質問コーナー(AnsQ)分類

2.艦船関係 901 - 1000


No.
内容
901  甲板を洗うヤシですが・・・歴史的にはいつから使われ定着したのですか?

 ヤシで甲板を洗うのは世界的に共通しているのですか?

 毎日洗ったとして、ヤシの実一つの寿命はどれくらいですか?
902 2代目空母アーク・ロイヤル(R09)には舷側エレベーターが当初有りましたが、これは二段ある格納庫の下部の方まで届くものだったのでしょうか(図や写真を見る限りでは届きそうですが)。
また舷側エレベーターは1959年には撤去されていますが、これはアングルド・デッキとの兼ね合いでしょうか? 海面が近いので波の影響も受けそうですが。
903 今現在まで作られた船で蒸気タービンじゃなくてレシプロ蒸気機関で世界最大の機関を積んでいた船は何でしょうか?

1907年のルシタニアと同時期にドイツで作られたクロンプリンツェシン・セシリー(Kronprinzessin Cecilie)
の機関が調べた限り6気筒4段膨張機関で2セットで4万5000馬力、1セット2万2500馬力っていうのが一番大きい数字ですが
これ以上のパワーを持つレシプロ蒸気船は現在まであったのでしょうか?
 
あとタイタニックは4万6000馬力ですがレシプロとタービン混成で3軸で機関単体では大きくないので除外します。

また軍艦でレシプロ蒸気機関で一番大きいの積まれていたのはどの艦?
904 大和型の舷側装甲を支える受材が魚雷の直撃の際、十分な強度ではなく装甲が押し込まれたという話がありますが、アイオワ級やサウスダコタ級はどのようにして継手していたのですか?
905 旧日本海軍において、母艦からの発艦を仕切る、いわゆる発艦係とはどのような基準で誰によって任命されるのでしょうか。
戦記などを見る限り、整備科の特務士官だったり非番のパイロットだったり、まちまちなので。
906 日本海軍の高射装置や苗頭盤などについて少し質問を。
@秋月型に搭載された九四式高射装置は一見すると艦橋のトップに装備されていて、他に射撃版や苗頭盤が見当たりません。ふと気になったのですが、九四式高射装置では対艦戦闘の際もこの高射装置を使っていたのでしょうか? 
907 もう一つ質問を。 艦船内の飲食についてです。
日本海軍は艦内で飲酒する際、つまみには何が食べられていたのでしょうか?
908 前の質問を投稿してからまだそんなに経ってないのにすいません。
米軍が戦艦に搭載したMk.13レーダーについてです。
あの独特のレドーム?の形状は結構独特だと思うのですがあの形にはどういう意味があるのでしょうか?
また、開閉機構があるようですがどういう時に開閉するのでしょうか?
戦闘中に開閉する事はあるのでしょうか?
909 いつもお教え頂きまして有り難うございます。
まだまだ暑い日々が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

大和型戦艦が一部とはいえ居住区に冷暖房設備を持っていたのは有名ですが、
同時期の他国海軍の艦内エアコン事情はどうだったのでしょうか?
また、日本海軍で居住区に冷暖房設備を持っていたのは大和型戦艦だけだったのでしょうか?

宜しくお願いいたします。
910 1990年代以降、セミアクティブレーダー誘導(SARH)の空対空ミサイルに代わってアクティブレーダー誘導(ARH)方式のAAMが急速に普及しましたが、それと比較して艦対空ミサイルのARH化はスローペースに見えます。
SM-6とかアスター30とか、その手のミサイルが無い訳ではないですが、我が国の艦隊空ミサイルも現状SARHです。

一体、何故なのでしょうか。

例えば日本にはAAM-4の開発実績がありますし、シーカーが作れないなどという訳ではないと思います。
また、開発に成功すれば高性能な防空システム艦でなくても同時交戦能力が飛躍的に高まるメリットがあるように思います。
既にこうしたミサイルが大々的に普及していても良さそうに感じるのですが・・・。
911 かなり初歩的な質問なのですが、過去ログ見ても見つからなかったのでご教授ください。
ロシアのタイフーン型原潜ですが、従来は水中排水量が48000tと様々な本に書かれていましたが、今年の世界の艦船増刊・世界の海軍に掲載されているドミトリー・ドンスコイでは、水中排水量26925tになっています。
同様にボレイ型も、従来はおよそ水中排水量24000tとされていたのが、19711tになっています。
これはどちらの数値が正しいのでしょうか?
912 最近、色々と質問をしてすいません。
大和型の計画案の一つ、A140-A及び参考案のA1についてです。

歴史群像の大和型戦艦2において昭和10年4月10日に主砲が45口径に改められたと記載されていますが、という事はこの両案は50口径なのでしょうか?
また、同書籍に掲載されている防御要領についてですが
・17.5度傾斜部というのがありますが前後の記載から見ると甲板の装甲という認識でよいのでしょうか?
・砲塔甲鈑は砲塔の何処の部位を指しているのでしょうか?
・舷側装甲に使用しているのはVC甲鈑でしょうか?
機関部は馬力の値(合計とディーゼルとボイラーに分けた場合の物)のみ記載されていますが具体的に何を何基、どのように搭載するつもりだったのかは分からないのでしょうか?
燃料搭載量は何tだったのでしょうか?

多くなりましたが以上が疑問点です。
分かる方が居られれば教えてください。
913 過去ログを検索したのですが、該当するAns.Qを見つけられなかったので質問します。

このところ海防戦艦に興味を持っていまして、海防戦艦について詳しく解説した本を探しています。

通常の(?)戦艦を解説した本はたくさんあるのですが、海防戦艦に関する本は見つけることができません。
古本でも構いませんので、どなたか御存知の方がおられましたら御教示方お願いします。
914  艦船の旋回性能について質問です。

 漠然とした質問で大変恐縮ですが、蒸気機関普及後の艦船に求められる旋回性能(用兵側の要求と実際の性能とそれに対する用兵側の評価)は歴史的にどのように推移しているのでしょうか?

 魚雷登場前は衝角戦術に対応することを求められ、魚雷登場後は魚雷を回避する事が念頭に置かれたのではなかろうかと思うのですが、だとしたら潜水艦以外からの水上艦にたいする雷撃の可能性が無くなった現代は何を基準に旋回性能を求めてるのかわかりません。また、爆撃や雷撃を回避する上で個々の艦の旋回性能について、用兵者たちが満足していたのか不満だったのか・・・目立った問題を抱えていた一部の艦についてしかわかりません。
 機関の性能と速度に関する資料は割と見つけられるんですが、旋回性能に関する資料はなかなか見つけられず困っています。
915 以前、あとから追加してしまった物を改めてここに追加します。
昭和11年制定され大和型戦艦等に適用されたという檣楼施設標準の詳細な内容はどういう物だったのでしょうか?
また、それ以前はどうなっていたのでしょうか?
916 大鳳の爆沈についてお尋ねします。
多くの記述に「突然爆発した」とあるので、上層部(少なくとも小沢中将)は危険を認識していなかったことが示唆され、この意味ではこの事象は人災と言えます。

さて、どの記述を見ても前部エレベーター口を塞いだために、ガソリン蒸気が格納庫に充満して爆発に至ったとあり、定説のようになっていますが、これはどうなんでしょう。
奥宮正武氏の著作を見ると、司令部付として大鳳に乗艦していた塩山技術大佐という人が、この閉塞作業に立ち会い、それが終わって艦橋で報告したのが一四〇〇頃(ちなみに被雷が〇八一〇で爆発は一四三二)とあります。

(1)つまり閉塞作業が終わってから爆発までの時間が短く、作業をやろうがやるまいが結局爆発は起こったのではという疑問が生じます。このあたりの経過に詳しい方がいましたらご教示ください。あと、前部エレベーターが止まった位置はどこでしょう?
(2)ダメージコントロール責任者(運用長?)が不慣れだったとの記述を見たことがありますが、これの真偽のほどは?
(3)爆発の危険を認識し、進言した者はいなかったのでしょうか?
(4)実際問題格納庫の喚気を行う抜本的方法はあったのでしょうか?

以上、ご教示いただければと思います。
917 司令塔の有効性についてお聞きします。
大和型やアイオワ級などは司令塔を持ち、厚い装甲を施していますが実際にここに砲弾が直撃した場合、中の人間や機材はどうなるのでしょうか?
装甲が持ちこたえたとしても能力を喪失するならいらない気もするのですが、ちゃんと保護することが出来たのでしょうか?
918 英空母「ヴィクトリアス」は戦後イラストリアスグループ航空母艦中、ただ一隻大改装を受け他艦より10年以上長命でしたが、なぜ「ヴィクトリアス」が改装対象に選ばれたのでしょうか?

姉妹艦の「イラストリアス」「フォーミダブル」、改良大型化した「インドミタブル」「インプラカブル」型ではだめだったのでしょうか?
宜しくお願いいたします。
919 イタリアの戦艦が使用したtc鋼というのが第二次大戦で最高の表面硬化鋼と聞いたのですが、これはどの様な物だったのですか?
また、これについて書かれた資料や書籍等はありますか?
920 WWIIの帝国海軍が艦橋の窓に使用していたガラス厚はどれくらいあったのでしょうか?
もし分かれば当時の列強国(現在の海自の護衛艦などでも)の状況なども教えていただければうれしいです。
921 航空母艦「鳳翔」は新造時には右舷にアイランド型艦橋を持っていましたが、「飛行機から見て邪魔」との評価により間もなくフラッシュデッキ型航空母艦に改装されています。
しかしほぼ同世代の英空母「ハーミス」や「イーグル」は右舷に艦の大きさから見て不釣合いとも思えるほどの巨大なアイランドを持ち、両艦ともに戦没まで変わりませんでした。
「ハーミス」や「イーグル」は14cm砲や15cm砲を搭載しており、そのため射撃指揮設備が必要だったのは分かりますが、それは「鳳翔」も同じです。

英空母では「艦橋は邪魔」との評価はされなかったのでしょうか?
(英空母においては、航空機運用より砲火管制の方が重視されたということなのでしょうか?)

宜しくお願いいたします。
922  戦艦や巡洋艦といった砲艦の主砲塔旋回速度の要求性能はどのように決められたのですか?

 重量や予算の事を考えると無駄に速い旋回速度なんか必要ない事は簡単に理解できます。かといって決戦距離での反航砲戦で敵艦を追尾できないほど遅いのは問題外でしょう。
 じゃあ想定する砲戦距離で敵艦を追尾できれば十分かと言うと、1海里の至近距離で相対速度70ノット(彼我ともに35ノットだとして)で反航する場合でも目標を追尾するために必要な旋回速度は毎秒1.1度ほどもあれば十分なはずですが、実際の戦艦の主砲塔の旋回速度はだいたい毎秒2〜4度くらいあります。
 1発撃ってから次弾装填完了するまでに真反対にいる敵に砲を向けるような事でも想定していたのであれば毎秒4度というのも理解できますが・・・
923 軍艦の写真撮影についての疑問です。
軍艦の写真は勝手に行ってよいものではないのでしょうが、撮影する場合はどういう手続きを取るのでしょうか?
もちろん、誰がいつ、どの艦のどこを撮影するのかで違うのでしょうが、教えてください。
924 資料の紹介、ありがとうございました。
一般の人間が撮影できるかも気になるのですが、乗員が乗艦を撮影できるのかとかも気になっています。
無許可でやる事は無いと思いますが。
空飛ぶ広報室はすぐに買ってみます。
925 旧海軍の軍艦では分隊士が裸足で見回りをして、気合を入れていたと聞きます。裸足は危険だとおもうのですが、なにか理由があったのでしょうか。
926 ここ最近日本海軍の砲弾について気になったので質問させていただきます。
日本海軍では戦艦用の徹甲弾には九一式爆薬などが用いられたそうですが、軽巡や駆逐艦用を含めた通常弾については炸薬は何を使用していたのでしょうか?
927 防衛大臣 岩屋毅代議士が護衛艦「いずも」を空母化するよう改修し、F-35BライトニングIIの運用に前向きな姿勢を示すというnewsが報道されました。
私としましてはとても感慨深いニュースなのですが、1つ疑問があります。「いずも」に艦載機としてF-35BライトニングIIが配備された場合、運用するのは海自になるのでしょうか? それとも、航空自衛隊の部隊を受け入れることになるのでしょうか?
海のものとも山のものとつかない質問をするな、とお叱りを受けそうですがとても気になります。教えていただけたら嬉しいです。
928  映画バトルシップで砲弾を抱えて運搬するシーンを見てふと疑問に思ったのですが・・・非装甲の甲板の耐荷重ってどれくらいで考えられているものなのですか?

 現代の船と帆船時代以前の木造船とで同じくらいだったりしますか?
929 旧日本海軍小中艦艇の砲塔防御は日本軍は軽防御、米軍はそれなりの防御だった思いますが今日的にどちらが正解だったのでしょうか?
930 竣工時の高雄型(鳥海は戦没時まで)には水偵格納庫がありましたが、この格納庫にシャッターは付いていたのでしょうか?
931 ドイツのポケット戦艦についてお伺いいたします。

2番艦「アドミラル・シェーア」と3番艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」は塔型艦橋を採用していますが、WW2時のドイツ大型艦で塔型艦橋を採用したものはこの2艦しかありません。
しかも「アドミラル・シェーア」は戦時中にも関わらず艦橋を丸ごと取り替えるという荒療治をしてまで塔型艦橋を撤去しています。
「『アドミラル・グラーフ・シュペー』の戦没を受け、残された『リュッツオウ』との識別を困難にするため」と聞いたこともありますが、それだけの理由であれほどの大工事をするものか?とも思います。

彼女達の塔型艦橋はそれほどの失敗作だったのでしょうか?
宜しくお願いいたします。
932  その昔、福井氏の著作で海防艦、五百島、八十島を知りました。元の寧海の高角砲6門の配置に心躍らせました。
 質問は、あれだけ素敵な武装の両艦が、あんなチープな武装で海防艦になったかということです。
 高速だし艦体も大きいのに納得できません。時期からして高角砲も足りなかったのでしょうか。
933  木造帆船のビーチングについて質問です。

 木造帆船が全盛だった頃、長期航海の際は浅瀬や砂浜に船体をまるごと乗り上げさせて船底を掃除していますが、その乗り上げる際(および離岸する際)の具体的な手順や注意点、よくあった事故例等について教えてください。それらを詳しく知れる資料の紹介でも構いません。
934 4連装砲搭の戦艦を設計した国はフランス、イギリス、アメリカなどがありますが、
他の国ではこのような戦艦は設計されなかったのでしょうか?
935 大和型の対空火器等についての疑問です。
大和型戦艦は改装で対空火器や高射指揮装置、機銃管制装置を増備しますが、あの配置は理に敵ったものなのでしょうか?
もしそうでないとすれば、どう配置するのが理にかなっているのでしょうか?
936  日本海海戦で降伏したネボガトフ提督は軍事裁判にかけられ、有罪を宣告されています。
 『坂の上の雲』によると、裁判では「なぜ自沈しなかったのか?」が争点となり、ネボガトフ(及び司馬遼太郎)は不可能だったと主張しています。
 さて、質問させていただきます。
 海戦において、敵に軍艦を引き渡すのを防ぐため自沈するのは難しいのでしょうか?
 また、実際に海戦中に自沈した例はあるのでしょうか?
937 練習戦艦「比叡」は昭和11年度の海軍特別大演習時、羅針艦橋、一番砲塔、後部煙突を白く塗装しております。
これは大演習の統監艦を示すものだと聞きますが、他に類似の塗装をした艦を存じません。

統監艦の塗装規定及び、他統監艦での塗装事例の写真などございましたらご教示頂けませんでしょうか。
(戦艦「比叡」の統監艦塗装時の写真でも結構です。)
よろしくお願いいたします。
938 艦艇の排気についてです。

煙突と舷側(艦尾)排気と、おおきく二種類あるかと思いますが、数としては煙突の方が圧倒的に多いように思います。

舷側排気は重心を下げたり、煙路を短く出来たりと、とくに小型艦艇ではメリットは大きいと思うのですが、何故あまり流行らないのでしょうか?
939 新しい艦種である哨戒艦の新情報が待ち遠しくてウズウズしております。
今のところ公式に出ている話としては、
1000t級
乗員30名
とのことですが、海上自衛隊が「1000t級」と言う時は、
1: 1000t前後
2: 〜1100t
3: 〜1999t
のいずれを指すものでしょう?
940 まだ使えるにも関わらず敵に鹵獲されるのを防ぐために自沈した軍艦の最も古い例は何でしょうか?
941 赤城の一般配置図(?)において飛行甲板長を基準として1ピクセルの面積を求め、選択範囲内の総ピクセル数から格納庫面積を概算してみましたところ以下のようになりました。
https://i.imgur.com/j5Km3fT.jpg
しかしながら歴史群像シリーズの「決定版 日本の航空母艦」では“改装後の「赤城」は約8640u、「加賀」は約1万60u(いずれも艦上部の常用機用格納庫〔2層〕の面積で補用機用の3層目は含まず)”と書かれています。
(引用した平面図の正確性もわからないところではありますが)自分が計算した値とあまりに差があったので、この赤城及び加賀の格納庫面積を約8640u及び約1万60uとする元となった1次資料は何でしょうか?
942 ドイツのH級戦艦ですが、Z計画当時の仮称だとH、J、K、L、M、Nとアルファベットが振り分けられていますが、HからIを抜かしてJに飛んでいるのは何故なのでしょうか?
Iは欠番なのか、それとも仮称Iを意味する艦艇は別にあったのでしょうか?
943 竣工前の軍艦に艤装員長、艤装員、艤装員付きとして着任された方々は具体的にどんな仕事をするのでしょうか?
役職や艦ごとの差なども大きいでしょうし、いぜんにも
944 こんにちは、お世話になります。くだらない質問とお叱りを受けそうなのですが、とても疑問に思っていることなのでよかったら回答していただけたら助かります。原子力空母などが実施しているRCOHですが、 4年間近い時間がかかるそうですね。そこで疑問なのですが、RCOHの当該艦の乗員や航空隊は4年間の間どうしているのでしょうか?
一般人なりに考えてみると、一緒にメンテナンスなどをしているのかなと思うのですが、4年間はとても長く、練度などは下がらないのか?、航空母艦の乗員としての訓練はどうするのか?など疑問が尽きません。一般人のつたない疑問です。よろしくお願いいたします。
945 日本の防空システムで距離で25ミリ機銃単装・三連で12.7cm高角砲というのがあったと思いますがアメリカ相手では不十分だったと思いますが世界標準的にはどうだったんでしょうか?
946 度々のご質問をして申し訳ありません。
八八艦隊の艦艇を平賀譲デジタルアーカイブや書籍などで見ていたのですが、装甲の厚さがlbで書かれている物もあればinchで書かれている物もあります。
加賀の舷側装甲で言うなら440lbと書いている物と11inchと書いている物がありました。
両者は近い値ですが、若干のずれがあります。
何方が正しい値なのでしょうか?
947 レーダーの射界について疑問です。

こんごう型のラティスマストがステルス性を損なっている云々で非難する言説を目にしたことがありますが、これすなわちラティスマストは電波をよく跳ね返してしまうということなのかなと推察します。

ところで、きり、あめ、なみ型と、なべてラティスマストを装備しています。
これら各型はそのマストの中頃の前方に360度回転する対空レーダーを装備していますが、もしラティスマストが電波を跳ね返してしまうのだとすれば、後方のかなり大きな角度は電波が通らず死角になってしまっているのではないかと気になります。

周波数帯によって違いもあるのかも知れませんが、実際のところどうなのでしょうか?
948 アメリカでティルマンが提案した限界いっぱいの大きさの戦艦に16インチ6聯なんていうとてつもない砲塔が登場しますがもしあんなものを本当に製造していた場合各砲はどのように呼ばれるのでしょうか?
実在の砲塔においては内側から見て左から 2聯なら左砲→右砲 3聯なら左砲→中砲→右砲 4聯なら外左砲→内左砲→内右砲→外右砲
以上から5聯がもしあったなら外左砲→内左砲→中砲→内右砲→外右砲と類推できますが6聯ではそれも追い付かないため疑問に思った次第です
949 2号海防艦ですが、機関を千鳥型5500PS又は、鴻型の9500PSにした場合に如何くらいの速度と航続性能になるか?教えてください。
950 ニコニコにて日本海軍は93式魚雷の他に駆逐艦用の短射程高速魚雷を作ろうとしていたが失敗したと聞いたのですが、この魚雷の仕様計画や失敗理由、開発中止理由は何なのでしょうか?
951 お世話になります。
トリマラン船型についてです。

トリマランのメリットは広く知られてきていると思いますが、実際にトリマラン船型の民間船舶なり艦艇なりの建造ペースは遅々としたものという印象が強くあります。

LCSにしてもモノハル船型も平行して建造が続いておりますし、オーストラリアの新型OPVではモノハル型が採用されています。
各国海軍の新型艦艇計画をみても、トリマラン船型はほとんど見受けられません。

これは、トリマランのメリットはモノハル船型を駆逐する程のものではなかった、という評価が定まりつつあることを意味するのでしょうか?
またトリマランと比較してモノハルを採用するメリットはどのようなものがあるのでしょうか?
952 原子力巡洋艦ロングビーチについて質問します。
少年時代に雑誌でロングビーチのイラストを見た際、未来都市のような上部構造と、大砲がなくて兵装がすべてミサイルであるという記事を読んで、ワクワクしたのを覚えています。
原子力巡洋艦が開発された理由と、作られなくなった理由をご教示願います。
953  WW2に参戦したオランダの巡洋艦デ・ロイテルはウィキによると主砲がボフォース1938年型となってますが、1936年10月3日に就役して1937年1月12日にインドネシアに移動しているので主砲が1938年型なのはおかしいと思います。
なぜでしょうか?
954 艦艇の蒸気タービンについての質問です。

日本海軍では天城型に始まり、妙高型、高雄型、大和型が一軸あたり高低タービンを二組、
計四基という主機を採用していますが、その是非はさておき他国海軍、あるいは民間に
おいて同様の艦船機関は存在したのでしょうか?
955 艦艇の飲用水について疑問があります。
艦内で食糧が一人当たり何が何個割り当てとか、真水は貴重だから洗顔は1人洗面器に水何杯だとかいったことはよく聞きますが、
単純に人が飲む水に制限は無かったのでしょうか?戦記等を読んでいても、乗員の方々は特に気にせず、
普通にお茶や水を飲んでいる様に見受けられるのですが…

956 いつもご教示頂きまして有り難うございます。
オープンブリッジについて質問いたします。

戦艦や巡洋艦、駆逐艦、フリゲートなど艦の規模を問わずオープンブリッジの艦はありますが、オープンブリッジの利点は何なのでしょうか?

風雨に曝され、波も被り、内装も錆び易く、防御力もゼロ、水密・気密性もない・・・と何もいいことはないと思うのですが。
(キャンバスを張って屋根や壁にしていることもありますが、だったら始めからクローズドブリッジにしておけばいいのに・・・と思います)

宜しくお願いいたします。
957 回答者の皆様よろしくお願いいたします。
イージス艦の装備についての質問です。イージス艦のパッシブ・フェーズドアレイ・アンテナですが、なぜ8角形なのか前々からとても気になっています。8角形なのは何か理由があってそうしているのでしょうか? 素人考えでは8角形より長方形や四角形の方が面積も広く素子がたくさん備え付けられるような気がしてなりません。おそらく、何らかの理由があって8角形に意匠されているのだと考え、こちらに質問させていただきました。よろしくお願いします。
958 松型の航続力についてお尋ねします。
よく、航続力の不足で作戦の足を引っ張ったと聞くが、18ノット3500海里は、楽しみに多く14ノット台の4000から5000海里の駆逐艦の航続力に対しそれほど不足は無いと思います。どうして、そう言われたのでしょう?
959 米国艦の合理化規格化のシンボルと言えば5インチ38砲ですが、竣工当時は搭載していなかった旧式艦の中で後々の換装という形で5インチ38を搭載した艦はどれほどあったのでしょう
960 松型駆逐艦のWikipediaには
・ 巡航タービンは前部機械室(左舷用タービン)にのみ置かれていた。   
とあり、確かに海軍造船技術概要や昭和造船史には同内容のポンチ絵が記載されていますが、これは事実でしょうか?(鴻型水雷艇のポンチ絵も同様。)

以上の内容は把握はしていましたが、以前は
・巡航タービンは両舷軸に置かれていて、書籍の内容は記載ミスだろう。
と考えていました、なんとなく。

ところが見落しがありました。

これまたWikipediaですが、橘型駆逐艦の項で、
・機関関係では中圧タービンと巡航タービンが省略された。  
との記載ありです。(ちなみに昭和造船史ではHIL-Tと記されています。I:intermediate。)

この巡航タービンの記載も事実でしょうか?


橘型駆逐艦の巡航タービン不採用が事実とすれば、また、松型駆逐艦と橘型駆逐艦で航続距離がそれほど違わないとすれば、松型駆逐艦は基準速力時に巡航タービンを使っていなかった事になります。逆に(普通に考えて)基準速力時に巡航タービンを使っていたと考えると、橘型駆逐艦にも巡航タービンはついていた事になるかと思います。

以上を纏めますと、
→ A) 松型駆逐艦・橘型駆逐艦ともに巡航タービンがあった。
  A-1) 書籍の通り松型駆逐艦には片舷軸にだけ巡航タービンがあったが、片舷軸は巡航タービンで、もう一方の片舷軸は主タービンを使って航海していた。
   A-1') 書籍の通り松型駆逐艦には片舷軸にだけ巡航タービンがあったが、巡航時はまさかの片舷軸運転だった。
   A-2) Wikipediaとは全く異なり、松型駆逐艦・橘型駆逐艦ともに両舷軸とも巡航タービンがあった。
   B) 松型駆逐艦・橘型駆逐艦、また鴻型水雷艇にも巡航タービンがなかった。
   C) 松型駆逐艦には巡航タービンがあったが、橘型駆逐艦には巡航タービンはなかった。
    C-1) Wikipediaの通り松型駆逐艦には片舷軸にだけ巡航タービンがあった。しかし巡航時に使われていなかった。
     C-2) 書籍と異なり松型駆逐艦には両舷軸に巡航タービンがあったが、巡航時に使われていなかった。
   D) その他

...疑問の組み合わせで魔方陣のようになり、上手く纏まっていませんが、ご意見よろしくお願いします。(個人的にはA-2、B、C-2のように両舷軸で同じだろうとは考えていますが、思い込みの可能性もあります。両舷軸で違う機関の艦、日本艦もあるよという場合は是非ともご教授下さい。)
961 びろうな話でおそれいります。
日本海軍では、戦闘時に「大小便ところ構わず」という号令が出たという話を読みました。
甲板ならわかりますが、狭い室内ではどうしていたのでしょうか。専用のバケツがあったのでしょうか。
962 ベトナム戦争時のニュージャージーや、600隻艦隊構想時のアイオワ級の主砲射撃指揮用装備はMk.38方位盤やMk.13レーダー等をそのまま使用しています。
艦内に置かれた装置類も対地射撃用のMk.48等を追加してますが、それでも大戦時の物が多い気がします。

これらを換装しようという案は無かったのでしょうか?
もしあったのならば、それはどういう内容だったのでしょうか?
無かったのならば、その理由は何だったのでしょうか?
964 巡洋戦艦天城について質問です。史実の太平洋のパワーバランスを崩さず、天城だけを太平洋戦線に登場させ、さらに天城がミッドウェー以前の南雲機動部隊に随伴するという設定にするなら、どのようなシナリオが最適でしょうか?史実にないアメリカの戦艦、巡洋戦艦は数隻なら登場させてもアリとします(真珠湾攻撃で大破させて退場させれば、少なくとも太平洋戦争でのパワーバランスは保たれるため)。色々突っ込みどころはあるかと思いますが、よろしくお願いします。
965 BB-58戦艦インディアナの対空火器配置が知りたいのですが、同艦の(可能なら真上に近い角度の)空撮写真などは無いものでしょうか?

サウスダコタ級戦艦は段階的に対空火器を増設していった印象がありますが、インディアナの(特にボフォース40mm4連装)機関砲の装備位置が知りたいです。

状態としては竣工時がいいですが、資料的に厳しいようでしたら判明している年代で構いません。
現役時代の対空火器の配置が知りたいので宜しくお願いします。
966 こんばんは。日本海軍の空母の飛行甲板について、とあるブラウザゲームのサイトで日本海軍の空母は復元性を求めて軽量化にこだわったので飛行甲板の強度が不足していた、実際に飛行甲板の歪みが生じていた云々という記述を見たのですが、これは事実なんでしょうか?
967 英海軍戦艦について、ネルソン級以降の艦が主砲を真正面に対し零距離射撃を可能とさせるために、艦首甲板に傾斜を設けなかったのは、ジュットランドの戦訓から遠距離砲戦は敵を取り逃がす可能性が高い為、敵発見と同時に可能な限り接近し、近距離砲戦で敵艦隊を確実に仕留めるという思想に基づいての設計であったという認識でよいのでしょうか?
また、それに関連して英海軍戦艦の水平装甲が日米戦艦と比較して薄かったのも、近距離戦を重視していたからなのでしょうか?
968  艦船の自動消火スプリンクラーはどのように普及していますか?

 自動消火スプリンクラーは19世紀初頭にアイディアが登場し、建物用としては19世紀末ごろから実用化し始めているようです。日本では大正10年に初の国産スプリンクラーが登場したという記事を見つけました。

 戦後、外国商船が火災を起こした際、作動した消火用スプリンクラーが散水しすぎたせいで沈没してしまった事例はありますが、その事件までは非常に有効な消火設備と考えられていたと思います(その事件を踏まえて、消化能力はそのままで散水量を抑えたミスト式のスプリンクラーが登場)。
 商船よりもダメコンをより重視しなければならない軍艦においてどのように普及していったか、概要を知りたく思い質問させていただきます。
969 ww2の戦艦建造時についての質問です。
日本海軍は大和型を戦艦のスタンダードとして量産しようとしていたのだ、という記述を見かけたのですが、戦艦を量産する際には
1 主砲製造の砲熕技術
2 装甲製造の生産力
3 造船、造修能力の拡充
主にこれらのボトルネックがあるように見受けられました。
日本が大和型を量産しようとした場合、一番ボトルネックになるのはどれなのでしょうか。
970 いつもご教授頂きまして有り難うございます。

スペイン航空母艦「プリンシペ・デ・アストゥリアス」は、2013年2月6日退役後どのような運命を辿ったのでしょうか?
「競売に掛けられた」などのお話も聞きましたが、現状どのようになっているのかわかりません。

彼女は退役後どうなったのかお教え頂きたく、宜しくお願い致します。
971  イタリアのヴィットリオ・ヴェネト級戦艦は軽量化のために燃料タンクを小さくしていますが、これはどのくらいの効果があったのでしょうか?
 他の条約型戦艦では重量削減のために燃料タンクの大きさに気を払っている記述を見かけていないので気になっています。
972 翔鶴型空母を建造した横須賀、神戸の船台と武蔵を建造した長崎の船台の差はどういうものだったのでしょうか。
973 1935年に満州国で行われた大典観艦式の詳しい内容(参加大型?艦船名と御召艦名)を御教示ください。
映像を見たのですが、後部に展開された天幕の関係で順天型砲艦と定辺型砲艦の見分けが付かず
困惑しています。多分、後部天幕がある艦船が御召艦だと思われるのですが・・・。
あと映像では9月9日になっているのですがWikiあたりですと10月10日となっているのも謎です。
どちらが艦船名・日付は本当なのでしょうね。
974  859の質問をしたものです。
その後、戦後に移送された艦について時々調べていて他の疑問が出てきました。
戦後大量のUボートが英軍に引き渡されています。そしてこのほとんどをイギリス海軍は大西洋で雷撃で撃沈処分しました。
 
 英国はドイツの降伏によってアメリカからの物資支援が終わり国民は敗戦国と大して変わらない窮乏生活だったと聞きます。しかも戦後のイギリスは英国病と言われるほど何十年もの財政赤字国になりました。

 そのイギリスが不足する金属の塊であるUボートを高価な魚雷を使ってボコボコ沈めたのでしょうか?
Uボートの金属は解体処理してリサイクルするほうが高くつくようなものなのでしょうか。
そうだとしても魚雷を使わず注水した方が安上がりだと思います。
また戦後イギリスは財政難でトラファルガー海戦の戦利品だったフランス艦の返還をフランスに申し出て断られ、これも雷撃処分しています。
 タダならアメリカ辺りの富豪や博物館などいくらでも引き取り手はあるでしょうし、解体しても木製家具や内装の好きなイギリス人に貴重な材料として売れたと思います。
 またボロ倉庫で小銭取って展示しておいても、大西洋に引っ張り出して雷撃処分するよりお得だと思います。

 武士は切腹。軍人は銃殺みたいに軍艦は雷撃処分といった考えがイギリス海軍にあったのでしょうか?
975 連合軍がノルウェーに居る戦艦ティルピッツを警戒して
たった1隻のために多くの戦力と労力を割いていたのは有名な話ですが、
翻って太平洋戦線を見た時 連合軍はトラックから動かない大和・武蔵に対して
「あいつらがソロモン水域に出張って来たらヤバイ」みたいな
特別の注意を払っていたのでしょうか。
それとも、両艦がトラックに居ると把握していなかったとか
スペックを正確に認識していなくてさほど脅威とは感じていなかったのでしょうか。
976  戦列艦等帆船の火薬庫の壁には静電気対策で銅板が張られていたそうですが、これはいつ頃から始まったのですか?

 船体の銅被服と同様、銅が高価だったころは鉛板が使われてたりしたんでしょうか?
977 帝国海軍などでは大和型戦艦が海軍高等技術会議等にかけられて案を検討する流れが知られてますが、アメリカやイギリスなどではどのような場でどのような人々が検討するのでしょうか?
978 また質問してすいません。
米海軍の戦艦サウスダコタは司令部施設のために両用砲が二基減っています。この手の話を聞くたびに思うのですが、第二次大戦時の各国が艦艇に求めた司令部施設とは具体的にどんな内容のものだったのでしょうか?
979 CTF150で活動しているフランスのラファイエット級を
見て思ったのですが、クロタルやシースパローなど
短SAMで自艦以外の貨物船などへの対艦ミサイルを
迎撃できるのでしょうか?
980 いつもご教授頂きまして有り難うございます。

日本海軍は爆沈した戦艦「陸奥」を引き上げて3ヶ月で修理・再就役させることを調査検討したが、艦体の損傷が大きすぎて不可能だとの結論に達し断念したと聞いております。

では、比較的余裕のある平時であれば駆逐艦「梨」のように戦艦「陸奥」を引き上げ修理・再就役させることは可能だったのでしょうか?
それとも同様に爆沈した戦艦「河内」のように放棄解体とするしかなかったのでしょうか。

宜しくお願いいたします。
981 各国海軍で使用されていますサイドパイプの起源、歴史を調べているのですが、私の調べ方がまずいのか詳しいWEBサイトが見つかりません。そこで、お教えを乞いたいのですが、サイドパイプはどの時代のどこの国の海軍にルーツを持っているのでしょうか?私はイギリス海軍ではないかと考えていたのですが、どうも違うようなのです。
諸先輩方のお知恵をお借りしたく質問をさせていただきました。何卒よろしくお願いします。
982 戦艦比叡はロンドン軍縮条約の結果、主砲塔1基と舷側装甲を撤去することにより練習戦艦となりました。装甲は埋込ボルトにより内側の背板に、マホガニーの板を挟んで、取り付けられています。従って、装甲をはずした後、ボルト用の孔が残ります。このままだと水が入りこむのでまずいです。実際はどのような処置をしていたのでしょうか。写真を見ると、何か新たに板を張ったようにもみえるのですが。
983 海自潜水艦はディーゼル機関ですが、排気が真っ白です。
いったい何故なのでしょうか?
984 いつもご教授頂きまして有り難うございます。

艦が攻撃され「右舷機械室満水」「第○缶室浸水」などの被害を受けることがありますが、この様な場合どの程度内部の機械類はダメージを受けるのでしょうか?
(満水状態になってしまっても短時間内に排水して乾燥すれば、そんなに問題なく再度稼動するものなのでしょうか?)

駆逐艦「梨」は沈没状態の艦を引き揚げ自衛艦「わかば」として再就役していますが、エンジンは入念にレストアしたにも関わらず騒音が酷かったそうです。
私は「9年も水に浸かっていたものが動くのか!」と逆の意味で驚きましたが。

宜しくお願い致します。
985 雑誌「丸」2020年2月号別冊付録「戦艦『大和』メカニズム事典」を読んでいたら、大和型が5隻存在するとの記述がありました。当然計画も含めてのことでしょうが、それにしても、大和、武蔵、信濃、111号艦の4隻だったと記憶しています。自分の記憶が古びているのかもしれないと思い、ネット検索もしてみましたが、その範囲では5隻目(112号艦?)の存在は確認できませんでした。5隻目の大和型は実在するのでしょうか。ご存じの方がいらっしゃいましたら、ご教示いただきたいと存じます。よろしくお願い致します。
986  正月飾りについて質問です。

 海自の潜水艦は母港で正月を迎える場合、セイルに注連縄を巻いているようです(以前、横須賀でそのような様子を見ました)。

1.セイルにぐるっと注連縄を巻くのはいつ頃から始まったんですか?
2.あの注連縄は隊内で作ったものですか?
3.出航・航海中は外さなきゃいけないと思いますが、哨戒任務中に正月を迎える潜水艦はその年は正月飾り無しですか?それとも時期をずらして正月飾りをするのですか?
987  大和級戦艦の装甲システムには重大な欠陥が有りました。上部舷側装甲を支持する構造物と下部舷側装甲を支持する構造物が、本来連続であるべきところをわざわざ上下に分割されています。その分割された隙間に棚板という部材が入り込み、結局全体としての上下方向の連続性が不完全になっています。
 1943年12月に米潜の魚雷により大破孔が生じました。調査の結果上記の弱さが立証されましたが、もはや対策は不可能でした。この棚板という物は、バルジを船体本体に取り付けるため、船体内部から上下舷側装甲の間を貫き外部に突き出しています。これらを考えると、
 「この棚板は本当に必要だったのか。他の既存戦艦を改装するとき、バルジはリベット(一部溶接も)により、外部から船体に張り付けられている。大和の場合もそうすれば棚板なしですんだのではないか。」という感想や疑問が浮かんできます。皆様のお考えを教えていただければ幸いです。
988 紀元二千六百年特別観艦式について
国立公文書館アジア歴史資料センター
紀元二千六百年祝典記録・第6冊https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/A10110010200
から、参加航空機の機種を調べようとしています。
これの271ページによると、
空中分列式の第5群に飛行艇が20機いたようですが、大と中と書かれたものがあり、これは、97式飛行艇と99式飛行艇のことを指しているのかと考えています。
97式飛行艇が観艦式で写っている写真は有名ですが、少数しか生産されていない99式飛行艇が参加していたのか気になります。皆様のお考えを教えていただければ幸いです。
989 戦艦大和の舷側装甲板の寸法は5.9m×3.6m×0.410mだったらしいのですが、どうしてこのサイズになったのでしょうか?
舷側装甲を巨大な1枚の装甲板で作ることが出来れば、理論上防御力はかなり上がるはずです。
このサイズになった原因といいますか、工作機械や製造上の制約となった物はなんだったのでしょうか?
当時日本は200トンの大型鋼塊を製造可能だったようですが、上記の寸法に鉄の密度を掛けてみると約69トン程です。装甲板の焼入れや切削加工、圧延加工といった加工を行う上での制約があったのでしょうか?
990 初めて質問させていただきます、どうぞよろしくお願いいたします。
私事ですが、最近とあるゲームに熱中しており、そのゲームはブロックを積んで船を始めとした色々なものを作るゲームです。手っ取り早く表すならばマインクラフトに近いと言ったところでしょうか。
そのゲームで、諸外国含め色んな軍艦を再現してみようと考えているのですが、外観だけ再現するだけでは気が済まないので、内部(居住区画や機関室等)の配置も極力再現した凝ったものにしたいです。
そこで、船の外観だけでなく内部まで記されている設計図が欲しいのですが、どういった入手方法があるでしょうか。もちろん現役の船のそういった物は無理だというのは踏まえており、まずは手始めに旧海軍の艦船を作りたいと考えております。
991 巡洋戦艦という艦種について英語での呼称がバトルクルーザーなのであるから巡洋戦艦よりも戦闘巡洋艦と訳した方が適切であるという意見があります。
英国のインヴィンシブル級が世界最初のそれですがこれは当初大型装甲巡洋艦、つまりラージアーマードクルーザーと呼ばれていたわけですが、そこから一気にバトルクルーザーと呼ばれ出したのではなくファストバトルシップ、バトルシップクルーザーを経てそれが短縮されてバトルクルーザーになった。バトルクルーザーのバトルとはバトルシップが短縮したものであるから訳として巡洋戦艦の方が適切という意見も目にしました。
結局どちらが正しいのでしょうか?
992 スプルーアンス級はもう全艦退役したことになってますが、軍艦籍から退いただけでまだ試験艦?として動いているのがいると聞きました。検索してもよく(全く?)出てこないので、詳しい方がいらっしゃられましたら教えてください。
994 旧海軍の艦艇へ施されていた迷彩塗装についていくつか質問させていただきます。
海防艦って迷彩塗装がされていたんですか?wikipediaにも載せられている「鵜来」の進水式の写真を見ると、光の加減を考えても同じ色で塗られているようには見えず、一方で他の海防艦はどう見ても同じ色一色で塗装されているようにも見えて混乱しております。
また、「雲龍」は進水時は迷彩がされていなくて後から迷彩に塗ったって本当ですか?
次に、「伊吹」も残されている写真を見ると単色で塗られているように見えて定番の迷彩の塗り分けがされていないようですが、完成していたら塗り直す予定だったんでしょうか。同じように未完成だった「笠置」は迷彩の塗り分けがバッチリ見えますが、何か事情があるんでしょうか。それとも自分の目が悪いだけでしょうか。
最後に、もしよろしければ旧海軍の水上艦で末期まで残っていたものの、迷彩はされていなかった艦を教えてください。
995 初めて質問させていただきます
日本海軍の潜水艦について、大戦中の写真で甲板上に白いラインを記入しているものがあります(ペナン出港中の伊10・上空からの伊37・伊11後甲板での万歳三唱・ペナン到着の呂500など)
写真のキャプションでは味方識別帯となっており、槇幸氏の伊25潜の回送にも"飛行機格納庫に白い識別帯を記入した"との記述がありますが、この白帯の本数や記入場所は特定の規則・訓令に基づいてなされたものなのでしょうか?
(例えば前記の伊10・呂500は前甲板に白線2本、伊37は後甲板に白線2本、伊11は後甲板艦橋寄りの14サンチ砲付近に白線1本…と異なっており、あるいは駆逐艦に於ける所属水雷戦隊や駆逐隊の序列を示す煙突白線のような法則があるのか…?と疑問を持ったのですが、手持ちの海人社『日本潜水艦史』、大日本絵画『日本海軍の潜水艦』等の資料にも解説が見当たらず、ネット上でも見つけることが出来ませんでした)
御存じの方がいらっしゃいましたらご教示いただきたく、何卒宜しくお願い申し上げます
996 金剛代艦(藤本案)について質問です。
この設計案において副砲は艦首・艦尾と、明らかにヴァイタルパートから外れた所に副砲塔がありますが、
これでどういう防御を施すつもりだったのか知りたいです。

砲塔部のみならば大和型同様、防火シャッターで防ぐことも可能でしょうけど、
砲塔直下の弾薬庫は流石に間接防御で対処するのは無理があると思うのですが。
実は砲架で弾薬庫が無い、と言うのは流石に無いでしょうし…
997 初めて質問させていただきます。よろしくお願いします。
翔鶴型って3番艦や4番艦、もしくはそれ以降を建造する予定はなかったんですか?大鳳は改型が予定されてましたが、翔鶴型は自分の調べた限りでは翔鶴・瑞鶴の2隻しかなくって寂しいです。
998 恐れ入ります、大戦中の駆逐艦の動向に関して疑問に感じていることがあり、質問をさせてください。
第六駆逐隊は昭和18年に入り、第1艦隊隷下に編成された第11水雷戦隊に編入されました。しかし当時の第六駆逐隊所属艦の内、響・電の両艦は18年4月1日付で軽巡龍田と共に11水戦へ編入されていますが、雷に関しては行動年譜を見るかぎり11水戦に編入された旨の記述は無く、そのまま船団護衛やミレ・クサイ島輸送に参加しているようです。
雷は18年3月に若葉と接触損傷し、六駆の11水戦編入の際は横須賀で修理に入っておりその事が影響しているのかとも思いましたが、横須賀出渠以降〜戦没の間の所属はどのようになっていたのでしょうか?
六駆に復帰→11水戦へ編入されたのか、それとも単艦で防備隊などに編入されていたのでしょうか?
18年4月以降の雷の所属についてご存じのかたがいらっしゃいましたらなにとぞご教示お願いいたします。
999 フォレスタル級以降の、最初からアングルドデッキを有して完成したアメリカの空母ってどんなソナーを積んでる(積んでた)んですか?
完成前や入渠中の写真等を見ると、とても大きなバウを有しているように見受けられるので、積むなら立派なものが積めそうですが…
エセックス級の一部がSQS-23を積んでいたことまでは調べられました。よろしくお願いします。
1000  戦艦でも巡洋艦でも、砲を主戦兵装とする砲艦はだいたい主砲を撃つと衝撃でどこかが壊れるとかいう逸話があります。戦闘能力に関係ない部分が壊れるには大したことは無いんでしょうが、中にはそれが壊れたら戦闘継続に支障が出るような備品が壊れたりするとなると改良なり修正なりしなきゃいけなくなります。

 こういうのが当たり前になったのっていつ頃からなんでしょうか?

 同一の砲で統制射撃を行うようになったドレッドノート級以後は多分もうそうだったろうなととは思いますが、前ド級の頃にはすでにそうなってましたか?
 さすがに戦列艦ではそうでもないんじゃないかと思いますが・・・

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