68  ちょっと教えてください。

 既出の質問でしたら申し訳ありませんが、旧海軍の場合、「大佐(だいい)」、「大尉(だいい)」と濁音で読むと伺っています。ですが、大正期の文献や新聞記事を読むと「大佐(たいさ)」「大尉(たいい)」として使われている例が散見されます。

1.併用して問題はなかったのか?(電報ですとカタカナ表記になると思います)
2.半濁音で読むようになったのはいつからでどういう理由によるものなのか?(用語の統一を図る理由が発生したのか)

 以上、よろしくお願いいたします。
RNR

  1. 2について
     ちょっと気になって調べた事があるのですが、私が見つけられた範囲では、「ダイイ」の初出は、明治13年1月3日の電報です。(アジ歴 レファレンスコード C09114381500)それ以前の文書で海軍大尉の読みがわかるものは、皆「タイイ」でした。(もっとも早いものは明治7年・アジ歴レファレンスコードA03030206500)

     アジ歴で「海軍 大尉 ダイイ」でヒットするのは3件、「海軍 大尉 タイイ」でヒットするのは14件で、タイイの14件のうちには陸軍の文書が6件含まれていますが、それを除いても「タイイ」の方が「ダイイ」より多いと言うことはできるでしょう。

     同様なやりかたで「ダイサ」を調べると、明治38年の一件のみ(アジ歴 レファレンスコード C09020167400 二件ヒットしますが一件は別の部分のダイイ)。 「タイサ」は32件(陸軍の文書や別の部分のタイイもあります)。こちらは「タイサ」が大部分です。

     なお、かつての電報では濁点、半濁点が一文字分として数えられていたため、電文においては、濁点、半濁点の省略が広く行われ、また、明治期には一般の公文書においても、濁点・半濁点を省略することが一般的でしたので、その結果ということも考えてみたのですが、電文を見ると他の濁点は省略されていない事が確認できるものが多く、濁点の省略とは考えにくいように思えます。(ただし、大尉、大佐は「ダイイ、ダイサ」と読むが、電文では「タイイ、タイサ」と書くという慣行があった可能性はあるかもしれません。)

     というわけで、「ダイイ」「ダイサ」という読みがあったことは間違いないと思いますが、その読みがいつごろからどの程度普及したのか、また海軍大尉や大佐を「タイイ」「タイサ」と読むのは間違いといっていいのかについては、さっぱりわかりません。
     そういえば、大将が「ダイショウ」でないのも不思議です。 
    カンタニャック

  2.  どうも先生にご教示いただきましてありがとうございます。

     それほど長い長文を打つわけにも行かないので省略できるものは省略してしまうと思うのですが、同様の発音をする陸軍などとはどのように区別するのでしょうか?

    @大将が「ダイショウ」でない

     それはおそらく「代将」が存在することによるものかと思われます(ただ日本の場合には階級としては存在していないのですから、上記が問題にならないのであれば、こちらも問題にはならないと思います)。
    RNR

  3. いえいえ、興味深い問題提起ありがとうございます。

    > それほど長い長文を打つわけにも行かないので省略できるものは省略してしまうと思うのですが、同様の発音をする陸軍などとはどのように区別するのでしょうか?

     陸軍の文書や電文に海軍軍人が出てくることはめったにありません。管見の範囲では、海軍大尉あるいは海軍大佐と海軍をつけています。文書作成者もそのことを意識していますから、混乱の生じる可能性はかえって少ないように思えます。
     なお、陸軍の文書の中に海軍からの電報が綴じ込まれている場合がいくつかあるのですが、いずれも「タイイ」「タイサ」です。

     略語については、明治41年 第七版海軍部内電報畧(略)語表(アジ歴レファレンスコード C08020214200 6ページ以降)を見たのですが、司令長官などの職や鎮守府、兵学校などの機関、艦名などについての略語はあるのですが、階級についての略語はありません。特定分野の略語もあるようですが、階級名についての電信略語は見つけられませんでした。
     私の見た電文でも艦名などには略語を使用しているものがかなりあり、多くの電文では略語の横に正式名称が追記されているのですが、そのような電文でも「タイイ」「タイサ」はそのまま記載されています。
     また、戦前の法令や判決文などでは「何々すべし」は「スヘシ」と書き、それを「すべし」と読むのですが(他にも「セス」で「せず」など)、海軍関係の電文ではこのような場合にも濁点を使用し「タイイ」「タイサ」では濁点を使用しないものが多く見られます。

     以下は私の乏しい知見にもとづく推測に過ぎませんが、「ダイイ」「ダイサ」は、あくまでも海軍部内の用語あるいは読み癖で、海軍内部の人間が「タイイ」「タイサ」といったりすると、汐気が足りないといわれたりするのでしょうが、海軍外の人間が「タイイ」「タイサ」と呼んでもそれはそれでかまわないという、海軍内外の人間を見分ける事ができる隠語に近い業界用語だったのではなかろうかという気がしております。
    カンタニャック

  4. 当時の国語辞典などにはなんと出ているのでしょう。ちなみに手元には戦後のもの(1966年発行)しかありませんが、わざわざ「海軍ではだいいと言った」などと補足説明されていたりします。戦後広まった認識なのでしょうか?
    とおり

  5. ご回答ありがとうございます。

    @文書作成者もそのことを意識

     1名程度ならそうも思えるのですが、宮中行事(晩餐会や観桜会など)や大演習の場合には複数の「大将」や「大佐」が出てきます。宮内省の文書作成者がそこまで気を利かせてくれていたのでしょうか?また逆に自組織の呼び方にこだわりを持つ人間もそれだけ参加者がいれば数名程度はいると思います。
    RNR

  6. >4
    > 辞書
     言海しか見ていないのですが、「大将」しかないんです。

    > いつごろから海軍外で知られるようになったか?
     国会図書館のデジタルライブラリで読める『海軍解説』(杉本文太郎著 東京 博文館刊 明38.6)のルビでは、タイイ、タイサになっています。(ライブラリーの28,29ページ)
     このルビの当否の解釈はさておき、この本は海軍志願者向けの解説書ですから、この本を読んで、兵学校その他の諸学校に入学したり、あるいは海軍に入隊した若者達は、海軍(ないし諸学校)に入って初めて「ダイイ」、「ダイサ」という読みを知った筈です。

    > 戦後広まった認識か?
     戦時中の海軍の大拡張によって、「ダイイ」、「ダイサ」を知る人間は大幅に増え、その結果、戦後の辞書に採用される程度までは広まったというのは、説得力のある仮説だと思いますが、証明は難しいでしょうね。

    >5
     時々宮中行事や大演習などに関わる文書を見ますが、きちんとした文書では必ず階級の前に「海軍」「陸軍」がつきます。海軍部内の文書でも、公式性の高いものは「海軍大尉」なり「海軍大佐」なりが使用されるのが通例です。
     問題は口頭で読み上げられたり紹介されたりするときどうだったのかですが、これはわかりませんねえ。侍従武官もいるわけですが。

    > また逆に自組織の呼び方にこだわりを持つ人間もそれだけ参加者がいれば数名程度はいると思います。

     これはまったくの推測に過ぎませんが、海軍部外の人間に「ダイイと呼べ」というような士官はスマートじゃないと思われていたのではないでしょうか。つまり一般人のどうでもいいような専門用語の誤りを得々と矯正する専門バカだと。


    カンタニャック

  7. >6
    ご教示ありがとうございます。私もこの問題には多少興味があって、と言いますのは親戚の元海軍大尉(故人)からそれこそ「海軍ではだいいと言うんだ」と聞かされてまして。残念ながらそれがどれぐらい普遍化できるものなのかは聞きそびれました(ふ〜んで終わってた気が)。ただ、私的には「大尉」を頭の中で「だいい」と発音したことは一度も無いですね。第一読みにくいですし。
    さらなる資料が出てくることを期待したいです。
    とおり

  8. 質問に対する直接回答ではありません。
    私は昭和18年に甲種飛行予科練習生として海軍に入りました。
    入隊早々に各階級の呼称についての教育を受けました。
    大(だい)中(中)小(しょう)を基本に、大尉(だいい)・大佐(だいさ)
    と呼ぶように指導されました。大将(たいしょう)だけは、代わりの
    将との誤解を避けるための呼称と聞いています。
    老兵

  9. > 8
     お教え、ありがとうございます。
     
     ご厚意に甘えての勝手なお願いですが、老兵様は、戦争中に海軍関係者(出入りの業者あたりまでを含めて)以外の方が「だいい」「だいさ」という語を使うのを聞いたことがおありでしょうか?

     簡単なようで難しい質問かとも思いますが、お教えいただければ幸いです。
    カンタニャック

  10. >6
    ご教示ありがとうございます。ですがやはり消化不良気味です。明治の初期のような祭政一致という奈良時代を思わせるような官制では太政官のような例外はともかくとして、政府全体としては標準語たる清音を好んでいたのではないでしょうか?その意味で言えば海軍は異質な存在になります。

     それとも音韻学での国語を表記する場合、1音に1字を当てがうのではなく、1音素に1字を当てがう方式がありますが(昭和12年の内閣訓令第3号にならってダ行の綴りが出来ています)、文部省推奨のそれに海軍は合わせたのでしょうか?今度は陸軍が異質な存在になってしまいます。
    RNR

  11. >10
     むしろ、明治初期になぜ「ダイイ」を「タイイ」と呼ぶようになったのかと考えるべきかもしれません。

     江戸後期から明治期の清音主義は、濁音や半濁音のなかった古代の正しい日本語を復興すべしという、ある種のルネサンス主義(古典復興運動)だったわけですが、ここで問題になるのが、古代に使用されはじめた直後から濁音がある漢語の扱いです。
     古代の律令制に戻れというルネサンス主義で律令官制の役職名を復活させても、漢語には濁音がついて回り、兵部省とか弾正台から濁音を追放することは困難です。弾正を「タタスツカサ」、判事を「コトハルツカサ」と読むなどして完全に漢語を追放すれば不可能ではないのですが、明治期の日本人の多くにはそこまでの根性はなかった(あるいは清音主義に無用なエネルギーを浪費しない合理主義者だった)ようです。 

     律令制では、近衛府に大将、中将、少将が、衛士府、衛門府、兵衛府に、督、佐、大尉、少尉が置かれています。
     明治軍制の、大中小将佐尉の制度成立に至る具体的事情はわかりませんが、令制の職名を復活しようという意味でのルネサンス主義の産物であることは間違いないといっていいでしょう。

     令制の官職名の「大」は「タイ」と読まれることもありますが、「ダイ」の方が多く、大尉は(訓で「オホイマツリコトヒト」と読まないのであれば)「ダイヰ」です。(ネタ本は岩波の日本思想体系の『律令』のルビなので典拠まではわかりません。)同様に大将も、近衛大将、右大将などの場合は「ダイショウ」と読まれるのが通例だったようです。(なお「大佐」は令制にはありません。)
     
     そう考えると、明治の大将、大佐、大尉は、RNRさんがあげられた太政官や、他には、大臣、大警視、大警部のように、濁音の「ダイ」でよかった筈で、なぜ清音の「タイ」で読まれるようになったのかの方を疑問とするべきでしょう。

     まあ、問題を逆転しただけですが、こう考えるといくつかの仮説は立てられます。(以下は私の仮説です。)

    1)近衛大将や右大将の「ダイショウ」が、二語の連接によって後の語の最初の音が濁音に転訛する、「連濁」だと思われた。(実は私も最初は連濁かと思ったのですが、冷静に考えると連濁ではないようです。)連濁は清音主義者の主要攻撃対象でした。柳田国男が「ヤナギタ」、折口信夫が「オリクチ」と名乗ったり、秋葉神社が「アキハジンジャ」と称したあたりが典型です。
     つまり「ダイショウ」を連濁と思った清音主義者が、「タイショウ」を正音と思いこみ、そこから「タイサ」も「タイイ」も右にならえで清音化した。

    2)明治初期の人間にとっては近衛大将よりはるかに身近だった征夷大将軍の「タイショウグン」(これが清音でしかも連濁にならないのが不思議ではあるのですが)から、清音の「タイショウ」が生まれ、以下右にならえで大佐も大尉も清音化した。

    3) 1)と2)の相乗効果で、大将、大佐、大尉の清音読みが、一般的になった。
     
    4)しかし、なかには令制の大尉は「ダイイ」なんじゃないかという物知りもいて(あるいは単純に大中小は「ダイチュウショウ」だろうと考えて)「ダイイ」「ダイサ」と読む者も現れ、海軍という一部局の中ではこちらが普及した。
     大将がダイショウとならなかった謎については、RNRさんや老兵さんがあげられている「代将」問題が正解かもしれません。

     日本海軍には「代将」はありませんが、「代将旗」はありました。

    「赤塚源六 富士春日摂津三艦指揮申付候事 但乗込艦江代将旗引揚可申事」 (アジ歴 C09090070600)

     ちなみにこの記事は明治3年8月(日の記載なし)。前年(明治2年7月8日)の職員例で海陸軍の大将・中将・少将は定められていますが、大佐以下の階級はまだありません(制定は同年9月18日)。
    カンタニャック

  12. >11
     ダイは呉音であり、タイは漢音ですので、江戸時代の呉音中心のから明治になって漢音中心になった影響で、大がタイと読まれるようになったのではないでしょうか。
     
    hush

  13. カンタニック様
    当時の私は部外者との接触は殆どなく、部外者がどのように呼んでいたかは承知していません。
    老兵

  14. 老兵様
     ありがとうございます。ご無理をいって申し訳ございませんでした。
    カンタニャック

  15.  失礼します。亀レスの上に記憶のみでしたのでためらっていました。

     大尉・大佐を「だいい・だいさ」と発音するのは薩摩なまりが理由と聞いたことがあります。ただし局所的に使われた言葉で正式には濁らないとのことでした。(この機会にググッてみましたが、小生の記憶範囲以上の記事は見当たりませんでした)

     とっくに御存知のことでしたらお忘れください。
    タンジェント

  16. 海軍は發足當初から薩摩閥だったので、薩摩訛で「だいい」「だいさ」と云い、其れが其儘になっていたと聞いております。陸軍の長州訛で「であります」と云うのと同じですね。
    それで民間での其の云い方の普及度と云えば、わたしの曾祖母が大正13年生まれで、ちょうど昭和の年が彼女の年齢と同じなのですけれど、家族も本人も軍隊とくに海軍とは全く縁が無かった(誰も海軍関係者が居なかった)にもかかわらず、海軍大尉を云う時は「かいぐんだいい」と、大佐は「だいさ」と發音して居りました。單なる少女でさえ、それが常識であったらしく、陸軍は「たいい」、海軍は「だいい」と區分して發音するのでした。海軍ではそう云うのが當り前でしょ?タイムマシンで昔に行って、「かいぐんたいい」なんて云ってたらアヤシイ人物になってしまうわよ、と云うノリでした(笑)。
    大将は「たいしょう」ですが、これは皆様の御推測通り「代将」と混同しないようになっていたのでしょうね。「大将」が「代将旗」の「だいしょう」では困りますよね。w
    しかし、海軍部内でも「たいい」「たいさ」は必ずしも誤りではなく、今次戰爭の終り頃には、根こそぎ動員で掻き集めた應召兵は、子供の頃からの陸式教育の御陰で陸軍式の物云いをする例が多くあったそうです。いわく「です」ではなく「であります」、職名階級名呼捨てではなく「どの」と云う具合です。なのでドラマ等でそう云う場合も、必ずしも時代考證が間違っているのでは無いようです。
    あるめ


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