56  ちょっと教えてください。

 艦艇が戦隊(駆逐隊含む)単位で行動する場合、複数の艦艇で行動しますが、旗艦が撃沈された場合や指揮能力を失った場合に次席の指揮官または二番艦以降の艦長に指揮権が委譲されます。その場合、先任順序が問題となると思いますが、以下の点で疑問があります。

1.どの時点での先任序列を用いるのか?(卒業期、その後の昇任人事など)
2.指揮権委譲により戦隊内の序列が変わるはずだが、艦の順序を都度入れ替えるのか?(平時ならともかく、戦時に序列を変更するのは戦隊の編隊運動上、宜しくないと思います)
3.指揮官の出身兵科や勤務形態によって操艦能力に差異が発生するのではないか?(艦艇勤務の少ない人間と豊富な人間、砲術科出身と航海科出身など)
4.個艦行動の多い潜水艦(司令潜水艦や先任艦長の乗る潜水艦が撃沈されたことを知り得ない可能性がある)や出自の多彩な護衛駆逐艦などではどうしていたのか?(海軍兵学校出身者とは限らないから)
RNR

  1. 海軍人事は齧った程度ですが判る範囲で…


    最新の「海軍現役士官名簿」に載っている順番です。この士官名簿は戦争中は数年に一度、書きかえられました。
    帝国海軍における先任順とは「海軍現役士官名簿」に記載された順番を言います。名簿には「電報符」が記載されており、これが先任順となっています。電報符の順番は基本は階級順です。
    大将5人、中将10人、少将15人だったら、大将には1〜5番、中将には6〜15番、少将には16〜30番が割り当てられます。
    同一階級内では卒業期、海兵での成績、その後の勤務成績、海大、砲術学校、水雷学校等の入学の有無&卒業成績等で総合的に判定されます。
    同じ大佐でも例えば電報符100番の人と105番の人がいたら、100番の人が先任となります。


    戦隊内の序列は1番艦は司令官座乗の艦艇ですが、2番艦以下は艦長の先任順とするのが基本です。ですから順序を入れ変えなくてもOKです。


    その通りですが、艦隊勤務経験の少ない艦長には経験豊富な航海長を配する等、人事発令の際にその辺りが考慮されます。

    4については人事制度に詳しい方、よろしくお願いします。
    出沼ひさし

  2. 補足
    残存している「海軍士官名簿」に加筆修正があることから、事例の発生する度に、訂正、加除が行なわれたのは確実です。
    年に1回は発行されていたのではないでしょうか。
    出沼ひさし

  3.  出沼ひさし様、ご教示いただきありがとうございます。もう少しお伺いさせてください。

    1.最新の「海軍現役士官名簿」に載っている順番

     階級違いの場合はそれで理解できるのですが、同階級の場合、卒業期や海兵での成績が下でもそれなりの地位(例えば栗田長官や木村1水戦司令官は先の条件に当てはまる上に海大甲種を出ていないはずです)を得ていることがあります。戦時昇進や戦死者発生による欠番発生、その後の事情(座礁・衝突事故を起こしたとか、疾病で艦艇不適を言い渡された)などでかなり変わるのではないでしょうか?付け加えると軍縮条約時代の海軍兵学校定員削減時の卒業期生は相当に少ないと拝察されます。

    2.&3.

     戦艦や重巡などの大型艦であればそれらの配慮が効くと思いますが、数の多い駆逐艦や航空機の運用知識(全て飛行長におんぶにだっこというわけにも…)が求められる空母では他艦や陸上との取り合いになるのではないでしょうか?そうなると1.と同様に「卒業期や海兵での成績が下なのに、その後の昇進は早い人間」とかが来るような気がしますが、どのように対処していたのでしょうか?
    RNR


  4. >最新の「海軍現役士官名簿」に載っている順番

    とは、「直近の任用順位」という意味です。
    兵学校卒業時の成績順位が、そのまま退役まで任用順位として固定されているわけではありません。
    人事評価は常に更新されており、海兵同期であっても、毎年微妙に上下するわけです。
    ですから、階級違いの場合は、名簿を見なくても誰が先任か判りますが、同じ階級の場合、任用順位を明らかにした書類がないと判らないわけで、それが名簿です。
    当然、卒業期の後の人が、先の人を追い越す(先に昇進する)事もあるわけで、よく言われるような完全な年功序列ではありません。
    平山

  5.  平山様、ご教示いただきありがとうございます。

     @直近の任用順位

     説明が不足したようで申し訳ございません。出沼ひさし氏にご教示いただいたように各考課やこれまでの成績を総合的に判断して名簿に順に乗せていくのは判りますが、戦時では戦時昇進や線死者数の増加により名簿の発行頻度も上がるでしょうし、平時と同じ基準のみでは必ずしも評価しないでしょう(名簿の発行と本人の状況との間にタイムラグが発生すると思います)。

     そのため、「完全な年功序列」ではないからこそ、「後任が先任を指揮する」ことを避けるためにどのように定めていたのかを知りたいのです。
    RNR


  6. 戦前の「士官名簿」は毎年1月1日か2月1日時点の序列で発行されていました。
    海軍の昇進時期は概ね11月でしたから、平時はこれで最新情報と考えて、問題ないと思います。
    確かに戦時中は昇進、戦死、異動が平時とは比べ物にならないほど増加します。
    それに対応するために「士官名簿」が年に2回発行された可能性があると考えております。
    これは戦時中の昇進は11月と6月の年2回であること、現存している戦時中の「士官名簿」は昭和16年12月、昭和17年11月、昭和19年7月であることからの推測です。

    なお、戦死、昇進を含む各種辞令は「辞令公報」という形で公布され、17年後半からは辞令とともに「電報符」も記入されています。
    これらの情報を各艦艇部隊の手元にある「士官名簿」に加筆修正していったものと推測されます。

    2&3
    駆逐艦については水雷戦隊内の司令の序列が司令の先任順、駆逐隊内の駆逐艦長の序列が駆逐艦長の先任順でした。
    戦時日誌を見る限り、昭和20年中も序列は維持されていますので2については「最後まで実施されていた。」ということになります。
    一般的に駆逐艦長に就く人は艦隊勤務の経験豊富な人が選ばれましたから、3の懸念も少ないと思われます。

    空母の艦長人事については調べたことがありませんので、判り兼ねます。


    >「卒業期や海兵での成績が下なのに、その後の昇進は早い人間」
    その可能性はありました。
    ただし、進級の早い者がいても、その下に遅い期の下に早い期の者を置かないとか、同期なら兵学校の卒業成績を考慮することはありました。
    これについては私も知人から教わったので受け売りです。
    これが海軍人事の硬直化を招いたのは事実です。
    出沼ひさし

  7. 出沼ひさし様、ご教示いただきありがとうございます。

    1.
     平時については理解できました。ただ戦時は内地や後方の根拠地はともかく、前線の根拠地や艦艇部隊ではその職位のまま、昇進(少将艦長とか)してしまったり、前出の理由で玉突き人事などで本来予定していない人間が異動してしまったりすると思います。その場合は部隊側で調整していたのでしょうか?

    2&3.

     2.については理解できましたが、3.は駆逐艦を大量建造中であり、かつ前線部隊配属の駆逐艦はかなり消耗率が高いはずで、しかもその任に適した中佐(中堅)〜少佐(古株)あたりは軍縮条約時の海兵定員削減のあおりを受けているので艦長適格者がそもそも少ないのではないでしょうか?

     それが4.の護衛駆逐艦(海防艦)あたりから持ってくる必要があるのではないかという部分につながります。そうすると今度はそちらで出自の多彩さゆえに「誰が先任か?」という話になります。

     空母艦長については了解いたしました。
     
    @「卒業期や海兵での成績が下なのに、その後の昇進は早い人間」

     その配慮が逆に人を動かしにくくしているように思います。「評価は高いのに、現時点でその職位に就けると後任に追い抜かれる可能性が高い」といったような場合は、あらかじめ除外していたという理解でよろしいでしょうか?
    RNR

  8. 昭和十七年十月二十七日の海軍軍令承行令(11月1日より施行)では下記のようになっています。
    アジ歴レファレンスコードC08030339400
    軍令承行令
    第一条 軍令ハ将校(兵)官階ノ上下任官ノ先後ニ依順次之ヲ承行ス但シ召集中ノ予備役将校(兵)ハ同官階ノ現役将校(兵)ニ次テ之ヲ承行スルモノトス
    第二条 将校(兵)任ヲサルトキハ将校(機)軍令ヲ承行ス其ノ順位ハ第一条ノ規定ニ準ス
    第三条 軍令ヲ承行シ得ヘキ海軍各部ノ長必要アリト認ムルトキハ部下ノ特務士官(兵)准士官(兵)下士官(兵)及召集中ノ予備将校(兵)ヲシテ軍令ヲ承行セシムルコトヲ得其ノ順位ハ第一条ノ規定ニ準ス但シ予備将校(兵)ハ同官階ノ特務士官(兵)ニ次デ之ヲ承行セシムルモノトス
    第四条 他ノ法令ニ規定アルモノ又ハ特別ノ命令アルモノハ本令ヲ適用スルノ限ニ在ラス
    第五条 本令中ノ(兵)トアルハ従前ノ規定ニ於テ兵科将校、兵科及飛行科ノ特務士官、准士官及下士官又ハ兵科予備将校ニ該当スルモノヲ謂ヒ(機)トアルハ従前ノ規定ニ於テ機関科将校ニ該当スルモノヲ謂フ

     海軍の実態についてはまったく知識がないのですが、上記の規定に従うなら、複数の将校の間の軍令承行が問題になっても、双方の階級と任官日がわかれば機械的に判断できるのではないでしょうか。問題は双方が同じ日に同じ階級に進級した場合ですが、そこで出沼さんがご説明下さった「海軍現役士官名簿」の、「電報符」の出番となるのでしょう。
     「海軍現役士官名簿」に記載が無い新規の進級者と名簿に記載のある者の間では、当然記載のあるものが先任、記載のない者の間では進級日で先任が定まり、同日進級の場合は電報符で先任順がわかるということで、各人が自分の電報符を把握していれば、軍令承行に混乱は生じないのではないでしょうか。その結果として実際に軍令を承行する者が適任者であるかどうかは、また別問題ですが。
    カンタニャック

  9. 1について
    これまた知人からお教えいただいたのですが、
    「電報符」の順番が変わるのはあくまで進級の時だけだそうです。
    たとえば席次1番のA大佐が何か失敗して2番になり、2番だったB大佐が1番になったとします。
    それでも大佐の時は1番が維持され、A大佐とB大佐が進級して少将になったときにB大佐(2番)→B少将(1番)、A大佐(1番)→A少将(2番)となります。
    また、進級時にも今まで少将だった人より先任にはならず、少将の最後に付け加えるだけです。
    戦死者、定年者等は単に抜けてその順番が詰まるだけです。
    従って、序列が変わる可能性があるのは、原則として進級時のみです。
    進級者は辞令公報に名前が載るとともに「電報符」が公表されますから、序列には混乱は生じません。
    辞令公報は文書&電報で公布されますから、時間的なギャップも最小限でしょう。

    戦死者が発生した場合は、基本的に欠員扱いです。
    実質的には玉突き人事だとしても、正式な辞令が出ないと基本的には動きません。
    例として、
    昭和19年7月1日の第2水雷戦隊には31dg(福岡大佐)、27dg(大島大佐)、32dg(青木大佐)の3個駆逐隊がありましたが
    7月7日、「玉波」沈没、32dg青木司令戦死、司令は欠員となる
    8月18日、「五月雨」座礁のちに沈没、27dgは1隻となる
    8月25日付で大島大佐に第三二駆逐隊司令の辞令が発令
    があります。
    なお、32dg司令の欠員時はその駆逐隊内の最先任の駆逐艦長が駆逐隊の指揮をとりました。

    3について
    駆逐艦長は膨大で調べきれなかったので、駆逐隊司令を例にとります。
    開戦時に水雷戦隊に所属していたdgは20個隊、駆逐隊司令の卒業期は43期から47期、平均は45.35期です。
    終戦時は3隊、50期から51期、平均は50.67期です。
    5年ちょっと若返ったことになりますが、開戦から3年8ヶ月経っているので戦争がなくとも、49期が平均になっていたでしょう。
    戦争により1年ほど若返ったことになります。
    これをどう捉えるかは個人の考えということになりますが、私的には他の兵科(特に航空)と比べて、それほど人材的に逼迫していたという感じはしません。
    水雷部隊は人材的に優先されていた可能性もあるかもしれません。
    なお、護衛艦艇の艦長艇長には予備士官が多く充てられましたので、直接には駆逐艦長の人的プールとは競合しません。
    護衛任務に就いていた旧式駆逐艦の艦長には経験の少ない者が充てられ、経験を積んでから大型駆逐艦の艦長に任じられました。
    この「経験を積んでから」の部分が平時より1年短くなったことは先に書いたとおり事実でしょう。

    >その配慮が逆に人を動かしにくくしているように思います。
    これは全くその通りで、なおかつ、先任順が入れ替わるのが進級時のみで、先に進級した者の後に就くのが原則だと、より柔軟性が失われていますね。
    出沼ひさし

  10. カンタニャック先生、出沼ひさし様、ご教示ありがとうございます。

    同じ階級の場合における先任順序は、
    1.現役将校(高等文官も?)
    2.召集中の予備役(後備役)将校
    3.特務士官
    4.予備将校

     という並びで、かつ「人事上の必要や任務の性質に応じて臨時の進級や序列の入れ替えは(日本海軍においては)行わない」という理解でよろしいでしょうか?

    RNR

  11. >同じ階級の場合における先任順序
    はい、戦争後期はそれで問題ないと思います。

    ただし、戦前及び開戦後しばらくは、基本的に特務士官や予備士官は軍令を承行することはできず、言いかえれば階級より身分が優先されました。
    特務士官、予備士官は現役、召集の予備役士官がいないか、指揮官が認めたときにのみ軍令を承行することが出来ました。
    その時の同一階級での順序は、現役、召集の予備役士官、機関科将校、特務士官、予備士官です。

    >「人事上の必要や任務の性質に応じて臨時の進級や序列の入れ替えは(日本海軍においては)行わない」
    はい、これは行なわれませんでした。
    出沼ひさし

  12. ちょっとだけ補足。

    >(高等文官も?)
     海軍省書記官などの文官には軍令承行権はありません。
     また、軍医科、主計科、技術科(造船科、造機科、造兵科)、法務科などの海軍士官は、「将校相当官」であって「将校」ではないので、軍令承行権はありません。

     なお、昭和19年8月18月の軍令承行令改正で、>8の軍令承行令第二条が削除され(兵)と(機)(昭和17年11月以前のいい方をすれば、兵科と機関科)の区別はなくなりました。ただし、大型艦などでは例外として(兵)優先が残されたという記事を読んだこともありますが、このあたりの実態は私にはお手上げです。
    カンタニャック

  13.  指揮権継承順位は、太平洋戦争中でも時期によって変動しています。
    カンタニャックさんが示したのは太平洋戦争中期位までのモノで、開戦時や終戦時では異なっていました。


    1.開戦時

     開戦時での軍令承行令は、以下の様に既定されています。

    第1条 軍令ハ兵科将校官階ノ上下任官ノ先後ニ依り順次之ヲ承行ス但シ召集中ノ予備役及後備役兵科将校ハ同官階ノ現役兵科将校ニ次テ之ヲ承行スルモノトス
    第2条 兵科将校在ラサルトキハ機関科将校軍令ヲ承行ス其ノ順位ハ第1条ニ準ス
    第3条 軍令ヲ承行シ得へキ海軍各部ノ長必要アリト認ムルトキハ部下兵曹長、上等兵曹、兵曹ヲシテ軍令ヲ承行セシムルコトヲ得  
    第4条 他ノ条例規則ニ規定アルモノ又ハ特別ノ命令アルモノハ本令ヲ適用スルノ限ニ在ラス

     以上の様に本則では、商船出の兵科予備将校は指揮権を承行する位置には居ません。因みに特務士官についても触れられてはいません。
    特務士官については、第3条に準拠して指揮権を承行する位置に組み込まれていた様です。
     尤も此れでは拙いと言う事で別則が設けられました。

    軍令ヲ承行シ得へキ海軍各部ノ長必要アリト認ムルトキハ召集中ノ兵科予備将校ヲシテ軍令ヲ承行セシムコトヲ得
    兵科予備将校軍令ヲ承行スル場合其ノ順位ハ同官階ノ兵科及航空科特務士官ノ次トス

     つまり海軍上層部の許可制で、必要に応じて予備将校を承行する位置に組み込む様にしたのです。

     この時点では、同一官階の場合
      現役兵科将校>予備役&後備役兵科将校>兵科特務士官>兵科予備将校(許可制)>機関科将校
    の様な順序でしょうか。


    2.中期

     カンタニャックさんが書かれている様な改訂が軍令承行令に為されます。
    この昭和17年11月は色々な意味で大変革であり、今まで兵科、機関科将校の区別が無くなり、一様に海軍将校、海軍兵科将校と呼ばれる様になります。
    ただ、長年機関室の主をしていた元機関中佐の海軍中佐が艦の指揮を執ることが出来るかと言うと、疑問符が浮かぶ事でしかない為に第2条は残される事になります。


    3.後期(終戦時まで)

     軍令承行令は、昭和19年に最後の改訂が為されます。

    第1条 軍令ハ将校官階ノ上下任官ノ先後ニ依り順次之ヲ承行ス但シ召集中ノ予備役将校ハ同官階ノ現役将校ニ次デ之ヲ承行スルモノトス
    第2条 将校在ラザルトキハ特務士官(兵)、准士官(兵)、下士官(兵)及召集中ノ予備将校 (兵)ヲシテ軍令ヲ承行セシムルコトヲ得
    其ノ順位ハ前条ノ規定ニ準ズ但シ任官同時ナルトキハ現役特務士官(兵)ハ召集中ノ予備将校(兵)ニ次デ之ヲ承行セシムルモノトシ召集中ノ予備役特務士官(兵)ハ同官階ノ召集中ノ予備将校(兵)及現役特務士官(兵) ニ次デ之ヲ承行セシムルモノトス
    第3条他ノ法令ニ規定アルモノ又ハ特別ノ命令アルモノハ本令ヲ適用スルノ限ニ在ラズ
    第4条 本令中(兵)トアルハ昭和17年10月31日以前ノ規定ニ於テ兵科及飛行科ノ特務士官、准士官及下士官又ハ兵科予備将校ニ該当スルモノヲ謂フ

     この改訂での現役、予備役将校は、元の兵科も機関科も一緒であり、昭和17年の改訂の様に区別していません。
    又、昭和17年の改訂では特務士官や予備将校は海軍上層部の許可制にて指揮権の承行する位置に組み込む事になっていましたが、昭和19年の改訂で正式に組み込まれる事になりました。
    ただ、昭和17年の改訂と同じ様に、十年一日機関室にいた機関科の将校が艦の指揮を執る事が出来るかという問題があり、特例として軍艦籍及び駆逐艦や潜水艦等の主力戦闘艦艇は昭和17年の改訂時の第2条を適用する事にしています。

     この時点での同一官階の場合、
      現役将校>予備役将校>予備将校(兵)>現役特務士官(兵)>予備役特務士官(兵)>将校(機)
    の様な順序でしょうか。



  14. 19. の補足

     開戦時の予備将校を承行順に組み込む別則ですが、日華事変の戦訓で設けられたものです。



  15. 13. の補足その2

     艦内の指揮承行順の場合、艦船令の規定が優先され、次に軍令承行令の規定が優先されます。

    艦船令第十六条
     艦長ヲ置カザルトキ又ハ欠員中若シクハ事故アリテソノ職務ヲ執ルコト能ハザルトキハ副長ソノ職務ヲ執行又ハ代理ス
    前項ノ場合ニオイテ副長ヲ置カザルトキ又ハ欠員中若シクハ事故アリテソノ職務ヲ執ルコト能ハザルトキハ他ノ将校軍令承行順序ニ従イ艦長ノ職務ヲ執行又ハ代理ス

    例えば、艦長が現役将校の大佐、砲術長も現役将校の中佐(先任)、副長が現役将校の中佐(後任)の場合、艦長が戦死した後の指揮権が副長に行くのは艦船令によります。



  16. 副長が砲術長よりも後任であることは補職人事上ありません。
    艦船ファン

  17. >16.
     はい、知ってますよ。
     あくまで、どちらの内令が優先されるかを示す為の例ですから。



  18. >17. 伸さん
    無いことを内令の規定説明に用いるのは誤解の基ですよ。 貴殿のように
    よくご存じの方ばかりが>15.の記述を読むわけではありませんから。
    艦船ファン

  19. >18.
     確かに、あまり良い例ではありませんね。

     >15.については、“例えば”以降は下の文と差し替えて読んでください。

     艦内での指揮承行順に軍令承行令が適用されるのは、艦船令で規定されているからとなります。
    これと同じ様に、艦隊(戦隊)の指揮承行順に軍令承行令が適用されるのは、艦隊令に以下の様に規定されているからとなります。

    艦隊令第二十九条
     連合艦隊司令長官及艦隊司令長官欠員中又ハ事故アリテソノ職務ヲ執ルコト能ハザルトキハ麾下ノ将校軍令承行順序ニ従イソノ職務ヲ代理ス



  20. 各位、ご教示ありがとうございます。

    @兵科予備将校(許可制)

     開戦後には艦の種類・数が増えていますので、どこかで商船出の兵科予備将校を指揮権を承行する位置に「正規に」組み込まないといけないと思いますが、19年の最終改正までは「そのままで良し」とされたのでしょうか?そうすると海防艦あたりでは「商船出の兵科予備将校の艦長&特務士官の副長」という組み合わせが出来てしまうのではないでしょうか?

     また戦功などにより叙勲を受けた場合には当人の人事評価に加算されると思いますが、どのような扱いになっているのでしょうか?
    RNR

  21. 少し補足をさせてください。

    開戦後の小艦艇及び特設艦船の急増により、現役兵科将校以外のソース、即ち召集中の予備役・後備役及び予備、並びに特務士官の必要性が出てきたわけですが、実際のところこのことが軍令承行上問題となるのは、これらのソースが多くを占める戦時増設・特設の部隊であって、いわゆる主力艦艇部隊ではないことにも注意が必要です。

    その一方で、召集2年目、3年目となると、経験により力を付けてきた予備の人達も多くなってきたことも事実で、これら艦隊部隊におけるソース間での軍令承行の問題が生じてきました。

    そのために行われたのが昭和19年の軍令承行令の改正ですが、実はこれはこれだけはなく、それに関連するものも重要です。 即ち「軍令承行令の特例に関する件」という昭和19年の内令991号です。

    これにより、現役兵科将校以外のソースが多く配員される次の部隊について軍令承行の戦時特例を定めたものです。
     (1)海防艦以下の小艦艇及び特設砲艦など
     (2)特設砲艦隊、特設駆潜隊、特設掃海隊など
     (3)直接護衛中の護衛艦艇の隊、船団、両者を以てする隊
     (4)陸戦隊の大隊以下及び特別根拠地隊陸上警備科の独立部隊など
     (5)特設飛行隊及び飛行機隊
    このうち(1)〜(4)については、各部隊の長が必要と認める場合にはそのソースに関わらず階級(官階)の上下により承行させることができることとされました。 ただし、同一階級内については軍令承行令のとおりです。

    なお、
    >兵科予備将校(許可制)
    軍令承行令も上記の特例も、「海軍各部ノ長必要アリト認ムル場合」とは事前に海軍省なりに許可を得るということではなく、部隊指揮官が定めることが許されている、ということですのでお間違いなきよう。 そしてこれは作戦計画・命令などの文書で事前に定めることも可能ですし、電報・信号などでも、あるいは最悪・緊急の場合には口頭でも可能です。

    また、予備将校の軍令承行については、昭和15年に「支那事変中召集中ノ兵科予備将校の軍令承行に関する件」という戦時特例が定められており、これが開戦後も存続していましたが、昭和19年の改正時これが盛り込まれたことにより削除されました。

    これは申し上げるまでも無いことかもしれませんが、「軍令承行令」で定める軍令承行とは、あくまでも軍令を発することの出来る立場についてどの様にそれを継承するか、ということです。 つまり艦艇ではその軍令の末端の部隊指揮官である艦艇長のことであり、この艦艇長に何かあった場合にその職務を誰が執るのかということであって、通常の艦内における指揮系統とは別のことであるということです。 ですから、例えば砲術長が戦死したからといってその職を誰が継ぐのかというような話では無いことに注意する必要があります。

    それでは、艦艇内においてこの艦長職継承ということが実際問題としてどれだけ問題になるのかということは、艦内編制及び補職人事に関することにもなりますが、長くなりましたのでこの件は項を改めさせていただきます。

    艦船ファン

  22. >21. 一部舌足らずの箇所がありました。
    >艦艇ではその軍令の末端の部隊指揮官である艦艇長のことであり、この艦艇長に とありますのを、
    艦艇部隊では艦艇長以上の部隊指揮官のことであり、その末端の各個艦ではその艦長に
    に訂正させていただきます。
    艦船ファン

  23.  艦船ファン様、ご教示いただきありがとうございます。

     艦船ファン様がご指摘のように小生が知りたいのは現役兵科将校以外のソースが多い、補助部隊の場合です。

     その上でさらにお伺いしたいのですが、小生の理解力が相当に悪いのだと思いますが、昭和17年の軍令承行令と同19年の改正時とでは予備将校と特務士官の位置付けがどうも入れ替わっているように読めます。これは小生の読み違えであるのかどうか、もし読み違えでなければ、なぜそのようなことになったのか、どのように対処したのか、ご存知でしたらご教示いただければ幸いです。
    RNR

  24.  RNR さん
     ご質問にお答えする前に、まず先の続きをご説明させて下さい。 (ただしご説明を簡単にするために兵科職種についてであり、機関科などについては省略させていただきます。)

     それは各艦艇への将校・士官の補職についてです。 艦艇の乗員をどの様に組織編成し、運営していくかについては、先に >15. で伸さんからご紹介のあった「艦船令」(大正8年軍令海1号)の他に「艦船職員服務規程」(大正8年達111号)、「艦内編制令」(昭和12年内令168号)の3つに基づきます。(特設艦船については、前者2つは表向きは「特設艦船部隊令」(大正8年内令108号)及び「特設艦船部隊職員服務規程」(大正5年内令284号)ですが、内容は前者2つのそれぞれ準用)

     そしてそれによって各艦種・艦型・各艦艇にどの官階の者を何名乗せるかを定めるのが、「海軍定員令」(大正2年内令34号)(特設艦船については「特設艦船部隊定員令」による別表(「内令提要」別冊)です。

     この別表によって具体的に、例えば海防艦「第2号」ならば、海防艦長 少佐又は大尉、乗組兵科尉官4名、乗組中少尉(水)1名、乗組中少尉(機)1名・・・・等々、士官5名、特務士官2名、准士官2名、下士官30名、兵85名が決まり、更に「乗組兵科尉官の中一人は航海長兼分隊長、一人は砲術長兼分隊長、一人は機雷長兼分隊長、一人は機関長兼分隊長に充つ」「乗組中少尉(水)及び兵曹長の中一人は掌砲長、一人は掌機雷長に充つ」などの具体的指定が付きます。

     ここで注意していただきたいのは、昭和20年3月の段階では既に特務士官の項には総ての艦船において「中少尉( )」しかなく、特務大尉がありません。 即ち、武官官階の改正に併せ、兵科将校のポストの枠には(表向きは)特務大尉も含めることにされたということです。

     また上記の例にはありませんが、定員表に「乗組中少尉」と「乗組中少尉( )」とがある場合には、その合計数の枠内において兵科将校と特務士官との員数を変えることができるとされています。

     なぜこんなことをご説明するかというと、海軍省人事課及び各鎮守府海軍人事部の補職担当者は、これらの法令に基づき、具体的に特定の個人を補職替えする時には、その個人の経歴とこれから先の人事管理、そして各艦のその時現在の補職状況とを勘案しながら決めるからです。

     この時には当然ながら士官・特務士官については指揮官たる艦艇長事故の場合の軍令承行もその考慮事項にあることは言うまでもありません。 海軍の補職人事というのは、単に同官階の者を右から左というのではなく、そこまで考慮されたものであると言うことをご理解下さい。

     したがって、通常であれば現場で軍令承行上問題になることはほとんど無いと言って良いと考えます。

     実際に現場で問題になるのは、例えば将校・士官の誰かが戦死傷したりで補充までに欠員が出ている期間にこの問題が生じた場合が最も多いのではないでしょうか。 補職人事もそこまでは計算できませんから。

     敢えて付言させていただくならば、この軍令承行令が問題とされるのは、上記の実際の場合はともかくとして、それ以上なのはこれによる通常勤務における兵科士官の特権意識と、逆にその他のソースの悪く言えば僻み感情なのではないかと思います。 特に戦後の批評にはこれが多いように私には感じられます。

     長くなりましたので、艦艇長以上の艦艇部隊指揮官の場合については、もしあれば別の機会と言うことにさせていただきます。
    艦船ファン

  25. >23. 続いてご質問に対しまして、
    >昭和17年の軍令承行令と同19年の改正時とでは予備将校と特務士官の位置付けがどうも入れ替わっている
     昭和17年改正 「予備将校(兵)ハ同官階ノ特務士官(兵)ニ次デ」 が
     昭和19年改正 「現役特務士官(兵)ハ召集中ノ予備将校(兵)ニ次デ」
    ですから、仰るとおりです。 ただし、後者の場合は「任官同時ナルトキハ」という前提条件が付いていますが。

     とはいえ、その前提条件があったにしても、現実問題としては、先の補職時の考慮は勿論のこと、加えて特務士官という下士官兵からのたたきあげという年齢的な要素を考えると、実質的には予備将校が上に置かれたと言えるのではないでしょうか。

     この入れ替わった理由については、それを明言する史料などはありませんのであくまで推測になりますが、予備将校、特に商船出と特務士官という2つのソースの内容を見れば当然のことではないかと考えます。

     つまり、開戦時までは予想した戦争規模からも、当然のことながら「海軍の事は海軍の者が主体で」ということと、予備士官については「臨時に補助部隊のお手伝いを」という感覚であったことです。 従いまして、特務とはいえ曲がりなりにも士官に列する者が予備士官の上に来たのは致し方ないことかと。

     しかしながら、戦争規模は予想もしなかった大規模なものとなり、特に小艦艇や特務艦艇、それらに基づく部隊の増加は極めて大きく、これらに当てる将校の量はとても現役や予備役・後備役では賄い得なくなりました。 (それ以前に、現役将校の不足は軍縮時代の影響が既に出ていましたが。) したがって、この方面への特務士官や予備将校の大量投入は当然の成り行きです。 これによって、特務士官の使い方としては、本来とは異なる方向性が要求されたことにもなります。

     一方で、特務士官は結局、その個人の元々の特技に特化した専門士官であり、如何に小艦艇・特務艦艇とはいえ、艦艇の運航・作戦に関しては限界が目に見えています。 平時の「軍艦」においては、特務士官は航海直の当・副直将校に就かないのが原則であったことからもこれは明らかです。 そして加えて、特務士官の人事は海軍省ではなくて元々の鎮守府海軍人事部である点も重要です。

     これに対して、2年目・3年目を迎えて実力を蓄えてきた予備将校は、出自が商船とはいえ元々が艦の運航・運用に関しては専門ですから、艦内編成における通常の固有任務・業務処理はともかくとして、指揮官たる艦艇長事故の場合の臨時の職務継承については、特務士官よりは遥かに適任なことは誰の目にも明らかです。

     これらのことが昭和19年の改正理由であったと考えますが、ご賛同いただけますでしょうか?

     なお、本来のご質問の主旨からは離れますが、大学出の予備将校なども含めた軍令承行のあり方については、戦後確かに反省点もあり、また色々な意見もありますが、私としては、アメリカ社会の様な自発的「市民軍」意識・感覚がない、軍人というものに単なる職業という以上に一般市民・社会との線引きのある、極めて東洋的な国民性からすると、当時としてはこれ以上のことは不可能ではなかったのかと考えます。

     ともかく、この軍令承行という問題は、非常に難しい問題であることは事実ですね。

     ついでに幾つか細かい補足を。

    >海防艦あたりでは「商船出の兵科予備将校の艦長&特務士官の副長」という組み合わせが
     海防艦には副長配置はありません。それ以外の職の将校・士官による「先任将校」制度がこの職務を担当します。 この副長配置が無く、しかも「先任将校」は軍令承行の順序ではなく官階の席次、即ちいわゆる先後任順であるため、場合によっては軍令承行の順と異なったケースが全く無かったとは言えませんが、通常は先の補職人事の際に当然考慮されているものです。

    >戦功などにより叙勲を受けた場合には当人の人事評価に加算される
     仰るとおりですが、旧海軍では原則として戦役中の戦功叙勲は実施していませんので、戦時にはこれは該当しません。 平時の昇任選抜人事でこれらや考課表などがどれほどの比重で加味されたかについては不明で、また本来も法令化されたり、また担当者・関係者以外に明らかにされる性質のものではありません。

     それとまたまた訂正で申し訳ありませんが、>21. の予備将校の戦時特例について「昭和19年の改正時これが盛り込まれ」を「昭和17年の改正時」に改めさせていただきます。

     度々長々の書き込み、失礼いたしました。
    艦船ファン

  26. 艦船ファン様、ご説明およびご教示いただきありがとうございます。

    改正理由については異論ありませんが、その背景部分と実際の運用について疑問があります。

    ご示唆いただいたように、当然のことながら海軍部内では「海軍の事は海軍の者が主体で行う」「臨時に補助部隊のお手伝い」という感覚であったと思います。であるならば、「「船舶運航の知識はあれど、海軍のことについては何も知らない人間(予備士官)」を経歴、人事管理、現在の補職状況などを勘案して配置するのであれば、「一般市民・社会との線引きのある、極めて東洋的な国民性」を考慮すると、「人事上の必要や任務の性質に応じて臨時の進級や序列の入れ替えは(日本海軍においては)行わない」状態で前出の制度改正を行うのは混乱を生じなかったのでしょうか?

    >通常勤務における兵科士官と、その他のソース

    とご示唆いただいていますので、単なる年功序列でもない、さりとて部内の感情悪化も考慮せねばならないというのでは「表向き」と「内向き」の理由というか事情があると思いますが、その辺のガス抜きをどうしていたのでしょうか?

     >先任将校

     これは米潜水艦のような配置のあり方と考えてよろしいでしょうか?そうすると現官職→昇任日→前官職席次→年長という順だと思いますが、他に何か考慮するものはあったのでしょうか?

    RNR

  27. >伸さん、艦船ファンさん。
    詳細なご説明ありがとうございます。
    細かい点を二三。

    まずは訂正から。御免なさい。
    >8
    昭和17年10月28日改訂軍令承行令
    第二条 将校(兵)任ヲサルトキハ(誤)
    第二条 将校(兵)在ラサルトキハ(正)

    >21
    「支那事変中召集中ノ兵科予備将校ノ軍令承行ニ関スル件」ですが、軍令承行令昭和17年10月改正の附則に廃止が定められています。17年改正の第三条で対応可能とされたようです。

    >軍令承行令(のみ)による順位
     「軍令承行令が定めた原則のみ」で士官級以上の承行を見ると、
    1)開戦時の規定では少尉以上の兵科将校が一人もいない場合(=「兵科将校在ラザルトキハ」)に、機関科将校が承行する。
    2)17年改正規定では、少尉以上の将校(兵)が一人もいない場合(=「将校(兵)在ヲサルトキハ」)に、将校(機)が承行し、各部の長が必要と認めたときは特務士官・予備将校等が承行できる。
    3)昭和19年改正で承行令上は将校(旧兵科将校と旧機関科将校の双方)が一人もいない場合(=「将校在ラザルトキハ」)に、特務士官(兵)や予備将校が承行するという事になります。

     特務士官・予備仕官の承行は17年改正では「各部ノ長ガ必要ト認ムル」場合であるのに、19年改正では「将校在ラサル」場合に限定され、特務士官・予備将校が承行できる範囲は縮小しています。

     私には、この規定改正の目的が理解できず、七転八倒していたのですが、その後のご説明で、17年の段階では特務士官・予備将校の承行についての例外規定がまだ未整備だったため、様々な事態に対応できるあいまいな規定だったのが、昭和19年の段階では、艦船ファンさんがご教示された「軍令承行令の特例に関する件」が制定され、ここで特務士官・予備将校の承行制度が整備されたために、軍令承行令第二条は将校全員戦死ないし指揮不能といった例外的な緊急事態のための規定に純化したように思えます。

     私は前にも申しました通り海軍の実態についてはとんと無知ですので、このような条文理解でよろしいのか、間違いがあればどなたかご教示いただければ幸いです。

    >26  RNRさん
    >先任。
    私にわかるのは法令関係だけですが、海軍武官進級令(大正9年3月27日)には下記のように規定されています。

    第二章 士官、特務士官ノ進級
    第十条 各科大佐以上ヲ進級セシムルハ上旨ニ依ル
    第十一条 各科中佐以下士官ノ進級ノ候補及列序ハ進級会議ニ於テ議決シ真ノ確定ハ上裁ニ依ル但シ戦時、事変其ノ他急ヲ要スル場合ニ於テハ進級会議の議決ヲ省略スルコトヲ得(進級会議の構成に関する部分省略)
    特務士官ノ進級ノ候補及序列ハ海軍大臣之ヲ決定ス
    第十二条 前条ノ規定ニ依ル進級ノ候補及列序ノ議決又ハ決定アリタルトキハ海軍大臣ハ各官種別ニ決定候補名簿ヲ調整シ之ヲ上奏スヘシ
    第十三条 海軍大臣ハ士官又ハ特務士官ノ進級ヲ要スルトキハ決定候補者名簿ノ列序ニ従ヒ進級上奏ヲ為スヘシ但シ該名簿ニ記載セラレアル者ニシテ傷痍アルイハ疾病ノ為危篤ニ陥リタル者ノ進級ニ付テハ其ノ列序ニ従ハサルコトヲ得
    第十四条 決定候補者名簿ハ其ノ確定ノ時ヨリ次ノ決定候補者名簿ノ確定ノ時迄効力ヲ有ス

     つまり原則としては、同日昇進であっても、その列序は進級会議あるいは海軍大臣が決定した「決定候補名簿」の進級の列序によって定まるが、例外として危篤の者については「決定候補名簿」の列序を無視でき、最終的には上裁の先後によって「任官ノ先後」が決定されるので、それ以前の任官の先後や年齢は問題になりません。
     将官は親任官ですから、同日進級の場合は上旨の先後ということになるでしょう。

    カンタニャック

  28. >27. カンタニャックさん

    >>21
    >17年改正の第三条で対応可能とされたようです。

     はい、そのとおりで、>25. にて訂正させていただきました。

    >特務士官・予備仕官の承行は17年改正では「各部ノ長ガ必要ト認ムル」場合であるのに、19年改正では「将校在ラサル」場合に限定され、特務士官・予備将校が承行できる範囲は縮小しています。

     17年改正では、将校(兵)と将校(機)がいない時に、その第3条の「各部ノ長ガ必要ト認ムル」場合でなければ、特務士官、准士官、下士官、予備将校は軍令を承行できません。 つまり、この第3条は、将校(兵)と将校(機)がいなければ軍令承行は途切れるものを、本来その権利のない彼らに承行させてそれを防止することができるようにしようとするものです。

     19年改正では、その第2条により将校(兵)(機)がいない場合には自動的に承行することができます。(「承行セシムルコトヲ得」という表現ですが、他の指定がない限りそうなります。) したがって、範囲は縮小ではなくて拡大です。

     また、19年の「軍令承行令の特例に関する件」は、更にこれを拡大した規程で、

     「第二条 大東亜戦争中軍令ヲ承行シ得ベキ海軍各部ノ長必要アリト認ムル場合ハ左ノ各号ニ付軍令承行令第一条及第二条ノ規定ニ拘ラズ部下ノ将校、予備将校(兵)、特務士官(兵)、准士官(兵)及下士官(兵)ヲ通ジ官階ノ上下ニヨリ順次ニ軍令ヲ承行セシムルコトヲ得但シ同官階ニ在リテハ軍令承行令第一条及第二条ノ規定ニ準ズ」

     例えば、中尉より先に予備大尉や特務大尉に承行させることができるようになったわけで、これは大きな変化であると言えるでしょう。

     その一方で、この特例第1条では、承行令第1条で折角兵科・機関科の区別をなくして「将校」としたことに対して、軍艦、駆逐艦、潜水艦については従前通り、(兵)→(機)とするとしていることにも注意が必要です。 

     つまり、19年の特例は、軍令承行について軍艦、駆逐艦、潜水艦については従来どおりを維持、それ以下の艦艇・特設艦艇については予備・特務士官などの承行を更に拡大した、と言えます。
    艦船ファン

  29. >28 艦船ファンさん
    >17年改正 大変失礼いたしました。

    >19年改正
     少々言葉が足りませんでした。17年承行令第三条の命令による承行ならば様々な場合に可能だが、19年承行令二条の将校がいない場合に限定された承行は特殊な場合しか対象としないという意味で「縮小」といったのですが、これは承行の範囲の縮小というより、承行の条件の相違というべきでした。
     軍令承行令の特例に関する件の第二条ご教示ありがとうございます。
    17年承行令第三条は一部修正されて特例第二条に移行したということがよくわかりました。
    カンタニャック


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