268 いつも楽しく拝見させて頂いております。
私は今日本の戦国時代について調べています。

質問なのですが、
YouTubeで過去に四角い粘土に拳銃(38口径、45口径)を打ち込む動画を見ました。
動画では粘土を切ると中に大きく空洞が出来ていましたが、ライフリングの無い火縄銃を打ち込んでも同様の現象が起こるのでしょうか?


動画は詳しい名前は失念してしまったのですが、50才位の日本人(学校をやっている模様で近年亡くなったらしい)が写っていました。
ふらんく

  1. その38口径と45口径の弾頭の種類と、四角い粘土のサイズが判らないとなんとも、ですが。

    その“学校をやっている日本人”というのは、テッド・アライ氏でしょうか?
    確か以前、シューティングスクールのビデオを出していたように記憶しているのですが。

    http://www.youtube.com/watch?v=DLjw6HvCNqw
    http://www.youtube.com/watch?v=I0lMEwaqBio&feature=related

    で、「粘土を切ると空洞」ですが、射ち込んだ穴(射入孔)〜内部〜射出口に向かって大きくなる、というのは火縄銃でも同じでしょう。

    というか、ライフリングがあるから空洞が生じるわけではないのですが。
    杉村徹

  2. http://www.shadonet.com/?cat=35
     旋転してない丸い弾という共通点のある散弾銃ではこんな感じ。
     とはいえ弾丸の重さや速度も違うので簡単な話ではないでしょうし、そもそもこれはゼラチンテストですから粘度だとまた違うでしょうし。
    SUDO

  3. >ライフリングの無い火縄銃

    火縄銃は口径(≒弾重)、薬量、銃身長等、非常にバリエーションが多いので一概に言えません。

    戦国時代なら、一応2匁玉(弾径10.7mm、銃口径11mm)・銃身長100cm程度が目安です。(*1)
    このクラスの火縄銃の実射成績としては、3匁玉+皮パッチとグリス使用の例で、弾重174グレイン・初速330m/Secで
    銃口エネルギーは.38ショート・コルトと.38ロング・コルトの中間、というデータがあります。(*2)

    この例の場合、戦国時代の実戦より良い現代の射場での射撃なので、一概には言えませんが、
    粘土撃ちはこれを参考に画像等を探されてはいかがでしょうか。この程度では、球状弾の場合、ダムダム効果は実戦では起こらなかったようです。

    参考文献を挙げておきます。些か高価で入手困難ですが。
    (*1):日本の火縄銃(正、2):須川薫雄 ⇒ 多分、一番まとまった火縄銃の文献です。細部カラクリや実射まで詳しいです。
    (*2):別冊GUN(昭和56年1月1日刊)。粘土撃ち(拳銃による)の写真も多数載っています。

    以上、ご参考までに。
    TOSHI!!

  4. 現代において 特に在野の研究家が火縄銃やマズルローダーの発射・威力実験をしているものは
    その内容をよく吟味する必要があります。

    使用する弾はキャストブリット用鉛の球弾や便宜上ショットガン用散弾を使用していますが、
    現代においてはそれらは大概“硬鉛“であります。
    鉛に数%のアンチモンを添加し、硬度、耐蝕性、引張り強度等を本来の鉛特性より格段に向上させた鉛合金です。
    アンチモンは日本国内ではほとんど産出せず、日本において硬鉛の弾丸を製造実用化を始めたのは
    明治陸軍の時代からであり、戦国時代においては不純物混じりの純鉛(変な表現ですが)であり
    比較的柔らかいものです。 
    つまり戦国時代や江戸時代の鉛球弾は発射及び着弾衝撃で変形しやすく 一定のダムダム効果が
    有ったであろう事が推測されます。 
    この球弾変形の話は歴博教授・宇田川氏の著書 ”鉄砲伝来の日本史”(吉川弘文館)の実験記事にても
    窺えるものであります。 
    また文中、威力実験をするにあたって、昔ながらの粘土は実際以上の空洞を生じて現実的でなく、
    近年専用ゼラチンを使用する様になった。 旨も述べています。

    以上 参考まで。

    軌跡の発動機?誉

  5. >4. 不純物混じりの純鉛
    “粗鉛”の呼び方が適切でした。

    〜?誉

  6. >4.
    貴重な補足&御指摘をありがとうございます。
    “硬弾”のアンチモン添加に関しては、全く知りませんでした。

    そういえば… と思い、手元の書籍を繰ったところ、乃木希典大将が右足に西南戦争で受けた銃創により、30年後のレントゲン撮影でも多数の小鉛片が映っていました。
    (病の人間史 立川昭二著 (文春文庫)P139)
    西南戦争の薩軍というと、乃木大将が重傷を負ったのは有名な軍旗事件(緒戦)のかなり後なので、粗製の手造り弾だった可能性もありますね。

    TOSHI!!

  7. 資料を探し出すことが出来ないので出典を記す事が出来ないのですが
    マスケットによる銃創は大概ラッパ型になるそうです
    4にもかかれてますが球形の無垢鉛弾は筋肉に入った時点でばらばらに砕けることがほとんどだったようです
    wood


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