70  種子島に宇宙センターができたのは種子島時休氏のおかげでしょうか?
テキサスの哲

  1. 一般的には、衛星打ち上げに有利なため、できるだけ南(=赤道の近く)に発射場を作るのは御存じかと。
    (内之浦も、秋田から移された経緯があります)
    種子島時休氏云々については、JAXAの広報にでも問い合わせるのが一番早くて確実でしょう。
    TOSHI!!

  2. 新版日本ロケット物語(誠文堂新光社)の記述(執筆者はNASDAの元理事など)だと
    「しかし推進本部(引用者注:NASDAの前身の宇宙開発推進本部)としては将来人工衛星の打上げなどを視野に入れつつ、ロケット発射場のあり方、条件、場所などを模索していた。たまたま1966年(昭和41年)一部の実験施設を防衛庁の了解を得て当試験場(注:新島試験場)に持ち込もうとしたところ、諸般の都合でそれができなくなった。そこで推本は急遽科学技術庁と相談のうえ、新しい打ち上げ場を探すことになった。北海道の襟裳地区、下北半島、八丈島、茨城県の鹿島灘、鹿児島県の大隅半島及び種子島等が候補に上がった。その結果種子島が浮上し、鹿児島県知事も受け入れについての協力を約し、1966年4月、推進本部は正式の調査団を出し、種子島の6地点を調査した。結局国有地が多く比較的人家が少ない島の南端の今の位置が選ばれた。」
    だそうです。
    便利少尉


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