1045  第二次大戦において、主力艦が要塞に撃沈された例は重巡洋艦ブリュッヒャーだけだと聞きました。
 過去ログ等によると、オスロ侵攻のためにフィヨロドを航行中、600ヤードの距離からクルップ製の旧式28p砲等の命中弾を受け、300mの距離からの魚雷が命中して沈没したとのことです。
 そこで、二つ質問させていただきます。
@ 要塞付近のフィヨルドは幅1000mしかなく、罠に飛び込むようなものだと思うのですが、なぜ、こんな危険な作戦が実行されてのでしょうか?
A ノルウェー軍の28p砲とはもともと艦載砲だったのでしょうか?
  旅順攻撃に使った28サンチ砲だと思っていたのですが、写真でみると、違うようです。


PIAT

  1. 2に関して。
    英語版wikiを見ると「28cm MRK L/35」のようです>28センチ砲
    艦載砲としてはブランデンブルク級戦艦の中央砲塔用として採用されているみたいですね(艦首艦尾は40口径砲)。
    薩摩

  2.  オスロはフィヨルド(実際には湾)の最奥部に位置する港湾都市です。そして、海側以外は山に囲まれ、一番近いドイツの航空基地から500kmほど離れています。もちろん、爆撃機のみの渡洋爆撃なら可能ですが、空挺部隊の使用は1年後のクレタが最初ですので、まだ有効性が確認されていません。したがって、海上輸送により陸兵を送り込むのが実際的な方法であると考えられたようです。
     ただ、御指摘のように、途中には要塞があり、要塞対軍艦では、要塞に分があるというのは常識でありますので、夜陰に紛れて突破する計画だったようです。しかし、ノルウェー側に察知された結果、砲撃を受け、さらには秘匿されていた(多分、ドイツ側も存在に気づいていない)魚雷を受けてかような損害を出したということでしょう。
     
    hush

  3. 薩摩様 情報ありがとうございます。
     戦艦ブランデンブルグ(約1万トン)は1893年竣工で、28p砲を6門装備していたので、三笠やスワロフよりやや旧式ですね。
     発射速度は遅いと思いますが、使い方によっては、半世紀の大砲でも役に立つのですね。

    hush様 オスロには夜間に侵攻する予定だったのですね。ありがとうございます。
     それにしてもノルウェー侵攻はよくわからない作戦ですね。
     海軍が言い出した作戦のようですが、オスロを占領したのは空輸された陸軍部隊であり、海軍は多大な損害を受けたうえ、王族等の政府首脳を取り逃がすという失態を演じました。
     第一次大戦のリエージュ要塞の様に、要塞に特殊部隊を送り込むのは無理だったのでしょうか?


    PIAT

  4. >要塞に特殊部隊を送り込むのは
     私もそれが正しいと思います。にもかかわらず、それができなかったのは、無理だったからでしょう。
     仰るように、ノルウェー侵攻はレーダー海軍総司令官が言い出したことですが、作戦自体は国防軍最高司令部(OKW)が立案しています。ただし、立案者のヴァルリモント砲兵大佐は、砲兵とつくように陸軍の出身ですが、OKWはヒトラーが国防軍を直接指揮するためのものですので、陸軍ならびに空軍総司令部は関与していないどころか、作戦の存在も知りませんでした。このため、両軍がこれを知ったときには、多大の反発があり、精鋭部隊の参加は見送られました。空挺作戦が予定されなかったのはこのためですが、特殊部隊についても同様であったのではないかと思っています。フランス侵攻が目睫の間に迫っており、そのタイミングで特殊部隊を消費できないと思うからです。
     では、どうするかです。オスロの前面には細長い湾があり、途中の狭水道には要塞もあります。たとえて言うのなら、大阪を海上から攻撃するのに、豊後水道から瀬戸内海を通っていくようなもので、豊後水道と来島、明石海峡付近に要塞があるようなものです(紀伊水道は封鎖されていて通れないとします)。しかも、策源地から500kmも離れており、特殊部隊や空挺部隊は使えないのです。
     太平洋戦争末期のアメリカ艦艇の艦砲射撃や、下関の砲撃のように圧倒的な戦力差があるのなら別ですが、28cm MRK L/35の射程は仰角25度で14.5kmで、ブリュッヘルの20.3cm SK C/34の33.5kmの半分以下ですが、充分な脅威です。しかも、ドイツ側は「平和裏」の進駐を望んでいたので、こちらからの発砲は、警告射撃を受けた場合でもしてはいけないとなっていました。
     したがって、次善の策は夜陰に紛れてということになるのですが、オスロの日の出は4月前半だと6時半頃です。この前に湾を北上して、要塞の砲撃圏内を突破してと考えると、低速の輸送船では無理で、艦艇での輸送となります。また、要塞と撃ち合う可能性もあるので、駆逐艦や水雷艇程度では対抗できません。これが、重巡洋艦や装甲艦の参加した理由でしょう。
     ところで、湾口で早くも照射と砲撃を受けたわけですが、ドレーバク水道に差し掛かった時点では、ドイツ艦隊はいまだに正体不明であったわけです。したがって、エリクソン要塞司令官が、英雄になるか、法廷に引き出されるかのどちらかだと叫んだ後に砲撃を命令しなければ、そのまま通過していた可能性が高いのです。
     ドイツは宣戦布告を直前に通告していますが、ギリギリのタイミングです。しかも、それを受けて、ノルウェーが動員令を発動できるのは数日後であり、前線に伝わっていた可能性も低いわけです。そのような中で、中立を宣言しているノルウェーの一要塞司令官が、目の前を通過する国籍不明の艦艇に対して砲撃を行うというのは、戦争を引起こしたのはノルウェー側であるということになりかねないのです。おそらく、ドイツ側も、そこを狙っての作戦だったろうと思っています。
     
    hush


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