34 太平洋戦争中、日本軍航空隊の機材調達についての質問です。

川又千秋氏の架空戦記などを読むと、各部隊から隊員が工場まで機材を取りに行き、部隊間での争奪戦が行われているような描写があります。

実際の機材補充はどのような手続きで行われていたのでしょうか。

よろしくお願いします。
リュウイチ

  1. 「ラバ空」あたりの記述でしょうが、所詮はヨタな話かと… 
    (物語としては面白かったけど、結局投げ出して、「翼に日の丸」で無茶苦茶なオチの竜頭蛇尾でしたね…)

    で、ご質問の件は、アンスク航空機関係の#136を参照されてからでは…??
    (過去ログ検索しないと怖いひとに叱られたりしますよ〜)
    チャチャ入れ

  2. >1 根拠もなく安易に否定するのは如何なものかと思います。

    実際にあり得るかと言えば答えはyesです。
    陸海軍ともに原則的に実施部隊への飛行機輸送は空輸または船舶によって行われ、各地に大規模なデポが設置されて、それらを結ぶ輸送路が設定されています。

    しかし、こうした輸送手段、中でも空輸にあたる人員は常に不足していましたから内地の部隊に限らず機材領収のために隊員が出張することがあります。こうした出張隊員が製造会社に機材を受け取りに行くことは本来あり得ないことで、機材は軍が「調達」して完成品を軍の補給機関が領収することで初めて兵器として配備されるものです。

    けれども、「中島飛行機へ飛行機を受け取りに出張」といった記録が残されているのは製造会社に隣接して補給機関のブランチが設置されている場合があるからです。実態としては「中島に出張した」のですが、物の流れとしては「デポから受け取った」という形になります。出張者はそこで受領の順番を待つ訳ですが、そこで大人しくしていても順番が早まることはなく、小説に描かれたような事が起きることもあり得ます。
    BUN

  3. >2.
    まず、質問者のベースになっているのが(当時としてはトンデモ度が低かったものの)、「架空戦」記、ということを、著者自身が述べています。
    貴君が当該書を全巻読んだうえで言われるならば、全般の記述の御都合よさ(爽快感を出すためには適度な創作と思っていますが)との兼ね合いで、ヨタ話と考えても無理ないと思いますが。

    当該書を読んでいないならば、「小説に描かれたような事が起きることも“あり得”ます。」という実例を示していただければと思います。「中島飛行機へ飛行機を受け取りに出張、という記録」は何処にあるのでしょうか?

    で、質問者の方は、過去ログを参照して納得がいかれたのでしょうか?
    チャチャ入れ

  4. 質問の骨子は「実際の機材補充はどのような手続きで行われていたのでしょうか。」であって、川又作品(読んでおります。良作だと思います。)そのものについてではないと思いますが・・。
    また過去ログ参照とのことですが、そこには出版物名が書かれているだけであまり親切な内容とは言えません。しかも136で指摘されている出版物には質問にある肝心な点、「搭乗員が工場まで出かけたか」には少しも触れていません。そもそもここでの質問の答えとしては不適当な内容なのです。
    だから内容を補足したのですが、私が根拠のない話をしているとお考えであれば136の参照を推奨するのもどうかおやめください。
    BUN

  5. 私の書き方が誤解を生んでしまったようで申し訳ありません。

    BUNさんのおっしゃる通り、質問の要点は「実際の機材補充の手続きについて」でした。

    ご回答していただきありがとうございます。
    リュウイチ

  6. >4.
    >質問の骨子は「実際の機材補充はどのような手続きで行われていたのでしょうか。」であって

    それが判っているからこそ、過去ログを紹介しました。あの内容はキッチリと書かれていますので。(もちろん所有・既読です)

    >質問にある肝心な点、「搭乗員が工場まで出かけたか」には少しも触れていません。

    あれ、骨子と肝心な点と、どう違うのでしょうか?上記の「骨子」が判ればよいなら、過去ログの文献で(ひとまずは)十分です。そこへ、脇から「肝心な点」が割り込んできて、当方の貧相なアタマでは理解不明です。というか、意図的に論点を韜晦しているようにしか思えません。

    >私が根拠のない話をしているとお考えであれば136の参照を推奨するのもどうかおやめください。

    結局、「中島飛行機へ飛行機を受け取りに出張、という記録」の提示なしにバックレ、としか受け取れません。「骨子」に関する回答なら#136で十分ですし、「肝心な点」に触れていないから回答にならない、というなら、貴君の言われる「根拠」をご提示ください。

    質問者の方には無関係なハナシかもしれませんが、公然と「#136の参照を推奨するのは不適切」とは非常に不愉快です。

    質問者の方は、「要点(=骨子)」の回答として、過去ログで納得されたようにも見受けられますが、BUN氏の言われる「肝心な点」については満足されたのか、是非知りたいところであります。
    (常連サンって、こういう失礼を乱発されても許されるのか… まぁ仲間内ということなんでしょうが)
    チャチャ入れ

  7. あなたがこれを見よ、と指摘した回答が指示する書籍の記事を書いたのも、2の回答を書いたのも私です。冷静にお考えください。
    BUN

  8. >7.
    >あなたがこれを見よ、と指摘した回答が指示する書籍の記事を書いたのも、2の回答を書いたのも私です。

    なるほど、「学研一派」の名でおっかぶせるわけですか… 「権威者」の意向、というわけですね。

    とはさておき、状況を整理しておきたいです。(冷静に…(苦笑)

    「骨子」としての、#138の記事の内容自体には、当方は一切否定していませんし、良質の労作とお見受けしております。

    そして、「肝心な点」についての補足については、「中島飛行機へ飛行機を受け取りに出張、という記録」の存在が“明示されれば”(*)、十分な説得力があると愚考いたします。

    その上で(若干混乱となった)「部隊間での争奪戦が行われているような(架空戦記の)記述」が「小説に描かれたような事が起きることもあり得ます。」というのが、BUN氏の推測である、というのなら、虚実入り混じった「架空戦」記のなかでの、「あり得たかもしれない」状況であって、ヨタ話に近い話と史実に近い話の区別の付け方に関する力量の差、という点で納得するものであります。

    (*)の部分の存在が、BUN氏の2.で示唆されつつ具体的な提示がないため、不信感。不快感につながっています。「存在するが、諸般の(個人情報等の)事情で明示できない。存在自体は筆者として責任をもって確言する」程度の形で、テイク・ノートできれば、貴重な情報と思われますが如何?
    チャチャ入れ

  9. 海軍の場合、部隊への機体の供給は空輸命令として発令されます。
    これによりここの空輸番号、機種、供給場所、供給先、空輸担任等が指定されます。
    空輸担任としては被供給側にあたる実施部隊が指定されることもあります。
    この場合、実施部隊から空輸要員が輸送機などで派遣されてきます。

    実施部隊隊員が三菱のある鈴鹿、中島のある小泉に機体の受領にきていた様は、当事者の回想からいくつも拾うことが出来ます。
    中には志賀大尉の回想のように、九六艦戦の空輸を命ぜられたにもかかわらず独自の判断で零戦を受け取って持ち帰った、というものもあったように記憶します。


  10. >9.
    片さん、貴重な示唆をありがとうございます。

    BUN氏から、具体的な提示がいただけないのが残念ですが、場が荒れるのも不本意なので(昼すぎに覗きました)、これ以上深堀りは止めることとします。
    チャチャ入れ

  11. 海軍の1001部隊(雁部隊)は新造機を試飛行して受領し、各部隊へ配送していました。
    下記をご一読ください。 http://www.warbirds.jp/senri/10kaiko/14ieta/ieta.html
    蒼空

  12. この手の話はかなり慎重に調べたほうがいいと思います。
    私はこの架空戦記を読んでませんが、部隊員が工場で機材を奪い合う、という記述からは、「>2 実際にあり得るかと言えば答えはyesです。」というのは間違いではないでしょうが、ちと乱暴だと思います。歴史での「無かったことの証明」は悪魔の証明と言われるくらい困難ですが、これはちと普通じゃないですよね。
    機材の補給方法についてはみなさんお書きのとおりですが、通常、部隊の主計官が手続きを取ります。そこでは書類上に残らない争いがあり、旧海軍で有名なのは零戦の奪い合いです。書類上は同じ零戦でも、三菱製(性能は良いが納期を守らず不足がち)か、中島製(頑張って納入してくるけれど性能が出ない)かがあり、中島製ばかり取ってきた主計官を首にした、といった記述を見たことがあります。
    そうした争いは多いでしょうが、書類の裏付けなく勝手に持っていくみたいなことが横行するほど旧軍行政組織は崩壊していない、と思われます。これが起こるのは敗戦時で、あれだけの物資が民間に流れたというのも、その証左かと思います。
    ただ、戦時中ということもあり、事務的にも結構無理は聞いたのではないでしょうか。特に前線への機材輸送が困難になるにつれて、実際に部隊員を工場に派遣できた部隊に優先的に機材を流すと言ったことは、必然が認められれば許された可能性はかなりありそうです。
    何より最前線の部隊員が戦場を離れて受領に来れるとしたら、それなりの筋が動いていなければ不可能ですし、そうでないと間違って(公式にも?)銃殺されかねません。
    部隊間の争いで必然もなく配属が決まるほど旧軍もヤクザな組織でないし、必然があれば争う必要もないと思いますが・・・
    そうした場合でも説明は、「分捕ってきた」「さすがは隊長だ〜」とのことで、面白おかしく語り伝えられる、といったところではないでしょうか。
    首都まで市街戦に巻き込まれたドイツとは違い、「オレの尻を舐めろ」といった場面はそうそう起こりえるものではないかと。
    えりっひ

  13. >12
    11で蒼空さんがリンクされているページの記事のように、後期には完成飛行数が不足していましたから、ある程度の「奪い合い」はあったのだと思います。


  14. ↑というのが、書類の裏付けあって零戦を奪い合うような場合ですね。

    本来なら、
    「空輸区分」(番号)
    「機種 機数」
    「完成期日」
    「空輸担任」
    「供給先」
    「空輸先」
    と指定されてことが運ぶのですが、大戦中期以降は完成数に対して飛行完了数の割合が下がっていってしまっていました。
    したがって、指定の完成期日に予定されていた機材の引渡しが出来なくなってしまうわけです。
    しかし、次の空輸区分による少し後日の完成期日を指定された空輸隊がやって来る。その機材は、前の指定完成期日に機材を受け取れなかった隊が受け取るべきなのか、当の完成期日を指定された隊が受け取るべきなのか、「優先権の主張のし合い」が始まってしまうわけです。
    こうしたことは実際に頻繁に起こっています。

    それ以上のことは小説の表現の範疇と思ったほうが良いのはその通りです。
    ただ、「ラバ空」が様々な戦記本から広くネタを拾っている中に、「九六戦の受領に出かけて零戦を持ち帰ってしまった」という志賀大尉の逸話のようなものがあるのは間違いないと思います。


  15. 書き込み内容が妙な方向に向いていたので沈黙していましたが、
    えりっひ さんの

    >何より最前線の部隊員が戦場を離れて受領に来れるとしたら、それなりの筋が動いていなければ不可能ですし、そうでないと間違って(公式にも?)銃殺されかねません。

    との発言のニュアンスからは隊員が受領に赴くことは例外的、といった認識が窺えます。
    これは間違いです。
    陸海軍問わず、空輸を担任する組織は人員機材ともに恒常的に不足しています。そのために内地で錬成中の海軍部隊だけではなく、内地から遠く離れた陸軍の飛行第64戦隊でさえ、機材受領のための隊員出張があるのです。
    私が「あり得る」と言っているのは、小説に描かれた騒動が史実としてあったという話ではなく、その場面がその場に居るはずの無い人々で演じられている訳ではないという点、そしてその要因となるような状況があったか、という点で「Yes」なのです。

    最もフォーマルな形では航空本部によって航輸番号が与えられて機材が輸送部隊によって空輸されますが、この間に部隊と航本とで交される電報類にも相当の内容が含まれます。要は「あれはいらない。この型式を送れ」「この装備のものを優先して送れ」「他隊と同じあの型式がほしい」といった部隊からの要求もあれば、航本からは「この番号で何機送るので我慢せよ」「この番号のものを繰り上げて送る」「今まで何番で送る機材は他隊に送るので供給しない」といったかなり生々しい遣り取りが残されています。

    まして隊員が受領に赴けば穏便な雰囲気ばかりとは限りません。
    すぐに適当な例を揚げられなくて申し訳ないのですが、岩井勉さんの回想にも自ら出張して受領している様子が描かれています。岩井さんの場合は二十一空廠ですが、ここで練戦を受け取っているのはまさにそこが製造工場だったからでもあります。
    BUN

  16. 蒼空さんが実例を示してくれていましたね。
    失礼しました。
    ここで取り上げられている一式陸攻はその一年前には一航艦への優先補給が行われ、決定済だった補給予定を棚上げされた他隊の不満の種となっていた機種です。
    BUN

  17. より詳しく解説していただきありがとうございます。

    当時の様子がなんとなくわかった気がします。
    リュウイチ

  18. 私の表現がうまくないのかもしれません。
    旧日本軍でも装備の奪い合いというのはありました。
    しかし、多分そのほとんどが書類に裏付けられたものであったろうと推測します。
    現地部隊が受領に行くケースも、末期の超燃料不足ドイツとかと違い、最後まであったようだと認識しています。その場合、当然のこととして部隊命令書を所持するか、ある程度の高級士官が同行したはずです。そういったところで主計官とのバトルがあったのでしょう。>15のBUNさんの記述の通り、記録がいやというほど残っています。
    こうしたりっぱな機材のみでなく、コンクリ、木材、もっとろくでもないものでも厳重に管理されています。軍隊とはもともと緻密な組織なのです。
    日本の戦後の喫茶店史は、陸軍が宇都宮(だったかな?)に貯蓄していたコーヒー豆の闇市場流出に始まると言われています。
    例で出ている「96戦→零戦」だって、きっと「戦局ノ推移ト帝国ノ現状ニ鑑ミ、コレヲ可トス」とかいう書類がきっとあるんですよ、多分。
    ふてくされた字だったり、わざと公印斜めに押してるかも知れませんが。
    「部隊間での奪い合い」というのを、盗賊の分捕りあいみたいなレベルで考えないほうが、という指摘です。
    ちなみに、おじさんでポツダム陸軍中尉の航空兵だった人が、受領に行った軍曹(階級は低いが当然技量甲で教官だったりする)が新品を着陸で壊した、とか話していました。習熟していないから結構難しいようです。
    ハルトマンもスツーカ壊していますね。
    えりっひ


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