793 当初は土佐と加賀が空母への改装予定艦であり、のちに天城と加賀に変更されたらしいです。
そこで疑問なのですが、
1.なぜ当初は加賀型が選ばれたのか。なぜ当初から天城型とならなかったのか
2.なぜ途中で天城型に変更されたのか
ご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい
天ヶ崎

  1. ×当初は土佐と加賀が空母への改装予定艦であり、のちに天城と加賀に変更されたらしいです。
    ○当初は土佐と加賀が空母への改装予定艦であり、のちに天城と赤城に変更されたらしいです。

    訂正します
    失礼致しました
    天ヶ崎

  2. >1.
    > 当初は土佐と加賀が空母への改装予定艦であり、

    これは具体的に何年何月頃のハナシでしょうか?
    駄レス国務長官

  3.  アジア歴史資料センターがリファレンス・コードC08051849800で公開している資料には、
     航空母艦 又日本ハ建造中ノ二艦加賀土佐ヲ航空母艦エ改造シタキ希望ヲ述ヘ、尚右二艦ハ改造後ノ噸数二万四千噸トナル見込ナリト附言シ、結局日本ノ希望通リ決定ス
     とあります。したがって、日本の当初案は加賀、土佐であったのかもしれませんが、これが本命だったかどうかは分かりません。というのは、続いて、
    米国ハ右航空母艦問題ニ関シ米国建造中ノ巡洋戦艦「サラトガ」「レキシントン」ノ二隻ヲ航空母艦ニ改造スルノ希望ヲ有スルモ専門家ニ依レハ右二隻ハ改造後ノ噸数二万七千噸ヲ超過スル恐アリ
     とあり、加賀級より空母改造に適したレキシントン級をアメリカが考えているのなら、より排水量の大きい天城級も視野に入れてもという匂いがします。
     そして、この文の後半には、代艦が規定トン数を越えた場合、20年後に適用される云々というようなことが書いてあるので、とりあえず排水量が規定トン数に収まる加賀級を提案したと、読むべきではないかと愚考致しております。
     
    hush

  4. >3
    日本側は長門、陸奥は確保でき加賀、土佐が廃艦をめぐる論点となる腹積もりでワシントン会議に臨み、予想に反して陸奥までが議論の対象となったことで混乱を来します。保有が絶望となった段階で、米英と同じく加賀型を空母改造候補として決議を迎えます。
    加賀型が空母改造対象となったのは年末までの議論の中で加賀型を何とかして残す検討の結果なのです。天城型へと変更されるのは、廃艦となる点では天城型も加賀型も運命に変わりは無く、より有望な艦として天城型に空母改造対象が変更されている、ということです。
    BUN

  5. >4
     そういうことでありましたか。
     御教示感謝申し上げるとともに、>3の文字を見落としていたがために、御礼申し上げるのが遅くなった点をお詫び申し上げます。
     
    hush

  6. ありがとうございます
    ただ当初から加賀型より有望な天城型が空母改造対象で無かった理由がわからないのですが、何か事情があるのでしょうか
    当初の段階では天城型を押すのは議論的に難しいとか(天城の方が建造が遅い)、加賀も天城も大きな視点で見ればどっちも大差無いという事なのでしょうか
    天ヶ崎

  7. 排水量とか関係無いでしょうか?
    暇人

  8. ワシントン会議に臨んだ加藤全権のタスクは「加賀型の存続」です。日本側から見ても廃艦を免れない天城型は眼中にありません。加賀型と天城型ではその点が大きく違います。

    「加賀型」を船体だけでも残そうという努力の結果が1922年1月の加賀型空母改造を含む決議なのです。
    この当時、日本にも航空母艦をどのような要目で建造すれば良いのか、といった定見はありませんから、後知恵で「良い空母」のベースたり得る天城型を選ぶことは考え難いのです。加賀型がどうあがいても廃艦と決まり、レキシントン型巡洋戦艦の空母改造が決まった時点から、加賀型と天城型の空母改造ベースとしての比較が始まる訳です。
    BUN

  9. なるほどありがとうございます
    加賀型を空母改造案決議は天城型改造と優劣比較した上での案かと思ってました
    加賀型と天城型の置かれた状況がよくわかりました
    天ヶ崎

  10. 皆様のご回答を拝読してふと思ったのですが、「加賀型を船体だけでも残そうと・・・」という思惑があったとのことですと、航空母艦に改造されて完成した「赤城」「加賀」「レキシントン」「サラトガ」の4大空母は、もし将来事情が変われば再改造して戦艦や巡洋戦艦に戻すつもりだったのでしょうか?
    Ranchan


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