質問コーナー(AnsQ)分類

2.艦船関係 1001 - 1100


No.
内容
1001 現代の軍艦はたいていが艦尾が逆さまになったカマボコみたいに真っ平らで角ばってますが、ああいう形を世界で最初に採用した艦って何ですか?
橘型も平らですが角は丸まってるのでこういったのではなく、キッチリと角ばった設計の艦を教えてください。
1002 旧海軍の空母の計画番号はG6、G7=蒼龍原案、G9=蒼龍、G10=飛龍、G14=45000トン級装甲空母、G15=改大鳳、G16=雲龍とのことですが、列挙した数字以外はどんな設計だったんですか?
また、G○○って番号が付けられてない空母もいたのでしょうか、教えてください、よろしくお願いします。
1003 昔どこかで「大和の主砲を撃つ時は(爆風が凄いのと、高温になるから)全員艦内に退避する」といったようなことを聞いたことがあります。
これは事実なのでしょうか。
事実であれば実際どの程度の温度まで上がるのか教えて頂きたいです
1004 今のDDや昔の戦艦(一部大きめの巡洋艦も?)って構造物のあたりから艦首のほうに向かってゆるい上り坂(?)がかかったような見た目をしていますが、あれは中身はどうなっているんですか?
その部分は徐々に天井が下りてくる(上がっていく)ような形なんですか?
1005 ちょっと前にヘリ搭載護衛艦「いずも」を空母化してF-35Bを搭載する予算が付きましたが、某国の空母に対抗するなら、
いずも級護衛艦2隻ではローテーションの関係上、戦力として不安に思います、搭載するF-35Bは兵器システム用ソフトウェアの書き換えや
(確かAAM-4とか国産誘導弾が対応してない)現状SAMがウェポンベイに収まらず主翼下に搭載しステルス性能に疑問が付きます。
また、JSMも開発中ですがSAM等含めたの兵器搭載量はF-2に劣るような気がします。海自OBも空母化に反対しているとの話も聞きました。
私としては海自の潜水艦隊の基地機能の拡充(ベトンブンカーとまでは言いませんがせめて陸地から直視出来ないようフェンス位設けてほしいです)
空自の対艦攻撃機のF-2の後継か能力向上型(F-2の生産ラインがすでに閉じているので難しいと思いますが)追加配備と新型ASMの戦力化、
早期警戒管制機、空中給油機の追加調達。陸自のSSMの増産(すでに沖縄に12式地対艦誘導弾の配備が検討か予定されてたはず)
の方が有効かなと思います。防衛省はいずも級をかつての「海軍の軍事力の象徴だった戦艦」と同様な位置づけに持って行こうかとしてるのかと
勘ぐってしまいます。
長文失礼いたしますが、どうかご教授願います。
1006 旧海軍は利根型の次の重巡は考えていたのでしょうか?伊吹は戦時急造で鈴谷の改設計型なので、ここはカウントしないとします。
最上や利根ではボルチモア級以降を相手にするのはかなり厳しいのではないかと思うんですが…
1007 信濃は洋上の移動航空基地たらしめる。すなわち原則として飛行機格納庫を備えず、従って固有の艦上攻撃機・艦上爆撃機を搭載しない。
と計画され(固有搭載機は艦戦のみ)あんまりなんで常用42機、補用5機を搭載したように思えます。
仮に加賀が戦艦から本格的な空母になった様に、信濃も大鳳を超える本格的な装甲空母に改装した場合、搭載機数は(時期的に見て大鳳と同じ新型の
烈風、流星、彩雲を搭載だと思います)何機程度となるでしょうか?大鳳、及び改マル五計画での改大鳳5隻は先ほどの
旧式の零戦、彗星、天山ならば合計70機以上を運用可能とする資料もあるそうですが。前述の新型機を搭載した場合、常用52機、補用5機まで減ります。
また、大鳳以前の日本の空母群が生き残ってた場合、新型機が零戦、九九式艦爆、九七式艦攻より大型な機体なので、搭載機数はかなり減ると思いますが
運用上どうでしょう。第2線の戦力になるのではないのではないかと思います。特に蒼龍と飛龍は旧式機載せるか、
艦戦だけ載せて艦隊防空に専念するなど限定的な運用になるかもしれません。
あ、連休が終わったら、なるべくROMって長々と垂れ流さないように書こうと思ってたら日付が変わっていました。反省。
1008 ゲームで重巡と軽巡をまとめて建造しようと思っているんですが、ネーミングに困っています。
そこで今まで候補に上がったことのある山・川の名前、候補に上がってもよさそうな山・川の名前等を教えてください。
もしよろしければ候補に入る基準とかも教えてくださると幸いです。
1009 観艦式2019の祝賀航行部隊を調べているのですが、参加予定であった外国の艦艇の名前を教えて頂きたいです。観艦式が中止となった後に海自と共同訓練をした艦艇は分かっているのですが、参加予定であった艦は他にも居たと思うのですが...。なかなか資料が見つからず困っています。
1010 日進と瑞穂って空母への改装が可能だったんでしょうか。また、改装する見込みや予定はあったのでしょうか。
1011 日本海軍の駆逐艦に見られる駆逐隊序列の白帯ですが、一番隊は白線1本、二番隊は2本、三番隊は3本、四番隊は上に太線1本+下に細線1本と複数の解説書にあったのですが、
昭和19年までの第十戦隊や、多号作戦後期〜礼号作戦頃のニ水戦のように五番・六番隊がある場合はどのような識別帯が成されていたのでしょうか。もしご存じのかたがいらっしゃいましたらご教示ください。
お願いいたします。
1012 ワシントン海軍軍縮条約後の日本の航空母艦整備について

 ワシントン海軍軍縮条約後、日本は巡洋戦艦、戦艦の2隻を航空母艦に改装しました。
 航空母艦という艦種の理想型が定まっていなかった当時、排水量枠が限られている中で、条約締結後すぐに大型空母をしかも2隻、巡洋戦艦からの改装で揃えようとしたことに違和感を感じています。
 後知恵かもしれませんが、限られた排水量枠の中で、未知の2万トンを超える大型軍艦を膨大な予算を投じて建造するのであれば、まずは1隻実験的に戦艦改造で整備し、その運用結果を踏まえ、より性能の高い次艦を新造するという手法が排水量枠の有効活用、より質の高い空母の保有という観点から合理的ではないかと考えます。
 そうしなかった理由として当方が考えつくのは、
1.20センチ砲10門搭載の実質的な重巡洋艦の早期戦力化
2.すでに巨費を投じて途中まで建造した戦艦・巡洋戦艦の有効活用
3.当時、空母の理想型が3段飛行甲板空母と認識されており、2種類の煙突配置の比較実験がしたかった
ぐらいです。

これ以外に理由は考えられますでしょうか。ご教示お願い致します。
1013 強度甲板を有する空母(大鳳、イラストリアス、ミッドウェイ等)が飛行甲板に急降下爆撃で爆撃されるとどうなるんですか?落ちてくるのは設計上大丈夫な大きさの爆弾かつ投下高度だとします。
落ちてきた爆弾は空中に跳ね返るんでしょうか、それとも甲板に留まるんでしょうか。
あと、もしよろしければ緩降下で爆撃された場合にどうなるかも教えてくださると幸いです。
1014 大和型とキングジョージ五世級が撃ち合う場合、キングジョージ五世級が大和の装甲を抜くには何kmまで近づけば抜けますか?

またその計算をする計算式や計算サイトを教えて頂ければ幸いです
1015  鋼製船の木甲板(特に空母の)について質問でします。

 木甲板は鋼鉄の床の上に木材を張り付けていますが、当然ながら時間がたてばその木材の下で錆が出ると思います。
 船体は定期的にドックに入れて錆を落として再塗装すると思いますし、木甲板も木の下の錆びを放置すれば、錆びで木材が押し上げられてしまうので同じように錆を落とすのであろうと思っています。
 しかし、錆びを落とすと錆を落とした分だけ鉄は減りますよね?
 鉄が減った分、敷きなおした木材との間に隙間が空くので放置すると色々不都合があると思います。

 こういう隙間はどのように処理してたのでしょうか?

 何かパテのようなものを充填していたのか、それとも溶接で肉盛りしてから削って形を整えたのか・・・後者だと結構工数がかかるんじゃないかと思いますが、隙間を放置するというのは(少なくとも上を重量物が異動する空母の飛行甲板では)ないだろうと思います。
1016 はたかぜ型やしらね型等の、砲が2つある護衛艦は砲をそれぞれ51番砲・52番砲と呼んでいるそうですが、何故普通に1番砲や2番砲と呼ばないのでしょうか。逆に51、2番砲なのだとしたら1, 、2番砲はどれですか。教えてください。
1017  第三次ソロモン海戦の時、比叡が探照灯を照射すると、すぐさま相手から射撃を浴びました。探照灯はどのように照射するのですか(掃射スピード、時間)。また相手から見ると、探照灯が光るのを見ると方位はわかりますが、距離はすぐには出せない気がするのですが、実際はどのようにするのでしょうか。
1018 ライオン級戦艦は未成ですが、航空戦艦にする案もあったそうですが、実際に航空戦艦として完成した場合、どの種類の艦載機が何機搭載されるのでしょうか
1019 旧海軍の演習についてお伺い致します。

「日本巡洋艦物語」(光人社)を読んでおりますと、以下の記述がありました。

「速力は30ノット以上、20センチの実弾(演習弾)を発射しあうのである。
つまり、真にせまった射撃訓練である。このとき実弾射撃が終わっても、五戦隊と八戦隊とはいぜん同航して砲戦(弾丸を撃たずに)つづけていた。」(P249〜P250)

演習では、敵艦を演じている味方艦に(火薬は抜いている演習弾でしょうが)実際に実弾を撃ち込むものなんでしょうか?
(演習弾が本当に命中する事故が発生したりしないのでしょうか?)

宜しくお願いいたします。
1020 空母赤城と加賀について質問です。条約で戦艦から空母へと変更された艦ですが、条約破棄を見越して戦艦に戻す事ができるように、改装されていたという可能性はありますか?
空母改装を見越して建造された、水上機母艦は実際にあったので、気になりました。
赤城や加賀が3段甲板の時代なら戦艦に戻す考えがあったりしないかと、おもって質問させていただきました。
1021 旧海軍の艦艇は同型艦でも個艦の見分け方がそれなりにあるようですが、海自の汎用DDやDDG、DDHの同型艦における外観の差異を使った見分け方ってあるんでしょうか。ハルナンバーや艦尾の文字を見たら一発で分かりますが、今回はそれは無しということでお願いします。
1022 アメリカは、真珠湾で日本軍によって沈められた戦艦を引き上げ修理してまた使用しました。機関室に海水が入った場合、ボイラー、タービンはどの程度修理が効くのでしょうか。三笠は爆沈後引き上げてまた動くようになりました。往復式蒸気機関は構造が単純ですから塩分を洗い流せば、また使えると思いました。しかし高速回転のタービンは修理が可能かどうかわかりません。場合によっては新しい機械を入れたのかもと思います。教えてください。
1023  戦艦などへの装甲の装着において、装甲板と背板の間には木材を挟むことが普通でした。しかし、大和級においては木材は使わないでメニューと呼ばれる粘度の高い物質を注入しています。これは経年的に硬化します。パテとも呼ばれたらしいです。この方法はどのように始まったのかは興味あります。
 日本海軍が英国から購入した鹿島(アームストロング社製)と香取(ヴィッカース社製)は1923年、1924年に舞鶴で解体されました。その時、鹿島のパテが一様に充填されていなく、まだらがあったのに対し、香取は完全に充填されていることがわかった、という記事を覚えています(1949年ごろの西日本重工技報だったように覚えています)。英国海軍は木材でないものを使用を考えて、一部実行していたと言えます。これらに関してお分かりの方おられましたら教えてください。
1024  舷側装甲について質問です。

 強度甲板より上の甲板は船体のゆがみを吸収するためにスリットが設けられたりしてますが、舷側に貼られた装甲板も継ぎ目に隙間をつけてたりしたのですか?
1025 戦艦大和の水平装甲板について質問です。
戦艦大和の水平装甲は200mmのNVNCで覆われていて
大和の46センチ砲弾に対して3万m以内なら大丈夫だとされていますが、
46センチ砲威力を見ると、30000mで水平甲鈑貫徹力9.1inchつまり、23.114ミリとなっています。

これは、甲板貫徹力と言うのは別の鉄で換算したものであって、NVNCであれば、修正値を加えて設計上大丈夫ということでしょうか?
それとも、上部構造物を砲弾が貫く過程での貫徹力の低下を加味しているのでしょうか?
1026 アメリカ沿岸警備隊についてです。ベア級カッターには有事の際ファランクスとハープーンを搭載できる余地があると聞いたのですがどのあたりにつけるのでしょうか?
1027 初春・子日(竣工時)の2番発射管用の次発装填装置について。
2番発射管の次発装填装置はどのような構造ですか?
上部には3番発射管がありますし、開口部も無い。
普通はスキッドビームで装填装置上部から積み込む様ですが、上部が塞がれているし、スキッドビームも上部を跨いでいません。

次発装填装置には、どこから魚雷を格納したのでしょうか。
1028 ガスタービン艦の排気熱利用について。
ガスタービンはパワーウェイトレシオの高さ等のメリットから多数の艦艇に採用されていますが、燃費が悪く、排気が極めて高温と聞きます。護衛艦の動画を見ても、なるほど豪勢な陽炎が煙突から勢いよく立ち昇ってるなあと思います。そこで気になったのですが、この高温の排気を暖房や蒸留水の製造などに利用したりはしているのでしょうか?スラヴァ級みたいなコンバインドサイクルにするのは機構の複雑化というデメリットが上回って流行らないのは分かるのですが、あの熱エネルギーをそのまま捨ててしまうのはもったいないなあとも思ってしまいます。
ご教授いただけますと幸いに存じます。
1029 ネットで「旧海軍では銃身の冷却に関連してその様なことは全く問題にされておりませんし、ましてやその防止のために “後鈑、後蓋を外して” など」という記述を見かけましたが、機銃員だった方の回想や専門家が公開解説した旧海軍の資料には後鈑、後蓋を外して冷却する旨がありました。どちらが正しいのでしょうか?
1030  蒸気タービンが艦船の動力に採用されてもしばらくの間は、減速歯車装置が実用化されなかったため、スクリューはタービンに直結されていました。ここで興味深い事例があります。ユトランド沖海戦で沈没したドイツの軽巡ヴィースバーデンには、フェッテインガー式流体接ぎ手がスクリュー回転軸に接続されていました。この流体接ぎ手の設置目的はなんだったんでしょうか。姉妹艦にも付いていないし、何かの試験目的だとは思うのですが、どなたかお分かりになっているなら教えてください。
 なお、駆逐艦3隻にも備えられていました(高木氏の蒸気推進研究所による)。この質問は、ブログ 「三脚檣>ガンルーム>ヴィースバーデンの時計」 がきっかけとなっています
1031 日本海軍が試作した5年式36cm(実口径48cm)砲は八八艦隊計画において搭載艦建造は検討されていたのでしょうか?
というのも2020年6月号の世界の艦船の特集「未成戦艦列伝」に八八艦隊計画で48cm砲搭載艦の建造が構想されていたとあるのですが、46cm砲の検討は知っているのですが48cm砲の搭載が検討されていたとは今まで聞いたことがなかったので……。
主砲研究会の結論として「将来46cm砲が必要、今は50口径41cm3連装4基(意訳)」という文書もあり、実用砲として計画されているようには思えないのです。
この試製48cm砲を搭載した戦艦の検討が本当にあったのかどうか、そしてあったならばどのような文書にその記載があるのかを教えて頂きたく書き込ませて頂きました。
ご存知の方がおられましたら教えて下さい。
1032 いつもご教示くださり有り難うございます
戦時標準船の船名について質問をさせて下さい
昭和19年3月に川南工業香焼島で竣工し海軍の一般徴用船となった船舶番号,50635・信号符字,JEKTの1A型貨物船ですが、各種資料やネット情報をみますと、例えば「戦没した船と海員の資料館」の資料等では『ジョクジャカルタ丸』とありますが、他の資料では『ジャクジャ丸』となっております
どちらが本来の船名なのか、もしご存じのかたがおられればご教示の程、何卒お願いいたします
1033 いつもご教示頂き有り難うございます。

「長門」「陸奥」を初めとするいわゆる「八八艦隊」の主力艦は、艦橋の1層を円形のフロアとし、その上に敷かれたレール上に10m測距儀を設置しています。
この方式は他の戦艦のような艦橋頂上に全周回転する測距儀を設置する方式と比較して、何かメリットがあるのでしょうか?
「測距儀の装備位置が低くなる」「場所をとる」などあまりメリットがあるとは思えないのですが。

宜しくお願い致します。
1034  空母赤城、加賀、信濃の舷側装甲は、当初計画の(厚い)装甲板を使ったのでしょうか、それとももっと薄いものにしたのでしょうか。できましたら、新規建造の空母(翔鶴、瑞鶴など)との比較もお願いいたします。
1035  かつて尼崎汽船、晩年は宝海運に属し、瀬戸内海航路に従事した貨客船「日海丸」(300GT, 1905年完成)の建造所は、船名録によると 兵庫谷寅吉 となっています。この兵庫谷さんはどのような人なのか興味があるのですが、全くわかりません。どなたか教えていただければ幸いです。
 かつて大阪の木津川河口周辺には多くの造船所がありました。中には、資金だけ調達し、建造場所は他人から借り、建造の仕事も進水も全て専門の業者に請け負わせることもよくあったと聞きます。そのような人の一人であったかと想像するのですが。
1036 ヘッジホッグの利点として、「弾頭が爆発した時はその場所に潜水艦がいる事が明確になり 追撃が容易になる」という話を本で読みました。追撃以前に 潜航中の潜水艦にとっては弾頭一発の命中でも即致命傷となるイメージなのですが、日独伊の潜水艦で ヘッジホッグの直撃を受けても生還した艦というのはあるのでしょうか。
1037 アニメ『ハイスクール・フリート』の最終話にて、武蔵に対して、晴風(陽炎型駆逐艦)が、平行に体当たりし、停止させるシーンがあるのですが、これは実際には可能なのでしょうか?
1038 こんにちは、はじめまして。
自分は艦艇関連の小説を書いているのですが、そこで一つ描写に困っておりまして、素人質問ですが、お答え頂ければ幸いです。

武蔵の個室のことなのですが、武蔵に個室はいくつあるんでしょうか? 艦長、副長以外の科長にも与えられていたのでしょうか?
それと、艦長室と副長室の位置関係を教えて下さい。
1039 戦艦の砲弾についてです。
よくゲームなどでは砲弾が光って描写されていますが、実際はどうだったのでしょうか?
戦艦アイオワや長門の射撃映像をスローで見てみましたが、砲弾を確認することは出来ませんでした。
富士総火演の動画を見ると、戦車の砲弾が光って見えるものがあったのですが、あれは、曳光弾だったのでしょうか?
1040 いつもご教示くださり有り難うございます
戦時標準船の船形に関して質問をさせてください
1TM型戦標タンカーは1TL型と異なり角型船尾を採用しましたが、真後ろから1TMの船尾を見た場合、喫水線より上の形状は後の2A型や2D型等に見られるような鋭角の三角形を後端に用いた整形だったのでしょうか?
 ___
 | \/ |
_._|_._.(水線)

それとも平時TMの船尾を角型に変えた、台形を逆さにしたような形状の船尾後端が船底に繋がるような整形がされていたのでしょうか?

 | ̄ ̄ ̄|
._\_/_.(水線)

(上手く表現が出来なくて申し訳ありません…)

ご存じのかたがいらっしゃいましたらご教示の程、何卒お願い申し上げます
1041 伊号第68潜水艦はいつごろ艦首の切網器を取り付けたのでしょうか?
1042 1936年11月、米国ルーズベルト大統領がアルゼンチンを訪問したおりの米国艦隊の構成はどういったものだったのでしょうか。
オマハ級軽巡洋艦が4隻、ポーパス級潜水艦が少なくとも2隻、大統領座乗のインディアナポリス(重巡)、戦艦1隻(名称不明)は
確認出来ましたが、他にもあったのでしょうか。
御教示頂けたらありがたいです。
1043 1037と同じレベルの質問で申し訳ありません

“仮に”大和型に大和型(例えば大和に武蔵)が丁字に突っ込んだら、どうなるんでしょう?
馬鹿馬鹿しい質問ではありますが、お教えいただければ幸いです。
1044 現代の潜水艦の後部潜舵のデザインは+型から×型に移り変わりつつあるように思えるのですが、これはどのような理由によるものでしょうか?
1045  第二次大戦において、主力艦が要塞に撃沈された例は重巡洋艦ブリュッヒャーだけだと聞きました。
 過去ログ等によると、オスロ侵攻のためにフィヨロドを航行中、600ヤードの距離からクルップ製の旧式28p砲等の命中弾を受け、300mの距離からの魚雷が命中して沈没したとのことです。
 そこで、二つ質問させていただきます。
@ 要塞付近のフィヨルドは幅1000mしかなく、罠に飛び込むようなものだと思うのですが、なぜ、こんな危険な作戦が実行されてのでしょうか?
A ノルウェー軍の28p砲とはもともと艦載砲だったのでしょうか?
  旅順攻撃に使った28サンチ砲だと思っていたのですが、写真でみると、違うようです。

1046  戦艦機関部のシフト配置とスクリュー軸の関係についてお尋ね致します。もし対になったスクリュー軸を艦底に対して同一傾斜にしようとすれば、タービンまたは減速歯車装置の高さ、姿勢を調整する必要があります。大した違いは無いだろうからそのままでも良いという考えもあったかも知れません。実際はどうだったのでしょうか。
1047 いつもご教示頂きまして有り難うございます。

写真や沈没艦調査(戦艦「大和」「武蔵」、重巡「摩耶」「最上」など)を見ると、大東亜戦争後期では消磁電路を装着した艦と未装着の艦が入り混じっているようですが、殆どの艦は開戦前の出師準備工事実施時に消磁電路を装着したと聞いております。
なぜわざわざ消磁電路を取り外す艦が現れたのでしょうか?(消磁電路はあまり効果や必要性が認められなかったのでしょうか?)

宜しくお願い致します。
1048  イ号艦本式ボイラについての質問です。金剛級一番艦の金剛にはヤーロー式ボイラーが積まれていました。二番艦の比叡に積まれたのイ号艦本式ボイラです。これら二者は大略的には同じ構造ですが、前者は、蒸気ドラムと水ドラムを結ぶ水管が直線であるのに対し、後者は湾曲しています。比叡竣工は金剛の一年後です。ということは、金剛の建造中に比叡のボイラは設計されていたことになります。このイ号ボイラの形を考えたのは、日本の技術陣であると思いますが、例えば英国の技術者が案を提示してしたということはないでしょうか。
 なおついでですが、三番艦榛名と四番艦霧島に載せたのはヤーロー式であると高木氏も石橋氏も断言されています。しかし、これらはロ号であるという言説は今もあります。この不統一の状態をどのように理解すれば良いでしょうか。
1049 世界の傑作機No.91「九六式陸上攻撃機」には、
この機体の晴れ舞台であったマレー沖海戦を紹介する「九六陸攻ーマレー沖我らが最良の日」なるページがあります。
先生方はこれを読んだ、若しくはエピソードを知っているかと思いますが、
ここでは「プリンス・オブ・ウェールズ」の対空能力を説明する一文に「プリンス・オブ・ウェールズには1分間に6万発を撃てる8連装の40mm機関砲、通称ポムポム砲がある〜」云々の記述があります。
この発射速度の数値はどこから来た物なのでしょうか
1050  「世界の艦船」2020年6月号 の110ページ左上に建造中のソビエツキー・ソユーズの写真が出ています。両舷に円いフレームのようなものがずらりと並んでいます。これらが、かの有名なプリエーゼ式水中防御システムを構成する部材である、と考えたのですがそれでよろしいでしょうか。もしそうだとすると、本来の位置よりやや上にあると感じたのですがどうでshぷか。
1051 1941年9月から10月の米空母がどこにいたのか分かる人はいらっしゃいますでしょうか。
ヨークタウン、ワスプ、レンジャーが大西洋にいて、
サラトガが西海岸で改装が終わったばかり、ということは書いてあったのですが。
1052  終戦時国内に残存していた軍艦のうち、賠償艦として外国に引き渡された駆逐艦、海防艦以外の戦艦、空母など大型艦は解体されスクラップになりました。しかし潜水艦は、五島列島沖その他海域において水没処分されました。なぜ潜水艦は解体が許されなかったのでしょうか。
1053 震災で廃艦になった「天城」の空母化ですが「赤城」のような、それとも後の「加賀」いずれの構想だったのでしょうか?
1054 おバカな質問ですいません。
イージス艦ってドック入りしている状態でミサイル撃ったりレーダー作動させたりは不可能ですか?
1055 日本陸軍の特種船について質問です。
神州丸及びあきつ丸の元船員の証言が載った本を知りたいのですが…
私自身調べてみたところ、まったくヒットしなかったので少し気になり質問させて頂いた次第であります。
1056  往復式蒸気機関推進の船の乗り心地についての質問です。かつて1960年代中頃までは、宇高連絡船としてタービン駆動の船が就航していました。振動がほとんどなく、乗り心地の良さは、デイーゼル船とは天と地の違いです。今や普通の人が乗れるタービン船は日本には(いや世界にも)無いと思います。これに関連して、今や絶滅した(一部観光用は除く)往復式蒸気機関の船の乗り心地に関心があります。大変静かであった、ということは聞きますが、実際に乗ったことがある人から話を聞いてみたいです。日本は戦後古い貨物船をたくさん買い付けたようです。またリバテイ船も戦後20年以上使われたようです(私は1967年横浜で実物を見学する機会があり、、機関室も見てきました)。海上自衛隊の前身、海上警備隊が発足するときアメリカから多数のPF(パトロールフリゲイト)を借り、1972年まで動いていたようです。ということで、往復式蒸気機関の船に乗ったことのある方はまだまだいらっしゃるのでは、と推定します。実際の乗り心地を教えていただければ幸いです。
 
1057 太平洋戦争末期に完成したイ号潜水艦(300番台など)はレーダー波反射対策として特殊なセイル形状をしてますが、従来に比べてどれくらい効果があったのでしょうか?
またこの場合のレーダー波長は米軍のそれにまったく忠実なものか、あくまでも日本軍の電探の波長を基準にしたものなのか合わせてご教授ください。
1058 日本の練習巡洋艦香取型の機関配置は、ドイツの軽巡洋艦ケーニヒスベルグ級の機関配置の影響を受けたと言っていいでしょうか。船首側から タービンー減速機ーフルカン継ぎ手ーデイーゼル となっていますから。
1059 ふと思ったのですが、アメリカのネバダ級戦艦、イタリアのコンテ・デ・カヴール級戦艦、同アンドレア・ドーリア級戦艦のように主砲が奇数連装砲塔と偶数連装砲塔の混載艦の場合、「交互撃ち方」はどのようにするのでしょうか?
それとも混載艦においてはそもそも射撃統制上の「交互撃ち方」という概念が成立しない(成立しなくても問題ない)のでしょうか?
1060 軍艦が石炭を燃料にしていた時は、多量の灰、石炭ガラが出ました。これらは海中に投棄したと思うにのですが、そのための設備に関心あります。適当な場所に投棄用シュートがあり、そこから海中にすべり落としたと推察します。1915年1月ドッガーバンク海戦で沈んだドイツ大型巡洋艦ブリュッヘルの、沈没寸前の凄絶な写真があります。艦底がほぼ垂直になっていますが、数カ所から水が流れ出ています。これらのうちどれかは投棄用シュートの艦底開口部では無いかと思うのですが、どうでしょうか。
1061 金剛型、扶桑型、伊勢型などは艦尾を延伸する改装工事を受けていますが、こういう工事は 既存の船体にカバーをつけるような形で新しい艦尾を付け足すのですか。それとも、艦尾を一度切り離してスペーサーを入れて取り付け直すのか、もしくは 新しく作った艦尾と取り替えるのですか。
1062 第一次世界大戦のジュットランド海戦において、英戦艦「エリン」(サー・ユースタス・ダインコート卿の設計になるトルコ向け戦艦レシャド5世を、英海軍が接収して自国戦艦としたもの。日本の金剛級戦艦のタイプシップでもあるそうです)は参加した英戦艦28隻中、ただ1隻だけ一発の砲撃も行わななかったという(海人社「イギリス戦艦史」)。エピソードを持っています。

当時は原始的ながら艦隊統制射撃の導入が行われており、孤艦で砲撃を行わないのはこれに反する行為といえるのではないでしょうか?

また実践心理としてもあの乱戦の中、他の艦が盛んに砲撃をしてるのに、正確な射撃諸元が揃わなかったにせよ、ただ一隻だけ撃たれっぱなしで一発も反撃を行わなかったのは、艦長ないし砲術長がよほど強靭な意思力を持って射撃開始を統制していたのか、あるいは何らかの機械的不都合によって「撃ちたくても撃てない」状態にあったのではないかと思われます。

いずれにせよこのことによって、後々艦長が譴責をを受けたり、乗組員が艦隊から白い目で見られるようなことはなかったのでしょうか?
どなたか英文に堪能な方、このエピソードの顛末をご存じでしたらどうか教えてください。
1063 戦艦大和水上特攻時の映像は本当にないんでしょうか?
ガンカメラの映像とかあるんじゃないかと思ったりします。
1064 いつもご教授頂き有り難うございます。

「日本戦艦は主砲の分火射撃はできない」と「太平洋戦史シリーズ65 決定版・金剛型戦艦」(学習研究社)にはあります。

大東亜戦争当時、日本戦艦は前部・後部にそれぞれ独立した射撃指揮所を持っていますが、なぜ分火射撃ができないのでしょうか?
言い換えれば、「主である前部射撃指揮所が問題なく機能している時、後部射撃指揮所は何をしているのか」となるかと思うのですが(後部射撃指揮所は単なる予備装備なのでしょうか?)。

宜しくお願いいたします。
1065 初めて質問させていただきます。よろしくお願いいたします。
私は造船会社に勤めているのですが、会社では護衛艦を建造しておりません。
そこで、護衛艦(巡視船や軍艦含む)を建造するのと一般商船を建造する際ではどのような違いがあるのか教えて下さい。
現場から事務処理まで幅広く教えていただきたいです。
1066 米国のアルフレッド・マハンの「海洋戦略」におけるシーパワーの概念と、やや遅れて提唱されたフランスの「新生学派」の海洋戦略の概念は全く相反するもののように思えます。

米英日は前者、仏独露は後者の影響が強いように思えるのですが、これはやはり海主陸従の国と陸主海従の国の違いであると理解してよろしいのでしょうか?
1067 25口径5インチ砲(古い高角砲だと思います)に対応したVT信管って存在したのでしょうか。
また、51口径5インチ砲(平射砲?)に対応したVT信管についても同様の疑問があります。

個人的には存在しないように考えていますが、無いことの証明は難しいといいますか、何か確定できる資料が欲しくて質問に挙げさせて頂きました。

よろしくお願い致します。
1068  漆塗り船体の保守について教えてください。

 江戸時代以前の「小早船」など一部の快速船は水の抵抗を減らすために船体に漆を塗ったものがありました。
 この漆塗りの船体というのは、実用的にはどうだったんでしょうか?

1)漆は紫外線に弱いと聞いてますが、やっぱり定期的に塗りなおしてたんですか?
2)貝や船食い虫に対する効果はあったんですか?
3)貝を掻き落としたら漆がはげちゃいそうな気がしますがどうなんですか?

日本海軍の短艇なんかに漆塗りが採用されてないので実力的にはそれほど優れたものではないのであろうことは想像がつくんですが、気になって軽くググった程度では答えが見つからなかったので質問させていただきました。
よろしくお願いします。
1069 第二次大戦時の巡洋艦について質問です。

日本軍の軽巡 夕張は最終時に爆雷投下の装備だけでなく九三式水中聴音機と九三式探信儀まで装備して駆逐艦のように対潜装備がなされていますが駆逐艦よりも大型の巡洋艦で爆雷だけでなくソナーまで装備していた船となると夕張だけになるのでしょうか?

WW2時代の巡洋艦で夕張以外に爆雷とソナーが装備されていた巡洋艦があれば国を問わずにお教えください。
よろしくお願いします。
1070  金剛のボイラ送風装置についての質問です。金剛の最初のボイラ(英国製ヤーロー式)本体は、呉の海事博物館に展示されています。このボイラがまだ東京目黒に残っている時見に行った事があります。ボイラ前面あたりに、往復式蒸気機関で駆動される多翼式送風機がありました。この送風機が当初からあったのかどうかはよくわかりませんが、レシプロ駆動ですのでかなり古く、最初からのものと推察します。
 ボイラ送風にはダクトから火格子下部に強制送風するものと、ボイラ室全体の気圧を高めるものと二種類あると読んだ記憶有ります。金剛はどうだったのでしょうか。なおこの送風機は呉の博物館の倉庫に保管されていると推察します。
1071  ハンモックについて質問です。

 日本海軍なんかは川の字みたいに綺麗に並べて吊っている印象がありますが、昔の映画「戦艦ポチョムキン」なんかだと柱から放射状に吊っているように見えるシーンがあります。

1.放射状に吊るのは空間の無駄が多そうな気がするんですが、国あるいは軍艦によってそういう吊り方を実際にしたのですか?

2.船の進行方向に沿う方向に吊るのと、船の進行方向に対して直角に吊るのとでは寝心地が変わって来るんじゃないかと思いますが、ハンモックを吊る向きについて決まりとか「この方向が良いぞと言われていた」というような話があったら教えてください。
1072  電気溶接率についての質問です

戦艦ビスマルクの船体の溶接率は、80%以上とか、90%に達していた、と言われます。この溶接率についてはは何か計算の方式が確立していたのでしょうか。そもそもの設計が、リベットと溶接で違うので単純に比較できないような気がします。
1073  KGV級の砲塔の前盾について疑問があります。
 同世代の他の戦艦の前盾は傾斜がついたものばかりなのに、KGV級の前盾はなぜ垂直になっているのでしょうか。
1074 いつもご教授頂きまして有り難うございます。

10年以上前に16インチクラスの主砲を搭載した「長門」(1920年竣工)や「メリーランド」(BB-46)(1921年竣工)が登場済みで、同じヨーロッパには既にネルソン型戦艦もあるのに、ヨーロッパの「新戦艦」(独:ビスマルク型戦艦、仏:リシュリュー型戦艦、伊:ヴィットリオ・ヴェネト型戦艦)は、なぜみんな揃って38センチ砲で、16インチ砲を搭載しなかったのでしょうか?

英国のKGV型戦艦は第二次ロンドン条約に縛られたまま先行建造したので14インチ砲で我慢しているのは分かりますが・・・。
ヨーロッパでは16インチクラスの砲を開発できていなかったのでしょうか?

宜しくお願いいたします。
1075 20世紀初頭アルゼンチン海軍がアメリカに発注した戦艦「リヴァタビア」と「モレノ」について質問します。
この両艦は前部マストがアメリカ式の篭マスト、後部マストが単脚墻(のちに拡大して3脚墻)という変則的?な配置になっています。なぜ同時期のアメリカ戦艦のように前後マストとも篭マストにしなかったのでしょうか?
識者の皆様宜しくお願いします。
1076 帆船の推力を計算したいのですが、19世紀以前の帆船の一般的な帆布の基本風力係数ってどれくらい見積もるべきでしょうか?
1077 伊勢型は航空戦艦に改装された際に、後部甲板に貼られていた木甲板を剥がさずに格納庫を設けたのでしょうか?
私は剥がしてしまったと思っているのですが、その場合甲板は何も加工されず鉄板が露出した状態だったのでしょうか?

よろしくお願いいたします。
1078  昔の大砲は火薬の量を変える事で射程を調節してました(今でも榴弾砲や迫撃砲はある程度は装薬量調整しますが)が、艦載砲で火薬量を一定にして仰角で射程を調節するようになったのはいつごろからですか?
1079 零式五連装魚雷発射管の重量を教えてください!
1080 1077の回答についている伊勢の動画についてですが
艦首の菊の紋章がないように見えます。
1 動画が不鮮明だがついている
2 攻撃中、または放置中に勝手に脱落した
3 実質、廃艦になった時点で菊の紋章を放置するわけにいかないので取り去った
4 戦後、金箔を剥がすために外した
5 米軍の戦利品、または伊勢関係者が記念品として持ち去った
くらいが想像できるのですが実際はどうなったのでしょうか?
1081 江戸時代に発達した弁才船は、高い帆柱を持っていました。当初は一本物を利用していましたが、材料が得がたくなると、細い材料を集めて作るようになりました。このような物を松明帆柱と呼びます。広重の、名所江戸八景の「鉄炮洲稲荷橋湊神社」に描かれています。
 松明は、樹脂の多い松の根っこあたりを細かく割りまた束ねたものです。しかしwikiの、大阪市が復元した浪華丸についての記述は、厚板を4枚使い正方形断面図に仕立てたものを松明帆柱としていますが、間違いではないでしょうか。奈良東大寺大仏殿の主柱のようなものがむしろ松明に似ていると思うのです(船の箍の代わりに、太い釘を使っていますが)。
1082 F15等の第4、第4.5世代の戦闘機は優れたレーダを装備していますが、敵のステルス戦闘機から自分や僚機に対して発射された長距離AAMを探知し、命中以前に自分のミサイルで撃墜したり、デコイを発射したりすることは不可能なのでしょうか。
1083 アイオワ級戦艦の船体線図を探しています。
線図等の図面が載っている資料はありませんでしょうか?
1084 訳あって(船舶の)バルジの起源について調べています。世界最初にバルジを装備したのはいつの時代、どこの国のどういう船なのでしょうか。一応いろいろ調べてみたのですが、調べ方がまずいのか私には判明しませんでした。
そこでこの板の識者の皆様にお伺いする次第です。よろしくお願いいたします。

1085 連投質問失礼します。今世界の艦船「ドイツ戦艦史」を読んでいて疑問に思ったことを質問します。

この本の中で第二次世界大戦のドイツ主力艦のうち、シャルンホルスト級戦艦は第一次世界大戦で未完成に終わったマッケンゼン級戦艦(大巡)をタイプシップとして設計・建造されたと記載されています。

転じてビスマルク級戦艦の場合は、第一次大戦中に完成したバイエルン級戦艦を(特にその防御要領は再現といってよいとか)タイプシップとして設計・建造されたと記載されています。

そこで質問ですが、タイプシップが異なるということは、厳密な意味でビスマルク級はシャルンホルスト級の拡大改良型とは言えず、両者の艦影が似通っているのは帝政時代以来のわざと外見を似せてデザインするドイツ式欺瞞手法の結果に過ぎないのでしょうか?

タイプシップの問題は依然この板でかなり執拗な議論がなされていたので、この際できるだけ多くの識者の皆様のご意見を伺いたいと思う所存です。
1086 巡洋艦夕張に付いてお聞きします。
機関をシフト配置にしたり、機関室を単純に二つにした場合どのくらい長く成るのでしょうか?
又、その場合には主砲を連装四基単装二基にするのは可能でしょうか?
速度もどのくらいに成るか?教えて下さい。
1087 フェッテエインガー式流体接ぎ手について調べていましたら以下のサイトに会いました

   https://requestforproposal.fandom.com/wiki/Gran_Princesa_de_los_Cielos-class_cruiser

これによれば、スペイン海軍が第一次世界大戦前に、ドイツのフルカン社に7,800排水トンの巡洋艦2隻を注文しましたが、戦争が起きてからドイツが建造中のこれらを接収しました。完成後、これらはドイツ海軍の Lauenburg と Bu(ウムラウトつき)tow になり、そこそこ働きましたが、最後はスカパフローで自沈しています。
私の疑問は、なぜこれら2艦の名前が、蒸気推進研究所「独逸軍艦 機関部データ集」に掲載されていないのか、ということです。お分かりの方おしえてください。
1088 第二次大戦時のフランスのダンケルク級戦艦1番艦のダンケルクと2番艦ストラスブールの艦橋の形状が大きく異なることはこの板の識者の皆様には周知の事実と言ってもいいかと思います。
これはダンケルクの使用事績を受けてストラスブールの艦橋を改修した結果なのか、初めから2種類の艦橋デザインの案があって比較検討のため別々の形状を採用したのか、それとも他の全く別の理由があるのか、ご存じの方がいらっしゃったらどうか教えてください。
1089 某ブラウザゲームでふと思ったのですが、
ニミッツ級航空母艦に零戦・99艦爆・97艦攻を
同数搭載するとなると最大何機搭載可能なのでしょうか?
1090 第二次遣独潜水艦伊号第八は、1943年12月無事呉に帰還しました。積荷には、高速魚雷艇用エンジンのダイムラー・ベンツ社製MB501がありました。このエンジンは、L3.88m, W1.58m, H 1.71m, 4,220kg という大きさでした。このように大きなものは、通常の魚雷搬入口からは中に入れられないと思うのですが、実際はどうだったのでしょうか。
1091 金剛級戦艦は、二次改装の結果、直結式から減速機つきタービンとなりました。スクリューも大きくなり、回転数も増加しています。この時、スクリュー軸も新しいのになったのでしょうか、それとも古いままだったのでしょうか。
1092 引っ越しで出展を亡失してしまったので、記憶モードなのですが、戦闘航海中の日本海軍の艦艇では、水兵1人当たり1日の水の配給は1リットル程度だったとの話(大前提)があったと思います。これだけで、飲用、洗顔、洗体、その他を賄えるように訓練されていたとのことです。

これは日本海軍の例ですが、比較的居住性の良好と言われる米英の艦艇で、戦時の末端の水兵の給水事情はどのようなものだったのでしょうか?ひょっとすると真水が硬水の米英では、軟水の日本と比べてボイラー水との取り合いで日本海軍より厳しいものではなかったか?というのが私の疑問です。
1093  第二次大戦中、アメリカはカサブランカ級護衛空母50隻を短期間で建造しました。減速歯車製造能力に限りがあり、タービンではなく、ユニフロー蒸気機関を採用しました。この機関は理論上の効率は高いものの、構図上からくる難点があり(シリンダーからの蒸気漏れなど)、機関部要員からは多くの不平が出たと言います。リバテイー船の主機のように「普通の」蒸気機関を使っていれば良いと思うのですが、なぜわざわざ難点のあるユニフロー式を採用したのでしょうか。私は、熱効率の高さを重視したことが一番の理由だと思うのですが、そう考えてよろしいでしょうか。馬力あたりの重量も小さかったのかと思いますが。
1094 英国条約型重巡洋艦のうち、ただ1隻ロンドン級のロンドンのみが軽巡フィジー級に準じた上部構造物に近代改装しています。なぜロンドン1隻のみだったのでしょうか?改装後の運用実績が悪かった(メリットよりデメリットの方が大きかった)?第二次大戦の勃発で以降の艦はそれどころじゃなくなった?既存艦の改装より新型軽巡の建造を優先した?
どなたか理由をご存じでしたらどうか教えてください。

1095 航空母艦「大鳳」はご承知の通りマリアナ沖海戦で戦没しておりますが、14:32の大爆発以降、「大鳳」艦内はどのような状況となり、対応してどのような命令が出され、16:28の沈没に至ったのかよく分かりません。
「アジ歴」で「大鳳」の戦闘詳報を検索してみましたが見つけられませんでした。
(なお「大鳳」に関するWikipedia記事及び学研本Vol.22「空母大鳳・信濃」は拝読しております。理解できているのかは自信がないですが・・・)

「大鳳」は14:32の大爆発後は、仮に生還できてももう使い物にならない(修理不能・廃艦の他なし)ほどの損傷を受けていたのでしょうか?

よろしくお願いいたします。
1096 キング・ジョージ5世級の戦艦の主砲は 計画4連装砲塔3基のところ、防御力不足が発覚して防御力強化の重量を浮かせるために1基を連装砲塔に変更したといいますが、この変更でどれくらいの重量が浮いたのでしょうか。また、浮いた重量で どの程度の防御力強化が出来たのでしょうか。
1097  米戦艦サウス・ダコタ級およびアイオワ級戦艦には、舷側の内側に下に向かって厚さが薄くなっていくアーマーが配置されていました。水中弾と魚雷の双方に対するものであったと思います。しかし、この方式には欠陥があることに気づき、次期計画のモンタナ級には採用されませんでした。そこで質問は、
1. このテーパーアーマーは、どのように組み立てられていたのか、ということです。牧野さんの論文では、アーマーどうしを強力な継手で一体化したとありますが、具体的に知りたいです。
2.この方式の欠陥はどこにあったのでしょうか。このテーパーアーマーと艦底部との結合に弱点があったとも言われるのですが、詳しく知りたいです。
 以上よろしくお願いいたします。
1098 太平洋戦争中、被害を受け修理が半年いじょうかかる艦艇はざらにあります。その間、乗組員たちは何をしているんでしょうか?他艦にまわされたりするのでしょうか?
1099 ガレー船/ガレアス船について質問です。

ガレー船やガレアス船などで漕ぎ手たちが乗る甲板は何甲板というのでしょうか?

「櫓棚」という単語を見つけましたが、これは漕ぎ手が座る腰かけのことで甲板そのものの名称ではありませんよね?
1100 いつもご教授頂きまして有り難うございます。

明治〜昭和初期、日本戦艦は(大改装までは)主砲塔の水圧動力が能力不足であったため「斉発を行うと極端に発射速度が遅くなる」という欠点があり、「交互打方」を常用とせざるを得なかった。

一方強力な主砲塔動力を持つアメリカ戦艦にはそのような欠点はなく、全門による斉発を基本として問題はなかった。

・・・と聞いております。

では、イギリス等その他の国の戦艦では、このあたりの事情はどうだったのでしょうか?
(明治〜昭和初期の時期、斉発が実用的でないのは日本戦艦だけの問題だったのでしょうか?)

宜しくお願いいたします。

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