799 長門型の主砲の口径は41cmであり、厳密には制限値の16インチを超えていますが、これは軍縮条約締結にあたってどの様に扱われたのでしょうか。(フッドは、完成している為、例外的に重量オーバーは認められ、軽巡の主砲もフランスの軽巡が既に完成しているため155ミリに定められていますが)
UK

  1.  410mmであることは公表されませんでしたので、各国は16インチ、406mmだと信じていました。
     
    hush

  2. 当初は四十五口径三年式四十一糎砲と呼称していましたが、大正11年に四十糎砲に変わったとの事で、改称はワシントン海軍軍縮条約の16インチ以下という規定に文面上合わせると共に、実口径が410mmを悟られるのを避ける意図があったかも知れません。

    これは素人の憶測ですが、会議では四十一糎は406mmをサンチ単位で表記する時に切り上げた呼称であるなどと説明したのではないでしょうか。
    インチ寸法の近傍サンチ表記は大正6年からで、cm未満の切り上げは3インチ(76.2mm)を八糎、切り捨ては12インチ(304.8mm)を三十糎・6インチ(152.4mm)を十五糎などの例があります。
    5インチは切り上げずそのまま十二糎七と呼称しているのは腑に落ちませんが…。
    大瀬千早

  3. どうも有難う御座いました。ただ、八八艦隊のかなり詳細な内容が米国に漏れていたことからも、外国が気付かなかったというのは、本当かなという気がします。
    UK

  4. 米軍は大和の主砲を最後まで40センチクラスだと思ってたそうですし、そこまで不思議な話じゃないと思いますが?
    のけ


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