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第二次世界大戦中のドイツとトルコの国際関係について質問です。 トルコは大戦中最終局面まで中立を守っていたそうで、バルバロッサ以後も日本からソ連経由でトルコからベルリンに入れたそうです。 そこで疑問に思ったのですが、 1、ということは、ベルリンのトルコ大使館または領事館は機能していた 2.さらにトルコ人の新聞記者などが、アーリア人の至上主義を唱えていたナチス・ドイツの首都を取材しながらふつうに歩いていた ということなんでしょうか? すごく疑問におもったのですが、探しても情報がみつかりません!わかる方がいらっしゃれば、是非教えてください リュウスケ |
- >2 アーリア人至上主義を唱えていたとされるナチス・ドイツ政権発足後も、暫くの間、ドイツは非アーリア人系の国家である中華民国に対し、軍事顧問団派遣や武器援助等のかなり積極的な軍事援助を行なっているわけなんですが、それと比較して、そんなに不思議なことなんですかねえ?
ま、共産主義を標榜するソ連も同様ですけど、多少のイデオロギーの違いに眼をつぶり、国益優先で外交を行なう例はざらにあることです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%8B%AC%E5%90%88%E4%BD%9C
アリエフ
- ベルリン大使館、各地の総領事館、ヴィシー・フランスの大使館が機能しており、特にフランスからトルコ系ユダヤ人を脱出させることに尽力しました。その文脈で、それに関わったトルコ外交官のリストと役職一覧がこちらにあります。
http://www.raoulwallenberg.net/?en/news/turkish-diplomats-honored-new.2742.htm
マイソフ
- …ということは、大戦中もトルコなどの新聞社の特派員がふつうにベルリンにいたということでしょうか?
そして、これでゾルゲの時みたいに機密漏洩とかしなかったんでしょうか?
質問ばかりですいません
リュウスケ
- 英仏もソ連もドイツも、トルコに対しては出来れば味方に引き込みたい、少なくとも敵陣営には追いやりたくない、というのが、基本的なスタンスです。
このような中立国の記者に対しては、出来るだけ自国に好意的な記事を書いてもらうことが必要であり、戦時故の制約は当然あるでしょうが、いやがらせをしても得はありません。(都合のいいものだけを見せたり、敵対的な記事を送り続ける記者のヴィザ更新を認めないといったことはあるでしょうが。)
なお、まったくの憶測になりますが、この時代外国に記者を常駐させるには相当な費用がかかります。
ベルリンにトルコの特派員がいたとしても、おそらくはアナトリア通信社や政府公式紙レスミガゼットなどの記者で人数もわずかだったでしょう。
カンタニャック
- >3 機密漏洩
リヒャルト・ゾルゲが、どの程度手の込んだ手法で日本政府関係者を信用させられるようなスパイ網を築き上げたのか、自分で調べてみてはと。基本的な事項のリサーチが中々杜撰なようでw。
連合国のスパイがトルコ人の新聞記者を装って、ベルリンの街歩きながら、そう簡単にドイツの機密情報が手に入るとでも?ベルリンに大使館を置いていた友好国の日本にしたって、直前まで独ソ不可侵条約を察知できなかったんだしねえ。
アリエフ
- >>5
御指摘通りゾルゲについて、もう一度調べてみます。
私もまだ勉強がたりないみたいです(汗
中立国の新聞記者がベルリンにいたということは、同盟国の日本大使館の電話まで監視していたドイツが意外なところで結構無防備だったのかな、とか一瞬考えてしまいましたが、さすがによくよく考えればそんなわけないですね。
みなさん、ご回答ありがとうございました。
リュウスケ
- 戦争中とはいえ、中立国の人間がいることは何の不思議もありません。
むしろ、大使館・領事館の閉鎖というのは明確な敵対行為と認識される行為だと思いますよ。ましてや、アーリアン人至上主義でいえば、アジア人と同盟組んでいるくらいですから、なんでもありません。
交戦国同士が中立国を通して物の売買をするといった例もあるので、むしろそういったチャンネルは確保しておくものです。実例では、太平洋戦争中、スペインを通してアメリカが日本映画を買おうとしたことがあります。当然、日米のスペイン大使館は生きています。ロンドン市場での日本国債の取引(流石に新規ではないが)も継続していました。
ただ、ドイツの例ですが、英空軍のゴモラ作戦(一千機爆撃)後のハンブルグが外国人禁止区域に指定(日本人も含む)されたことがあります。
首都ベルリンではそういうこともできないでしょうね。
えりっひ