1080 1077の回答についている伊勢の動画についてですが
艦首の菊の紋章がないように見えます。
1 動画が不鮮明だがついている
2 攻撃中、または放置中に勝手に脱落した
3 実質、廃艦になった時点で菊の紋章を放置するわけにいかないので取り去った
4 戦後、金箔を剥がすために外した
5 米軍の戦利品、または伊勢関係者が記念品として持ち去った
くらいが想像できるのですが実際はどうなったのでしょうか?
タブ

  1.  敗戦直後、連合軍がやってくる直前、不敬になってはいけないということで、呉工廠が各艦から艦首紋章を撤去し、焼却したと言われています。
     
    hush

  2. ありがとうございます。
    ところで焼却にしたということは木製だったのでしょうか?
    金属板を打ち出した物に金メッキしたと思っていました。
    タブ

  3. >2
     当初は砲金製だったようですが、艦の大型化に伴い、重量の関係でチーク材に金箔をはったものに変更されており、潜水調査で確認された大和のものも木製でした。
     なお、2014年に潜水母艦駒橋の紋章が現存していることが確認されましたが、これも木製です。これが、新造時のものかどうかは存じませんが、仮にそうであったとすれば、同艦の竣工は1914年で、直後に軍艦となっていますので、大正時代以前に変更になったということになります。
     
    hush

  4. 木製の御紋章に金箔を施したものです。
    戦艦「三笠」「陸奥」重巡「青葉」に取り付けられていた実物の菊花紋章が現存しているので、機会があればご覧になられるといいと思います。
    Ranchan

  5. すみません、かぶりました。<(_ _)>
    Ranchan

  6. >5
     いえいえ、三笠の艦内の保存されているあれが木製だとすると(だから、ダンス・ホールになるまで荒廃しても盗られなかった)、同艦内にある和泉のそれと合わせて、明治期には材質が変更になったということが分かって参考になりました。
     なお、上記以外に迅鯨、香取のものが現存していますことを付記しておきます。
     
     
    hush

  7.  あっ、6の香取は戦艦のほう、迅鯨は潜水母艦のほうです。
     
     
    hush

  8. 子供の頃、読んだプラモ雑誌かマンガの解説に金属板でできていると書いてあった記憶があり
    ずっと金属板だと思っていました。もしかしたら他国の紋章のことだったのかな。
    ありがとうございました。
    タブ

  9. >8
     1939年にウルグアイで沈み2006年に引き揚げられ19年に売却された装甲艦アトミラール・グラーフ・シュペーの艦尾のワシの像はブロンズだそうです。800ポンドと書いてありますので、約360sの重さがあります。
     
    hush

  10.  1966年に刊行された「造船官の記録」の中に収められた吉武有道技術大尉の「戦争末期の苦斗(闘)」の中に、艦首紋章の取外しの状況が描かれているそうです。吉武技術大尉はこの作業に参加しているそうですので、かなり信憑性のある記録だと思われます。
     手許にあります軍艦伊勢出版委員会刊「軍艦伊勢」(1979年)からの又書きになりますが、対象となったのは、榛名、伊勢、日向、天城、葛城、龍鳳、鳳翔、青葉、磐手、出雲、利根、大淀、八雲、鹿島、北上等だそうです。うち、真鍮製の出雲、磐手、艦首を海中に突っ込んだ天城を除き、比較的容易に取り外すことができたという記述があるそうです。
     出雲と磐手のそれが真鍮製であったとしたら、三笠や和泉の紋章が木製なのはなぜかという疑問が新たに生じるわけですが、私はその回答を持ち合わせていません。
     なお、菊花紋章は白布に包まれて2、3人で運び出し、工廠裏手の神社(伊勢名神社?)で焼却されたそうです。
     
    hush

  11.  金属製も金属板の打ち出しではなかったのですね。
    想像なのですが真鍮製は木製より劣化しにくいので廃艦から取り外したあとサイズの合いそうな新造艦に使い回したのではないでしょうか。
    タブ

  12. ケヤキ板ベースの御紋章を艦首上部にどのように取り付けたのでしょうか。鋼製ボルトを何本かを背面に埋め込み、先端部を艦体に差し込み、ナットで止めたと思います。ではボルトををケヤキ板に差し込んだ時に、抜けないようにする方法が問題です。板にきつめの孔を開け、ボルト先端のネジを回しながら差し込み、周辺はパテのようなものを詰め込んだのでしょう。
    電気戦艦

  13. >8
     もしかしたら、金張り、もしくは金箔押しというのは子供に難しいと判断して、そのように表記したのかなと思って、いろいろと調べた結果、爆沈した陸奥の紋章に関する調査では欅製で金箔が貼られていたそうです。
     ただ1987年に撤去された三笠の艦首紋章の写真を見ますと、割れ目や剥落した部分が目立ちます。それだけを見ると、金箔を使ったのかなとも思うのですが、戦後、ダンスホールや水族館として使用されていた時期もあるぐらい荒廃した三笠から、なぜ、金箔が盗まれなかったのかという疑問が生じます。多くの金属はガス・バーナーで切断され、甲板のチーク材すら薪や建材として盗まれたような状況の中で、紋章だけが被害を免れるということがありうるだろうかということです。
     実際、 http://acj.sblo.jp/article/45569226.html に1953年ごろに撮影された三笠の写真が掲載されていますが、これが着色写真でないとすれば、この当時も、現在と同じように紋章は金色に輝いています。これほど目立つものが残されていたのは、経済的には無価値なものであったとしか考えられません。
     したがって、これは金箔ではなく、金色の塗料で塗られていただけなのだろうと思います。
     もっとも、竣工時は金箔が貼られていたのかもしれませんが、波浪の影響が大きな艦首部ですので、保守管理を考えるとどのようにやっていたのかなと思います。
    >11
     三笠や香取の進水写真を見ますと紋章がついています。したがって、出雲、磐手もつけて進水したと思います。だとすれば、これらの紋章も現地で調達されたものである可能性が高いと思っています。というのは、三笠、香取はヴィッカーズ社製ですが、出雲と磐手はアームストロング社製だからです。もし、日本から持っていったのであれば、建造所によって紋章の材質が異なるということはありえないと思うからです。そして、現存する香取の紋章の写真を見ると、木製のように思われます。
     和泉は、アームストロング社製ですが、チリのエスメラルダとして竣工しており、紋章は購入後に日本国内で製造されたものであると考えられます。したがって、たとえば、浅間の艦首紋章が残っており、これが真鍮製であったなら、ほぼ確実ですが、木製か、金属製というのは、建造時期ではなく、建造所の違いによるものではないかと今は考えております。
    >12
     現存する香取、陸奥、青葉(10で紹介した文献に撤去後焼却とありますので、どういう由来のものか不明ですが)の艦首紋章を見ますと、正面に穴が開いており、青葉のには木栓らしきものが残っています。一木造りではないので、内部にナットを仕込むことも可能でしょうが、この穴を使って止めていたものと思います。陸奥の艦首は現存しており、設置孔も確認できそうですので、一致すれば、確実だと思っています。
     
    hush

  14. hush様 機会を見て実物を見ようと思います。とにかく風波が一番激しく当たる場所なので、取り付けもかなり工夫が必要でしょう。
    電気戦艦

  15. >14
     こんなのがありました。
     https://twitter.com/tamaya8901/status/531070756239601664
     駒橋の艦首紋章の実測図です。
     
    hush

  16. >15 大変有用な画像ありがとうございました。私は、14 でボルト数本をケヤキ台座に行き止まりで射し込むと推定致しましたが、今回の写真で埋木があることがわかりました。ということは、貫通ボルトを利用したということになります。ボルトの頭+座金が埋木の下にあり、館内からはナットで締め付けたのでしょう。

    電気戦艦

  17. >16 射し込むX 挿し込む◯
       館内x 艦内◯
    電気戦艦

  18. >16 14x 12◯
    電気戦艦

  19. >16
     ま、菊の紋章をぶち抜いてボルト止めするなんて、普通は考えないですから。私も、香取、陸奥、青葉の艦首紋章に穴が開いているのを見て、その意味に気づいた時には愕然と致しました。
     多分、最初は、海軍も納品された紋章を見た時には驚いたでしょう。しかし、海外の場合、艦首に王家の紋章をつけているわけでもありませんし、菊の紋章が何を意味するかが分かったとしても、海中に落下するよりましだと思うでしょう。ですから、このやり方が踏襲され、国産の時代になっても続けられたということなんだろうと思います。
     これが陸軍だったら、菊の紋章を粗末に扱ったと大変なことになったでしょうが、海軍は、その紋章のついた銃を、島を撤退する時に邪魔だから捨てよと言ったわけですから、らしいと言えば、らしいのですが。
     
    hush

  20. >19
    英国の船には船首像(フィギュアヘッド)を取り付けることが多かったですから、菊花紋章を取り付けることは、技術的には苦労無かったことでしょう。
    電気戦艦


Back