1099 ガレー船/ガレアス船について質問です。

ガレー船やガレアス船などで漕ぎ手たちが乗る甲板は何甲板というのでしょうか?

「櫓棚」という単語を見つけましたが、これは漕ぎ手が座る腰かけのことで甲板そのものの名称ではありませんよね?
おうる

  1.  おうる殿、その質問では範囲が広すぎて応えるのが困難です。

     一度でも、せめてウィキペディアを調べていれば、こう申し上げる意味が御分かりになると思いますが、ガレーは紀元前3000年頃から19世紀まで使われました。ごく初期では、そもそも甲板がありません。

     有名な古代ギリシャの三段櫂船なら、ttps://suichukoukogaku.com/trireme/に解説が在ります。最下層の漕ぎ手は船倉内の櫓棚、中段は甲板(一層しか無いようです)に、上段は舷側に張り出したギャングウェイに座しています。

     ローマ帝国だけでも進歩を追うのが大変です。さらに近世のガレー、例えばベネチアも構造が違うようです。この時代だと漕ぎ手甲板という言葉もあるようですが、確認しておりません。


    タンジェント

  2.  追記します。

     ガレアスは16世紀以降に登場します。ガレーに船首楼・船尾楼を設けて幅広になり、大砲を載せ、三本マストを設けて帆走能力を高めたものと私は理解しています。櫂は一層のみ、場合によっては50本を超える櫂一本毎に漕ぎ手が5人前後就きます。この点は同時代のガレーでも同様です。櫓棚に当たるものは無いようです。

     小説では、この漕ぎ手のいる甲板を「漕ぎ手甲板」と称しているものがあったと記憶していますが上記に記述した通り確認できていません。
    タンジェント

  3. さらに追記、「櫓棚」は和船の櫓を漕ぐための足場の名称だったはず。上記ではうっかり櫂をこぐ漕ぎ手座、それも甲板以外にあるものの意味と混同してしまいました。ガレ―やガレアスには存在しない名称でした。訂正します。
    タンジェント

  4. >>1-3
     回答ありがとうございます。

     もちろん、一応ここで質問する前に検索はしました。おっしゃるように古代のガレー船では甲板が存在せず床のない船倉に棚のような足場を組んで漕いでおり、漕ぎ手用の甲板に床が張られるようになってからはそうした棚はありません。

     商船用のガレー船では漕ぎ手は日雇い同然の人足を雇って漕がせていますが、漕ぎ手は各自で椅子代わりに木箱を持ち込んでいます。漕ぎ手は航海中、その木箱に座って櫂を漕ぎますが、その木箱には自由に私物を入れられるようになっています。これで格安の賃金で雇われた人足たちは、その箱に入れられる範囲で様々なものを売り買いして小口の貿易を営んで金を稼いでいたという話をどこかで読みました。ガレー船の漕ぎ手は駆け出しの地中海貿易商にとっての登竜門のようなものだったという一面もあったようです。

    ただ、ご指摘のように漕ぎ手が漕ぐための甲板が設けられるようになってからも、どうも甲板の名称が内容で見つけられません。「漕ぎ手甲板」というのは私も考えましたが、裏付けが見つからないので第三者と話をするときに使ってよいかどうか迷います。

     そこで、漕ぎ手のための甲板に名称があるかどうか質問させていただいた次第でした。

     
    おうる

  5.  https://suichukoukogaku.com/trireme/
     こちらに「紀元前4世紀頃(紀元前400年〜紀元前300年)の古代ギリシャのアテナ海軍の記述では3段目(上)をスラニテ (Thranite = stool、腰掛)、2段目(中)をジギテ (Zugite = thwart、漕ぎ座)、1段目(下)をサラミテ (Thalamite = chamber、小室) とよび」と図付きで解説されています。
     https://kosmossociety.chs.harvard.edu/?p=40457 の上から2番目の図で考えると、スラニテ、ジギテ、サラミテは漕ぎ座の名称で、甲板そのものではないとは思いますが、サラミテのある甲板のような記述でよろしいのではないでしょうか。
     当然、和訳もないわけですが、漕ぎ座甲板とか、橈漕甲板としてもいいように思います。
     
    hush

  6. >>5 回答ありがとうございます。

     サラミテ(Thalamite)の意味を調べると本当に小部屋とかの意味なので、甲板というよりは漕ぎ手のいる部屋という意味なのかもしれません。
     もしかしたらデッキ単位で呼称するという発想そのものが無かったのかも…と思ったりしました。

     参考になりました。
    おうる

  7. >>5 hush 殿、補足感謝。そこは 1 で小生が紹介したところです。

    以下、いくつかの歴史小説の表現からの推測です。(読み返してみました)

    初期の甲板がない場合以外ですと、ガレ―には一層しか甲板が存在しない場合が多いようです。この場合、単に「甲板」としか呼ばれません。ギリシャの三段櫂船の場合、Zugiteが在るのが甲板、Thraniteは舷側に張り出したギャングウェイに在り、低く漕ぎ手座を兼ねる梁に仕切られた空間に在るのがThalamiteです。(だからchamber と呼ばれた模様)

    ローマ帝国やベネチアでは、一層のものの他に二層の甲板が張られたガレ―が使われていますが、戦闘員や武器が置かれる上甲板又は戦闘甲板と漕ぎ手座が置かれる下甲板又は漕ぎ手甲板と称するようです。

    以上、あやふやで申しわけない。


    タンジェント

  8. >7
     おお、それは失礼しました。
     
    hush

  9.  関連して質問させてください。 タンジェントさま、hush様ご紹介のサイト見ますと、アテナイ全盛期のガレー船には、こぎ方のピッチを指定する人は、笛(flute) でしたとあります。400年後のローマ軍船では、映画「ベン・ハー」で見ますと、hortator と呼ばれる人が大きくて厚い円盤状の木板を木槌で叩いて指示していました。笛から木板への変化は興味ありますが、なぜこうなったのでしょうか。
     電気戦艦

  10. >>9
     息切れするからじゃないかと・・・
    おうる

  11. これまた推測で申し訳ないのですが、笛から打楽器への変化は、漕ぎ手の変化に対応していたとかんがえます。

    ギリシャのガレーでは櫂一本に一人の漕ぎ手、しかも水兵船乗りとして訓練された志願兵がつきます。ローマ帝国海軍の場合、映画と違って志願兵ではあっても陸兵で、一層しかない代わりに長大な櫂一本に数名の漕ぎ手がつきます。

    ベテランには速さの変更を号笛で指示すれば足ります。初期は号令で足りたものが、長い甲板の上下に大勢いる漕ぎ手への伝達に高音の笛がもちいられたものと想像します。

    ローマのガレーでは、不馴れな全員の速度を一致させるために打楽器が使われたと思います。まさに、おうる様の言われた通り、息切れしちゃうでしょうから。

    なおオスマントルコのガレーでは太鼓が使われたようです。


    タンジェント

  12. >10,11 どうもご考察ありがとうございました。確かに笛は苦しそうだとは思いました。子供の頃、秋祭りで各町内が屋台(4本の丸太の上に太鼓台を置いたもの)を出しました。昼間は子どもを乗せてゆっくり進みます。まさに「巡航速度」ですが、夜間には町の中心部に繰り出し、ものすごい勢いで走り回りました。たまにはよその屋台とケンカして打ちつけたりするのでまさに「突撃速度」でした。これらに応じて太鼓を打つピッチが変わります。ローマのガレーと同じであること思い出しました。
    電気戦艦


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