1051 |
1941年9月から10月の米空母がどこにいたのか分かる人はいらっしゃいますでしょうか。 ヨークタウン、ワスプ、レンジャーが大西洋にいて、 サラトガが西海岸で改装が終わったばかり、ということは書いてあったのですが。 チャカ |
- レキシントン、エンタープライズ 太平洋艦隊
ホーネット 大西洋で就役訓練中
hush
- hush様、回答ありがとうございます。
レキシントンとエンタープライズが太平洋のどこにいたかが分からないのです。
チャカ
- 2隻とも、5月以降は真珠湾かハワイ近海ではないでしょうか。
片
- 片様、回答ありがとうございます。
太平洋諸島への航空機輸送のような任務は真珠湾攻撃直前になるまで行われなかったのでしょうか。
チャカ
- >4
ルーズヴェルトが大統領令8682号"Establishing Naval Defensive Sea Areas Around and Naval Airspace Reservations Over the Islands of Palmyra, Johnston, Midway, Wake, and Kingman Reef"でパルミラ、ジョンストン、ミッドウェー、ウェーク島とキングマン・リーフの防衛を命じたのが1941年2月14日で、ミッドウェー海軍航空基地の創設が同年8月です。これはワシントン海軍軍縮会議の要塞化禁止条項により整備が凍結されていたものですが、この命令により、基地の整備が進んでいきます。
これを直前とみるかどうかは、人によって違うでしょう。
hush
- ウェーク、ミッドウェーへの航空機輸送は真珠湾攻撃直前です。
片
- 空母を使って、整備が終わった基地に飛行機を運んだのは、11月12月のことですね。
片
- hush様、片様
回答ありがとうございます。
ひょっとすると山本長官は直前まで空母が真珠湾にいたことから今なら一網打尽にできる、と考えてハワイ作戦をやりたがったのかもしれませんね。
チャカ
- >8.
山本長官のハワイ作戦の着想は1941年1月頃で実行までには魚雷の沈降抑制とか徹甲爆弾の開発とかいろんな課題を解決する必要がありましたけどそこは
駄レス国務長官
- >8
戦史叢書「ハワイ作戦」を読んでもらえれば分かることですが、海軍が真珠湾攻撃を計画したのはずっと前です。したがって、奇襲当日、アメリカ太平洋艦隊の戦艦以下の主要部分が在泊していたのは僥倖であり、空母がいなかったのは予定外でも何でもないのです。
このあたりは http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/SoshoView?kanno=010 の159コマを読んでもらえれば分かると思います。
直前まで空母がいたからというところまで場当たりな作戦でもないのです。
書き込もうとして、また被っていることに気づきましたが、御寛恕ください。
hush
- なるほど、真珠湾の情報が分かるのは11月下旬以降だったのですね。
だとすると、それより前に空母の所在は確認できませんね。
チャカ
- 一網打尽というより、ハワイ付近に米空母がいれば、そこから発進する艦上戦闘機が真珠湾攻撃の飛行機隊にとって脅威となります。
攻撃隊第一波の艦爆隊は、本来は、洋上決戦での場合と同じく、制空権を押さえるための敵空母先制攻撃用のものでした。
5月中旬以降、ハワイに配置された米空母は1週間から10日ほど出かけることを繰り返しています。ずっと停泊していたわけではないのです。
米空母が真珠湾で停泊していればまだしもですが、近海で行動中だったらほんとうに厄介なことになっていただろうと思います。結果として第二次攻撃が行われなかったのも、この所在のわからない米空母を警戒してのものだったはずと思いますし。
片
- 飛行機隊というより、機動部隊の空母そのものにとっての脅威ですね。
うっかりラッキーヒットを食らえば、ミッドウェーが半年早まってしまいます。
敵空母がいれば先制攻撃を行わなければならず、淵田中佐の信号弾の数によって、雷撃隊が先に出てトラトラトラと打電する、あるいは艦爆隊が先に出る、とケース分けされていたのもていたのも、米空母艦載機の出方次第だったわけです。
場合によっては浅海面雷撃の命中率が下がるなど、攻撃効果への影響も考えなければなりません。
「一網打尽」はちょっと虫が良すぎてしまうわけです。
片