか?

少なくとも大航海時代には一般化していたのはわかっていますが、いつ頃から始まったのか知りたいです。

あと、確認ですが現代の軍艦ではやってませんよね?
金属製の甲板に砂をまくと却って滑りやすくなりそうなので、多分木甲板でしかやらないんじゃないかと思ってますが、現代やらないとしたらいつ頃までやっていたのですか?
おうる

  1.  司馬遼太郎の「坂の上の雲」の中で、「各艦の副長は砲側に砂を撒かせた」と日本海海戦のシーンのところに書いております。したがって、日露戦争時にはそのような対策が採られていたということになりますが、司馬がどのような資料に基づいてそのように書いたのかが不明であり、小説であるということを考えると、その信憑性を保障するものではありません。
     ただ、木甲板はその後も使用されておりましたが、日露戦争以降で砂を撒くというような記述を見つけることはできませんでした。しかし、毎日磨かれるものですので、滑り止め塗料を塗るわけにはいかないと思います。したがって、靴底あたりが改良されたのかもしれません。ただ、戦闘時にどのような靴を履いたのか分かりませんでしたので、これも確認できなかったのですが、現在のデッキ・シューズは大抵ゴム底で、排水機能を高めるように形状が工夫されています。
     
    hush

  2. 現代の護衛艦では砂を撒くのではなく甲板の通路帯に塗装時に最初から塗り込んでいます。
    「護衛艦 通路 砂」で検索すれば画像含め大量に実例が出てきます。
    薩摩

  3. >2
     御教示多謝。
     自衛艦艇については、はしだてのような例外を除いて木甲板は使用されていないので、戦前の旧日本海軍艦艇がそうであったようにリノリウムもしくはその類似品を使っているものだと思っておりました。しかし、砂を撒いた上にペンキを塗ってあるとは思い付きもせず、改めて、砂の摩擦係数の大きさを知ったような次第です(確かに、砂浜は走りにくいですね)。

     さて、御質問の主旨は、いつ頃から始まったということなのですが、実のところ、大航海時代にはあったと聞いて驚いているぐらいで、残念ながら解答を持ち合わせておりません。ただ、その時代にあったというのなら、もっと以前に、甲板に血が流れて滑りやすくて困ったという状況はあったはずなので、その中で生まれてきたものであろうとは思います。
     これに対して、終わりのほうは、日露戦争よりもう少し伸びるかもしれません。というのは、戦艦大和の乗員の中で、滑り止めに砂を使ったという証言があるようだからです。ただ、これもネット上で拾ってきた話なので、どこまで信憑性があるかわかりませんが、大和は木甲板を使用しておりますので、可能性はあるのかなと思っております。
     また、アジア歴史資料センターであたってみたところ、
    http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C12070071300?IS_TAG_S15=language&IS_TAG_S14=_genreform&IS_KIND=SimpleSummary&IS_LGC_S15=AND&IS_LGC_S14=AND&IS_LGC_A2=AND&IS_LGC_A1=AND&IS_KEY_A2=%E8%89%A6&IS_LGC_S7=AND&IS_KEY_A1=&IS_TAG_S35=InfoFolder&IS_LGC_S6=AND&IS_TAG_S32=&IS_KEY_S1=%E7%A0%82%E5%9A%A2&IS_LGC_S35=AND&IS_LGC_S32=&IS_TAG_A2=InfoD&IS_TAG_A1=InfoD&IS_STYLE=default&IS_TAG_S7=cat_type&IS_TAG_S6=data_type&IS_TAG_S1=InfoD&
    上記のURLで、艦の装備品としてあった砂嚢を廃止するという記載を見出しました。また、石炭袋を砂運搬用に定数を定めるともあり、1916年の時点で砂嚢が艦に積まれていたことが分かりました。もっとも、これが滑り止め用に用意されたものかはどうかは分かりませんが。
     
    hush

  4.  回答ありがとうございます。

     大航海時代に甲板に砂を撒くのは甲板の洗浄(クレンザー替わり)と戦闘時の滑り止め用の2つの目的だったようです。が、滑り止めと言っても近代の艦船で撒いたように「甲板に流れた血で足が滑らないように」という目的よりも、反動で後退する大砲の逸走防止という役割が大きかったようです。
     そうなると、砂を撒くのは大砲が使われるようになってからで、血で滑るのを防止するというのは元々副次効果だったものが、大砲が砲車ではなく砲架に固定されるようになってから「血で滑るのを防止する」が主目的に置き換わったのではないか?と疑問に思った次第です。

     大砲登場以前であれば敵船に乗り移っての白兵戦が基本になるので、自分の船だけ砂を巻くだろうか?という疑問もありますし、古代ローマ兵の軍靴は靴底に滑り止め用の鉄鋲が大量に撃ち込まれているので、砂を撒く必要性があっただろうか?という疑問もあります。(ただ、大鳳が沈む前、ガソリンのガスが充満している艦内で「靴底の鋲で火花を飛ばして引火させないように気を付けろ」と伝令がまわったという話をどこかで読んだので、靴底の鋲の滑り止めと砂のすべり止めは重複してもおかしくないのかとも思います。)
     大砲が登場してから砂を巻くようになったのだとしたら、大砲登場から砂を撒くようになるまでのタイムラグもあるはずで大砲登場と同時ではないだろうとも想像します。(熱の問題で連射のできない青銅砲と青銅砲より連射しやすい鋳鉄砲では必要性の強度も違うと思いますし…)

     あと日露戦争で撒いたというのは、私の場合は生出寿氏の著作で読んだ記憶がありますが、徹甲弾ではなく榴弾を撃ち合う艦の甲板に砂を巻いたら被害を拡大しないのかな?という疑問も持っています。

     このようにあれこれ考えて資料にも明確な答えが見つけられず、考えもまとまらなくなり、質問させていただいた次第です。
    おうる


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