質問コーナー(AnsQ)分類

7.社会、組織、時事 1 - 100


No.
内容
1 大変素人な質問ですが軍令部部長と海軍大臣どちらが格上なんででしょうか?
5 長らく気になったのですが、よく警察や海上保安庁等が、押収した銃器類をホームページのアップ画像をよく見るのですが、押収した銃器類の管理はどうしてるのですか、教えてください。(ネットの中でも検索したのですが、正確な情報がありません)
6 70年代(特に前半)のコロンビア軍について知りたいことがあります。
当時(というか今でも)コロンビアでは左翼ゲリラの活動が非常に活発だったようですが、それらを鎮圧する任にあたるコロンビア軍の装備・練度・士気はどういったレベルだったのでしょうか?

「防衛費は少なく、装備は劣弱だが士気だけは旺盛」とか「アメリカからの援助で最新の武器を揃えているが、部隊は無頼漢の集団といった方が正しいほど規律がない」とか「左翼ゲリラに連戦連敗、全軍崩壊寸前の瀬戸際にあった」とか、とか……色んなパターンが考えられるのですが、実際の所どんな感じだったのか知りたく思っています。
どんな小さな事でも結構なので、ヒントになる事例などご教示いただければ幸いです。
7 再開おめでとうございます。
こちらでよろしいかと思いますが、情報RMAで完全に武装されている軍隊同士が激突した場合どのような形で戦闘が進むか教えていただきますでしょうか。物量錬度個々の兵器の質、全てが同じと考えて、です。
「戦うコンピュータ」(井上孝司)等の情報RMAの本では従来型の軍隊VSRMA軍隊のことしか書いていないので・・・。
また情報RMA軍隊同士の激突を描いた小説ってありますか?SFでも結構です。
宜しくお願いします。
8 陸上自衛隊の師団、旅団に編成されている戦車大隊、中隊、の偵察隊の定員数を教えてください。
9
ansq復活おめでとうございます。

アフガニスタンへの物資輸送で質問があります。
毎日の記事です。
”パキスタンの輸送業者団体「カイバル運送協会」は16日、アフガニスタンで活動するNATO軍向け物資輸送業務を全面的に停止した。(中略)
 米軍はアフガンに隣接するウズベキスタンなどと、代替輸送の交渉を開始した。・・・”

ここで疑問なのですが、ウズベクとアフガンを結んだとして、ウズベクまではどうやって物資を運ぶのでしょうか?
空輸するくらいなら直接アフガンへ送れと思いますが、パキスタンと違ってウズベクには海(外海)はないですし。
10 WW1から大戦間期のイギリスで
A 空軍の
A1 全スコードロンのインシグニアとモットー
A2 スコードロン新設においてインシグニアとモットーを定める手続き
A3 貴族から大規模な寄付(飛行場用地提供等)を受けた事例やその際の受領手続き

B 陸軍の
B1 連隊所有者名等含む全連隊の概要
B2 特に、連隊名だけ残っているが実体がない「休眠連隊」が存在したか?

※全体として、貴族から土地など寄付され、その貴族にちなんだスコードロン等が設立されることがあったか、あったとすればどういう経緯を辿るか、陸軍の連隊が国軍に吸収されていった流れとどういった異同があるか

について解説している書籍などありましたら、ご教示くださいませ。
11 あるいは、どちらとも言えない−結論なのかもしれませんが
戦場においての食料として
米と、パンでは、どちらが有利なんでしょうか?
12 軍事のじゃないですけど、福島県警の定員を教えてください、ウィキペディアでは正確にわかりません、お願いします。
13  何年かぶりに質問させていただきます。日露戦役前、戦中の下士官兵の他師団への転勤(こういう表現が適切かどうか分かりませんが)特に特務曹長はどうだったのか御教示ください(出来れば出典も)。よろしくお願いします。
14 航空機、若しくは艦船に関する所で質問すべきかもしれませんが。両方いっぺんなのでこちらで質問します。
ドイツの幻の空母、グラーフ・ツェッペリンが就役していたら、運用はどうなっていたと思いますか?
皆さんもご存知のとおり、ナチス時代のドイツはゲーリングのせいで陸海軍はただの一機も飛行機を所有する事ができなかったので、艦載機パイロットとグラーフ・ツェッペリン乗組員のあいだでとんでもないことがおきてたであろうと私的には思うのですが・・・・
15 「役職名」が「階級名」になっている軍隊の場合、呼び分けかたなどは
なかったのでしょうか? たとえば誰かが紹介する場合あるいは
自己紹介する場合、
「第***Squadron Leaderの田中Squadron Leaderです」
「第***Wing副官(Squadron Leaderではない)の佐藤
Squadron Leaderです」というのはいさかか不都合に思えます。
Captainなどでも同様でしょう。
うまく回避する物の言い方があった違いないと思うのですが、
ご教示いただければ幸いです。
16 最近、日本海軍の人事や組織について興味を持っている∞と申します。

今、疑問に思っているのは開戦時の第1航空艦隊のことです。
当時の他の艦隊などは一つの艦隊だけで任務をこなせる編成ですが、
1航艦だけはとんぼ釣り用の旧式駆逐艦数隻しかいません。

もし戦争になればどこかの艦隊と合同することになると思いますが、
1航艦は戦時には他艦隊との合同が前提の、多数空母による訓練を行う為の
艦隊にすぎなかったのでしょうか。それとも後の第3艦隊などのように、
重巡などの護衛艦艇を組み込んだ艦隊編成を目指していたものの、
護衛艦艇が揃うまでの間、やむを得ず空母のみの編成としたのでしょうか。

よろしくご教示のほど、お願い致します。
17  日本を空襲したドーリットル隊の内一機はウラジオストクに着陸しました。乗員はソ連当局に抑留されましたが、この措置は国際法に規定されていたのでしょうか?
 個人的には、同じ米兵がヨーロッパでは歓迎、極東では抑留というのは政治的な使い分けのような気がします。中立を口実に不時着したB-29の返還に応じずTu-4の資料とした例もありますし。
18 はじめまして、初めてここに質問させていただきますtantanと申します。
先日亡くなった祖父の遺品を整理していると、祖父の軍歴に関する資料がでてきました。
その資料によると、祖父はマニラ陸軍航空廠第二修理廠に所属する軍曹だったようです。

ここからが質問なのですが、祖父が所属していたマニラ陸軍航空廠第二修理廠とはどういう組織だったのでしょうか。また、この組織の主な任務と規模、終戦までに辿った軌跡等を教えていただけないでしょうか。

家族にも戦中のことはあまり話しておらず、自分でも一応調べたのですが、第二修理廠の資料があまりなく、ここに質問させていただいた所存です。どうかよろしくお願いします
19 現在のドイツ連邦軍の旅団の編成というのはどうなっているのでしょうか?
装甲旅団はドイツ装甲部隊全史3に載っていたのですが、あとWikipediaにも空中機動旅団の編成が出ていましたが後の装甲擲弾兵旅団や山岳旅団、空挺旅団の編成が知りたいのですが教えていただけないでしょうか。
20 ハウ&リチャーズ「バトル・オブ・ブリテン」新潮文庫版p621では、
「(引用者補、補給の)ハリケーンが一機、着陸して地上滑走して待機所の前まで来た。(改行)パイロットがエンジンを切って、操縦席から這いだして、待機所の方に歩いて行く途中で、飛行ヘルメットを脱いで長い髪を片手で抑えた。若いお転婆娘だな−−せいぜい十九という年格好だった」
他方、
「スミス夫人達の戦争」コリン&アイリーン・タウンゼンド、近代文芸社、p279には
「女子国防軍は非常に人間的な組織です(中略)。厚化粧や派手なマニキュアはいけません。制服の上着の襟にかかる長い髪も同様です」
とあります。
これは、単に、ATAとATSで服装規定が異なっていた、というだけなのでしょうか。それとも、気風などについてもいろいろと差があったのでしょうか?
こうした補助部隊についての文献なども合わせてお教えいただければ幸いです。
21 続けてごめんなさい。第二次大戦前〜中、
マートルシォーャムヒース/ボスコムダウンのA&AEEと、
ファーンボロのRAEとは、どのような棲み分けをしていたのでしょうか?
22 さらに重ねてごめんなさい。調べるほどに判らない点が出て参りまして。
BoBの頃の英空軍の組織についてお伺いします。

1 
コマンド→グループ→(後にウィング)→スコードロンという命令系統と、
各基地司令→(ウィングや)スコードロンというという命令系統はどのように整理されていたのでしょうか? 同階級者がカチ合う可能性もあったように思うのですが・・・


各スコードロンの地上員は何人程度で、どのような内訳だったのでしょうか?
ホウルトン「戦うスピットファイヤ」p127に機付きの地上員が3名という記述を見つけましたが、その他に高度な整備をする斑がスコードロンに内在していたのか、それとも、高度な整備等は基地所属の整備員が行っていたのか・・・?


規模にはいろいろあると思いますが、たとえば2〜3個スコードロンが展開する程度の普通規模の基地の組織構成や員数はどのようなものだったのでしょうか? 空軍地上連隊や将校につく従卒は基地所属のようだ、といった断片的な記述は見つかるのですが、全体像がわからずにおります。食堂のコックは軍人なのか軍属なのかそれとも地元の料理人が通いでくるのか、リネン係ははどうなっているのか・・・

なお、こうしたRAF裏方についての書籍などもありましたら、合わせてご紹介いただけると幸いです。
23 わたしの質問ばかり並んで申し訳ありません。
英国のAir Ministryについて4点ほどおうかがいいたします。

1 日本語で表記する際、「空軍省」と「航空省」のどちらがより妥当でしょうか。これ以外の適訳があるのでしょうか? あるいは、公的に決まっている訳語がありましょうか?
組織として発足の経緯からすると空軍省がよいと思われますが、民間機も対象とするAir Ministry Specifications は航空省仕様書と言いたくなってしまいます。かといって不統一なのも気になります。

2 発足から第二次大戦開戦時ぐらいにかけて、いわゆる背広組と制服組のバランスはどんな感じだったのでしょうか? Air Ministry職員だけれどもRAF軍人ではない、という人も、大臣以外にも相当数いたと考えてよいものでしょうか? 本省勤務の場合、RAF軍人は軍服を着ていたものでしょうか、背広姿だったのでしょうか?

3 発足から第二次大戦開戦時ぐらいにかけて、所在地はどこだったのでしょうか?
ホワイトホール の Gwydyr House(中央分離帯が終わるあたりの東側、現ウェールズ省)
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&rlz=1T4GGLD_jaJP311JP311&ei=7hX1SZWXGs-AkQXFv8zWCg&resnum=0&q=Gwydyr+House+whitehall&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl
と、The Strand と Aldwych に挟まれた中のBush House (BBCが長らく使用)の一部かまたは「反対側を」Adastral House と呼び方を変えて使っていたようだ、というところまでは調べたのですが、以下の疑問が残っております。
・それぞれいつからいつまで使われたのか。
・どういう棲み分けだったのか。
・The Strand と Aldwychに囲まれた中は、
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&rlz=1T4GGLD_jaJP311JP311&ei=7hX1SZWXGs-AkQXFv8zWCg&resnum=0&q=Gwydyr+House+whitehall&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl
三角の建物 Postland Rd. C字の建物 I字の建物 コ字の建物 Melbourne Pl 三角の建物
のように並びますが、どの部分がBush House でどの部分がAdastral Houseであったのか。

4 第二次大戦開戦時ごろ、本省勤務者が地方へ空路で出かける場合、利用した空港はクロイドンでしょうか(この時期ヒースローはフェアリー専用と思われるので)? それとも、Northholt か Uxbridg が使われたものでしょうか?
23 わたしの質問ばかり並んで申し訳ありません。
英国のAir Ministryについて4点ほどおうかがいいたします。

1 日本語で表記する際、「空軍省」と「航空省」のどちらがより妥当でしょうか。これ以外の適訳があるのでしょうか? あるいは、公的に決まっている訳語がありましょうか?
組織として発足の経緯からすると空軍省がよいと思われますが、民間機も対象とするAir Ministry Specifications は航空省仕様書と言いたくなってしまいます。かといって不統一なのも気になります。

2 発足から第二次大戦開戦時ぐらいにかけて、いわゆる背広組と制服組のバランスはどんな感じだったのでしょうか? Air Ministry職員だけれどもRAF軍人ではない、という人も、大臣以外にも相当数いたと考えてよいものでしょうか? 本省勤務の場合、RAF軍人は軍服を着ていたものでしょうか、背広姿だったのでしょうか?

3 発足から第二次大戦開戦時ぐらいにかけて、所在地はどこだったのでしょうか?
ホワイトホール の Gwydyr House(中央分離帯が終わるあたりの東側、現ウェールズ省)
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&rlz=1T4GGLD_jaJP311JP311&ei=7hX1SZWXGs-AkQXFv8zWCg&resnum=0&q=Gwydyr+House+whitehall&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl
と、The Strand と Aldwych に挟まれた中のBush House (BBCが長らく使用)の一部かまたは「反対側を」Adastral House と呼び方を変えて使っていたようだ、というところまでは調べたのですが、以下の疑問が残っております。
・それぞれいつからいつまで使われたのか。
・どういう棲み分けだったのか。
・The Strand と Aldwychに囲まれた中は、
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&rlz=1T4GGLD_jaJP311JP311&ei=7hX1SZWXGs-AkQXFv8zWCg&resnum=0&q=Gwydyr+House+whitehall&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl
三角の建物 Postland Rd. C字の建物 I字の建物 コ字の建物 Melbourne Pl 三角の建物
のように並びますが、どの部分がBush House でどの部分がAdastral Houseであったのか。

4 第二次大戦開戦時ごろ、本省勤務者が地方へ空路で出かける場合、利用した空港はクロイドンでしょうか(この時期ヒースローはフェアリー専用と思われるので)? それとも、Northholt か Uxbridg が使われたものでしょうか?
24  陸軍の部隊符号について、お伺いします。
 陸軍航空部隊では昭和20年3月頃に、部隊符号の変更が行われています。例えば、第三航空教育隊の場合、西部99部隊から中部571部隊へ変更されています。この変更の基となる軍令と、中部75部隊の正式名称を教えて下さい。
 宜しくお願いします。
25 警察関係で聞きたい事がありますが、警視庁と管区機動隊以外の都道府県警の機動隊の人数はわかりますか?検索してもあんまりいい資料がありませんのでお願いします。
26 終戦後ナチスの残党が南米に渡って「エスタンジア」と言う国を創って今も生き続けているって本当なのですか?詳しく教えてください。
27 大隊とか中隊、小隊、分隊ってどのくらいの規模なんでしょうか。兵力とかどれくらいなのでしょうか? 素人な質問でごめんなさい。
28 27に類似した素人質問で申し訳ないのですが、ご容赦ください。
編成単位として「連隊」の上に「師団」と「旅団」がありますが、
師団と旅団はどのように使い分けられているのでしょうか?
人員数としては一般的に旅団の方が若干小規模だと思うのですが、
単に「師団と称するには若干人員が足りない」時に旅団と称するのか、
それとも「旅」の字のイメージと同じで、どこかへの移動が簡易なように
師団から重装備を除いて旅団を編成するのでしょうか。
29 行隊の人員構成について伺います。国は特に問いません。時期はWW2開戦前から緒戦期あたり、と申しますか、戦時下で何か極端な欠員や増員がある例外的な事例でなければ何でもけっこうです。

Q1
一例として、単発単座戦闘機を20機前後運用する「飛行隊」あるいは「航空隊」の人員構成はだいたいどんな感じだったのでしょうか? 機体やパイロットの定員についてはあれこれ散見されますが、地上員について特にお訊ねいたしたく存じます。
中佐または少佐を長とする司令部は、情報将校や連絡将校含めて何人ぐらいだったのか。整備員の総数や担当の内訳はどんなふうだったのか。補給や主計などには何人ぐらい配置されていたのか。どういった命令系統だったのか。

Q2
複座になればパイロットが(予備員含めて)増え、人相手の補給その他が増えるのはわかります。もし双発になる場合、同機数だとしたら、整備員はどの程度増えるものでしょうか? 機数あたり各1名増える程度と考えてよいものでしょうか。 

Q3
また、「飛行隊」「航空隊」が独自に自前で揃える地上部隊と、「基地」側が備える地上部隊はだいたいどのへんで分かれるものだったのでしょうか。機付きの整備員は自前だったでしょうし、警備部隊は基地所属だったでしょうが、その中間がよくわからずにおります。

どこか特定の部隊の実例でも、常識的にこんなものだよという目安でもけっこうですので御教示くださいませ。たとえば陸軍の中隊はざっと200人程度で・・・という概説や、「○×よもやま物語」にあるようなエピソード(を収録している資料のご教示)でもたいへんありがたく存じます。
30 太平洋戦争中の日本軍の捕虜の扱いですが
1,捕虜収容所は日本国内(含む満州、朝鮮半島、台湾等)のどこに作られたのでしょうか?
2,国や所属等で分けられたりしたのでしょうか?
3,大戦末期になると本土は空襲や艦砲射撃等で被害が出ていたのですが
広島以外で捕虜収容所がこうした被害に巻き込まれたことはあるのでしょうか?
31  江戸時代の江戸幕府の外交を指す「鎖国」なることばですがあまりよいイ
メージのする言葉ではありません。やはり明治以降に作られた言葉で、江
戸時代当時は「鎖国」なる言葉は使われていなかったのでしょうか?
32 米軍の地上部隊の基地の名称は「フォート○×」や「キャンプ××」
等がありますがどういう分け方をしているのでしょうか?
「これ位の面積以上で「フォート○×」」「こういう施設があれば「キャンプ××」」
というような基準があったりするんでしょうか?
33 こんばんわ。よろしくお願いします。
ナチスの一組織「突撃隊(SA)」の第二次世界大戦中(特に末期)の活動とその組織について、3点、お尋ねします。
@大戦中、純軍事組織としてのセクションは存在したのでしょうか?
(例えば、武装SSに近い、「武装SA」のようなものはあったのでしょうか。それとも、武装SSや国民突撃隊に、隊員が召集されることが一般的だったのでしょうか。)
Aもしそういった純軍事組織があった場合、目立つ活躍をした部隊はありますでしょうか?
(例えば、武装SSの「ヒトラーユーゲント」のような)
B突撃隊員が米英・ソ連などの捕虜になったとき、武装SSのように、国防軍よりも敵軍から過酷な扱いをうけるということはあったのでしょうか?

オスプレイのメンアットアームズシリーズを読んでいると、突撃隊員で海軍の水兵のような格好で訓練を受けていたり(ただしナチスの腕章を装備)、鉄兜をかぶって短機関銃を持った隊員の画像(これも腕章装備)があり、若干の説明がされていたのですが、あまり組織に立ち入った説明がされておらず、疑問に感じました。また、ネットで調べても、レームの粛清以後の突撃隊の情報が少なく、是非、皆様のご教授をいただきたく思います。
よろしくお願いいたします。
34 太平洋戦争中、日本軍航空隊の機材調達についての質問です。

川又千秋氏の架空戦記などを読むと、各部隊から隊員が工場まで機材を取りに行き、部隊間での争奪戦が行われているような描写があります。

実際の機材補充はどのような手続きで行われていたのでしょうか。

よろしくお願いします。
35 第二次世界大戦中のドイツとトルコの国際関係について質問です。
トルコは大戦中最終局面まで中立を守っていたそうで、バルバロッサ以後も日本からソ連経由でトルコからベルリンに入れたそうです。
そこで疑問に思ったのですが、
1、ということは、ベルリンのトルコ大使館または領事館は機能していた
2.さらにトルコ人の新聞記者などが、アーリア人の至上主義を唱えていたナチス・ドイツの首都を取材しながらふつうに歩いていた

ということなんでしょうか?
すごく疑問におもったのですが、探しても情報がみつかりません!わかる方がいらっしゃれば、是非教えてください
36  軍曹と曹長はどちらが階級は上なのでしょうか?
37  冷戦時(今もですが)、NATOではアメリカの核兵器を西ドイツ・イタリアが使用できる体制が整えられていましたが、同じ時期アジアの方で韓国・中華民国などはそういう体制を希望しなかったのでしょうか。またアメリカ(日本も含めて希望してきたら)はどうしたのでしょうか。
38 冬戦争などで、フィンランド軍が巧みに情報を利用して戦ったことを聞いたのですが、あまり聞かない話ですが、それはつまりフィンランドにもSISやOSSのような諜報機関があったということなのでしょうか
39 現在問題になっている普天間移設についてその一案として出ている
普天間の部隊を嘉手納と統合する案の反対意見の一つに
「ヘリ部隊とジェット戦闘機の部隊を同一何時か所で運用するのは危険」という趣旨の反対があるのですが
1,具体的に何がどう危険なのでしょうか?
2,では百里や千歳、小松といった実際そういう運用をしている基地はどうやってその危険を回避しているのでしょうか?
40  先日、現代の日中戦争をあつかったシミュレーション小説を読みました。
 その内容は、アメリカ民主党の大統領が訪中している真っ最中に人民解放軍のクーデターが起き、中国の全権を掌握、台湾と日本の尖閣諸島に侵攻を開始する、というものです。
 訪中中のアメリカ大統領は、北京放送のテレビ会見でクーデター軍の支持を表明(!)し、台湾と尖閣は中国の“内政問題”であるから、アメリカ軍は紛争に一切介入しない、と断言してしまいます。

 これが本当に大統領の意志なのか、あるいは脅迫されて発言しているのか判らないわけですが、何と言っても大統領が死亡したり誘拐された訳ではないので、米軍は台湾軍や自衛隊を援護できなくなる……、というストーリーです。

 面白い設定だとは思うのですが、これって現実にはあり得ることなんでしょうか?
41  ナチス政権時代のドイツ空軍について質問します。
 
 空軍最高司令部隷下の最大編成単位の事を "Luftflotte" 「航空艦隊」と称していますが、空母兵力とはほとんど縁のないドイツ空軍でこのように命名されたのはどのような理由からでしょうか。

 ご教示よろしくお願いいたします。
42 私が、子供のころ、ベルリンが、一部封鎖され、物資の空輸が有った。
その様な記憶が有ります。
米国、その他の国が、どの様な物資を、どの位の期間、
どの位の金額、だったのか、興味を持ちました。
43 二次大戦の西方・フランス戦が始まった時点での、フランス空軍パイロット、特に単発戦闘機のパイロットの練度は、英国、ドイツと比べると全体的にどうだったのでしょうか? 中には練達のパイロットももちろんいたと思いますが、遅れた機材を装備していたことによる(ここで指しているのはモラヌ・ソルニエMS406)練度への影響などは、やはりあったのでしょうか?

おねがいいたします。
44  SF作家、ロバート・A・ハインラインのSF版新兵物語というべき小説
「宇宙の戦士」はわが国でも有名ですのでご存知の方も多いものと思います。同作品世界の設定での兵役制度は、選挙権および被選挙権は兵役満了の対価であり、兵役を志願するか否かは個人の自由、というものです。

 この制度が志願制の一種なのか、義務兵役制度に含めるべきなのか迷いますが、現在の世界で実在の志願兵制度や徴兵制度に内在する政治的社会的
問題点を克服できる、という点では検討に値するものと思われます。
(すぐにでもわが国で採用すべき、という意味ではありません。)
私の寡聞のせいかもしれませんが、日本はまだしも
現在徴兵制をしいている国や、ハインラインの母国アメリカで提案や学説などの形でを検討した、との話を目にしたことがありません。なぜでしょうか?

45 日米開戦の暗号として名高い「ニイタカヤマノボレ1208」ですが
もしこの暗号を発信した後(発信される前もですが)に
何らかの外交上の進展(ハルノート受諾など)
で開戦が中止(若しくは延期)となった場合当然第一航空艦隊等の部隊には
作戦中止を意味する暗号が発せられる筈ですがこの暗号はどのような物なのでしょうか?
46 各戦い毎に死傷者数が記録されていますが、近代以降の戦争における負傷の定義とは何でしょうか。
片足が無くなるなど、兵として再び戦えなくなるほどの(つまり、兵力の減少という点で戦死と同等な)怪我なのか。
それとも、単に野戦病院等で治療した負傷者の数全てなのでしょうか。
47 あるめ様、ありがとうございます。
負傷の程度も詳細に記録されていたのは意外でした。
他国でも変わらないでしょうから、死傷者数はそれら全てを足したものということですかね。
48  長崎に原爆を落としたB29の搭乗員が戦後にそのことに罪の意識を感じて
自殺したというのは事実でしょうか?10歳のころニュース番組でそのような
報道を見た記憶があります。しかしそれから20年そんなことは聞いた事がありません。幼いころの何か勘違いだと思うのですが。
49 日本海軍の志願兵についてお尋ねします。

 志願がほとんどであったと書いてあるページもありますし、Wikipediaには志願者が5割〜6割であったとありますが、根拠資料を挙げているWebページが見つかりません。

 出所のはっきりした、志願兵の比率(か資料自体)についてご存知でしたら教えてください。
50 我が陸軍において、支那事変時に制定された「通称号」について質問いたします。
昭和15年「昭和十六年度 陸軍動員計画令細則」において漢字一字からなる「兵団文字符」と隷下部隊には数字3桁から5桁の「通称番号」が設けられました。
(例)歩兵第8連隊:淀4072、歩兵第70連隊:國4905など
上記の聯隊のように昭和15〜20年まで終始同一の師団に隷属していた部隊は良いのですが、この間に隷属先が変わった部隊の「兵団文字符」は部隊の移動に伴って変更されたのでしょうか?
例えば独立歩兵第58大隊は終戦時の通称号は専7996ですが、昭和15年時:第116師団(兵団文字符:嵐)、昭和17年から第60師団(兵団文字符:矛)に、昭和18年から第65師団(兵団文字符:専)に隷属しているので、その間は嵐7996→矛7996→専7996のように通称号も変化したのでしょうか?
宜しくお願いします。
51 フランクリン・D・ルーズベルトが病死したさいヒトラーが罵倒し、鈴木貫太郎が哀悼の意を表明したのは有名です。ヒトラーが死んださい日本・ならびに連合国はどのような生命をだしたのでしょうか。当時ヒトラーの自殺は詳しく判明していなかったのでスルーされたのでしょうか?
                                                
52 イラク戦争で米軍が学んだことはイラクを安定させるには善政をしくことだと聞いたのですが、これはどういった考え方からでた戦略なのでしょうか。また、具体的は何をすることなのでしょうか。
53  旧日本帝国軍で勲章より感状の方が多かった理由は何でしょうか?

私が考える理由としては以下のものがあります。
1.勲章は天皇陛下が下賜する形を取っていた為手続きが大変だった。
2.勲章に付随する恩賞等による人件費の増加が嫌われた。
3.日本人的に勲章よりも文章に残る感状の方が好まれた。

それ以外にもあるのでしょうか。
54 第二次世界大戦の空戦記などを読んだり、映画を見ていたりすると、パイロットは任務で飛んでいるとき以外はかなり自由にやっていた(昼間から街に出たり)ように見えるのですが、戦時で少しでも気分転換を図らなければならないのならともかく、平時にそんなことはやれないと思います。パイロットたちは飛んでいないときはどんな仕事をしているのですか?
55 仮にある国とある国(以下AとBとします)が戦争をしていて
B国の軍隊がA国の首都に攻め込んだとします
この時点でもまだA国は他国(以下C国とします)と外交関係を維持しており
C国の大使と大使館関係者(スタッフやその家族等)やC国の国民(C国の企業の現地駐在員としておきます)がB国軍の前に現れたとします(いずれの場合も非武装で護衛もついていないものとします)
この場合
1,B国はC国とも戦争中
2,C国は中立国
3,B国はC国とは国交がない
のそれぞれの場合においてB国軍指揮官はどういった対応をするのでしょうか?
56  ちょっと教えてください。

 艦艇が戦隊(駆逐隊含む)単位で行動する場合、複数の艦艇で行動しますが、旗艦が撃沈された場合や指揮能力を失った場合に次席の指揮官または二番艦以降の艦長に指揮権が委譲されます。その場合、先任順序が問題となると思いますが、以下の点で疑問があります。

1.どの時点での先任序列を用いるのか?(卒業期、その後の昇任人事など)
2.指揮権委譲により戦隊内の序列が変わるはずだが、艦の順序を都度入れ替えるのか?(平時ならともかく、戦時に序列を変更するのは戦隊の編隊運動上、宜しくないと思います)
3.指揮官の出身兵科や勤務形態によって操艦能力に差異が発生するのではないか?(艦艇勤務の少ない人間と豊富な人間、砲術科出身と航海科出身など)
4.個艦行動の多い潜水艦(司令潜水艦や先任艦長の乗る潜水艦が撃沈されたことを知り得ない可能性がある)や出自の多彩な護衛駆逐艦などではどうしていたのか?(海軍兵学校出身者とは限らないから)
57   なぜ世間一般の人々は鉄道マニアに優しく、ミリタリーマニアには厳しいのでしょうか?
58 ウィキペディアでこちらの戦闘団のページに

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E9%97%98%E5%9B%A3#.E9.99.B8.E4.B8.8A.E8.87.AA.E8.A1.9B.E9.9A.8A.E3.81.AE.E3.82.B1.E3.83.BC.E3.82.B9

>一部例外として、普通科中隊に戦車小隊、施設小隊、重迫小隊、重MAT小隊、特科分隊(溜弾砲1門と観測要員)で増強普通科中隊(戦闘群)を編成する場合もある。普通科中隊長が部隊指揮官として統合運用する。

とあります。個人として狭く、複雑な国土の日本で運用するのにはとても適していると思うのですが(戦国時代の備と良く似た規模)、榴弾砲一門の使い方が少々、ピンときません。
どの様な運用をするのか、ご存じの方はぜひ教えてください。
59 現状核兵器は使えない兵器ですが、高高度核爆発によるEMPを非致死性兵器として使うことは、なぜ国内でも国際社会でも議論されないのでしょうか?

例えば米中戦争や印パ戦争が勃発したとき、都市に核を落とすのは国際世論が許さない、軍事目標でも核のエスカレーションを招くから非常に危険、ではこのとき、高高度核爆発が実施される危険性について、どのような議論がなされているのでしょうか?
60 第二次世界大戦中日本海軍は小型木造漁船を大量に徴用し特設哨戒艇として洋上監視任務に就かせたそうですが
1,彼等はどういう条件で徴用されたのでしょうか?
2,彼等の中には東京空襲の第23日東丸のように攻撃により撃沈された艇もあるのですがそういった艇の遺族への保障は正規の軍人と比べて十分なものだったのでしょうか?
61  戦時中多くの農家の方々は法律を破って闇市場に米を流しました。
 自分の子供は進んで軍隊に差し出したのに、お米を隠したのは当時
の農家の方は子供よりもお金のほうが大切だったのでしょうか?
62 自衛隊の曹候補生に類する制度は外国の軍隊にはないそうですかなんでですか?優秀な若者を軍隊に引きつけるにはよい制度だと思うのですが。
63 http://www.napoleon-series.org/military/battles/c_senarmont.html
 上の文章の中で、フランス軍の砲兵指揮官が、「前面の敵に向けて放列を展開せよ」という意味で "Action front!" と、また、「側面の敵に向けて放列を展開せよ」という意味で "Action flank!" と号令しています。
 おのおの、日本陸軍の号令ではどのような表現になりますか?
64  第二次大戦中の連合国側政治家の「(枢軸国側)2億の人間によって(連合国側)20億の人間が危機にさらされている…」(数字は適当)といった演説・文章を聞いた・読んだ覚えがあるのですが、誰のものだったでしょうか。
65 日本海軍の艦隊編制で第7艦隊より先に第8・第9艦隊が編制されたのはなぜでしょうか
艦隊番号は作戦担当地域が決まっていたのでしょうか
そうだとすると○遣艦隊の意味が良くわかりません
ご教授お願い致します
66  亡父(海上自衛隊幹部)の遺品を整理していたら、記念品のネクタイピンの類が多数見つかりました。
 その中に、表に"STMF"、裏に「佐水所開所記念」と書かれたものがありました。
 Sasebo Torpedo and Mine Force「佐世保水雷所」という施設でもあるのかと思って検索してみましたが、どうも見当たりません。
 このタイピンは何の記念だと思われますか?
67 軍隊には指揮官が負傷ないしは死亡した場合に直ちに部隊の指揮を取れる用に
序列ができているのですが
では
1、1941年12月8日の時点で連合艦隊司令長官の山本五十六大将が何らかの理由で指揮が取れなくなった場合の序列はどうなっていたのでしょうか?

2、上記の場合第二艦隊司令長官や南雲忠一第一航空艦隊司令長官が指揮を取る局面が有ると思うのですが上記の二人を例にすると彼らはそれぞれマレー沖と
ハワイ沖にいるのですがこの場合どうやってそれぞれの指揮をとるのでしょうか?
68  ちょっと教えてください。

 既出の質問でしたら申し訳ありませんが、旧海軍の場合、「大佐(だいい)」、「大尉(だいい)」と濁音で読むと伺っています。ですが、大正期の文献や新聞記事を読むと「大佐(たいさ)」「大尉(たいい)」として使われている例が散見されます。

1.併用して問題はなかったのか?(電報ですとカタカナ表記になると思います)
2.半濁音で読むようになったのはいつからでどういう理由によるものなのか?(用語の統一を図る理由が発生したのか)

 以上、よろしくお願いいたします。
69 旧日本海軍の人事についてですが、「補○○」と「○○被仰付(附)」の違いが、いまいちよくわかりません。
分隊長以上への補職の場合は「補○○分隊長」などとなり、隊附や乗組の場合は「○○乗組被仰付(附)」などとなるのでしょうか?
しかし、同じ隊の中で、「○○航空隊附被仰付(附)」から「○○航空隊附」というような職名の異動も見受けられますので、そのような単純な理解は間違いのような気もします。
お詳しい方、ご教示願えますでしょうか。
70  種子島に宇宙センターができたのは種子島時休氏のおかげでしょうか?
71  私の血筋の出所である富山市内の漁師町には今でも親戚が多く居住しておりまして、戦時中は目と鼻の先に陸軍飛行場があり100式司令部偵察機と4式戦闘機が配備されていた、と聞いた事があります。飛行場は陸軍富山飛行場で間違いないですが、これら機種を装備し当飛行場へ駐屯していた飛行戦隊が分かればご教示願います。
 なお、2機種の配備時期が同じか否かは定かではありません。また、疾風は4ペラで力強くカッコよかった、と聞いておりますので4式戦闘機に限っては誤認はないと思います。
 以上、よろしくお願いします。
72  勝利する見込みがないのに太平洋戦争を開戦した当時の政治家と、返せる
見込みがないのに借金を垂れ流す現在の政治家、どちらのほうが無責任で
しょうか?
73  日露戦時における日本軍の「野戦砲兵」と「徒歩砲兵」の違いとは何ですか。

 おそらく語源となっているドイツ語の"Fussartillerie" と "Feldartillerie" の違いを考え、また「徒歩砲兵連隊」が攻城砲兵廠にのみ所属しているところをみると、「野戦砲兵」は主として小口径の野砲・山砲を装備し、軽快な機動力を有する部隊であり、それに対して「徒歩砲兵」は、比較的大口径の砲を装備し、あまり機動性を有さない部隊であろう、ということは想像ができます。

 しかしここで問題なのが、攻城砲兵廠に所属する「野戦重砲連隊」です。
 当時の日本陸軍には機動力を有する大口径砲はなかったのではないかと思います。
 にもかかわらずあえて「野戦」をその名に冠する重砲兵部隊が存在するということは、上に書いた「野戦砲兵=軽快」「徒歩砲兵=鈍重」という違い以外に「野戦砲兵」と「徒歩砲兵」には違いがあるのでは、という気がします。

 当時の「野戦砲兵」「徒歩砲兵」「野戦重砲兵」の分け方をどなたかわかりやすく示してはいただけないでしょうか。
74 海軍艦艇での一日の摂取カロリーの目安や内容といったものは、法律や内務規定として成文化されていたのでしょうか。
また、それは海軍予備学生や海軍予備生徒にも適用されていたのでしょうか?
75 昨夜(11月30日)のNHKニュースで、米韓合同演習時のF/A18の発着シーンを
分析している際に、評論家が、翼端のサイトワインダーが訓練弾でない、という
理由で、「非常に実践移行を意識している」という言い方をしていました。
ジョイントスターを合流させていることからもソレは納得なのですが、この
訓練弾についての質問です。

1)通常のこういう演習では、訓練弾を使うものなのでしょうか。
2)演習とはいえ、迎撃訓練で発射を想定する場合、機体側の回路設定で、トリガー
を引いてもミサイルが発射する/しないを切り替えているのでしょうか。
(標的機等への発射を想定しています)
3)上記と関連して、日本のDDGのCIWSがEA6Bを誤射した事件がありましたが、あの場合は実包だったのでしょうか、それとも訓練弾だったのでしょうか。
76  第二次大戦後、多くの共産主義国家が建国されました。
多くの国は経済的に社会主義制度は失敗しましたが、どこか一国くらい
成功したといえる国は無いのでしょうか?
77 日本海軍の空母加賀は太平洋戦争開戦前の単冠湾集結時に最後まで呉に残り
浅深度魚雷100本を受領して単冠湾に向かったそうですが
1,100本もの魚雷をどこに搭載したのでしょうか?
平時の輸送ならば艦載機をおろせば可能でしょうが作戦行動につく以上
艦内には艦載機燃料弾薬食料等が満載されているはずなんですが
甲板に梱包するにしても波浪による損傷を考慮するとあまり現実的とは思えないのですが
2,到着後各艦に魚雷を配る時の事ですがどうやって配ったのでしょうか?
内火艇に積んで配るにはあまりに魚雷は大きすぎますし、かといって単冠湾に艀のようなものがあるとも思えませんし防諜上のリスクを考えると持っていくわけにもいかないと思いますが
78 1944年の日本軍の作戦といえば、あ号作戦、ウ号作戦、台湾沖航空、レイテ海戦と指揮系統のミスばかりです。そうでもないという意見もあるでしょうが、一般的にいって、栗田艦隊の反転に代表されるように、上層部の判断能力の低下が指摘されています。これだけ凡ミスが重なるのは偶然でしょうか。偶然とは思えないのですが、当時、作戦を誤らせる遠因が存在していたのでしょうか。どのような障害が大きな理由としてあったのでしょうか。
79  航空自衛隊第6高射群は八雲と車力に高射隊がありますが、編成初期には三沢基地内にナイキJの高射隊があったのですか。といいますのは、80年頃の「丸」に三沢基地の鳥瞰図に直立したJミサイルの絵があったからです。御存知の方おられませんか。
80  フランスの戦車を作っていた企業ソミュア(SOMUA)について質問です。

 戦後、ソミュアのトラック・バス製造事業は他のメーカーと統合されルノーの子会社に(その後さらに分社化されトラック部門はボルボ傘下のルノートラックスに、バス部門はフィアット傘下のイリスバスに)なったことはわかっているのですが、トラック・バス製造以外の事業がどうなったのかわかりません。

 少なくともそのままの企業名で残っているわけではないようですが、ソミュアは戦後どうなったのか教えてください。
81 T・クランケ著「ポケット戦艦」の中で、
「改定暗号表が艦と索敵機で異なっていたので(艦が改定後、機が改定前)、索敵機があわや遭難寸前になった」
という記述があります。
質問ですが、なぜこの様なトラブルが起きたのでしょうか?
(空軍と海軍の連絡の悪さとも思われますが、暗号表の改定などの重要事項が連絡なしに行われたとは考えにくいのですが……)
82  軍事用語上の「壊滅」定義を教えてください。
83 部隊統制上の全滅(判定)、壊滅(判定)、殲滅(判定)
などの定義が書いてある本はどんなものがありますでしょうか?
あるいは信用のあるサイトはありますか?
84 第二次大戦中のドイツ陸海軍出身のパイロットは空軍に編入しています。

この時、給料は空軍から支払われるのでしょうか?
85  星野仙一氏のお父様は三菱の航空機の工場長だったとのことですが、どの
工場の工場長だったのでしょうか?
86 人類がこれまでにおこした戦争での総犠牲者数は、推定何人と研究されているでしょうか???
87 米空軍で現在用いられている命令書がどのような書式になっているのか知りたいのですが、確認できるサイト、あるいは本などありますでしょうか?

AFIのように全軍へ向けて周知される形ものではなく、飛行隊や航空団レベルで日常的に発行されている命令書の内容を知りたく思っています。ネットでざっと検索はしてみたのですが、中々見つからないのでこちらで質問させていただきました。よろしくお願いいたします。
88 平成23年上半期現在、NHK連続テレビ小説「おひさま」の設定に付いて質問いたします。

主人公須藤洋子の父良一は東京で航空機開発に携わる研究者でしたが、昭和7年に安曇野へ移住し当地の製糸工場へ転職しております。劇中では本人以外の口から、飛行機の技師をしていた、という言い回しもあったように憶えています。東京在住だったという設定ですが、東京府内か東京市内かは明確にはされていません。そして昭和18年、新型戦闘機の開発が急務という名古屋の飛行機工場から参加要請があり従う、という設定です。

東京時代にはどの会社だったのか、名古屋の工場とは三菱の事か、といった脚本の裏取りはあまり意味がないですが、仮に中島や立川などのOBだったとして、そのような方が三菱から又は軍需省などの公的機関を通じて航空業界への復帰を要請されるという実例はあったのでしょうか。又は東京時代は非メーカー系の航空研究機関に所属していたという可能性はあるのでしょうか。

以上、ご教示よろしくお願いいたします。
89  暴力装置である自衛隊は憲法違反なのでしょうか?
90 軍隊って任務から帰ってきたらまず何をするものなのでしょうか?シャワー、食事、報告書、それとも医務室でしょうか?

主に歩兵が任務を終えて基地に帰還した場合について知りたいです。漠然とした質問なので陸上自衛隊やアメリカ陸軍を想定して教えていただけると幸いです。
91 お知恵をお借りします。
「着任報告」儀礼(?)なんですが。
士官と下士官・兵では差異はあるのでしょうか?
申告する相手や。申告の仕方。 または各国によっても差異はあるのでしょうか?

細かな質問ですが、知識、資料、サイト等。
ご存知であれば、よろしく御教授ください。
92  映画『キャタピラー』を見ました。

 思ったのですが、この映画に現れた四肢、聴覚がなく口もきけない傷痍軍人達は、あの時代、やはり大勢いらっしゃったのでしょうか?そして、あのようになって復員された人々は、やはり今日で言う所の障害者施設へ復員されたのでしょうか?それとも、あの映画のように御家庭に復員されたのでしょうか?

 今日でも四肢のない傷痍軍人は御存命でしょうか・・・・?
93 日本海海戦時のロシア軍艦の呼び方である蟻寄る(アリョール)・呆れ三太(アレクサンドル三世)などですが、

1.これらは公式に規定されたものでしょうか?

2.これは日本海海戦のみでその前後の海戦では使用されなかったのでしょうか?
94 皆さんが思うに、今までで一番理想的な(だった)機甲師団ってどれでしょうか?
95 一個航空団ってだいたい人数どのくらいなんでしょうか?
96 ドイツアフリカ軍団はその最初は文字通り「軍団」規模ですが、その末期において第五装甲軍も指揮下に置く「軍集団?」規模になっています。その最盛期アフリカの独伊軍全体は正式にはなんと呼ばれていたのでしょうか。アフリカ軍集団?アフリカ方面軍?アフリカ作戦集団?識者の皆様どうか教えてください。
97 防衛大綱では戦車と砲の上限がそれぞれ定められていますが、砲についてMLRSは含まれているのでしょうか。

最近気になることとして、それまで防衛大綱では「主要特科装備」と表現されていたのがH23から「火砲」と名前が変更されています。

つまり、現大綱の400門/両には、ロケット弾であるMLRSは含まれていないのではないか、と穿っているわけです。
98 軍事ジャーナリストのK氏のブログにおいてK氏が
自衛隊の士の充足率が4割ほどしかなく異常である、という
主張をされています。(著作においても)また曹や将校の比率が
大きいので異常とも主張しています。
私は諸外国、例えばイギリスやフランス、ドイツなどの諸外国
の場合はどうなっているかとコメントしても無視されています。
自分で調べても上記の国家はおろか他の外国軍の充足率を全く
調べる事ができませんでした。
質問したいのは以下です。
1,自衛隊以外の軍の将校兵士の比率。できれば先進国。
2,将校兵士(将佐尉曹士)の充足率。
3.兵隊の充足率を下げ、曹以上を100%近くにする事の是非。
以上です。
よろしくお願いします。  
  
99  現在、自分は入院中で同室の92歳の老人の方から、毎晩「ラバウル小唄」の合唱を頼まれます。そのさいに思ったのですが、一般には「さらばラバウル」で知られるこの軍歌は何故、こんなに知名度があるのでしょうか?「加藤隼戦闘隊」は戦時中の映画の主題歌で広まったとききます。昭和19年2月以降の悲壮感のにじみでるこの歌が、軍のみならず民間にまで広まったのでしょうか?当時、徴兵されて陸軍で仙台にいた92歳の老人でも知っていることからみて、戦後のゼロ戦漫画で広まったのではないと思うのですが?
100 「ブラックホーク・ダウン」という戦争映画を見たのですが、米軍のレンジャー部隊とデルタフォースが出撃の準備をするシーンで各自の判断で水筒や防弾プレートを装備したりしなかったりと装備がバラバラでした。

現実の特殊部隊でもこんなことはありえるのでしょうか?装備を厳密に統一しないといざ戦場に出た時に「あの装備を置いてきてしまったばっかりに」なんてトラブルが起きそうに思えてしまうのですが。


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