1090 第二次遣独潜水艦伊号第八は、1943年12月無事呉に帰還しました。積荷には、高速魚雷艇用エンジンのダイムラー・ベンツ社製MB501がありました。このエンジンは、L3.88m, W1.58m, H 1.71m, 4,220kg という大きさでした。このように大きなものは、通常の魚雷搬入口からは中に入れられないと思うのですが、実際はどうだったのでしょうか。
電気戦艦

  1.  「日本海軍潜水艦史」(1979同刊行会)によると飛行機格納筒に収めています。
     
    hush

  2. hush様 どうもありがとうございました。飛行機格納筒のことは全く思い浮かばなかったです。このようなもの作る能力があったのですから、緊急脱出カプセルの開発すればよかったと思います。帝国海軍の精神風土からは無理だったでしょうが。
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  3.  緊急脱出カプセルについては、昔の「世界の艦船」にSUB SUNKというタイトルで折田善次元海軍少佐が詳しい連載をされていましたね。
     
    hush

  4. >3. hush様 どうもありがとうございました。『世界の艦船」バックナンバー揃っている場所で読んでみます。
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  5. >4
     そういうものが揃っている所があるというのは羨ましいです。
     SUB SUNKは1960年代後半に数年にわたって連載されたはずです。
     
    hush

  6. >5. 実はまだどこにあるか確かめてはいません。目安はつきましたので、そのうち訪れようと思っているところです。
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  7.  1で示した書籍によると、海大III型にダイヴァーズ・ロックが搭載されたが、艦外に出た者が上部ハッチを閉鎖する必要があるため、1938以降は魚雷取入口を艦内で開閉できるようにして緊急脱出路にしたそうです。
     救難ブイも装着されていたそうですが開戦直前に不慮の浮上を恐れて撤去したそうです。
     また、アメリカがモムセン・ベルを使ってダイヴァーズ・ロックからの救出に成功したことから、呉工廠で同様のものを試作したが、本格実験には至らなかったそうです。
     なお、呉には脱出訓練塔があったとのことです。
     したがって、朝日の改造も含めて、可能なことはやっているように思われます。
     緊急脱出カプセルについては、ロシアの潜水艦以外に装備したものがあったかどうか(SUB SUNKをまだ捜していません)。
     海上自衛隊でも、艦内からは個人脱出法に頼っているのが現状で、レスキュー・チェンバーを使うほうが、容積の小さな潜水艦の場合は一般的なのではと思っています。
     
    hush

  8. >7. hush様 多くの情報ありがとうございました。 日本海軍もそれなりに考えていたのですね。世の中落ち着いいたら、関連印刷物読みたいです。
     一般的に、水圧がかかるところから物を分離するのは難しそうですね。潜水艦の船体は水圧で非対称に変形するので、水深50mと100mではと条件が違う気がします。
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