1035  かつて尼崎汽船、晩年は宝海運に属し、瀬戸内海航路に従事した貨客船「日海丸」(300GT, 1905年完成)の建造所は、船名録によると 兵庫谷寅吉 となっています。この兵庫谷さんはどのような人なのか興味があるのですが、全くわかりません。どなたか教えていただければ幸いです。
 かつて大阪の木津川河口周辺には多くの造船所がありました。中には、資金だけ調達し、建造場所は他人から借り、建造の仕事も進水も全て専門の業者に請け負わせることもよくあったと聞きます。そのような人の一人であったかと想像するのですが。
電気戦艦

  1. 検索すると、名前の似た兵安造船所(松島町 兵庫谷源次郎)は出て来ますね。
    何か関係があったのでしょうか?


  2. 源次郎氏三男の兵庫谷木曾松氏に関しての大阪朝日新聞昭和6年記事で、「尼崎汽船を今日あらしめた先代兵庫谷源次郎氏の三男として大阪市西区松島町兵安造船所に生れ兄妹五人」云々のものもありました。


  3. 兵安造船業については、娘婿になるのかな、尼崎汽船出身の前田卯之助氏がこれを引き継いで、おそらく同住所のまま前田造船所とした、というネット記事もありました。


  4. 片様
     たいへん有用な情報ありがとうございました。兵庫谷源次郎氏は、まさに木津川河口部の有力者で、幕末から明治にかけて回漕業、造船の発展に尽くした人のようです。彼には子供さんが5人いて、三男、娘さんは皆尼崎汽船に関係しているようです。寅吉氏はひょっとしたらその5人のうちの一人かもしれません。もちろん憶測ですから、正確なこと知るためには、大阪史の史料を詳しく調べる必要があると思いました。今度大阪に行った時調べてみます。
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  5. 兵安造船業については、娘婿になるのかな、尼崎汽船出身の前田卯之助氏がこれを引き継いで、おそらく同住所のまま前田造船所とした、というネット記事もありました。



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