93 日本海海戦時のロシア軍艦の呼び方である蟻寄る(アリョール)・呆れ三太(アレクサンドル三世)などですが、

1.これらは公式に規定されたものでしょうか?

2.これは日本海海戦のみでその前後の海戦では使用されなかったのでしょうか?

安井賢一

  1. なかなか回答が付かないので参考までに・・・

    この逸話は、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」で有名ですね。日本海海戦を描いた映画でも、負傷した砲手が必死で装填照準し、「目標、押すとピシャ!!(=オスラビア)」と絶叫して射撃再開するシーンがあったのを記憶しています。

    で、この呼称なのですが、公式か否か、日本海海戦のみか否かを直接示す資料は見当たりませんでした。ただし、以下は参考までに。(引用文では、旧漢字は改め、旧かなは適度に変し、ルビは除きます)

    ソース:「撃滅」日本海海戦秘史 421頁・『巡洋艦ドミトリー。ドンスコイの最期』より
    (海軍中将 子爵 小笠原長生著 実業之日本社刊 昭和五年五日 三十八版)
    【この一節が報知紙上に掲載せられる頃には、定めし論戦の火花が散るであらう所の倫敦の軍縮会議に、全権の顧問として出張中の畏友安保(清種)大将は、前述の如く日本海海戦戦當時は旗艦三笠の砲術長であつた。されば同艦の砲手をして成るべく命中率を多からしめやうと、種々工夫を凝らした中の一として、敵の艦名を覚え易からしめる為め、それぞれ滑稽な意味に和訳して教えたものた。例へばクニャージ・スウオーロフを『國老爺座ろう』アレキサンドルを『呆れ三太』ボロヂノを『襤褸出ろ』。等ゝ呼ぶの類で、殊にその中でも秀逸といはれたのは『塵取権助』と訳せられた實名ドミトリー・ドンスコイであった。(後略)】

    この記述以外には、この「訳称」は一切出てきませんので、憶測ですが、旗艦三笠のみで、日本海海戦時に『工夫』としてアダ名を付けた、ということのように思えます。公式規定とは考えにくいですね。また、日本海海戦後は昔語りとか、鹵獲艦の通称としてある程度呼ばれた程度ではないでしょうか。

    ちなみに、この本には艦隊運動のカラー折り込みページとか、当時は相応に貴重であっただろうアート紙(?)の写真ページもあります。坂の上の雲、のネタ本ではなかったか?と感じる記述も多く、また、水兵などの卑近なエピソードも多く載っています。
    頑丈なケースに入ったハードカバー本で、定價壱圓八十銭。外ケースは3色刷のイラスト付き、本体背表紙は金押しで『撃滅 平八郎書(花押)』、グレーの中本表紙は無地に手書きでカラーのZ旗が描かれています。
    TOSHI!!

  2. 訂正です。
    ×:昭和五年五日 三十八版
    ○:昭和五年五月五日 三十八版
    TOSHI!!


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